東西落語特選

もう半分



 お酒というものはまことに結構なものでございますな。

 ただ、お酒を呑むのにも人にはそれぞれ癖というものがございまして、笑い上戸に泣き上戸、怒り上戸なんて、呑みながら笑って泣いて、怒っている。なかに「ニワトリ上戸」なんてのがございまして、

おーーーーっこっこっこっここっこっこっこっ....おけっこう〜ッ!

 なんて、鴇を告げたりしてまことにご陽気でよろしいものですが、良くないのが後引き上戸、梯子上戸ですな。これは良くない酒でございます。もう一杯、もう一杯と切りがございません。

 昔々、江戸時代のことでございます。永代橋のたもとに二畳敷の居酒屋さんがございました。居酒屋と言っても名ばかりでございまして、縄暖簾が下がっておりまして、肴と申しましてもしなびた沢庵に塩ラッキョウ、紅ショウガくらいでございます。五郎八茶碗(一合一尺はいる)一杯十六文と申しますから、当時としても安い方ですな。お誂えで出来ますものは菜のお浸しとイモの煮ころがしくらい。ほかに何もできやしません。

 お職人衆がうちへ帰りますとおかみさんが一本つけてちゃんとお膳立てをしてくれている、うちへ帰りゃすぐ呑めるんですけど、仕事がすむってぇともう喉がジリジリしてくる。「どうでぇ、いっぺぇやってこうか?」なんて、うちまでもたないんですな。ぽーんと飛び込んできちゃぁきゅーっと一杯ひっかけまして、十六文放り出してさっと帰っていく。

 そういう夕方のお客様の出入りの激しさといったらございません。

 さて、このお職人衆に混じりまして、年の頃なら六十前後、所帯やつれのしたおじいさん。鼻がツーンと高く、頬骨が出て、眼肉が落ちている。歯は乱杭歯、頭の毛は真っ白。
  
老人 あの、半分だけいただきたいんですが...
居酒屋主人 へっ、いらっしゃいまし、毎度ありがとうございます...へいっ、お待ちどう様っ!
老人 はいはい、ありがとうございます...お手数をおかけしまして、あいすいません...

(グイッグイッグイッ)

ああ...おいしゅうございますな...

......

あの...もう半分いただけますか...
居酒屋主人 へいっ、お待ちっ!
老人 はい...ありがとうございます......

(グイッグイッグイッ)

ああ...

半分はんぶんとうるさいでしょうがな...一杯いただきますよりは、半分ずつ二度いただきましたほうが、桝目が幾分かお安いような心持ちがしましてな...酒飲は意地の汚いもので...へっへっへっ......

(グイッグイッグイッ)

...あの、もう半分ちょうだいをいたします...はい、お手数をおかけいたします...あの、おイモの煮たのを頂戴いたします
居酒屋主人 へぃっ、ありがとうございます
老人 ああ、こちらのおイモはいつも柔らかくおいしく炊けてございますが、何か秘伝でもございますか...?
居酒屋主人 いぇいぇ、永年やっておりますから、慣れてるってだけでございますよ。秘伝なんてございませでね、ろくなことはできゃしません
老人 いえいえ、たいそうおいしゅうございますよ...ああ、お手数をかけました、いただきます...

もう半分いただきまます...へっへっへっへっへっ...お手数をかけまして...

(グイッグイッグイッ)

うひぇぇっ...へっへっへっ...いゃぁ、若い時分からの酒道楽で...町内の酒屋よりとなり町の酒屋の方が一合でおちょこに一杯半分安いからとなり町の酒屋へ行け、なんて、雨の晩や雪の日に...女房をてこずらせましたがな...他に道楽というものがございませんで

(グイッグイッグイッ)

ああ...もう半分いただきます
  
なんて、もう半分、もう半分と、終いにはかなり出来上がってしまいまして
  
老人 お、おぃくらになりンしたぁ? おいくらに?
居酒屋主人 左様でございますなぁ...半分ずつがやっつにおイモでございますから、しめて七十一文でございます
老人 へ...お安うございます...七十一文...別に八文ございます...もう半分だけいただきます...

(グイッグイッグイッ)

うぃ〜っ...ひゃぁっ...へっへっへっ、いい心持ちで...どうもごちそうさまでごさぁましたぁ...
居酒屋女房 お前さん、お客さんが途切れたから、看板にした方がいいね
居酒屋主人 ああ、そうするか...
居酒屋女房 今日はまだ早いから、お湯でも入ってさ、一杯やったらどう? 今日は久しぶりに忙しかったからさ
居酒屋主人 そうだな、じゃぁ、ちょっと呑ませてもらおうかなぁ...あ、あっと、今のじいさん、こんな所に風呂敷き忘れていっちまってるぜ...どうせまだ永代を渡りきってねぇだろうから、ちょっくら追いかけてって渡してきてやろう
居酒屋女房 よしなさいよ、いつも来るお客さんじゃないかね、明日また来たら、おじいさん忘れ物って渡してやりゃぁいいやね
居酒屋主人 そうか? この縞の風呂敷きだ
居酒屋女房 いいよ、こっちへ預かっとくよ。こっちへお寄越しなさいな
居酒屋主人 じゃ、そうするか...おおっ? なんだ、こりゃ...やけに重いな...

おおっ!!

こ...こりゃぁ...
居酒屋女房 ......し...四、五十両あるよ......
居酒屋主人 ......あの汚ねぇなりをしたジジイがこの大金を持ってるんだからよほど訳のある金に違いねぇや。こりゃどうでも駆け出して届けてやらなきゃ...
居酒屋女房 ま、ちょっとお前さん、待ちなさいよ、ちょっと落ち着きなさいよ
居酒屋主人 な、なんだよ、落ち着けってぇのは
居酒屋女房 こんなことは滅多にありゃしないやね...お前さん、いつも愚痴こぼしてるじゃないか。いくら繁盛したって二畳敷の酒屋じゃ一生涯頭が上がりゃしないって。酒樽をずらりと並べて間口四間半で、一度は商売してみたいって...これだけの金がありゃ、それが出来るんだよ...子供があるわけじゃなし、世の中...太く短く...ね
居酒屋主人 じ、じゃぁ、お前、何か!! この金...ネコババしようって
居酒屋女房 しーっ!!
居酒屋主人 ネ、ネコババしようってのか...そりゃいけねぇ...そりゃ...あのじいさんがあんまり可哀相だ...
居酒屋女房 世の中ってのはさ、誰かが可哀相になるものなんだよ、この金届けてやればあのじいさんは喜ぶだろうけどさ、あたしたち夫婦は一生涯可哀相なんだよ。どうせ可哀相にするんだったらさ、他人の方を可哀相にしてしまいなさいよ
居酒屋主人 そりゃ...いけねぇ...
居酒屋女房 ほんっとに意気地が無いんだからねぇ、だらしない! いいよ、あたしにお任せなさいな、あのおじいさんが来たらあたしが断わっちゃうから。いいから、こっちへ寄越しなさいよ!!!!!!
  
図々しい話で、おかみさんが縞の風呂敷きを押し入れにいれる、と、とたんに
  
老人 あ、っと、この辺に風呂敷き包みを忘れて参りました! いや、どうもいつもなく酔いましてな、いい心持ちでうちへ帰りましてな、人心地ついておりましたところ、あの風呂敷きを忘れた事に気がつきましてな、酔いも何も醒め果てまして、こうして駆けて参りました。この辺に縞の風呂敷きを忘れて参りましたが、お出しを願います
居酒屋主人 え...いや...おれぁ...し、知らねぇなぁ...おい...お前...
居酒屋女房 あたしも知らないねぇ、おじいさん、ずいぶんと酔っ払ってましたから、他じゃありませんか?
老人 いえ、他へは寄ってございません。ここだけでございます
居酒屋女房 じゃぁ、永代の橋の上で落っことしたんじゃないですか? その辺を探してご覧なさいな
老人 いえいえ、ずっしりと重たいものでございます。落とす気遣いなどございません。実はあの中に...五十両という大金が入ってございますので...

 このような汚いなりをして、何をウソを、と思し召しもございましょう。恥を申さねば分かっていただけないと思いますが、実はこう見えましても以前は深川八幡前で、手広く...というほどでもございませんが、小僧を二人、若いものを三人使いまして、八百屋渡世をいたしておりました。

 ところが若い時分からの酒道楽、しかも後引き上戸という悪い酒。とうとう店を傾けてしまいまして、裏店へ引っ込んで八百屋のぼて振り...かてて加えて女房に患われて...これが長がの患いで、家財道具を洗いざらい売り払った挙げ句に女房に死なれ...

「おとっつぁん...六十の坂を越して八百屋のぼて振りは身体が堪りません...元のようなわけにはいきませんが、小僧の二人も使っておとっつあんは店番をして商売ができますように...金の工面はあたしが...」と...

む...娘が吉原へ身を売ってこしらえてくれた...五十両...

おとっつぁんは後引き上戸という悪い酒...店を持って、あたしが年が明けてうちへ戻るまでは金輪際酒は止めて...ああ、もう呑むこっちゃ無い、と堅く約束して五十両貰って帰って参りました...いつも御厄介になっておりますこちらのお店...お酒の匂いがプンとして...なに、今日ばかりは半分だけ...今日を最後に酒は止そう、半分だけなら何ということも無いだろう...この分なら、もう半分呑んでも間違いは無かろうと...もう半分、もう半分といつになく杯を重ねてしまいました...酒に心を奪われて...娘が身を売ってこしらえてくれた五十両...置き忘れたとあっては...ウウウッ...娘に合わせる顔がございません...

どうか、どうか...お慈悲でございます... お情けでございます...どうか、どうかお出しを願います、お願いをいたします...どうか、どうか...ううっ、ううううっっ
居酒屋主人 お、おいおい、よしてくれよ、おれぁネコババなんぞしちゃぁいないよ。おれぁ人の物に手を出すような... そ、 ...そんな人間じゃぁねぇよ...
居酒屋女房 うざったいジジイだねぇ、そんな事言って言いがかりをつけてさ、いくらか金にしようって魂胆に決まってるんだ! こっちゃあもう看板なんだからね、とっとと追い出しておしまいなさいよ!
居酒屋主人 けぇってくれ、けぇってくれ!
老人 そ、そんなことをおっしゃらずに! お慈悲でございます! お情けでございます! お出しを願います!!
  
嫌がるものを無理矢理に表に押し出します。そこを無理に入ってこようとするものを、心張り棒で眉間を思い切り打ち付けられ、うわぁ、と尻餅をつく、とたんにピシッと雨戸を閉めてしまう。
  
老人 ......ううっ...酒屋夫婦も...五十両という金に...目が眩んだか...

どの面下げて...娘に会えましょうや...許しておくれ...許して...親不孝な子というものはあれど...子不孝な親とはわたしのこと...もう娑婆じゃぁお前様には会いますまい...悪い病気に罹らぬよう...いい亭主を持てますよう...草葉の陰からお前様の幸せを...祈っていますよ...南無阿弥陀仏...南無阿弥陀仏...ウウッ
  
それにつけても憎いのは酒屋の夫婦、人に恨みのあるものか無いものか、思い知らせてくれよう、っとばかりに物凄い形相でジーーーーーッと酒屋の方を恨みの眼差しで睨んでおりましたが、やがて

南無阿弥陀仏


ざぶーん、と橋の下の川へ身を投げて死んでしまいました。

さあて、凡夫盛んにして神祟り無し、と申しますが、それからの酒屋夫婦の勢いというものはありません。間口四間半、奥行き六間、小僧が三人に番頭二人、女中が二人という日の出の勢いでございます。その繁盛というものは物凄く、酒屋夫婦はもう店などへは出ませんで、今日は妙見様、明日は観音様、江ノ島だ、伊豆だ、鎌倉だと毎日のように遊び歩いております。

そうこうするうちにおかみさんが御懐妊でございます。さあて嬉しや、これで跡取りが出来たら、もうなにも言うことはない。夫婦の喜び様といったらございません。やがて月満ちて生まれましたのが「玉のような男の子」というのが講談、浪曲の方では決まりになってございますが、こちらはちょぃと違いまして、それは二目と見られぬ女の子。

うまれたてだというのにやせ衰えて皺くちゃ、鼻がツーンと高く、頬骨が出て、眼肉がゴソッと落ちている。生まれたばかりだというのに、乱杭歯の歯が生えていて、おまけに頭の毛は真っ白。

産婦はこれを見るなり半狂乱になって死んでしまいました。
  
居酒屋主人 ああ、悪いことはできねぇなぁ...あのジジイの金をネコババして、お陰でうちはこの通り繁盛してるが、あれから一日として晴ればれとした日は無かった...その上、女房には死なれ...おまけにこの赤ん坊だ...あ〜ぁ...それもこれもあのジジイのなせる業...せめてこの赤ん坊を大切に育てりゃあ...あのジジイも浮かばれるンだろうか...
  
口入れ屋へ人を走らせまして、ばあや(乳母)を頼んで参ります。と、翌日になりますとばあやが「お暇をいただきます」。また次のばあやを頼んで参りますが、翌日になりますと「お暇を頂戴いたします」。次のばあやも次も次も、来るばあや、来るばあや、みんなお暇お暇お暇...というのですから、さぁて亭主は堪りません。自分で口入れ屋へ参りまして、親方に

「身体の丈夫な、山出しのでっぷり太った無神経なばあやがありましたらお願いします」

さあ、今度参りましたばあやというのが、注文通りの女でございまして、
  
ばあや さあ、ごめんなんしょ!
  
このばあやなら辛抱してくれるだろう、安心しておりましたが、翌朝になりますと
  
ばあや あの〜、だんな、お暇がいただきたいんでがんすけんど...
居酒屋主人 親方にも話をしておきましたが、給金ははずみますよ
ばあや へぇ、親方にも言われてめぇりましたけんど...へぇ、辛抱するようにってねぇ...そんだけんど、おらぁ、国元のおっとぅとおっかぁの墓参りに行きてぇと思いやして...おらぁ墓参りに行って来やすけんねぇ
居酒屋主人 いや、墓参りはお盆かお彼岸に行けばいいでしょう。なにも今行かなくったって。給金は倍ですよ
ばあや その話も聞いて参りやした
居酒屋主人 子供にお乳を飲ませるんですからねぇ、なんでも言ってくださいよ、今日は鰻の丼がいい、今日はお刺し身がいい、今日は鯛の塩焼きがいい、なんでも贅沢三昧に、お前さんのいいようにしてくださいよ
ばあや まぁ、ほんとに何なんでがんすけどねぇ、ほんとに、まあ、旦那には悪いんでがんすけどねぇ、まあ、なんなんでがんすけど、それ、なんなんでがんすけど、まあ...
居酒屋主人 いや、何なんでじゃわからない。一日でお暇おひまじゃ赤ん坊が育たない。わたしが可哀相だと思って、辛抱してください、この通り!
ばあや いや、旦那に頭を下げられてもなんなんでがんすけんどもねぇ
居酒屋主人 参ったなぁ...じゃぁ、せめて訳を言ってください。赤ん坊が夜中に何かしますかな? 次のばあやを頼む都合がありますから、遠慮無くそう言ってください
ばあや そりゃぁ旦那、おらの口からはそりゃ言えません...それじゃ、旦那、おらもう一晩御厄介になりますから、夜中に赤ん坊がどんなことするんか、旦那そばで見てたらよかんべぇ
居酒屋主人 あぁ、それがいい。お願いします!
  
その日はとんとん、とんとんと雨戸を閉めて、店のものを寝かしつけてしまいますが、主は寝るどころの騒ぎじゃございません。次の間に布団を敷きまして、襖を細く開けましてジーッと様子を伺っております。

 やがて午後十時。昔はこれを四つと申しましたが、四つの鐘がぼ〜〜〜んと鳴る、何事もない。

 そのうちに九つ。午前0時ですな。やはり何事も無い。

 とうとう八つの刻になって参ります。草木も眠る丑三つ刻...屋の棟が三寸下がり、水の流れがピタリと止る、と昔からの喩えがございます。水を打ったように静かな中、うぉぉぉぉぉぉぉぉ〜ン、と不気味な犬の遠吠えだけが響いております。と、八つの鐘が隅田川に響いて物凄く

ボ〜...ンンンンンンン〜....ンンンンンン

と余韻を残して打ち上げたかと思うと、今まですやすやと寝ておりました赤ん坊が、布団の上にヒョイっと身を起こし、あたりをギョロリ、ギョロリと伺っております。やがて紅葉のような小さな手を大人がするようにかざして、そばで寝ておりますばあやの寝息を伺っておりまして、ニヤリと薄気味悪く笑いを残し、布団から這い出して参りますと、行灯のそばの盆の上の茶飲み茶碗を左の手に取り...行灯の下の油差しを右手にとって...油を茶飲み茶碗に注ぐと、茶碗を両手でもってさも美味そうに、グビリ...グビリ...と油を呑み干しました。

 これを見ておりました主、恐いのも手伝いまして、
  
居酒屋主人 おのれ、ジジイ! 迷ったか!!
  
と部屋に飛び込む。茶碗を持った赤ん坊、振り返りまして酒屋の主の顔をじーっと見ておりましたが、やがて細い腕をにゅーっと出して、

赤ん坊へっへっへっ...もう半分...
  
  


 このソースファイルをダウンロード mouhanbun.csv

ページトップへ