東西落語特選

粗忽長屋



 世の中にそそっかしいひと、粗忽者てぇのがおります。

 ●むこうから来る人...誰だったっけなぁ、この頃会ったことがあるぜ、想い出せねぇなぁ...あ、向こうも気が付きゃがった...笑いながらこっちへ歩いてくるぜ...弱ったなぁ...向こうがこっちを知ってるってのに、こっちが想い出せねぇってなぁ気まずいなぁ...まぁ、しょうがねぇや。聞いてみよう

へへっ、こんにちわ...あのー、お見それしやしたが、どちらさんでござんしょう...
 ◯バカ、おめえの親父だ!
なんて、どうにもしょうがありませんが、本当にこんなのがいたそうですな。これが二人寄りましたお長屋なんてものはもう大変な騒ぎで...

ここにおります粗忽者、大工の八兵衛が朝早くに浅草の観音様の境内を通りかかると、何やら人だかりが出来ている。
  
八公 なんだよ...何か始まるんですかぃ...「いきだおれ」?...なんだか、ちっともわからねぇ。中が見えやしねぇや
境内の男 前の方でさっきから見てるお人、心当たりが無かったらさっさと行ってくんな。同じ人にいつまでも見ててもらってもしょうがねぇ。後ろの方の人、前に回って見てくんねぇ。だれかこのお人を知らねぇか?
八公 知らねぇか、なんて言われたって、見えやしねぇ。ちょっと通してくれよ...通してくれってンだよ...この野郎、どうしても通さねえってんだな...よーし、こうなったら股ぐらくぐっちまうぞ、ほらほらぁっ...よいこらしょっと、へへっ、ざまぁみやがれ...こりゃぁ、よく見えらぁ
境内の男 な、なんだよ、妙なところから現れたね、どうも。あんた初めて見る顔だね。ちょうどいいや、おめえさん、職人風だし、さだめし顔も広いだろう。ちょっとこの行き倒れの顔、見てやってくんねぇ。身元が分からなくって困ってるんだ。
八公 え、いきだおれって、今から始まるんですかい?
境内の男 何を言ってるんだよ、行き倒れだよ。行き倒れ。そこで、倒れてんだろ
八公 倒れてるったって、むしろが敷いてあるだけ...あ、この下にいるのかい? はぁはぁ、ああ、なるほど、この野郎、大勢に見られて決まりが悪いってのかねぇ。顔向こうに向けて
境内の男 何を言ってるんだよ、行き倒れって言ってわからねぇかねぇ。その人ぁ、もう死んでるんだよ
八公 えっ? 死んでるんですかぃ? それじゃ「死に倒れ」だ!
境内の男 馬鹿なこと言ってちゃいけないよ、とにかくこの仏に見覚えは無いかい?
八公 向こう向いてるから、顔が見えない...倒れてたままにしてあるから? ああ、なるほど...向こうへ回れば顔が見える? あ...あんた、知恵回るねぇ。そいじゃちょいと失礼して...顔を...あれぇ? ...あっ、こ、こりゃ...熊の野郎だ、おい、おい、起きろよ、熊公! クマッ
境内の男 お前さん、熊、熊と名前を呼んでいるところを見ると、お知り合いかい?
八公 お知り合いどころの騒ぎじゃねぇ、同じ長屋の隣同士に住んで、ガキの時分から兄弟同様に付き合ってる野郎なんですよ。ちょぃとぼーっとしちゃいますが、気のいい野郎でね、へぇ、生まれたときは別々だが、死ぬときは別々に死のうじゃねえかってぇ堅く誓い合ってる仲なんですよ
境内の男 ...そりゃ当たり前
八公 それっくれぇ当たり前の仲なんですよ。えれぇことになっちゃったなぁ...熊公、熊! しっかりしろ!!
境内の男 いや、しっかりしろったってどうにも...まぁ、無理はない。仲のいい友達がこんなことになっちゃったんだ...さっきから言うこと、やることが妙だったが、なるほど...動転してるんだねぇ、無理もねぇ...なぁ、お前さん、どういうことにしようか...あたしの方で沙汰しようか、それともお前さんの方でこの人のおかみさんなりお子さんなりにこんなことになっちゃったってことを...知らせておくれかい?
八公 かかぁも子供も何もありしゃしねぇんで! こいつぁ、かえぇそうな野郎なんでさぁ。両親も早くに死んじまってね、木から落ちた猿の子同様、天涯孤独の身の上なんでさぁ
境内の男 そうだったのか...じゃ親兄弟もご親戚も...何にも無い...じゃ大家さんにでも来てもらって...
八公 大家,薄情だからねぇ...店賃もずいぶんと溜まってたし...来るかどうかわからねぇ
境内の男 そりゃどうも、弱ったなぁ。せっかく身元が分かったってのに引き取り手が無い...どうだろう、お前さん、兄弟同様に付き合ってたってことだが、お前さん、この仏さんを引き取ってもらうわけにゃ行かないかなぁ
八公 え? まぁ、そりゃようござんすけどね...これだけ大勢さんが見てますからねぇ...あの野郎、いちばん最後に来やがったくせにうめぇこと言って持ってっちまった、なんて、あとで痛くも無いハラ探られるの...ィやだからさ...
境内の男 ...え? いや、お前さん、しっかりしなよ、まだ言ってることが妙だよ。誰もそんなこと思いやしないよ
八公 じゃこうしやしょう。あっしがこれからひとっ走り長屋まで行って参りまして、当人をここへ連れて来やしょう
境内の男 頼むから、ちょっと落ち着いておくれ。当人を連れてくるなんて、当人はここで死んでるんだよ。行き倒れになってるんだよ!
八公 そうなんですよ。なにしろそそっかしい野郎でね、自分で自分のやってることが分からねぇ。へぇ。今朝も熊んちへ行ったんですよ。朝っぱらからぼやーっと部屋ん中でぶっつわってやがって、「どうでぇ、浅草の観音様でもお参りに行かねぇか、って声を掛けましたらね、「あんばいが悪いから勘弁してくれ」なんて言ってやがったが、それが祟ってこんなことに...
境内の男 お、お前さん、今朝、熊さんのうちへ行ったのかい? それじゃ違う、違うよ! この人は夕べからここに倒れてたんだ。そりゃ違うよ
八公 そうでしょ。だからこそ当人がこなきゃ分からねぇってのはそこだ。とにかくすぐに当人を連れて参りますから...しばらくそこで番しててくだせぇ...
境内の男 おい、ちょいと、ちょいとお待ちよ...違うんだよ...
八公 大変な野郎だねぇどうも...まったく、何をしてやがるんだか...まったく

おい! (トントントン)熊ぁ、熊公!(トントントン)
熊公 ...八の野郎...何を慌ててやがる...空き店叩いてやがる...

(スパー)


「熊公ーっ、熊公ーっ」 て大声でうるせぇねぇ。
長屋はあいつひとりで住んでんじゃねぇってんだ...

(スパー)


まったくあの野郎は、そそっかしい上にせっかちだってンだから...どうしようもねぇ...

(スパー)


熊の野郎もそうだよ。呼ばれてんだから、返事くらいするがいいじゃねぇか...
熊って、誰だっけ...あ、おれかな?

 この長屋で、熊はおれだけだなぁ...

おう、八、熊ってなぁ、おれか? ...おーぃ、こっちだこっちだ。おれんちはこっちだよ
八公 あ、この野郎、こんなところにいやがった!
熊公 こんなところったって、おれのうちは始めっからここだ。 どうした? 泡食って
八公 どうしたもこうしたもねぇ! やい、熊! てめえはもうそうやって落ち着いて煙草なんぞ吸っていられる身分じゃなくなっちまったんだぞ
熊公 ...な、なんかあったのか
八公 なんかあったのか、どころじゃねぇ。今からおれが話して聞かせるから、けっして気を落とすんじゃねぇぞ。おれぁ今朝行ったろう、どさくさへ
熊公 どさくさ?
八公 どさくさじゃねぇ、浅草へ。拝みに行ったんだ。水天宮...じゃねぇ...天神様...じゃねぇ
熊公 観音様か?
八公 そ、そう、観音様だ! 境内に入ってみると大変な人だかりだよ。おれが何かと思って人を掻き分けて前に出てみると、驚くじゃねぇか。 行き倒れだよ。
熊公 いきだおれ? へへへっ、観音様の境内でいきだおれたぁうまくやったじゃねぇか...

...(スパー)...いきだおれってなんだっけ?
八公  おめぇも知らねぇのかよ? おれも知らなかったんだがな、歩いてる途中で倒れて死んじまうことを「行き倒れ」ってんだそうだ。
 それでさ、行き倒れを世話してる人が、馬鹿におれをひいきにしてくれるんだ。
「おめえさんは職人風だし、さだめし顔も広いでしょう」って、むしろを上げてツラを見せてくれたんだ、そしたら驚くじゃねぇか...

おめえなんだ...おめえなんだよ!
熊公 ...なにが?
八公 この野郎、まだ気がつかねぇのか? おめえは夕べ、浅草でな...
熊公 ああ?
八公 死んでるんだよ...
熊公 おれが? よせよぉ、へへっ、馬鹿言っちゃいけねぇぜ。だいいち、おれは死んでるような心持ちがしねぇ
八公 そこがおめえは図々しいんだ。おめえ、このたび初めて死ぬんだろうが、初めてのことで心持ちなんざ分かるわけがねぇだろう。 おめえ夕べどこかへ出掛けやしなかったか?
熊公 夕べ...は本所の叔父さんとこ行ったんだ
八公 それみろ、どこか行ったにちげえねぇんだ
熊公 叔父さんのうちでご馳走になって、それから方々歩いて...馬道に夜明かしが出てて...酒の五合も呑んだかなぁ...それからフラフラ、フラフラしながら歩いて、観音様の脇を通ったところまでは憶えてるんだけどなぁ、その後は...どこをどうやって歩いてきたものか、まるきり憶えてねぇ...
八公 ...それ見やがれ...それが何よりの証拠じゃねえか。
 おめえは屋台で悪い酒くらって当たっちまって、そのまんま観音様の境内で我慢できなくなって、死んじまったにちげぇねぇ。この野郎、そそっかしいにもほどがあらぁ。おめぇは死んだのにも気がつかねぇでそのまんま帰って来ちまったんだろうが!
熊公 ......そうかな?
八公 そうよ!
熊公 言われてみれば...今朝から頭ははっきりしねぇし、胸はむかつくし...どうにも妙な心持ちだが...やっぱりおれは夕べ死んでたのかなぁ
八公 この野郎...まぁいいや、気がつきゃそれでいいんだ、気がつきゃあ。 さっそく用意しろよ
熊公 ...何の?
八公 何って決まってんだろうが。観音様へ行くんだよ、屍を引き取らなきゃなんねぇだろう
熊公 ...誰の?
八公 まーだそんなこと言ってやがんのか?! おめえの屍にきまってんだろう!
熊公 それ...勘弁してくれ...今更、これがわたくしの死骸でございます、なんて決まりが悪くって...
八公  何が決まりが悪いんだよ、てめぇのものをてめぇで引き取りに行くのに、何を決まりが悪いなんてことがあるか! こんなハッキリしたことはねぇ! 心配すんな。向こう行ったら、おれが口利いてやる。

   ******************    

おめぇくれぇそそっかしいやつはねぇぞ。もしおれが通りかからなかったらどうなってたと思う。だれに持って行かれちまったかわからねぇってやつだ。

 ...ほーら、見てみろよ。あんなに人だかりが出来てる。みんなおめぇを見てるんだぞ。こっちのほうがよっぽど決まりが悪いぜ。

 ちょっとどいてやってくんねぇかなぁ、ちょいとどいてくれ...いや、当人が来たんだからどいてくれって、そう言ってるんだよ! ふぅ、やっと出られた

 へへっ、さっきはいろいろとどうも
境内の男 また来たよ! 話がわからねぇ...どうだった、お前さん、そうじゃなかったろぅ?
八公 へい、うちへ帰りまして、一通り話をして聞かせましたところが、始めのうちは「まだ死んだような心持ちがしねぇ」なんて分かりきったことをしらばくれて、強情張ってましたがねぇ...

 あっしが噛んで含めるようにして道理を説いて聞かせやしたところがね、とうとう当人も包み隠し切れなくなりまして

「そういや夕べ、観音様の境内まで来たところで死んだような心持ちがしてきた」

なんてやっと納得したような次第でござんす、へぇ...
 連れて参りやした。こいつがその当人です。

 おうっ、熊公! 夕べっから世話になってんでぇ。 礼の一言くれぇ言ったらどうなんでぇ!!
熊公 へっへっへ...どうも...ちっとも知らなかったんです...今しがた話をきいてビックリしたってもんで...あたしが行き倒れの当人です、へぃ...
境内の男 また増えちゃったよ、弱ったねどうも...実はねぇ...いや、もういいや! こういう人に話しをしてもわからねぇ。とにかくむしろを上げて、顔を見てみなせぇ
熊公 ...い、いや...も、もう見なくても結構でござんす
境内の男 いいから、ご覧なさい!
熊公 なまじ、死に目に会わない方が...
八公 何を言ってやがんでぇ、はっきりさせないと、この方も渡し難いじゃねぇか。 だからそう言ってんだよ。 いいから、見てみろ!
熊公 人ごとだからそんなこと言うけどねぇ...見るよ...見りゃいいんだろ...あぁ、汚ねぇツラしてんなぁ...
八公 そりゃ死に顔なんざ、そうきれいなものじゃねぇや
熊公 おれの顔ってこんなに長かったか?
八公 一晩夜露にあたったんだ...伸びても仕方あるめぇ
熊公 ...あ、そうだ...やっぱりこれはおれだ! まちげぇねえ! あぁぁぁっ、なんて変わり果てた姿に...こんなことならもっと女郎買いしとくんだったぁぁっ
八公 そうだろう! じゃおめえ頭の方持ちな。おれが足を持ってやらぁ
境内の男 だ、だめだよ、勝手に持ってっちゃ! 抱いてみてわかんねぇかなぁ、お前さんじゃないんだよ、おまえさんじゃ
八公 ぅるせぇやい! 当人がわざわざきて自分だって言ってるのに、いったい何が不満なんでぇ。てめぇ、この屍にやけにご執心だが、ことによると一人占めにしようってんじゃねぇだろうなぁ
熊公 ああ、八...何だかわからねぇことになってきちゃった
八公 何がわからねぇ?
熊公 抱かれてるのは確かにおれだけど、抱いてるおれはいったい誰だろう
  
  
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 「粗忽長屋」という噺である。「粗忽なになに」という噺はいくつかある。「粗忽の釘」とかなんとか...だいたいがこんな噺である。「こんなやついねーよ」と若者に言われそうな人物がふたり、しっかりしてそそっかしいのと、ぼーっとしてそそっかしいのが出てくるという典型的な粗忽モノである。

 落語は背景も小道具も何も無く、特殊メイクも衣装も女優のヌードも何も無い。ただ観客のイマジネーションだけが頼りである。まことに頼りない話しだが、逆にそこに無限の可能性が開けるとも言える。これが映画や芝居だったら、はたして自分の死体を担いで帰ろうとする男がリアルに描けるだろうか...やはり、違和感がつきまとうだろう。
['97.02.10]
 ある方から、「子供に『粗忽長屋』がバカウケで...」と教えてもらった。なるほど、子供たちには小難しい考えオチなんかより、この漫画的なスジガキがウケるのは考えてみれば当然のこと。これから粗忽ものとか、あるいは子供が出てくる噺(初天神なんか)なども積極的に採録しよう。

『粗忽長屋』の歴史
 原話は寛政年間(1789-1800)の笑話本『絵本噺山科』にある。その内容は、お前が死んでいるぞ、と言われた男があわてて現場に駆けつけると、むしろを被った死体がある。慌ててめくって見て、「ああ、よかった。おれではなかった」と一安心、というものであったという。これに様々に肉付けがほどこされ、現在の噺になった。そっくりの噺に『永代橋』がある。


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