東西落語特選
蛙茶番
この頃、祭りというものがまた盛んになってきましてね、ただ、昔の祭りと今の祭りではちょいといでたちが違うんですな。 | |
まあ、御輿(みこし)というものは職人の町のは大きいんですね、鳥越だとか深川なんか行くと大きい。商人の町はってぇときらびやかだけど小さい。職人の町はみんなふんどしで担いだんですな、半纏(はんてん)着てふんどしで担いだ。商人の町はってえと半股引(はんももひき)ってやつですね。今はってえと、なんかみんな鳶職(とびしょく)の寄り合いみたいに長い股引で担ぐんですね。で、昔はみんなで御輿を守るように背中を向けて担いだ。後ろ前がないような形ですな。だからどっちからみても顔がこっち向いてたもんですが、今は後ろから来るヤツは前向いてんですな。籠かきやもっこ担ぎとおんなじですな。昔は「わっしょい、わっしょい」って言ったもんですが、今は「せいや、せいや」ってんですね。いろいろと変わってきたもんです。 | |
それから御輿の出ない祭りというのもございました。恵比須講なんてのはそうですな。十月の十九日の晩にべったら市というのが立ちまして翌日の二十日は江戸のほとんどのお店はお休みになる。そうなるてぇと町内の人たちがお店(おたな)に集まって広間の片っぽに舞台をこさえて、片っぽに客席をこしらえて、素人芝居なんてのを楽しんだそうで... | |
大旦那 | 番頭さんや、番頭さん! |
番頭 | へっ、何でございましょう |
大旦那 | お前さん、はやく舞台を開けてくださいよ、見物の衆が集まってるんだから |
番頭 | へっ、それが、でございますな... |
大旦那 | どうしたんですよ |
番頭 | それが、そのー、まだ役者がひとり出て来ないんでございますよ |
大旦那 | だれが? |
番頭 | へえ、それが近江屋の若旦那で |
大旦那 | ええ? あの芝居道楽の方がかい? あの方、いつもは早くから出てきてお世話してくださったりしてたのに、どうしたんだい? どうして出てこないんだい? |
番頭 | それがどうも、役不足で... |
大旦那 | ほら、またこれだ。そんな事が無いようにクジで決めたんじゃないか。で、若旦那、いったいどんな役が当たったんだい? |
番頭 | へぇ、序幕ではちょっとした役が付いたんでございますがねぇ、その後の役がどうも...へへっ、人間じゃないんでございます |
大旦那 | 人間じゃない? なんだいそれは |
番頭 | ええっと、徳兵衛が忍術使いますでしょ、するってぇとそこへ出てくるガマ蛙でございます |
大旦那 | ガマ蛙! あの見栄坊の若旦那がガマを引いたのかい? えらい役が当たったもんだねぇ、そりゃだめだ。出てくる気遣いはないよ。まあ、仕方ない。あんな役はたいして面倒なことはありゃしないんだ。小僧にでも当てがっときゃいいよ。とにかく早く幕を開けとくれ |
番頭 | かしこまりました。 定ーっ、定吉ーっ! |
定吉 | へーぃっ。番頭さん、何っすか? |
番頭 | 今日は芝居だな |
定吉 | ええ、そうですね |
番頭 | お前、どうだい、芝居は好きかい? |
定吉 | 番頭さん、あたしお芝居大好きなんです |
番頭 | どうだい、役者、やりたくないかい? |
定吉 | お役者ですか? 番頭さん、やりたいんですよ。何か役があったらあたしにもやらせておくんなさいよ! |
番頭 | そうか、よしよし、お前はいつも一所懸命働いてくれてるから、ご褒美に一役やらせてやろう |
定吉 | へぇ、ありがとうございます。あたしの役は何ですか? |
番頭 | ガマだ |
定吉 | がま...へぇ? がま? がまって...何です? |
番頭 | ガマガエルだよ |
定吉 | ガマガエル? あの、雨が降ると田んぼのあぜ道でゲコゲコって、あれですか...なんだよ、「お前はいつも一所懸命働くから褒美に一役させてやる」って、ちゃんと口がきけるのかと思ったら... ガマですか? 番頭さん、ガマならよござんす |
番頭 | そんなこと言わずにやっとくれよ、お前がやってくれなきゃ芝居の幕が上がらないんだから、やっとくれよ |
定吉 | だって番頭さん、そんな役やったらもう明日から「カエル小僧、カエル小僧、ヘソねぇんじゃねぇか」なんて店のみんなが... |
番頭 | 大丈夫だよ、着ぐるみというものを頭からすっぽり被っているから誰が入ってるか分かりゃしないよ。それにこれは大旦那からのお言い付けなんたから、お前だけに、みんなには内緒だよ、特別にお小遣いをやろう。どうだい? |
定吉 | え、お小遣いくださるんですか...んー、本当にあたしだってわかりませんか? |
番頭 | 分かりゃしないよ。出番が来たらあたしが合図するから、そしたら出てくるだけでいいんだ。いいね。よし。 おーい、ガマの役者は決まったよ。それじゃ幕を上げて...へ、まだ役者が揃わないのかい? 役者じゃない? 舞台番? ああ、あんなもの要りゃしないんだが、大旦那が凝り性でな、古風な芝居だからってんで舞台番を置くってんだ。舞台の脇に半畳というものを置いて威勢のいい若い衆が座っててさ、客席でもめごとなんかがあると「おうおぅっ! 騒いじゃいけねぇっ!!」なんて、止めにはいったりするちょっとした若い衆なんだが誰に頼んだんだっけ...建具屋の半次か。おいおい定や |
定吉 | へーい |
番頭 | お前ちょっと建具屋の半ちゃんのところまでお使いに行っとくれ。「見物の衆が大勢さんお集まりでございますから、お早く願います」ってな |
定吉 | へい、かしこまりました。 半ちゃーん! |
半次 | ケッ、半ちゃんはいねぇよ! |
定吉 | 何だよ、妙な具合だなぁ、当人がいないって言ってやがら。半ちゃんそこに座って... |
半次 | 何を言ってやがらぁ! オウッ、盆暮れに腐れ半纏の一枚ももらってる大事なお店だと思うから、芝居だってぇから一番先に飛んでったよ。「何か一役やらせてもらいやしょう」ってったらあの旦つくがおれの顔をじーっと見やがって「おまえは鏡ってモノをみたことがあるかい? うちは化け物芝居をしようってんじゃないんだ。化け物芝居をやるときゃお前さんに座頭になってもらうよ。今回は舞台番をやっとくれ」とこう言いやがるんだ。えぇ? さようでございますか、てんで舞台番が出来るか? みんなおしろいつけて、きれえな衣装着て、芝居してんだよ! だけどおれだけ舞台番だ!? えぇ?! おれだけ舞台番... ちゃんちゃらおかしい、ちゃらおかしい、カナで書いたら「ち・や・ん・ち・や・ら」ってんでぇ! おうっ、あの旦つくにそう言っとけ。半公は血が通ってます、舞台番なんぞできるけぇっっっっっ! |
定吉 | さよならーっ!! ひぇぇっ、驚いた。怒ってるよ。やんなっちゃうなぁ、あんな黒い顔におしろいなんか塗りたいのかなぁ。ねずみ色になっちゃうよ 番頭さん、行ってまいりました。 |
番頭 | おお、半公、来るって? |
定吉 | だめですよ、カンカンになって怒ってますよ、来やしませんよ |
番頭 | ええ? 何だって、「ち・や・ん・ち・や・ら」? そんなこと大旦那に言えるか^^; まったくあんな熊みたいな面におしろいが塗りたいかねぇ... また大旦那もわざわざ怒らせるようなこと言わなきゃいいのに... 性分だからなぁ... よーし、あたしに考えがある。 半公が傍惚れ (おかぼれ=片思い) している娘が町内にいるらしいってことを聞いたことがあるんだが、お前知らないかい? |
定吉 | あ、それあたし知ってます。小間物屋のみーちゃんですよ |
番頭 | あの角の小間物屋のかい? へぇ、あの町内で小町と言われてるあの器量良しの...で、この二人は、まさか出来ちゃいないだろ? |
定吉 | ええ、これがねぇ、半ちゃんのほうはすっかりできあがってるんですけどね、みーちゃんのほうがさっぱりなんですよ |
番頭 | うーむ、そうだろう、そうだろう。 いいかい、ちょっとした計略だ。お前、ここまで帰ってこなかったことにしてもう一度半公の所へ行くんだ。で、「そこで小間物屋のみーちゃんに会っちゃった」って言うんだ |
定吉 | へぇ、ウソつくんですね |
番頭 | 半公のやつ、「みー坊、何か言ってたか」とかなんとか聞いてくるから「半ちゃん舞台番だって言っちゃった」って言うんだ。お前、ここでボヤボヤしてたら二、三発ぶん殴られるから気をつけなよ。すぐに、みーちゃん顔をポーっと赤くして、「素人がのらない顔(おしろいの乗りの悪い顔)におしろいなんか塗って芝居するなんてみっともないわ。そこいくと舞台番と逃げるところが半ちゃんは利口なんだ。半ちゃんの体つきはどことなく伝法肌 (伝法(でんぽう):悪ずれして粗野な事を指した。ただし、野生的で男らしいことを指して良い意味で使われる事も多い。この場合は後者) でいなせ (いなせ:江戸時代、魚河岸の粋で侠気のある若者を指して言った言葉。当時の流行の髪型である「いな背銀杏」を結っていた。例えば一心太助など。) だから、さぞかしいい舞台番ができるに違いないわ。あたしお芝居なんかどうでもいいけど半ちゃんの粋な舞台番を見に行こうっと」って芝居見に行ったって言うんだ。あのバカ、きっと出てくるから。 |
定吉 | うへへっ、行ってまいりまーす 面白くなってきちゃったなぁ。 半ちゃん! |
半次 | てめえこの野郎、また来やがったな! |
定吉 | 今ね、 |
半次 | けぇれ! |
定吉 | そこんとこでね... |
半次 | けぇれ!! |
定吉 | 小間物屋のみーちゃんに会ったんだ |
半次 | ...ちょっと、こっち入んなよ |
定吉 | なんだよ... |
半次 | へっへっへっ、...へへっ、みー坊、...何か言ってたか? |
定吉 | 「定吉さん、どこへ行ってたの」って聞くから「半ちゃんとこ」って言ったら、みーちゃんの顔がポーッ! って赤くなってやんの... |
半次 | ...へへ...へへへっ、せ、煎餅食いねぇ...それでどうした? |
定吉 | うん、「きょうお店でお芝居があるんでしょ、半ちゃんは何の役なの」ってきくから、あたし言っちゃった |
半次 | ...何て? |
定吉 | 舞台番だって |
半次 | このおしゃべり! 何て間抜けなことを言いやがるんだ このっ、このっ、このっ! |
定吉 | いて、いててて、やめてよ、みーちゃん、言ってたよ |
半次 | な、何てだよ... |
定吉 | 素人が、のらない顔におしろいなんかつけて変なかっこしてお芝居なんかしたってつまらないって。みっともないって。そこいくと半ちゃんはね、舞台番と逃げるところが半ちゃんは利口なんだ、って。半ちゃんの体つきはどことなく伝法でいなせだから、さぞかしいい舞台番ができるに違いないわ、あたしお芝居なんかどうでもいいけど、半ちゃんの舞台番見に行こうって。だから半ちゃんが舞台番に行かなきゃみーちゃんがっかりすると思ってさ、そいで急いで帰って来たんだよ |
半次 | へへ...へへへッ...そうか...参ったな...みー坊が待ってるたぁ気がつかなかった...へへ...(エホン)、人間てものぁな、ムシの居所が悪いときってなぁ、あるんだ。ま、ツラの悪口言われながら舞台番に行きにくいじゃねぇか。それでさ、さっきはハラにもねぇことを言っちまったけどさ、おれぁあの旦つくにゃひとかたならねえ世話になってんだ。あの人ぁ苦労人だよ、うん。おれぁ舞台番にいかなきゃ義理がワリぃなぁ、行こうかなぁ、と思ってたところだったんだよ。 |
定吉 | そうなの? |
半次 | そうだよ、行ってやるから心配(しんぺー)すんねぇ |
定吉 | じゃぁ、さ、みんな待ってるからさ、すぐに...だけど、舞台番て、そういう地味な身なりなの? |
半次 | え? 地味な、ったっておれぁこれ一張羅だよ。...そうか、そこんとこ気がつかなかったなぁ...よし! どうでぇ、おれぁなりは地味だよ。地味だけど一個所派手なところがあってオチをとる、ってなぁどうだ |
定吉 | へぇ、半ちゃん、どっか派手なところがあるの? |
半次 | おめぇは知るめぇがよぉ、舞台番てぇなぁ舞台の端っこに半畳ってぇ四角いたたみ敷いてその上にクルッとケツを捲くってこうやって座ってやるんだよ。そこで見えるのがホラ、ふんどしだ。 去年、兄貴ンとこの町内(ちょうねェ)の普請を手伝ぇに深川へ行ってた時にちょうど祭りがあったんだ。その時に何か派手なことをやってやろうってんで、宮出しから真っ赤なふんどしで御輿かつぐってんだ。真っ赤なふんどしでなきゃ担がせねぇってんだよ。そいで兄貴がさ、せっかく来てるんだからおめぇも付き合うかってェから、「ああ、おれぁそういうの好きだ」ってんで付き合ったんだけどさ。 その町内の呉服屋に掛け合って丹後縮緬(たんごちりめん)の反物のゴツゴツしたのを仕入れさせてさ、染め物屋に持ってって惜しげもなく真っ赤に染めて緋縮緬(ひぢりめん)の六尺ふんどしの揃いで担いだんだ。 そりゃもう、みんなおでれェた、あぁ、兄貴の町内の連中が驚いたんだよ、おぅ。隣町(となりちょう)なんかからもみんな見に来たよ。 あぁ、いい品物だよ。つまんで引っ張ったらチリチリッと音を立てて縮むんだ。染め直しゃヘコ帯になるってくれぇの代物なんだぁ。こんなものこの町内に持ってるやつぁいやしねぇ。おれぁ身なりは地味だけどよぉ、このふんどし締めて半畳の上でケツ捲くって、これでこれでオチをとってやろうってんだ。 どうだ!? |
定吉 | へぇ、そんなにいい品物なの...いまここにあるの? |
半次 | そりゃ、おめぇ...ちゃんと質屋の蔵にしまってあらぁ。 |
定吉 | なんだよ、半ちゃん、ふんどしまで質入れしてんの? 入れ替え物あるの? |
半次 | こうなったらナベでもカマでも持ってくよ! |
定吉 | へえ、でもふんどしの入れ替えにおカマなんて、やっぱり縁がある... |
半次 | なに言ってやがんでぇ! |
定吉 | じゃ、半ちゃん、頼んだよ! 急いでね! |
半次 | おうっ! まかしときな!! |
どう工面をしましたか、半公、緋縮緬のふんどしを質屋から出してこれをキリリと締めますと、そのまま芝居へ行けばよかったんですが、傍惚れの娘が来るって聞いたんで、よしゃいいのに磨いていこうと町内の湯屋へやって来ました。 | |
半次 | おう、じゃまするぜ! |
湯屋番台 | いらっしゃいっ! お、半ちゃん、今日はどうしたんです? 昼間っから湯なんぞへ |
半次 | おう、お店で芝居があるんでぇ |
湯屋番台 | ほう、あたしも後から見物に行きますよ。それで半ちゃんはどんな役がついたんです? |
半次 | とんでもねぇ、おれぁいい役がついたんだ。けど素人がのらねぇ顔におしろい塗ってもみっともねえだけだろ、だからおれぁ芯が利口だからさ、町内の旦那方にゆずって舞台番と逃げちゃった |
湯屋番台 | 舞台番、結構ですね。ええ、半ちゃん身体が大きいから、柄にあってますよ、ええ...で、衣装は? え、そのまま? 舞台番にしちゃぁ、ちょっと身なりが地味じゃ? |
半次 | おうおうおうっ! 地味だろ? 地味だけど、おれぁ一個所派手なところがあるんだ。ま、ちょっと見てくんな。よっ! |
湯屋番台 | ほう、お尻を捲ると、これは見事ですなぁ、緋縮緬! そうでしょうなぁ。これは見事だ |
半次 | へへっ、分かるかい、町内広しといえども、これだけのものを持ってるヤツぁいねえだろ |
湯屋番台 | そうでしょうなぁ |
半次 | モノがいいから、ドッシリと目方があるんだ |
湯屋番台 | これはいい品だ、染め直せばヘコ帯にでもなりますよ |
半次 | おれぁ女子供に見せてビックリさせちゃおうってんだよ。えぇ? 品物はしっかりしてるんだよ、嘘だと思うんならちょっとクビ伸ばして咥えて引っ張ってみてくれ、チリチリっと音がして縮むから |
湯屋番台 | 誰がそんなもの咥えるんですよ |
半次 | すまねえけど、油っ紙かしてもらえねえかなぁ |
湯屋番台 | いや、番台にはそんなもの置いてませんが...どうしようてぇんです |
半次 | これだけの代物だよ、盗まれたら芝居に行けなくなっちまうから、油っ紙に包んで頭の上に括り付けて... |
湯屋番台 | そんな川越しみたいなことしなくても、大事なものなら番台で預かりますよ |
半次 | おう、そうしてくれるかい!? めったなとこへ置いちゃいけねえよ、後ろの神棚かどっかへ上げといて... |
湯屋番台 | そんなばか言っちゃ... |
番頭 | 定吉! |
定吉 | へーぃ、番頭さんご用ですか? |
番頭 | ご用ですかじゃないよ、半公はどうなってるんだい、まだ来ないよ、お前もう一度行って見てきておくれ |
定吉 | へーぃ まったくいい年して世話が焼けるなぁ...どうしちゃったんだろう、来るって行ってたのに...あれ、誰もいないや...あ、すいません、おばさん、半ちゃん...へ、手ぬぐい持って湯へ? あっ、どうもすいません。そっち行ってみます。 いまさら磨いてどうしようってんだろう。黒いほうがいいんだよ、アラが目立たなくて。みーちゃんも何も来やしないんだよ あ、こんちゃー、建具屋の半ちゃん来てますか |
湯屋番台 | ああ、小僧さん、今し方来ましたよ、ほらあそこで後ろ向いてからだ洗ってる |
定吉 | あ、ほんとだ。男のくせに糠袋なんか使ってるよ、おしゃれしてどうしようってんだろ。ひょっとこの彫り物なんかしてるよ...うわーぁ、汚いお尻。毛だらけだ...山の中で出したら鉄砲で撃たれるね。 ちょっと、半ちゃん、何やってんだよ、早くしないとみーちゃん帰っちゃうよ! |
半次 | ええっ? そ、そりゃいけねぇ、ちょっと待て! すぐ行くからぁっ!!! |
傍惚れの娘が帰っちゃうってんで、半公、おお慌てでからだもろくに拭かずに着物を引っかけるてぇと湯屋を飛び出した。 肝心の番台へ預けたモノを忘れちゃった... | |
半次 | ひぇぇぇぇーっ どいてくれ、どいてくれーーっ |
友だち | おうっ、半次! どうしたっ、そんな泡食って! ひでぇ汗だなぁ |
半次 | おうっ、吉っつぁんか、ハアッ、ハアッ、お...お店で芝居があるんだ。おれが行かなきゃ幕が開かねぇんでぇ |
友だち | ほう、そりゃたいそうな勢いだなぁ。で、役者衆? どんな役でぇ |
半次 | とんでもねぇ、おれぁいい役がついたんだ。けど素人がのらねぇ顔におしろい塗ってもみっともねえだけだろ、だからおれぁ芯が利口だからさ、町内の旦那方にゆずって舞台番と逃げちゃった |
友だち | 舞台番、ああ、舞台番お前柄に合うよ、だけど舞台番にしちゃ、ちょっと身なりが地味じゃねぇか? |
半次 | 地味だろ? 地味だけど、おれぁ一個所派手なところがあるんだ。ま、ちょっと見てくんな。よっ! |
友だち | うっ、ええっ? よ、よせよ、往来の真ん中で...わ、わかったよ、わかったから下ろせよ、着物下ろせよ、派手だよ、この野郎、おめぇは度胸がいいねぇ。あろうことか真っ昼間から往来の真ん中でそんなモノ出すんじゃねぇよ |
半次 | どうでぇ、いいシロモノだろ |
友だち | いいシロモノだ! |
半次 | 町内広しといえども、これだけのものを持ってるヤツぁいねえだろ |
友だち | いねぇ、いねえよ、町内どころの騒ぎじゃないよ、江戸中探してもちょっとこれだけのシロモノは見つからねぇよ...だから裾を下しなよ |
半次 | モノがいいから、ドッシリと目方があるんだ |
友だち | ああ、そうだろうともよ... |
半次 | おれぁ女子供に見せてビックリさせちゃおうってんだよ |
友だち | ビックリするよ、気の弱ぇやつぁ眼ぇ回しちまうぜ |
半次 | 品物はしっかりしてるんだよ、嘘だと思うんならちょっとクビ伸ばして咥えて引っ張ってみてくれ、チリチリっと音がして縮むから |
友だち | 誰がそんなもの咥えっかヨ! |
半次 | ヘヘッ、どうでぇ、驚きやがったろう! こんちわ、へへっ、どうもあいすいません...すいません、遅くなりまして... |
番頭 | すいませんじゃないよ、半ちゃん、もうどこまで世話焼かせるんだい。さっそく頼むよ! |
半次 | へい、かしこまりました! |
半次はそのまま半畳の上に飛び乗ると、着物の裾をクルーッ カーンッ、と木が鳴って幕が上がります。 | |
半次 | ...あぁ、大勢入ってやがんなぁ...小間物屋のみー坊は...いやしねえじゃねぇか...クソッ、あの小僧、いいかげんなこと言いやがって...ま、どこかには居るんだろうな、居るにゃちげぇねぇんだ...しかし、みんな芝居見てやがんなぁ...誰もおれを見てねぇじゃねぇか...これじゃ気が付かねぇのかなぁ...もっと捲ってやろうか...よし、これでもか! よーし... あらよッ、さーさーさーさーさー、おっと静かに静かに! |
甲 | しかし、うまいもんですなぁ。玄人はだしじゃありませんか。あの貫禄といい押し出しといい...あの徳兵衛は誰ですかな? |
乙 | ええっと...ああ、あれは紀伊国屋の大旦那ですなぁ |
甲 | 紀伊国屋さん? 紙問屋の? はぁ、はぁ、好きなんだねぇ、ふだんおっかない顔してますけど... よっ、紀伊国屋!! 喜んでますよ...いや、あなたも誉めておやんなさいよ...あんたどこ見てんですよ、芝居は見ないのかい? へ、舞台番を見ろ? あぁ、あれは建具屋の職人で半次ってんだ。あいつは人間がちょいとおっちょこちょいなんですよ... なに笑ってんですよ、舞台番を見ろ? だから半公だって...顔じゃない? どこを見るんですよ... 下の方? ...ほぅ! なるほど... なぁ、あれ、本物かい? |
乙 | まさかしん粉細工 (しん粉細工:米を挽いて作る団子の粉で作った細工物。詳細はページ末尾参照) や飴細工じゃああはできねぇ! |
甲 | しかし、たいそう立派なものですなぁ、あれだけの道具立ては町内でもなかなか |
乙 | あのバカ、あれを自慢にしてやがる...ちょっと誉めてやりましょうか |
甲 | 大道具!! |
半次 | おお、ありがてぇ、やっと気が付きやがった! |
番頭 | おい、定、...定吉、出番だよ、何やってるんだよ、ガマの出番だよ |
定吉 | だ、だめです、番頭さん、今、ガマは出られません |
番頭 | 何言ってんだよ、出なきゃ話が進まないじゃないか、早く出るんだよ |
定吉 | だめです |
番頭 | 何でだよ |
定吉 | だって、...あそこで青大将が睨んでるんです |
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昔は男を形容する言葉が様々にございました。 「伝法」てぇのは「江戸浅草寺の伝法院の寺男が寺の威を借りて乱暴狼藉を働いた事」から、粗野で野生的な「男らしい」男、例えば清水の次郎長一家などを指す言葉ですな。 一方、「いなせ」とは漢字で書くと、 でございます。「イナ」てぇのはボラの幼魚の名前で、ブリの若いのがハマチと呼ばれるのと同じでございます。これが、背鰭がピンとしていてたいそう威勢の良い魚とされていおりましたようで、イナの背鰭のような髷 (まげ)をいなせいちょうと呼び、若い者の間でずいぶんと流行(はや)ったそうで。そこから一心太助のような若者を「いなせ」と形容したようです。 | |
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