東西落語特選

七度狐



旅のお噂でございます。

気の合いましたふたりの男、お伊勢参りをしようやないか、と大阪を出発し、やがて奈良を過ぎて伊勢街道は伊賀上野へとさしかかって参りました峠のことでございます。
喜六 おい、清やん、ハラ減った、なんぞ食うか?
清八 なんやと?
喜六 ハラ減ったさかいなんぞ食おかちゅうねん
清八 おい、そんなモッチャリしたものの言いようしなや、お前も大阪の人間やろ、大阪には粋言葉、洒落言葉ちゅうもんがあるやないけ
喜六 粋言葉、洒落言葉ちゅうたら、どない言うねん?
清八 例えばやな、「ラハが北山、底でも入れよか」ちゅうなこと言うててみぃ、ここいらに住んでる人にはなに言うてるかわからへんやないかい
喜六 そら、わからへんわ、大阪に住んでるわいにもわかれへんねんから
清八 お前はアホやないかい
喜六 お? ボロクソに言いよんなぁ...なんのこっちゃい、それは
清八 おお、よう聞けよ。ハラをひっくり返して「ラハ」と言うねん
喜六 ああ、なるほど。それで「きたやま」ちゅうのは?
清八 天気のええ日に北の山を見てみい。木と木の間に日が射して、透いて見えるな。それでハラがすいたことを「北山」と言うねや
喜六 「底入れる」ちゅうのは?
清八 ハラへモノ入れるのを「底入れる」とこう言うねや
喜六 ほんなら、なにか、ハラからモノ出すのは「底抜く」ちゅうのんか?
清八 そんなこと言うかいな
喜六 ほんなら何か? 粋言葉、洒落言葉ちゅうのは物事をひっくり返して言うたらええわけや
清八 まあ、そんなとこやな
喜六 どんなものでもひっくり返せるんか?
清八 人間五輪五体、ひっくり返せんもんがあるかいな
喜六 そうか? ほ、ほんなら、「頭」ひっくり返したらどない言う?
清八 そら、「たまあ」てなもんやな
喜六 そうか、ほんなら「でぼちん(額)」は?
清八 「ちんでぼ」ちゅうなもんや
喜六 「まゆ毛」は?
清八 「げまゆ」やないかい
喜六 「鼻」は?
清八 「なは」やな
喜六 「ほべた(ほっぺた)」は?
清八 「べたほ」やかいない
喜六 「口」は?
清八 「ちく」とこういかんかい
喜六 ほんなら「足の裏」は?
清八 「らうのしあ」といかんかい
喜六 ほ、ほんなら「目」は?
清八 はは、は、「目」は...まぁええが
喜六 まぁええ、て...「目」ひっくり返したらどない言うねん!
清八 目はひっくり返したらいかんねん。
喜六 なんで
清八 目、ひっくり返したらものが逆さに見える。目ちゅうなものは返したらいかん
喜六 あぁ、そうか...ほんなら手は?
清八 手は...
喜六 毛に歯は?
清八 選りないな! 一字のもんが返るかい! 二字より多いもんならなんでも返るわ!
喜六 あ、そうか? ほんなら「みみ」は?
清八 みみは...み〜んみ〜ん...張り倒したろか、このがきゃぁ
喜六 耳ひっくり返したらどう言うねん? 耳ひっくり返したら、やっぱりものが逆さに聞こえるか?
清八 何言うてんねん!
喜六 「ちち」に「はは」に「じじ」に「ばば」ちゅうなんはどないなる?
清八 選りな、ちゅうねん、ホンマに腹立つなぁ
喜六 清やん、やっぱりハラ減ったわ。なんぞ食おや
清八 あぁ、ちょうどええわ。あそこに飯屋があるなぁ、あそこ行て、何ができるかちょっと聞いて来いや
喜六 うへへ、ほなちょっと行ってくるわ...
  
清八 おぅ、どやった?
喜六 清やん、あかんわ...休んでる
清八 休んでる? いや、こういう田舎の飯屋というものは、表から見たら休んでるようでも中へ入ったら案外商売してるもんや
喜六 あかんて、表に大きな字で断り書きが書いてあんねん
清八 なんて
喜六 ひとつせん飯 さけさかな いろくーくー ありや なきや としてある
清八 ンなことがどこに書いたるちゅうねん?
喜六 どこ、て、ここから見てもわかるがな、店先に立ったぁる旗に大きな字で書いてあるがな
清八 旗て、あれは幟(のぼり)ちゅうんじゃ...アホやなぁ、あれを「ひとつせん飯」てな読み方するやつがあるかい。あれは「いちぜん飯」や...「さけさかな、いろいろあり、やなぎや」と読むんやないかい
喜六 ああ、そうか...こらまぁ、なんと悪い書きようやなぁ
清八 お前の読みようが悪いんじゃ、アホ! 早よ行って何ができるか聞いてこい
喜六 よし、ほなら行ってくるわ

 こんちわ
おやっさん あぁ、いらっしゃい
喜六 おやっさん、この床几、腰掛けさしてもろうてええかいな?
おやっさん んん? 腰掛けて悪いような床几なら置いときゃせん。 好きなように腰掛けなされ
喜六 ああ、そうか... 一服さしてもろうてかまへんか?
おやっさん おまはんの煙草じゃろう? 好きなだけ吸いなはれ
喜六 ...そない言われたら身も蓋もない... なんぞでけへんか?
おやっさん なんじゃと?
喜六 なんぞでけへんか、ちゅうとんねん
おやっさん なんぞでけへんか、てか? わいの尻にならデキモンができたぁるが
喜六 デキモンてなもん、できんでもええんやがな。なんぞ、焼いたもんは無いかいな?
おやっさん そんなら、裏の塀がずーっと焼いたるやろがいな
喜六 いや、なんぞ作ったもんはないかちゅうとんねん
おやっさん そこにわらじが作って置いてある
喜六 このおやっさん、わしのいうことと違うことばっかり言いよる... おい、清やん、ちょっと来てくれぇ
清八 きー公、お前、おやっさんになぶられとんじゃ、アホ。 のけぇ、わいがあんじょう話ししたるわい。

 おやっさん、こいつの言うたんはそうやないねん。ハラ減ったさかいなんぞ食うもんは無いか、とこう聞いとんじゃ。
おやっさん あぁ、そうかい。なんじゃ入ってくるなりおかしなことばかりぬかすさかい、わしゃなんじゃ知らんと思うとったが、おまはんら、お国はどこじゃ?
清八 それみてみい。あんじょう田舎者扱いされてるやないか! いや、わしら、大阪の人間やがな、ハラ減ってんねや、何ぞ食うもん無いか?
おやっさん 田舎のこって、口に合うようなものは無いがな、そこに書いて貼ってあるものならなんでもできますがな
清八 ああ、ここに書いてあるもんならなんでも出来るか?
おやっさん ああ、何でも出来るで
清八 そうか、ほんならな、一番最初に書いたぁるなぁ、あの「くちのうえ」ちゅうのを二人前、こしらえてもらおか
おやっさん なんじゃ、その「くちのうえ」ちゅうのは
清八 一番最初に書いたぁるがな
おやっさん ほっほっほ、お客人も、おかしな読みようしなさんな、ありゃ「口上(こうじょう)」と読みますんじゃ
清八 あ、あら「口上」ちゅうんかい。ほんならな、その口上でええさかい、それを二人前こしらえてくれるか
おやっさん 口上てなもん、作れますかいな
清八 おまはん、なんでも出来る言うたやないかい
おやっさん あれの他やったら何でもできますでな
清八 あれの他やったら何でもできんねんな? ほんならな、一番最後に書いてある「もとかたげんきんかしうりおことわり」ちゅうやつ、二人前たのむわ
おやっさん おまはん、できんもんばっかり選っとんな、これ。 あんなもんができるかい。あれの他やったら何でもできるんじゃ
清八 そんなことばっかり言うとんなぁ。 あれの他、て、いったい何があんねん...はぁはぁ、「鯨け」に、「あかえけ」に、「どぜうけ」か...
おやっさん そんなおかしな読みようしなさんな。あれは「鯨汁」、「あかえ汁」、「どじょう汁」とこう読むんじゃ
清八 「しる」? あれ、「け」ちゅう仮名やんけ
おやっさん 「け」やあるかい。横にてんてんとちょぼが打ってあるじゃろ
清八 あぁ、あのヘタもいっしょか
おやっさん ヘタちゅうことがあるかい
清八 はは、鯨汁、あかえ汁、どじょう汁... ほんならどじょう汁ちゅうのを二人前してもらおかい
おやっさん へいへい、どじょう汁やな...

 (パンパンッ)おい、ばあさんや、今し方大阪からお見えの客人がどじょう汁をしてくれおっしゃるんじゃ。わし、今から裏の池でどじょう掬うてくるでな、そなた気の毒じゃが町までいて味噌仕入れてきてくれんかいのぉ
清八 おぃ、ちょっと待ってぇ! お前いま何言うた!? 町まで味噌買いに行くぅ? その町ちゅうのはいったいどれくらいあるんじゃ?
おやっさん 山越えの三里じゃ
清八 三里! ほんで、何かい? 行ったらすぐに帰ってこれるんかい?
おやっさん 田舎者のこって、山道はなれとるけぇ、三日もあったら...
清八 待てぇ! 泊りがけでどじょう汁食えるかい! いらん、いらん!

 なんぞ出来合いのもん無いんか?
おやっさん 出来合いのもんなら、そこの棚にあるで、好きなように取って食べておくれ
喜六 おやっさん、わい、そこまで行くのがじゃま臭いんやけど、どんなもんがあるか順番に言うてくれへんか
おやっさん あぁ、そうか? ...ほんならお客さん、小芋はどうや
喜六 小芋か...小芋は口の中入れたらヌルヌルしよるさかいなぁ、あのヌルヌルがかなんなぁ...小芋は止めとくわ
おやっさん そうか...ほんなら数の子はどやな
清八 数の子ゆうたら、あとに口にカスがたまって嫌いやねん
おやっさん ほんならニシンは?
喜六 ニシンいうたらあとで口が渋〜ぅなるやないかい
おやっさん ほな、にんじんは?
清八 にんじんは、馬が食うもんやないかい
おやっさん ならゴホウは
喜六 腹が張って屁が出よるがな
おやっさん 生節はどや
清八 生節! あれは値が高い
おやっさん ほんなら食うもんあらへん!
清八 生節好きやけどなぁ、今日は親の精進日で食えんねや
おやっさん あぁ、そら惜しいこっちゃな。精進日なら、高野豆腐はどうやな
清八 高野豆腐なぁ...ま、ええわ。高野豆腐で辛抱しよう。あ、ちょっと言うとくけどな、それギューッと汁絞ってくれるか
おやっさん なんやて?
清八 いや、高野豆腐の汁をギューッと絞ってくれ、ちゅうてんねん
おやっさん そんなことしたらカサついて、うもうないで
清八 ええがな、ええがな、わいが言うてんねやさかい、絞って
おやっさん あぁ、そうかい? おまはんが絞れ言うんやさかい、ほんなら俎板の上で...これでええかい?
清八 そんな、おやっさん、包丁で押さえたってなんぼも絞れるかいな、両の手でグググッと
おやっさん えぇ、ぞうきんやがな...かさつくで?
清八 かまへんがな、頼むわ!
おやっさん そうか、おまはんが絞れっちゅうんやから...ほんなら両の手で、グググッと...これでええかい?
清八 そうや、そうやそうや...はははっ、それ、かさつくやろなぁ
おやっさん やから初めから言うとるやないかい!
清八 ははっ、しゃないわ...そこへな、ちょっと生節の汁かけて
おやっさん お前、うまいことするなぁ 今さっき、親の精進日や言うたとこやないかい!
清八 精進日や。 精進日やけどな、親の遺言で「精進日だけは守ってくれよ、せやけど汁はかまへん」て
おやっさん ...好きなこと言いよんなぁ
清八 おやっさん、そんなこと言うんなら、その生節買うたるわい! 一枚皿の上によそって
おやっさん 生節てなもん、一枚ちゅうことがあるかい。一切れ、二切れとこう言うんじゃ
清八 いや、他で買うたら一切れ、二切れかも知れんへんけどな、ここのは薄過ぎるやないかい。おやっさん、ほんまに包丁で切ったんか? かんなで削ったやろ
おやっさん そんなアホなことがあるかいな
清八 そんなら、その生節皿に乗せてんか。そうそう、それで食べよ。ほんで、酒はあるか
おやっさん 田舎のことじゃけ、地酒はあるで
喜六 どんな酒や
おやっさん 「むらさめ」に「にわさめ」に「じきさめ」ちゅう酒じゃ
清八 ほほぅ、聞いたことない酒ばっかりやな。そのむらさめちゅうのはどんな酒や
おやっさん 呑みますとな、ホロッと酔いが回るんじゃ
清八 ほほっ、酒はこれが身上や。呑むとホロッと酔いが回って...
おやっさん 村出たとたんに醒めるんじゃ
清八 はぁはぁはぁはぁ...村出たとたんに醒めるさかいに「むらさめ」か。ほんなら「にわさめ」は?
おやっさん 庭に出下りたとたんに醒めよる
清八 なら「じきさめ」は
おやっさん 呑んだ横からじきに...
清八 なんじゃ、そら! ほんならあれやろ、その酒、だいぶ水が混じってんのとちゃうか
おやっさん いやいや、水に酒が混じっとるんじゃ
清八 ほんなら水臭い酒やな
おやっさん いやいや、酒臭い水じゃ
清八 ええ加減にさらせ! ほんまにそんな酒しかないんか? ほんま? ほんならしゃない。むらさめがまだましや、むらさめもらおか
おやっさん お前さん方、ほんまに呑みなさるんかい
清八 呑みなさるわい! そないなもんでも無いよりはましや! ...あぁ、これがむらさめか...ま、ちょっと呑んでみよか...これも旅の楽しみや、大阪帰ったら町中に言いふらしたんねん...

(グビッ、グビッ)プフゥァッ、なるほど、こらむらさめや!
喜六 おぅおぅ、おやっさん、その当たり鉢 ?! に入った、それ、それ何がでけてんねん
おやっさん お、ああ...これはイカの木の芽和えじゃが...
清八 へぇ、そんな気の利いたもんがあるんならなんで言うてくれへんねん。それ二人前頼むわ
おやっさん いやいや、これは売り物とは違うんじゃ
清八 そんなこと言わんと、それ二人前だけ
おやっさん いや、これは違うんじゃ。 実はな、近頃この村の若い衆の間で揉め事があってな、その仲直りの席があるんじゃ、それで数を合わせてこしらえたもんで、これは出せん。悪いけど堪忍しておくれ
清八 いや、魚一匹くれ言うてんのとちゃうで、木の芽和えちゅうなもの、こっからここまでが一人前、ちゅうようなものとちゃうやないかい。ちょっと案配して、一人前や二人前くらいこしらえられるやろ...あかんの? ...どうしても?

 フンッ...ええわい。もう頼まんわい! こっちにゃ「むらさめ」があんねやさかい、そんな木の芽和えちゅうな景気の悪いもんいらんわい!
喜六 清やん、ほな、諦めるんかいな
清八 なんの、諦めるかい...知らん顔して酒呑んでぇ...わいが合図したら、ええか、びゃーっと思いっきり走んねんで
喜六 な、なんでそんなことすんねん
清八 ええから、わいの言う通りしたらええねん

 ほな、おやっさん、ここに金置くわ。世話になったな。ほんならわいら先を急ぐ旅やさかいに今から走って街道下るけど、気にしなや。その方がハラのこなれもええさかいに
おやっさん まあ、くれぐれも気を付けていきなされ。ここから先もしばらくは山道が続くけぇの。ここのところ山賊どもは姿を見せよらんが、ここらには「七度狐」ちゅう性悪の狐がおってな、旅のもんが化かされたちゅう話しはよう聞くで
清八 それはそうと、おやっさん、奥になんぞ食い物置いてないか
おやっさん あぁ、棒だらが湯に漬けてあるが
清八 それや! 今しがた赤犬が足音しのばせて奥へ入っていきよったで、おやっさん早う行かんと、商売もんいかれてしまうで!
おやっさん おぉ、そらいかん、よう教えてくれた、旅のお人...ばあさんや、 ばあさん!
清八 へへっ、ほんなら、きー公、いくで!
喜六 清やん、清やん、ちょっと待って!

 はぁ、はぁ、清やん...殺生や...わい...今の今まで呑んで食うて...しててんで...もう、ハラが割れそうや...清やん、それ...笠の下に... あ、それ、あのおやっさんとこのすり鉢!
清八 そうや、あの親父、あんまり片意地なことぬかすさかい、笠の下に隠して持って来った
喜六 ほほっ、清やん、やるやないか
清八 ここから先はますます山奥に入って行くさかいな、木の芽和えてな気の利いたもん当分食われへんで。その辺に座って、ふたりでみな食うてしまえ
  
そのままふたり、街道脇の草むらに座り込んで、すり鉢一杯のイカの木の芽和えを残らず食うてしまいました。
  
喜六 このすり鉢どないしょ
清八 その辺に転がしといたらあかんで、なんでて、そうやないか。あのおやっさんが追いかけて来よって、そのすり鉢みつけたら、そこから足が付いてしまうが。あいつら、この辺に来よったな、てなもんや。なるべく街道から遠い方へ、ポーンとほってしまえ
喜六 ほうか、ほな、投げるで...ひの、ふの、みーっ!
  
と投げましたすり鉢が、拍子の悪いことに、この草むらの中で昼寝をしておりました年古くから住む狐の頭に当たりました。これが一度人間に仇をされると七度化かして返すという、妖狐「七度狐」。ムクムクッと起き上がったかと思うと、後足でスックと立ちあがり、二人の旅人を ギンッ と睨みつけ、
  
七度狐 悪い奴な、ようも稲荷の遣わしたる狐にものを投げよった!

    思い知らさん、今に見よ!
  
と、ユラユラッとその姿が揺らぐと、鬱蒼と生い茂ります森の暗がりの中に溶けるようにその姿が消えて無くなりました...
  
清八 どうもおかしいなぁ...どうもおかしいで!
喜六 な、なにがおかしいねや?
清八 いや、前に来たとき、こんなところに川なんぞ無かったと思う...
喜六 大丈夫かいな、わい伊勢参り初めてやで、お前が来たことあるちゅうさかい、お前頼りで歩いてんねやさかい...

だ、大丈夫かいな...頼むで
清八 お、大きい声出すな...見たところ、川上にも川下にも橋かかってないやろ、こら、大雨かなんかで急に出来た川かも知れんな...

 ちょっと石投げてみい。チャポンちゅうたら浅い、ドボンちゅうたら深いんや、音で深いか浅いかわかるちゅうもんや。ちょっと石投げてみい
喜六 はぁ、石の音で...よっしゃ...うっ...むむむむ、ちょっと手ぇ貸して
清八 アホ、そんな岩持ち上げてどないすんじゃ、もっと小いちゃいの投げぇ、小いちゃいの
喜六 あぁ、小いちゃいのなぁ...ほりゃ
清八 どや、ドボンか、チャポンか?
喜六 音せえへん
清八 どのくらいの石投げた? ...アホ、そら砂やないか。もっと手ごろなのんがなんぼでもあるやないか
喜六 ああ、これやな、よっしゃ...ほーれ! (バサバサッ)
清八 どや、ドボンか、チャポンか?
喜六 バサバサ
清八 どこぞの世界にバサバサちゅうな水音があるかいな、もっとあんじょう投げぇ
喜六 ほいたら、そーれ! (ガサガサッ)

どーや!(バサバサッ)

 あかんわ、清やん、どない投げてもバサバサ、ガサガサいいよるで
清八 よっしゃ、わかったぞ、こらやっぱり大雨かなんかで急に出来た川や。こう見えてもすぐ下が麦畑になっとんねや。せやさかい、バサバサ、ガサガサちゅうような音がすんねや。あぁ、これなら歩いて渡れるで。

 よーし、今からわいが言う通りにせぇ。帯解いて着物なんぞ脱いでしまえ。ほんで、着物を広げた上に荷物を全部入れて、こうきれいにまとめて帯でくくんねや、それをば頭の上に括りつけて、どうや、これなら着物も荷物も濡れんちゅうやっちゃ。よっしゃ、そこの竹竿かせ、わいが前持って、お前が後ろ持つんや
喜六 な、なんでそんなもん持つねん?
清八 そら、お前、こんな急に出来た川やぞ、下は田んぼや畑や分からん。井戸や野壷があってそんなもんにはまったらえらいこっちゃ。足で探りさぐり行くさかいに、お前、後ろからあんじょうついてこいよ。ほんでな、お前、わいに深いか浅いか聞いてくれ。ほんでわいが「浅いぞ」、ちゅうたらこの竹グイッと突いてくれ。その勢いで前に進むさかい。そのかわり「深いぞ」ちゅうたらグッと引いて、身体止めてくれなあかんで
喜六 はぁはぁ、つまり、「深いぞ」ちゅうたらグィッと突いたらええねんな?
清八 あかんで、死んでしまうがな!
喜六 わ、わかった、わかった
清八 ほんまに大丈夫か?
喜六 大丈夫、大丈夫や...けど、なんやな...こんな格好してたら、絵で見た大井川の川越みたいやなぁ
清八 ほ、ほんまやなぁ
喜六 深い〜か、深いか?
清八 浅い〜ぞ、浅いぞ
喜六 深い〜か、深いか?
清八 浅い〜ぞ、浅いぞ

  
吾兵衛 田吾作や〜ぃ、田吾作、ちょと来て見てみい...ふたりの旅人、裸になってお前とこの畑をふんどし一丁で歩いて行きよるぞぉ。あら狐に化かされとんのと違うかぃ
田吾作 ホンに、何をすんねん! 人の畑を裸になって... あら、狐の仕業に違いない、気ぃつかしたろか
吾兵衛 ああ、気ぃつかしたれ
田吾作 しっかりしなはれ、これ、しっかりせんかい!

  
喜六 深い〜か、深いか?
清八 浅い〜ぞ、浅いぞ

  
田吾作 何を言うてんねん、しっかりせんかい!
清八 あ、ああっ!? ここにあった川、どこ行きました?
田吾作 川なんぞありゃせんが
清八 そんな...ありゃせんて、今、ここに、川がびゃーっと流れてたんや、今の今まで...
田吾作 おおかた狐にでも化かされたんじゃろう。この辺りには七度狐ちゅうて一度人間に仇(あだ)されると七回仕返しするちゅう悪い狐がいてんねや
清八 ええっ、そら油断がならん、ペッペッ
田吾作今さら眉毛に唾付け ?! てどないすんねん
清八 か、街道へはどう出たらよろしい?
田吾作 ああ、ここ一本道じゃ
清八 へぇ、ど、どうもおおきに...は、早う着物着ぃ。 ほんまにカッコの悪い...裸になって人の畑で麦踏みしてたやなんて、ほんまにカッコの悪い...
  
ぼやきながら歩いておりますと、次第しだいに道が細くなって参ります。しかも一方は見上げるような高い山、もう一方は底さえも見えない千尋の谷でございます。その細ーい道を二人連れの旅人がとぼとぼと...
  
喜六 清やん... 清やん
清八 な、なんや! 気色の悪い声、出すなや
喜六 清やん... いっぺんに日が暮れたな... 真っ暗や
清八 おかしいなぁ... さいぜん昼飯食うたとこやないか... ははぁ、この調子で行たら今晩は野宿やな...
喜六 な、なんや、その「のじゅく」ちゅうのは
清八 野で寝るさかい「野宿」やないかい
喜六 ほんなら、山で寝たら「山宿」やな
清八 まあ、そんなもんやなぁ
喜六 木の枝で寝たら「枝宿」
清八 お前、こんなさなかにようそんなアホなこという余裕があるなぁ...
喜六 わい、野宿も山宿も嫌やで
清八 ほんなら何がええねん
喜六 宿屋宿の布団宿がええ
清八 それがでけへんさかいに、こないなってんねやないか!
喜六 清やん... 清やん
清八 な、なんやぁ... わいは何も恐いことないで、 ただお前の声が恐い! 
喜六 こ...こんなところ歩いてて...な、何も出てけぇへんかぁ?
清八 な、何もでるかい! 出たとしても亀くらいのもんじゃぁ!
喜六 清やん、こんな山の中で亀が出るんか?
清八 頭に「お」のついた亀じゃ
喜六 おかめ... おかめはんて別嬪(べっぴん)か?
清八 お前、何を考えてんねん! 「お」を長うに伸ばしてみぃ
喜六 「おーかめ」...「おぉかめ」...「おおかみ」... 狼!? いややぁぁぁ、わい、オオカミ嫌い!

 もしオオカミが出てもいきなり「オオカミが出た」てなこと言わんといてや、わいいっぺんに腰抜かしてしまうさかい。「オオカミがで〜〜〜」ちゅうて、突っ張っててや
清八 そんなことしてどうすんねん
喜六 わい、その間に木の上に登って、大丈夫や思た時分に「た」と
清八 わいが食われてしまうが! 心配すな。「捨てる神ありゃ拾う神あり」ちゅうわ。ちょっとわいの手の先見てみぃ
喜六 はぁはぁ、太い指やなぁ
清八 何を言うてんねん、指の先やないか
喜六 爪が伸びてんで
清八 爪の先や
喜六 垢が溜まってる
清八 どついたろか! この方角を見ぃちゅうてんねん!
喜六 はぁはぁ、方角ね
清八 白壁がチラチラッと見えるやろが
喜六 はぁはぁ
清八 ...分かったんかい?
喜六 分かれへん
清八 分かったんかいな、と思うやないか! お前、あの白壁が見えんか?
喜六 いや、白壁はよーうに見えてます
喜六 ほんなら何が分からん?
清八 その「チラチラッ」ちゅうのが
喜六 そんなもん見えるかい! わいが思うにあれは山寺に違いないで、早よ行こ
  
白壁を目指して転げるようにやって参りますと、案の定、山寺でございます
  
清八 こんばんわ(トントンッ)ちょっとお頼みもうします! (トントンッ)こんばんわ、ちょっとお開け
庵主 はいはい、どなた?
清八 伊勢参りの旅のもんでございます。道を取り違えまして難儀いたしております、一晩泊めていただくわけには参りませんでしょうか
庵主 それはお気の毒なこと...しかし、このお寺は尼寺でございますので、殿方をお泊めするというわけには参りませんので...下の村のお庄屋さんのところへでも行かれて泊めていただいてはいかがで
清八 それが、もう下の村も上の村も、歩き疲れてもう一歩も歩けませんねん...いやいや、もう部屋の隅、なんて申しません、庭の隅、玄関の土間でもどこでも結構でございます。雨露さえしのげて、オオカミにさえ食われなんだらもうどこでも...
庵主 まあまあ、それはお困りなこと...人様をお助けするのは出家の役と申します...今も申しました通り、殿方をお泊めすることはでけしませんが...本堂でお通夜をなさるというのでございますれば、雨露だけはしのげますでの...
清八 へいへい、それで結構でおます
喜六 おい、さっきから何言うてんねん
清八 いや、そやからな、この寺は尼寺やさかい、男を泊めることはでけんけど本堂でお通夜するなら泊めてくれはるちゅうてはんねん
喜六 ほんなら、そのお通夜ちゅうのをしたらええんかい...そのお通夜はんちゅうのは別嬪かい?
清八 な、何を言うてんねや! 違うがな、本堂で夜通し起きて、仏さんのお守りをするんやがな
喜六 い、嫌やで、そんな...夜通し起きてるやなんてなんにもならへんがな!
清八 いや、ほやからな、夜通し起きてるちゅうのは建前や、ある程度のとこまでいったら寝たらええんや
喜六 ああ、なるほど表向きはお通夜で、裏向きは布団宿
清八 まあ、そういうこっちゃ。

 どうぞひとつお願いを申し上げます
庵主 掛け金も何も掛けてないので、どうぞ開けてお入りを

 ここに水桶に水が汲んでございます。たらいもありますで、どうぞ足袋を脱いで、わらじもお脱ぎになって、足をお洗い...
喜六 おい、清やん、いのか?
清八 な、なんで
喜六 そやかて、尼さん、難しこと言うてはるで、足袋脱いでわらじ脱げやなんて...
清八 あほなことばっかり言うてんねやないがな、わらじ脱いで足袋脱いで上がって行ったらえねん!

 どうもご厄介さんでございます
庵主 いやいや、何のおもてなしもできまへん、こんな山寺のことでございますので...しかし、お二人さんとも空腹そうなご様子で
清八 なんの不服なことございますかいな! 入れていただけただけで十分でおます!
庵主 いやいや、空腹...お腹が空いてなさるご様子で...違いますか? ああ、お昼より何も召し上がって無い...何もございませんけど、そこの鍋に雑炊が出来てございますで、よろしかったらお上がりを
喜六 雑炊! わたい雑炊大好きでんねん。フグ雑炊、カキ雑炊、栗雑炊...
庵主 いやいや、そのような贅沢なものはございません。実はな、今日はこの寺の開山のご上人の忌日に当たりますので月に一遍炊きます「ベチョタレ雑炊」でございます
清八 ベチョタレ? あんまり聞かん雑炊でんな
庵主 そこにしゃもじもお椀もございますで、勝手によそって勝手にお上がりやす。
清八へ、ありがとうございます... こら、手ぇ出しな、行儀の悪い、子供か、お前は...へ、では遠慮なくいただきます

 ほっほっ、湯気が立ったぁるがな、こういうのはな、温いのがご馳走やで... ほな、遠慮なくいただきます

 (フーッ、フーッ、ズルズルッ)ハァ...あの、庵主さん ?! このなんや口の中にザラザラと残るものがあるんですが、これは...
庵主 それはな、味噌が切れましたので、山の赤土が入れてございます
清八 赤土やて...赤土みたいなものが食べられますか?
庵主 あれは身体に精を付けますでな
清八 聞いたか、赤土で精がつくねんて
喜六 植木と変わらんな...
清八 (クッチャ、クッチャ)あの、庵主さん...この一寸ほどに切ってあって、噛締めると甘い汁がでるこのワラみたいなもの...これは
庵主 それは「ワラみたいなもの」やない、ワラでおます
清八 ...ワラが食えますか?
庵主 あれは身体をホコホコと暖めますでな
喜六 ほいほい、赤土食うて、ワラ食うて...これで左官食うたら腹の中に壁が塗れるで
清八 草みたいなもんが出てきましたが...
庵主 それはゲンゲン花の陰干しで
清八 ...胎毒下しやな... もし、カエルみたいなものが入ってますが
庵主 あぁ、出すのを忘れておりました。ダシを取るためにイモリが入れてございます
清八 ...おおきに、ごっつぉうさんでございました!
庵主 あれ、遠慮せんとどうぞおかわりを
清八 いゃ、もう結構でおます。いまのイモリで、こう...腹にぐっと来ましたんで...どうもありがとうございました
庵主 まぁ、お口にはあいますまい。明日になりましたらまた麦飯なと炊いて進ぜましょう。それからお泊りになる早々にこんなことを申しますのもなんでございますが、ちょっとお願いが...お留守番をお願いしとうございます
清八 留守番? ...こんな気色悪い山寺で...わたいら恐がりでんねん...お出かけになりますのんかいな? 今時分から?
庵主 下の村の「お小夜後家」という金貸しのおばあさんがございましてな、この人は貧しい人に金を貸して、高い利子で、厳しい取りたてるというあまり評判のよろしゅうない人でございましたが、今朝方ポックリと亡くなりました。
そこで村の衆が寄ってお勤めをしておりましたが、貸し付けてあるお金に気が残ってまんねやなァ、棺桶の蓋を跳ね除けては

「金返せ〜、金返せ〜」

というて出てくるんやそうで...悪い人でも死んだら仏。これから出かけて行ってありがたいお経を上げて成仏させてあげようと思いますので、ちょっとおふたりにお留守番を
清八 辛いなぁ...そんな...わたいらこんなところで留守番なんてようしまへんねや
庵主 いやいや、このお寺も宵の口は寂しいようでございますけど、夜が更けますとまたにぎやかになって参りますので
清八 ...けったいな寺やなぁ...わかった! 夜が更けると賑やかということは、庵主さん、あんたがまだ若こうてきれいやさかいに村の若い衆が遊びに来たりしますねやろ
庵主 いやいや、そのような淫らなことはございません。この本堂の真裏が墓場になっておりましてな、夜中になるとガイコツがぎょうさんでてきて、相撲をとって遊びます。ガチャガチャ、ガチャガチャとそらもうまことに賑やかで...はっけよい、のこった...
清八 うわぁぁぁぁぁ、あかんあかん、そんな...ガイコツの相撲やなんて、わいらそんなん嫌いでんねん
庵主 それにもう少々夜が更けて丑三つのころになりますと、この阿弥陀さんの真裏に新仏のお墓がございます。これは上の村のお庄屋さんの娘さんが、遠方の村へ縁づかはってまなしに亡くなりはったんですけどな、お腹にややこがおりましたのをそのまんま埋めたところが土の温みでどうやらややこが孵ったような案配で、その廊下にポッと明かりが差しますと、その赤さんをこう抱いて

「ねんねんよ〜、ねやれんや〜」

とあやして歩かはりますが、そらもう、ほんに情があって...
清八 なんの情があるもんかいな!!!!
そんな、ねんねんやなんて、わいらもうかなん、そんな話し聞いたらもうよう寝られしまへんがなぁ! もうとても留守番なんぞでけしまへん、どうか、そのお小夜ババの方は日延べを...
庵主 いやいや、そういうわけには参りません。それもな、阿弥陀さんの前の灯明の明かりさえ消えなんだら、そういう魔性のモノは出て参りませんで、あの火ィにさえ気をつけてござったら大丈夫。

それではお二人さん、後の事はよろしゅうたのみますで
清八 い、いたらあかん...庵主さんッ...いたら...
喜六 どないしょ、清やん、尼さん行ってしもうた
清八 まぁまぁ、しゃあないが、こうなったら根性決めてお通夜しょう。阿弥陀さんのお灯明さえ消えなんだらええんや。あれだけが頼りや、油の具合見てこい。あれが消えたらえらいこっちゃさかいな
喜六 お、おい、清やん...もう油、なんぼも無いで
清八 え、えらいこっちゃ...ちょっと油どっくり探して注ぎ足せ
喜六 油どっくりは...と、あったあった、これや...さー、お灯明はん、油でっせ...(トクッ、トクッ...ジュージューパチパチパチ)
清八 な、なんや、その音は...何でそんな音がすんねん、それほんまに油か?
喜六 あ! ハッハッハ! 清やん、こら大笑いや!
清八 なにが大笑いやねん?
喜六 油は油でも「醤油」や
清八 アホォッ! 油と醤油を間違うやつがあるかい!
喜六 あ、消えた...あ、点いた...あ、消えた...あ、点いた...

ああっ、消えたがなぁぁぁぁぁぁっ!!!
  
(ぐぉぉぉぉぉぉ〜〜〜ンンンン〜〜〜ンンンン〜〜)

ね〜んね〜んよぉぉぉぉぉ〜
  
清八 でぇたあぁぁぁぁァァァァ!!!!
喜六 今のはわいやぁ
清八 オイオイッ! 仲間同士で脅かし合いしてどないすんねんっ!!
  
半泣きんなっております。そこへ下の方から何やら大勢がたいまつを掲げ、なにやら大きな荷物を担げてやって参ります。
  
弔いの男 いけいけーぃっ!! おう、この辺足元悪いさかいにな、松明でよーぉに照らせ、そこら辺気ぃつけよ...よっしゃ、そこや、ゆっくり下ろせ!

 え、こんばんわ、庵主さん、こんばんわ、開けておくなはれ
清八 えぇ、庵主さんお留守でっせ
弔いの男 え? お留守? で、おまはんらは?
清八 わたいら伊勢参りの旅のもんでんねん。道を取り違えて難儀しとりましたところを庵主さんに泊めてもろうて、留守番頼まれましてん。なんでも下の村のお小夜後家ちゅう人のお通夜に行く言うて出ていかはった
弔いの男 さよか! 見てみい! せやさかい、わいが上の道から行こ言うたのに、お前等が下の道がええなんて言うもんやから、あんじょう行き違いになってしもうたがな

いや、わたいらそのお小夜後家のとこから来たんですわ。いやぁ、村のもんみな寄って夜伽してたんでやすけどな、またしてもおばんが棺桶の蓋跳ね除けて「金返せ〜、金返せ〜」て暴れますねん。もうかなんさかい、一日早いんやけど、みなで担いで棺桶持ってきました。

庵主さんにはすぐに帰ってもらうさかいに、取りあえずこの棺桶ここへ置かしてもらいまっせ、よいとしょ!
清八 そ、そんなもん持って来んでも、こっちゃねんねんやらなんやらいっぱいいてんねんさかい、や、やめて...あかんて! そんなもん...おい、おーい!
喜六 清やん...こんなんまた一つ増えたがな
清八 あかん...もうちょっと向こうにやっとけ...こっちへ持って来るな、こっちへ...ああ、えらいことになった、えらいことに...
  
ガタガタ、ガタガタと二人が震えておりますうちに、次第しだいに夜が更けて参ります。夜嵐というやつがビューッ... 棺桶の蓋が ミシ...ミシ... かけてありました縄がバラリ...と落ちたかと思うと、蓋がポーンと飛びますと中から老いさらばえた老婆が髪振り乱して、二人の前へズズズーィッ
  
お小夜後家 金返せ〜...金返せ〜...
清八 わ、わたいら、た、旅のもんでやす、ぁぁあんたに金借りたもんやおま、おま、おまへぇん...
お小夜後家 金返せ〜...金返せ〜...
清八 ちゃいまんねん、わぁぁぁぁぁたいらい、い、伊勢参りの旅のも、も、もんでんねや、あんたに金借りたもんやおまへんねん!わたいら関係おまへんねん、どうぞご勘弁を!!
お小夜後家 伊勢参り...旅のもんか...
清八 へぇええぇぇぇぇい、た、た、旅のもんでおます、あんたなんか知らん人間でおます!
お小夜後家 顔見せぇぇぇぇぇい...顔を見せぇぇぇぇい
清八 そんなもん見せられまっかいなぁ!
お小夜後家 見せんのやったら...そこ行って見せてもらおぅぅぅぅぅ
清八 見せます! 目ぇつむっときますさかいに、どうぞ好きなだけ見ておくなれ!違いまっしゃろ、村のもんやおまへんやろ!
お小夜後家 伊勢参りか?
清八 へぇ、旅のもんでおます
お小夜後家 伊勢音頭...唄え
清八 そ、そんな...こんな最中にそんなもん唄えまっかいな!
お小夜後家 唄わんのやったら、そこ行って唄わす
清八 唄う! 唄うからそればっかりは...

(グスッ) お...お伊勢〜長旅〜
お小夜後家 よいよい〜
清八 いらんいらん!

あんたは何も言いなぁ!! 合いの手はいらん!!!!
  
吾兵衛 田吾作、見てみい、さっきの旅の二人連れが今度は地蔵さんの前で伊勢音頭唄うとるぞい
田吾作 あーれまぁ、まだ化かされとる。これ、しっかりしなせい!
  
清八 やーっとこせーぃ
田吾作 何がやっとこせ、じゃ、これ!
清八 あ...あれっ? ここにあったお寺、どこ行ました?
田吾作 お寺も何もありゃせんが、どない思うとんじゃ?
清八 あ、ああぁ、お寺、いつの間にかあんなとこへ行よりましたで
田吾作 吾兵衛よ、あれが寺の門に見えるとよ。狐が莚(むしろ)持って立ってんのじゃい。悪いやつじゃなぁ、暫く大人しいしとると思うとったが、またぞろこんなこと始めやがって。ちょっと懲らしめてやろうかい? 吾兵衛、お前、そっちまわれ二人でかかりゃ...こらっ! このどギツネめっ! よっ!
清八 あ、今度はお寺、こっち回りましたで、あっ、今度はこっち!
吾兵衛 そらそらそらそらっ、そっちへ行ったで、逃がすな、逃がすな!
  
追う百姓に逃げる七度狐、二人がかりで追いつめられましてかなわんと思いましたか莚をポーンと放り出して逃げにかかります
  
田吾作 そら、逃がすな、そっちやそっちや!
吾兵衛 ほーれほれほれ!
  
ついに狐をググッと捕まえましたな、狐は逃げようとする、逃がすまいとしっぽを掴んで引っ張る、逃げようとあがく狐と、しっぽを掴んで放さんお百姓。力が合いました拍子、というものは恐ろしいもんですな、しっぽがスポーンと抜けてしまいました。
  
田吾作 ああっ、しっぽが抜けた!
  
ふと気がつくと、畑の大根を抜いておりました...



七度狐でございました
  
  
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上方落語に特徴的な旅の噺です。『七度狐』は『東の旅』と呼ばれるお伊勢参りの道中記の中の一編で、上方の落語家は入門するとまずこの旅の噺を習うそうです。

 この噺のうち、前半の茶店の主とのやりとりは独立した噺として演じられる場合もあります。その場合は『煮売り屋』と名が変わります。東京の柳家小さん師匠演ずるところの『長者番付』は、この『煮売り屋』におなじく東の旅の『運付く酒』をつないだ構成になっています。 また後半のお寺の怪談のところだけを演じる場合は『庵寺』となるようです。

 小さん師匠のお弟子さんでもあるところの立川談志師匠はこの『煮売り屋』の部分を『二人旅』という題で演じておられた。落ちの部分が次のようになっていて、新鮮で、ハッとしたことを覚えている。

このうちには何もないの?
なーいの
なーいの、ってやがる。怒るぞ、終いにゃぁ、てめぇンとこ飯屋だろ
飯屋じゃねぇよ
飯屋じゃねぇって、暖簾に書いてあんじゃないか
なんて書いてあんだ?
「一膳飯あり、やなぎや」って書いてあんだろう
あっ、そう読んじゃダメだよ。ありゃぁ、「ひとつ、せんめし、ありやなきや」ちゅうだ

こういうのは始めてだなぁ、と思っていたら、何かの文章に「サゲは自作だが、見事だと自惚れている」と書いてあった。なるほど、と思った。


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