東西落語特選

酢豆腐



月番 源ちゃん、おい、源ちゃん、起きろよ...よく寝られるねぇ、この日溜まりで...おれなんざ暑くってめまいがしそうだぜ、おい、源ちゃん...いったい神経があんのかねぇ...源ちゃん、源ちゃんって!
源ちゃん ん...んあぁぁぁぁぁ...む、むあぁ...ああぁっ
月番 うわぁ...酷い顔だねぇ...え、何だって?
源ちゃん むあぁぁ、暑い...あっつ〜ぃっ! こう暑くっちゃ、とても寝てられねぇ...
月番ウソつきゃがれ! 今おめえ、いびきかいて寝てたんだよ、暑いだろう、だから夕べの続きだ、暑気払で一杯やろうってんで、みんな早くから準備で働いてんだよ。おめえだけだよ、怠けてんのぁ。邪魔だからどっかへ片付きな。井戸端行って顔洗ってきな。

 よし、野郎、片付いたよ。ここへちゃぶ台出しとくれ。ああ、それでいい。火もちゃんといこしときなよ、それから湯も沸かして。流しに湯呑みが洗ってあるだろ、それこっちへ出して。ああ、ここへ置いときな。そいで、と、酒はどうなった? 金ちゃんが酒屋行って、二升提げてきた? いいねぇ。おめえとは生涯付きあいてぇや。

それからね、表にちょっと水を打っといた方がいいよ。風が涼しくなるから。あまりたくさん撒くんじゃないよ、下がぬかるまない程度に、いいかい?

よし、じゃみなこっちへ上がって、集まってくんねぇ。おれぁ今月の月番 (月番:昔の長屋には月ごとに長屋内のこまごまとした雑事の世話を焼く「月番」というものが決められていた) だよ、でねぇ、ちょっとみんなで考えてもらいてぇことがあるんだ。酒は今聞いた通り、金ちゃんが都合してくれたよ。呑もうってんなら湯呑みもあるし、いつでも呑める。ただ、肴が無いんだよ。「酒呑みに肴はいらねぇ」ってことを言う人がいるけれどもおれはそれはウソだと思うよ。たとえ何も食わなくても、何か目の前になけりゃ心細い、寂しい、頼りないってやつだ。ねぇ? なんでもいいんだ、なんでもいいから、ちょいとつまめるようなものが欲しいんだ。ところが、だ。銭がありゃてんでに好きなものを言えばいいんだよ。だけどさ、夕べの今日だ。銭、使っちゃったろ? ね、懐が寂しいんだから、金がかからなくて何かおつな酒の肴を考えて欲しいってんだが、何かねぇか?
松つぁん ええ、あります。
月番 あるかい?
松つぁん あります。わたくしはねぇ、世の中にこんなに結構な酒の肴はないんじゃぁないかというようなものを知ってます。
月番 なんだい?
松つぁん 刺し身。
月番 え?
松つぁん マグロの刺し身。これはいい。暑いときによくて、寒いときにいい。酒に合って、おまんまにも合う。こんな結構な酒の肴てぇものはありません。中トロのところにちょいとワサビを利かせてやってご覧なさい。答えられませんねぇ
月番 お前だけ帰っていいよ。酒の肴に刺し身がいいなんてことぁ、誰だって知ってるんだ、おめえに教わらなくったって、えぇ! そんなこたぁ銭があるやつがいうセリフだ。おめえなんぞ銭なんかありゃしねぇじゃねぇか
松つぁん そりゃ、あたしゃ銭はありませんよ、でもね、刺し身がありゃ食いますよ
月番 馬鹿なこといってんじゃねぇ。 みんなおれの言ったことを聞いたのかい? 銭が無いんだよ、無いところでなんとか考えてくれって言ったんだよ。

じゃ、もう少し分かりやすく言うよ。まず、安くなきゃいけない。それでさ、こっちの人が食えてこっちの人の口に入らねぇってんじゃケンカになるだろ、だから数が無くっちゃいけねぇ。それでさ、見た目が洒落てて、腹につかえなくって、衛生にいい、なんておつな酒の肴が無いか考えてくれってんだよ。
六さん こんなのはどうだろうね...楊枝を買ってくるんだよ。そいでさ、その楊枝を一本づつ配ってさ、楊枝でこう口をつつきながら一杯やるってなぁ、どうだい?
月番 肴は何なんだよ
六さん 肴はその楊枝だよ
月番 楊枝がどうして肴になるんだよ
六さん どうして、って今おめえが言った通りだよ。安くて数があるよ、で、楊枝でつつきながら一杯やっててご覧よ、表通る人にゃなにかうめぇもんで一杯やってるように見えらぁ。でさ、腹につかえないしさぁ、でぇいち衛生にいいや
月番 よせやい! 歯の掃除をしながら酒が呑めるか! なんでぇ、どうしておれの言うことがわかんねぇかなぁ、なるほど、これはいい、てぇ酒の肴がなんかあるもんだよ、考えて...もうちょいと考えておくれよ
八つぁんうるせぇなぁ、人に頼ってばっかりいねぇで、自分でも少しは考えてみろよ。

 あるよ、酒の肴くれぇ...あるよ。台所の隅にぬかみそ桶があんだろぅ? あの中にずずーっと腕を突っ込んでかき回してご覧よ。隅っこの方に忘れちまったような古漬けの一つやふたつ、必ずあるもんなんだよ。こいつをとんとんとんとん、と刻むんだ。で、そのまんまじゃ臭っていけねぇだろ、だからこいつをちょぃとばかし水に泳がせるんだ。で、水から上げて刻みショウガと混ぜてさ、布巾でギューッと絞って、まあ好き好きでかつぶし掛けてもいいし、下地 (しょうゆのこと) を垂らしてもいいし、こいつぁ酒の肴になるぜ。どうだ!
月番 き、聞いたか、お前たち、こ、これだ、おれが聞きたかったのは...苦労人、遊び人じゃねぇか、銭がかからなくておつな酒の肴になるじゃねぇか、まったく。恐れ入りました、さすがだよ。さ、そいじゃさっそく古漬け出してくんねぇ
八つぁん おい、よせよ...おれが考えたんだよ、出すのは他のやつに出させなよ。戦だってそうじゃねぇか。作戦を考えるやつと鉄砲持って走るやつとは違うんだ
月番 大袈裟な話になってきやがったねぇ、どうも。いくらでもいるよ、兵隊は...誰か出してくんねぇかなぁ、ぬかみその中に手ぇつっこんで、古漬け... みんな黙っちまいやがる...端から聞いてくぞ。松つぁん、どう? 古漬け
松つぁん へへっ、どうも恐れ入ります
月番 いや、恐れ入らなくていいから、古漬け出しねぇ
松つぁん いや、だめなんだ...いや、嫌いなんて、嫌いなんてそんな生易しいもんじゃないんだ。ほら、見てご覧なさい。古漬けと聞いただけで、全身の毛が立っちゃったでしょう。つまりこれはぞっとしている、てぇやつだ。聞いただけでぞっとする。これがぬかみそに手なんぞつっんこだ日にゃ、あたしゃ死んじまうよ
月番 また始まった、おめぇさんはいつも大袈裟なんだ...いいよ、頼まねぇ。六さん、どうだい?
六さん いやぁ、だめなんだ。親父の遺言でねぇ、どんなことがあってもぬかみその中に手ぇ入れちゃなんねぇって
月番 そんな遺言があるか! 隣はどうだい?
忠さん いや、申し訳ねぇ。他の事だったらなんだって引き受けるけどよ、ぬかみそだけは勘弁してくんねぇ
月番 おぅ! おめえ、あと半間ばかり前へ出ろ! おめえは何かものを頼むってぇと決まって同じセリフだ! 「他の事だったら何だって引き受ける!」 そればっかじゃねぇか。じゃ先に聞こうじゃねぇか、おめえはいってぇ何だったら気持ちよく引き受けるんだ?
忠さん だからさ、あれを食えとか、これを呑めとか
月番 ばか野郎! もういい、てめえはもう物の数じゃねぇ! おぃ、金ちゃん、どうだい
金ちゃん えぇ、ただいま留守です
月番 本人が留守だってやがらぁ。鉄つぁん、どうだい? ひとつ出しちゃくれねぇか
鉄つぁん ん? それじゃ、おめぇは...おれにぬかみその中に手を突っ込んで、古漬けを出せとこう言うのかい? それじゃ、おめぇは...それじゃ、おめぇは...
月番 わかったよ...わかったよ、嫌なんだろ
鉄つぁん あたりめえじゃねぇか。世の中にあれほど間抜けなものがあるかい? 一度手を突っ込んだが最後、ニチャニチャニチャニチャしちゃっていくら洗ったって取れやしないんだ、いつまでも嫌な臭いがするしよぅ! あまりいい若いもんのするこっちゃねぇや。プン!
月番 たいそう粋な断りようをしやがったねぇ、どうも。 それじゃちょいと伺いましょう。その「いい若いもん」てなぁ、いったい誰でぇ
鉄つぁん そりゃ、おれに決まってんじゃねぇか
月番 それじゃ聞こうじゃねぇか。どこが「いい若いもん」だってんでぇ
鉄つぁん どこと聞かれて、はい、ここでござんすとは言い難いがよぅ、第一おれは若いや
月番 いいか、歳が若かけりゃ「いい若いもん」だと思ったら大間違いだぞ、おれが教えてやるからよく憶えとけ。「いい若いもん」てぇのぁなぁ、普段から襟垢のつかねぇものを着て、目先が利いて、金っ放れのいいやつのことを言うんでぇ。おめえなんざ、ひとつだって当てはまるところはありゃしねぇじゃねぇか。いつも着た切り雀で、よれよれになっちまって、目先は利かねぇし、第一銭使いが汚ねぇ
鉄つぁん そ、そんなことぁねぇよ。おれは銭が無いからじゃねぇか。銭がありゃぁおれぁきれいに使ってみせるよ
月番 じょうだんじゃねぇ。おめえの普段の行いを見てりゃ分かるよ。お前なんざ銭があったってきれいにつかえるやつじゃねぇ
鉄つぁん そんなことぁねぇ! 悔しいなぁ...嘘だと思うんなら、おれに銭くれ!
熊さん おい、仲間内でもめちゃいけねぇ。大丈夫だよ。古漬け出るよ
月番 だれだい? 熊さんかい、嬉しいね、みなが嫌がることを引き受けてくれた。
熊さん いや、おれが出すわけじゃないんだよ。ここに古漬けがふわふわふわっと出てくりゃいいんだろ
月番 まあ、そりゃ出て来さえすれば、途中経過は問わないけどさ...
熊さん おれが出すわけじゃないんだ。まあ、おれに任せときな。ほら、あそこを建具屋の半公が歩いてるだろう? へへっ、おれの独り舞台。みな黙ってなよ。

お〜い...半公...半ちゃん!
建具屋半次え? ...ああ、みんな集まってんな...何だい?
熊さん みんなで暑気払でいっぱいやろうってんだ。お前も付き合いな
建具屋半次いや、そうもしてられねぇんだ。これから仕事でちょっといかなきゃならねぇところがあるんだ
熊さん あ、そうか。無理強いしちゃいけねぇや。分かったよ。また今度付き合いねぇ。けどよぉ、おめえ、ずるいぞ。おめえ一人だけ女にモテやがって。あんまり町内の女を惑わすな。小間物屋のみー坊なんざ、たいへんだぞ、色よい返事をしてやれ、長いことねぇぞ、あのまんまうっちゃっとくてぇと。ちきしょう、ずるいなぁ、この野郎...女殺し! 後家殺し! 色魔! 早く行け、この野郎!
建具屋半次...へへへ、こんちわ
熊さん 何だよ、入って来やがったね。用事があるんじゃないのかい?
建具屋半次いや、仲間内じゃねぇか。付き合いも大事だよ。用事なんて言ったってたかが知れてるよ。へっへっへ...それよりさ、さっき言ってたね...小間物屋のみー坊がなんだって?
熊さん へっ、お安くねぇぞ、全部知れてるんだよ。二、三日前にやけに暑い晩があったろう
建具屋半次ああ、あった
熊さん もう暑くって寝られやしねぇ。で、おれぁ横丁の縁台で涼んでたんだ。近所の人と話しなんかしてさ、するてぇとそこへ、小間物屋のみー坊が出てきたんだよ
建具屋半次うんうん、うんうんふんふん
熊さん で、話をしてたんだけどよ、何だか知らないけどやたらと半ちゃんが、半ちゃんがと、おめえの名前ばっかり出てくるんだよ。で、こっちは面白くねぇじゃねぇか
建具屋半次あ...はは、ご同情申し上げましょ
熊さん何を言いやがる! 癪に障ったから言ってやったんだよ。「おう、さっきから『半ちゃんが、半ちゃんが』ってぇやたらと半公の名前ばかり出て来やがるが、ことによるとおめえ、半公に岡惚れ (一目惚れの片思い) してるんじゃねぇか」とポーンと言ってやったんだよ
建具屋半次うんうんうんうんふんふんふん、ふんふん...そ、そ、そ、そそそれでぇ?
熊さん おい、そう前へ出てくるんじゃないよ、暑苦しい... ま、大概の娘なら、人前でそんな事言われたら真っ赤になって俯いちまわぁ。ところがみー坊はそうじゃねぇんだ。「あら、熊さん、あたしが半ちゃんに惚れちゃいけないの」とお返しが来たてぇやつだ
建具屋半次はぁ...ふぁあはあ...はぁぁ
熊さんおい、大丈夫か、声が裏返ってるよ、しっかりしろ...で、おれぁ言ってやったんだよ。

「いけねぇことはねぇが、それじゃおめえは物好きだ。この町内に若けぇもんはいくらもいるんだ。銭のあるのもいりゃぁ、様子のいいのもいるじゃねぇか。なんで選りによってあんな半公なんぞに惚れたんだ」
「あら、熊さん、女てぇものはお足 ?! のある男とか、様子のいい男に惚れるんじゃないのよ、本当に男らしい男に惚れるのよ」
「半公はそんなに男らしいのか」

「あれが本当に男の中の男、江戸っ子、職人気質、頼まれたら決して後に引き下がったことの無い、そういう立て引きの強いところに、あたしは惚れたのよ

と、みー坊がそう言ってたぜ
建具屋半次そうかい、やっとおれの了見が...(グスッ)世間の女に知れてきたか...ウウウッ
熊さん 泣いてるねぇ...今もみんなでおめえの噂をしてたんだ。おめえが人を助けたなんで話をこれっぱかりもしねぇからさ、おめえ、立て引きが強いんだってねぇ
建具屋半次あたりめぇでぇ! こちとら江戸っ子でぇ!! 人にものを頼まれて、あとへ引き下がったことのねぇお兄いさんでぇっ!!!
熊さん 凄い剣幕だねぇ。その立て引きの強いところでさぁ、ここにいる一同が頭を下げて頼みてぇことがあるんだ。ひとつ聞いてもらえねぇか
建具屋半次なんでもそう言ってみな。芝居の総見でもしようってのか?
熊さん いや、そんなんじゃねぇ
建具屋半次どっかの店に暖簾でもやろうってのか?
熊さん いや、そんなんじゃねぇ。 ぬかみそ桶から古漬け出してくんねぇ
建具屋半次...さようなら...ちょちょちょっとまて、引っ張るな、引っ張るなよ、着物が破れちまうじゃねぇか、離せよ、分かったよ、ちょっと待てよ...なんてぇ悪いやつなんだ、おぅ、熊、てめえって野郎は...人をすっかりその気にさせといて、ぬかみそは勘弁してくれよ...これからでかけるんだぜ、おれぁ...臭いが残っちゃってどうにもしょうがねぇじゃねぇか
熊さん だめだ、だめだ! あれだけ言いてぇことを言ったんだぜ。さ! 立て引きの強いところを見せてもらおうじゃねぇか。
建具屋半次いや、それが陽気の加減か、当節すっかり弱くなっちゃって
熊さん 何を言いやがるんでぇ!

 さぁ! ぬかみそ出しゃがれ!!
建具屋半次頼むよ...わかったよ、すっかりその気になったおれも間抜けだった。じゃこうしよう、古漬け買うだけの金をおれが出そうじゃねぇか。それで勘弁してくれ
熊さん ああ、それならいい。で、いくら出そうってんだ?
建具屋半次あんまり高いことをいいっこなしだぜ、こ、こんなところでどうだ?
熊さん ほう、指を五本立てやがったね。五千円か? 五万円か?
建具屋半次おいおい、鴻池ご一向様の大名旅行じゃねぇんだぜ...ええ、五十銭てぇところで、どうだ?
熊さん 五十銭? 五十銭てぇのはちょいと少なすぎねぇか...いや、この野郎が五十銭で手ぇ打ってくれってんだけどさ、どうする? 初犯だから勘弁してやるか...おう、お許しがでたよ
建具屋半次ああ、それで勘弁してくれぇ、じゃこれ五十銭、ここへ置くよ。じゃ、ちょいとおれも一杯
熊さん 何を言ってやがんでぇ、おめえ、用があんだろうが。出すもの出したらとっとと行っちまいな。消えろ、消えろ
建具屋半次そ、そんな酷いことを言うなよ...分かったよ、行くよ。ったく、なんて野郎だ
熊さん あ、半公、そういやぁ、仕立て屋のお銀ちゃんもね
建具屋半次うるせぇ! その手は食うか!!
熊さん はは、怒って行っちゃった。どうだい、これだけあればなんか買えるだろう
月番 買えるよ。恐れ入りました。頭の働きてぇやつだ。

そう言えば、さっき思い出したんだよ。ゆうべ冷やっこにした豆腐があまってたろ。あれ、どうした? 与太郎に預けた? 大丈夫かなぁ、おう、与太郎! 与太、例の豆腐、どうした? ねずみ入らずにでも収めたか?
与太郎ね、ねずみ入らずは穴が空いてさ、ねずみの巣になってらぁ
月番 いやなうちだねぇ...じゃぁどこに収めたんだよ
与太郎うん、だから、ねずみに食われないようにお釜ン中へ収めて、ふたをして、上から漬物石を乗せといたから大丈夫
月番 釜ン中ぁ? こんな暑い時分にそんなところに置いといちゃいけないよ、豆腐なんてものぁ、足が速いんだよ。ちょっと開けてみろ、与太
与太郎やぁ...黄色くなって、毛がぽわーっと生えて...何か酸っぱそうな臭いがする
月番 よしてくれよ、こっち持って来るんじゃないよ...ほらほらほら、だめだよ...うわぁ...鼻にツンと来るねぇ、もうイカレちゃってるよ。だめだよ、そのまま置いといちゃ、間違って食うやつが出かねねぇんだから、この長屋は。裏へ持ってって捨てちまいな... っと、ちょっとまて、ちょっと...今からちょっと余興を見せよう。いま、向こうから表通りの変物、伊勢屋のバカ旦那が来るだろ、あいつにこれを食わせようってんだ。
松つぁん いくらなんでもそんなもの食うかい?
月番 食うよ、いまの熊さんのでぱっと閃いたんだ。持っていきようひとつだよ、今度はおれの独り舞台だ。黙ってみてろ、いいか? あぁ...見ねぇ、あの歩きっぷりを。キザの国からキザを広めに来たってぇかたちだな。

若旦那! ねぇ、ちょっと寄ってらっしゃいよ、素通りはないよ
バカ旦那おんやー、こんつわぁ
月番 へっ、こんつわと来たよ。若旦那、こっちへおはいんなさいな
バカ旦那これはこれは、町内の色男の寄り合いでげすな
月番 若旦那、相変わらずお口がお上手で。へへっ、いっしょに一杯、どうです
バカ旦那おじゃまになっては悪しゅうがすから...
月番 いやいや、そんなことはありませんよ。寄ってってくださいよ、ああた、冷たいよ、お寄りなさいよ
バカ旦那さいでげすか、それでは失礼をばつかばつって、ちょいといつふくしようかねぇ
月番 いつふくするとよ、さあさあ、若旦那、まずはおざぶをお当てになって。嫌ぁ、恐れ入りました、ああた、いつ見ても色男だねぇ。近頃ばかな評判ですよ
バカ旦那おンや、拙の噂を...いず方で?
月番 いず方もこず方もないよ、町内の女湯でばかな評判
バカ旦那おンや、女湯で? ほっほっほ...まさか、それほどでもありませんよ...うひゃっ!
月番 ...いや、鳥が飛んで来たんじゃないよ、若旦那が喜んだんだ...

若旦那、お見受けしたところ、眼がどんよりとして血走ってるところなんざ、夕べ、おつな色模様がござんしたね...「夏の夜は短いわ...あたし、今夜は帰りたくない...」とかなんとか、女の子にしがみつかれたりなんかして...
バカ旦那これはこれは..さよう、夕べの色模様、「夏の夜は短い」を見抜くなんざぁ恐れ入りンした...昨夜の姫なる者は拙にバカな恋着ぶりでごわしてねェ、

「この袖でぶってやりたい もしとどくなら 今宵のふたりにじゃまな月」

てな都都逸など唄ってすねて、拙の股のあたりをつねつね...首ったまにキューッ...
月番 おーい、誰か代わってくれ!

若旦那、あんた罪ですよ、こんだけ野暮でモテねぇ連中が雁首揃えてるってぇのに。しかし、若旦那、あぁたがそんなにおモテになるってぇのも、何事によらず、通人だからでござんすよ。召し上がりものだってあっしたちとは違いましょう? 夏向きのこの節なんざぁ、どんなものをお召し上がりで?
バカ旦那いやぁ、これはまた異なことをお尋ねで...当節、拙をしておつな、などと言わしむる食物はもうごわせんねぇ
月番 そうでしょう、そうでしょう。そこが通人の辛いところですよねぇ。いや、今日お呼びしたってのは他でもねぇんですよ、実はね、脇からいただいた頂戴もの、なんでも大変に高価な食べ物だってぇんですよ。へえ、食通の方でないと分からないってんですよ。あぁた、何かにつけて通人だから、ちょっと見てもらえませんかねぇ
バカ旦那おや、うれしいねぇ。それでは拝見いたしましょうか
月番 拝見してくれるとょ。持ってきな、持ってきな...え? ナニって、例の、釜へしまいィの、沢庵石をのっけェの、色が黄色いの、毛がポワァの...ああ、それそれ...うわぁ... こ、これ...ふ、ふぁ...ふぁっくしょぃ! ...へへ、これなんですがね
バカ旦那おや、これが...よく手に入ったねぇ
月番 若旦那、えらく顔から離してご覧になってますねぇ...これはやっぱり食べ物でやすかい?
バカ旦那もちりん
月番 もちりんと来たねぇ。で、若旦那、これ召し上がったことあるんですかい?
バカ旦那あるんですかい、とはまた愚なるお尋ね。拙なんぞはすでに三度ほど
月番 ああ、そりゃ良かった。じゃ、ひとつ、ここで食べて見せておくんなさい
バカ旦那ここでとおっしゃるが、それでは皆様に失礼に当たりやすゆえ、これをば宅へ持ち帰りやして、夕餉の膳で一献かたむけながら用いるということに...
月番 いや、そんなこと言わないで、あっしたちゃあどうも食べ方さえわからねぇ始末で、ひとつ目の前で食べて見せておくんなさい。な、みんな頼みな...ね、これだけの頭数がお願いしてますんで、ひとつよろしく...
バカ旦那さいでげすか...うれしいねぇ、では食させていただきやしょう。ひとつ匙などお貸し願えますか...はいはい、うれしいねぇ、ここでこう言うものが食せるということは...なんと...ハックショイ!...嬉しいことだろうねぇ...この香りと言うものが...この料理の命でございやすな...まず香りを楽しみましょう...ゲホッ...眼にピリピリと来ますな...この眼ピリ鼻ツンというのがなんとも言えず、この食の値打ちで...こう、匙ですくいましても...ドロッとして匙にかからぬところが、このまたおつなところでげすな...チーズのような色合いがなんとも食をそそるでげす...ではいただきます...
月番 若旦那、その、眼を白黒して...だ、大丈夫でござんすか...おお...おお...
バカ旦那やぁ、おつだねぇぇぇ〜!
月番 食ったねぇ! 若旦那、そりゃいったいなんて食べ物です?
バカ旦那酢豆腐でげす
月番 うまいこと言うねぇ、どうも...よかったら、もっとおあがんなさい
バカ旦那いえ、酢豆腐は一口に限りやす
  
  
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 蛙茶番でも大恥をかいた建具屋の半次がここでもコケにされている。まことに気の毒ではあるが、小間物屋のみー坊との仲はいっこうにままならない様子である。

 登場人物が多いので、各自の名前を、いつものような形式で出すかどうか、迷ったが、「酒ぇ呑むときに、たとえ食わなくても目の前に何かねぇと心細い、寂しいってやつだ」と月番の兄さんも言っているように、ただの箇条書きではあまりにも愛想が無いので、名前を当てはめてみた。中にはどれがだれだか分からないセリフもあるが、あえて強引に割り振った。

酢豆腐』の歴史

    原話は『軽口太平楽』(1763年)にある江戸落語。知ったかぶりをする半可通いじめの噺は江戸落語に多い。知ったかぶりの嫌なヤツのことを「酢豆腐」とよぶ通言があるほど有名な噺。


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