東西落語特選

初天神



 昔からよく、「這えば立て 立てば歩めの 親心」と申しますな。お子達も二つ、三つ、とだんだんと大きゅうなって参りますと、まことに可愛らしゅうございます。だんだんと言葉を覚えましてな、なんか小生意気なことを云う。四つ、五つくらいの子ォが大人が云うような生意気なことを云いますと、これがまた可愛い。「へっへっへ、このガキ、こんなこと云うようになったか。大きいなったなぁ」てなことを云いまして、親も喜んでおりますな。ところが、これが六つ、七つを過ぎまして十一、十二ともなってまいりますと、これはちょっと様子が違って参りまして...
おとっつぁん カカ、ちょっと羽織り出せぇ、いいぇな、羽織を出してくれ、ちゅぅてんねん
おかあはんなんですの、偉そうに羽織り出せ、羽織出せぇて。羽織が一枚できたからと思うて、何かいうたら羽織、羽織と。いいぇな、あの羽織かて、あんたの甲斐性でできた羽織と違うねんし。主家のご隠居はんが死にはったときに、わたいが三日三晩、夜通しお手伝いしたから、そのときにお家はんが「おまはんの着物に仕立てたらええやろ」おっまゃって、形見分けにおくれはったものやないか。それを、大の男が羽織の一枚もなかったらかっこがつかんさかいに、あんたの羽織にしたんやないかいな。それが、まぁ、羽織が一枚できたとおもうたら、ちょっと隣へ行くさかいに羽織出せ、風呂行くさかいに羽織出せ、この間、あんた羽織来て雪隠 (雪隠(せっちん)= 便所) 行ったやないかいな
おとっつぁん みっともないことぬかすな。わしが羽織り出せぇちゅうたら、黙って出したらどないや!
おかあはん またあんた、羽織着てどこ行くつもりや?
おとっつぁん どこて、おい、カカ、お前、今日は何日や思うてんねん
おかあはん 今日て...今日は一月の二十五日やないかいな
おとっつぁん みてみい。今日は初天神や。わし、これから天満の天神さんにお参りに行てくるねん
おかあはん まぁ、さよか。神信心じゃました人にバチが当たる、て云いますから、決して止めぇしまへん。えぇ、どうぞまぁ、行っといなはれ。そのかわりな、もうちょっとしたら寅やんが帰ってきますさかい、、あの子、連れて行ったげなはれ
おとっつぁん いや、それは堪忍してくれ。あの、寅のガキ、連れて外へ出るのン、わし、もう懲りごりやねん。あんな悪い子せがれ、あれへんでぇ! えぇ、もう、外へ連れていったら、あれ買うてぇ、これ買うてぇ、ごてくさごてくさぬかしゃがってな。近頃ではちょっとわしが叱ると、クソ生意気に口応えさらすねん。もう我が子ながらつくづく愛想が尽きてんねん。カカ、せっかくやがな、あのガキはもうとてもわしの手ェには負えんねん。すまんけど、堪忍してくれ
おかあはん なにを云うてますねん。男の子が男親の手ェに負えんやなんて、それやったらいったい誰が育てますねん。あれ、あんたのこしらえた子ォやおまへんか。まさか他人さんの子ォやおまへんやろ
おとっつぁん おい...カカ、お前、妙なことぬかしたな。「まさか他人さんの子ォやおまへんやろ」? 他人の口から聞くのやったらまだしも、われの口からそんなこと聞いたら、わしかてちょっと自信失うなぁ。ははぁ、何じゃおかしいおかしいとは思うてたんじゃ。あの子せがれ、わしの云うこと聞かんすぎやと思うとったが、さては、カカ、お前、あれこしらえるとき、誰ぞに手伝わしよったな
おかあはん ようそんなアホなこと、云いなはるな。誰がそんなことしまんねん。しょうもないこと云うてんと、連れていきなはれぇな。いいぇな、あの子ひとり置いて行かれたらかなんさかいに、連れて行きなはれと云うてますのん
おとっつぁん 嫌や、わしは連れて行けへん!
おかあはん 連れて行きなはれ!
  
夫婦が揉めておりますところへ、ちょうど帰ってきよったんが、その問題の子せがれでございます。年の頃は十一、二。
  
寅やん あぁ、ははぁーン、またおとっつぁんとおっかはんと揉めてんな。よう揉める夫婦やで。おとっつぁん、おっかはん、止めとき、止めとき、夫婦喧嘩は犬も食わんちゅうてご近所の方、笑うてはんねんで。第一、わいが近所に対して面目無いがな。おとっつぁん、何やったらナ、わい、しばらく表で遊んで来るさかいに、その間にいっぺん、おかあはんと...仲直りに...へへっ、おねおねと...
おとっつぁん やかまっしゃっ!! 聞いたか、カカァ! いやらしガッキャなぁ...あのガキは、あんなことぬかすやろ、ガキの云うこっちゃあれへんでぇ! そやさかいに、わしはあのガキ、連れて歩くの嫌やちゅうねん
おかあはん そんなこと云わんと連れて行きなはれちゅうのに...寅やん、ちょっとおかあはんのそばへおいなはれ。寅やん、なんであんな生意気なこと云うてやねん。こどもがあんなこと云うのやあれへんし。おとっつぁん、えらい怒ってはるやろ。これから二度とあんなこと云うたらあかんし。あのな、おとっつぁん、これから初天神のお参りで天満の天神さんへ行かはんのん。あんた、連れていってもらい。その代わり、今日はな、いつものようにグズグズ云うたらあかんの。おとなしいに、賢うにしてたら、おとっつぁん、いつでも連れて行てくれはるさかいに、ええか? わかったな。

あんた、ちゃんとこないして云うこと聞く云うてますさかいに、連れて行きなはれ
おとっつぁん あかん、あかん! このガキはうちではフンフンちゅうてうなずいとるけど、外へ出たらじきに正体見せよるんやさかい
おかあはん そんな、化けモンみたいにいいな
おとっつぁん あかんちゅうたら、あかんねん!
寅やん どうしてもあかんか?
おとっつぁん 当たり前じゃ! おとっつぁん、云い出したらテコでも動かん男や! いっぺん連れて行けへんちゅうたら、殺されても連れて行けへん!
寅やん あぁ、そうか。なら連れて行ってくれんでもええわ! そのかわり、わいかて覚悟があるさかい
おとっつぁん なにぃ、覚悟があるぅ? 覚悟て、どんな覚悟があんねん?
寅やん あのな、おとっつぁんがどうしても連れて行ってくれへんねやったら、わい、この間の晩の一件、全部向かいのおっさんにしゃべったるさかい!
おとっつぁん なにをぬかしてけつかんねん! 親を脅してけつかる! 連れて行かなんだら、こないだの晩の一件を向かいのおっさんにしゃべるやて。カカ、聞いたか? ガキのぬかすことか、これが? 親を脅迫してけつかる! オイ、寅、お前な、向かいのおっさんにナニしゃべるつもりか知らんけど、おとっつぁんはな、云うてすまんけど、世間様に知られて恥ずかしいことはこっから先も無いのんじゃ! あぁ、何なとしゃべってこい! おとっつぁん、痛いこともかゆいこともないわい!
寅やん ほな、おとっつぁん...ヘッヘッヘ、ちょっと行てくるわな...おっさん!
向いの親父 なんや、寅ちゃん
寅やん ちょっとおっさんに、折り入って話しがあんねん
向いの親父 あらたまって、何や?
寅やん あのな、うちのおとっつぁんな、今日、初天神やさかい、これから天満の天神さんへお参りに行きよんねん。それでな、おとっつぁん、わいも連れて行てぇな、云うのに連れて行てくれよりへんねん。連れてってくれへんのやったらな、この間の晩のうちの一件、向かいのおっさんに全部話してもかまへんか、云うたらな、うちのおとっつぁんな、痛いこともかゆいこともないさかいに、なんぼでもしゃべったらええが、ちゅうて云いよんねん。そやさかいな、おっさんに話ししにきたようなわけや
向いの親父 ほう...いやいや、寅ちゃん、おまはんの話しはほんに面白いさかいに、おっさん、いつも楽しみにしてんねんけどな...その、「この間の晩の一件」ちゅうのは、いったい何があったんや?
寅やんいや、わい大体が夜、なかなか寝付かれん性分でな、いつも遅うまで起きてんねんけどな、この間の晩に限っておかあはんが「早う寝ぇ、早う寝ぇ」ちゅうて云いよんねん。こらおかしいなぁ、何かあんでぇ、と思うけど、ま、おかあはんに逆らうちゅうのも親不孝やさかいに、眠とうはないねんけど、早うから布団に入ったん。そやけどなかなか寝付かれん。

かれこれ十二時ちょっと前くらいの時分にな、おとっつぁんが帰ってきよったんや。どこぞで一杯呑んできよったんやろなぁ、大きな声出しやがってな、入り口で、

「カカァ、坊主、寝とるかぁ!?」

おかあはん、ビックリしよって、

「まぁ、なんという大きな声出しなはるねん! あんたがあない云うてたさかいに、きょうは宵から寝かしつけてあんの。あんたが大きな声出して、あの子が目ェ覚ましたら何にもなれへんやないのォ。よう寝てると思いますけど、いっぺん様子見て来まっさかい...」

わざわざわいの寝てる枕元へきよってな、わいの寝顔、ジーッと見てるさかい、わい、寝たふりしたってん。ほな、おかあはん、安心しよってな、

「ちょっと、こちの人、ワルサ (ワルサ:悪ガキ、いたずら坊主の意味) 、いつもないくらいよう寝てますわ」

と、こないに云うたら、おとっつぁん、うれしそうにニタァと笑いよって、

「えっ、よう寝とるか、カカァ、こんなことは滅多にあるこっちゃあれへん。今晩は久しぶりに、ゆっくりとしょうなぁ...

と、こないに云いよんねん
向いの親父 ...と、寅やん、こ、この話し、えらいおもしろそうやなぁ。よかったらそんなとこに立ってんと、こっちへあがったらどないや。お茶も羊羹もあるさかいに...で、で、その「久しぶりにゆっくりしょう」ちゅうのは、何をしはるねん?
寅やん さぁ、わいもナニしよんねや分からんさかいに、それてお布団の中で聞いててん。うちのおとっつぁん、外で呑んで帰ったら、うちでも必ず一杯呑みよる。おかあはん、それ心得てるさかいに、

「ちょっと、なにもないねんけど、ひとくち呑んでやったらどないや。きょうはわたいも付き合いさしてもらうさかいに」

「なんや、お前、きょうはわしに付き合うて一杯呑むちゅうのか、そうか、そんなら一杯呑もうか...」

それからとっつぁんとおかあはん、差し向かいでいっぱい呑んどった。ところがな、しばらくしたら、おかあはん、えらい真っ赤いけの顔しよってな、

「ちょっとォ、久しぶりにお酒頂いたら、えらい酔うてしもたわ。今までやったらこんなことなかってんけど、しばらく呑まなんだもんやさかい、すぐに酔うてしもたわ。顔は真っ赤いけになるし、胸がドキドキしてきたわァ」

とこない云うたらな、おとっつぁんが、

「えぇ、どこにィ、どこがドキドキしてよんねんなぁ」

ちゅうてわざわざおかあはんの懐へ手ェ突っ込んで、

「ほんに、えらい胸がドキドキしてよんなぁ、しかし、カカァ、ここらの触わりぐあいは若い時分とちょっとも変わらんなぁ......」

......云うとんねん
向いの親父 ...はぁ、はぁはぁ! と、寅やん、この話し、ほんま面白いわ。羊羹食べや。それで、それから寅やん、どないなってん?
寅やん へぇ、頂きます...おっさん、羊羹はもうちょっと厚う切りや...向こうが透けたぁるがな...え、話し? さぁ、そこだ。わいもどないなるのやしらん、と思うて、ジーッと聞いてたってん。そうこうするうちにな、おとっつぁんもええ具合になったとみえてな、

「カカ、ぼちぼち寝よか」

と、こない云うた。あのな、うちのおとっつぁん、いつもやったらうちのおかあはんに偉そうに云うねんで。「おい、カカ、眠たいさかいに早う布団ひきさらせ」いつでも偉そうに云うくせに、あの晩に限って「ぼちぼち寝よか。カカ、布団ひくのやったら、わいも手伝わしてもらうわ」やて。えぇ、こんなこと、ないこっちゃでぇ。おかあはんと二人で布団ひきよってな、布団がひけたら、

「カカ、早う寝よか」

「なに云うてはりまんねん。ここらあと片付けせな、寝られしまへんわ」

「後片付けみたいなもん、あしたの朝にしたらええやないかい。寝よういうたら、早よ寝ような」

ちゅうてな、おかあはんが嫌がってんのを無理矢理にお布団の中に...
おかあはん ちょっと、あんた、天神さんへ連れて行きなはれ! あの子、こないだの晩のことを全部云うてしまうしぃ!
おとっつぁん 悪いガッキャなぁ! 寝たふりして、全部聞いてけつかったんやな! おい、寅公! 帰って来い! 天神さん、連れて行ったるさかい!
寅やん あ、おっさん、おとっつぁん、天満の天神さんへ連れて行てくれる云うとるさかい、わい帰るわ
向いの親父 お、おい、寅ちゃん、そんな殺生なこと云いな! これから肝心のおもろいとこやないかい。ええっ、寅やん、止めとき、止めときて。子供が天満の天神さんへお参りに行たかておもろいことあるかいな。おっさんな、ちょっと小遣いやるさいに、天神さん止めて、その続き、ゆっくり聞かしてぇな!
おとっつぁん おい、カカ、聞いたか、向かいの親父、アホとちゃうか? 銭やって続きやれ、ちゅうとんで。おい、寅公、銭だけもろうて帰ってこい!
おかあはん ようそんなアホなことを...あんたがそんないらん知恵つけなさるさかい、だんだん、あの子、生意気になるねんわぁ。寅やん、おとっつぁん、連れて行てくれるちゅうてはるさかいに、帰っておいで
寅やん おとっつぁん、ほんまに連れていてくれんねやろな?
おとっつぁん 連れていてくれんねやろな、て、あないなことしゃべられたら、連れていかなしゃぁないやないか。ほんまに、どないもこないもならんガッキャなぁ...おい、カカ、こんな汚いかっこしたガキ、連れて表て歩かれへんで、ちょっとこましな着物に着替えさせたれ。おとっつぁんな、ちょっとその間に雪隠行てくるさかいに
寅やん おとっつぁん、雪隠行くちゅうては羽織り着て...
おとっつぁん アホぬかすな! 雪隠行くために羽織り来たんやあるかい! 天神さんいくために着たんやないかい...みてみい、カカ、お前がしょうもない知恵つけるさかい、こいつまで覚えてこんなことぬかすやないか。ごちゃごちゃ云うてんと、早う支度せい!
  
さて、ふたりの親子連れが天満の天神さんへお参りしようと、天満の十丁目筋へやって参りました。おりしも初天神でございますので、たくさんにお参りの方々が見えております。またこのお参りの人を当て込みました食べ物屋が道の両側にズラリと軒を並べております。
  
おとっつぁん おい、寅、お前、きょうはえらい賢いなぁ、えぇ。こないにいつでも賢うおとなしゅうにについてきたら、おとっつぁん、これからどこに行くのんでも、こないして連れて来たるでぇ
寅やん おとっつぁん、わい、今日、賢いやろ
おとっつぁん あぁ、賢い、賢いでぇ。いつでもこないに賢うしてなあかんぞ
寅やん こないに賢うにしてるもののこってすさかいに、おとっつぁん、ここらでひとつ、何ぞご褒美というようなものを、買うてやってはいかかでしょうなぁ
おとっつぁん ......アホらしなってきた。誉めたら誉めぞこないや。こら、寅ァ、お前、子供が親に向かってなんちゅうモノ云いさらすねん! 「ご褒美というようなものを買うてやってはいかがでしょう」? お前はどこぞのおっさんか!? 相談事するように云いやがって、アホンダラァ! あのな、子供てなもんはな、もっと子供らしいもんやで。欲しいモンがあったら、よその子ォみたいに、「おとっつぁん、あれ買うてぇなぁ」「おとっつぁん、これ買うてぇなぁ」と、可愛らしいに云えんか?
寅やん おとっつぁん、あれ買うてぇなぁ
おとっつぁん ...おまえにそない云われると、余計に憎たらしいなぁ。なんじゃい、何が欲しいねや?
寅やん 向こうに売ったぁる、あのミカン、買うてぇな
おとっつぁん なにぃ、ミカン...寅ァ、あかんあかん、ミカンは毒や
寅やん おとっつぁん、ミカン、毒か?
おとっつぁん あぁ、毒や、毒や
寅やん なんで毒やねん
おとっつぁん なんで、て、お前、ミカンを皮ぐち食うやろ。あの皮がなぁ、腹の中でプーッと膨れて胃に悪いねん。そやさかいに毒や云うてんねや。おとっつぁんはな、お前の身体のことが心配やさかいにそう云うてんねや
寅やん あ、そうか...ほな、ミカンが毒なら、あの干し柿にしょうか
おとっつぁん 干し柿も毒や
寅やん 干し柿はなんで毒や
おとっつぁん あれは腸を冷やすさかい、腸に悪い
寅やん そうか...ほたら、あの上等のリンゴにしようか
おとっつぁん なにぃ、上等の...あかんあかん、リンゴも毒や
寅やん おとっつぁん、ちょっと尋ねるけどな、リンゴが毒か? 値段が毒か?
おとっつぁん 何をぬかしてけつかんねん! 親が毒やちゅうてんねや、毒や云うたら毒や
寅やん ほな、あのバナナ...
おとっつぁん 毒や
寅やん おとっつぁん、ここいらの店、毒ばっかし売っとんねやな。これでよう警察が出店を許可しよった...
おとっつぁん また、そんな生意気なこといいな、ちゅうねん! そやから、おとっつぁん、お前連れてくるの嫌やちゅうねん!
寅やん おとっつぁん、ほな、子供に毒やないものちゅうたら、なんがあんねん?
おとっつぁん まぁ、子供に毒にならんもの、ちゅうたらアメか
寅やん あっ、おとっつぁん、アメやったら買うてくれるか?
おとっつぁん おお、売ってはったら買うてやるで
寅やん 後ろの店で売ってはる
おとっつぁん え? ...さきに見といてこういうことぬかすやろ...このガキは、ほんまに悪いやっちゃで...

オイ、アメ屋!
アメ屋 へい、お越しやす
おとっつぁん こんなところに店出すな!
アメ屋 そんな無茶云いなさんな。わたいのところ定店だんがな
おとっつぁん 定店でも、わしがこのガキ連れてきたら、店休まんかい!
アメ屋 無茶云わんとっておくなはれ。この天満の天神さんの近所で商売してて、初天神の日に休んで、いつ商いしまんねん。きょうは一番の掻きいれ時でんがな
おとっつぁん あのな、こうして子供連れでお参りする親の身になれっちゅうねん。子供というものは見るもん、触わるもん、見境無しに欲しがるねん。店出してもええさかいに、人目につかんように、もっと裏の方で商売さらせ!
アメ屋 ようそんな無茶云いなはるで、そんなところで商売して、商売になりまっかいな...ところで、あんた、いったい何しに来はったんで...
おとっつぁん 何しにて、この子ォがアメ欲しいと云うさかいに、買いに来たんやないかい。おい! アメ屋!
アメ屋 なんです?
おとっつぁん ここにある、この一つ一銭のアメ、これ一つなんぼや?
アメ屋 そんなおかしな聞きようしなさんな、一つ一銭のアメは一つ一銭でんがな
おとっつぁん ふん、分かりきったこと、偉そうぬかすな! それでなにかい、ここにあるのはどれでも一銭か?
アメ屋 えぇ、これ、どれでも一銭でおます
おとっつぁん あぁ、そうか。寅ァ、そんならこのアメ買うたるわ
アメ屋 おおきに、ありがとさんで。数はいくつにしまひょ
おとっつぁん なにをっ!
アメ屋 いえ、いくつ差し上げまひょ...と
おとっつぁん いくつ差し上げまひょて、初めから云うてるやないかい! 「一つ一銭のアメ、一つなんぼや」て、一つに決まってるやないかい! お前、何かい、数が少なかったら不足か、数が少なかったら売らん、とこう云うつもりか!?
アメ屋 いえ、売りまんがな、売りまんがな。あんさん、何を怒ってまんねん?
おとっつぁん あのな、わいはな、数は少ないけど、銭は現金で払うでぇ
アメ屋 当たり前でんがな。わずか一銭のモンを掛け売りにできまっかいな
おとっつぁん こらっ、寅ァ、手ぇ出すな! 手がニチャニチャになってしまうさかい、おとっつぁんが選んだる。おとっつぁんに任しとけ! ...よっしゃ、この赤いのにしとけ...なに、赤いのは歯ァにひっついて食い難い? そうか?(ペロッ)美味いけどなぁ... ほたら、この茶色いのンは? ゴマの匂いがかなん? そうか?(ペチャッ)これが美味いねんで...ほな、黒いのンは? 苦い?(ペロッ)ほんなことないで...ほな、こっちの黄色いの...
アメ屋 ちょ、ちょ、ちょっと、大将、そんな摘まむたびに指舐めなれたら、商売モン売れんようになってしまいますがな!
おとっつぁん なにかしてけつかんねん! 汚いことぬかすな!
アメ屋 いや、あんたが汚いねやがな
おとっつぁん みてみい、お前がさっさと選ばんさかいに、おとっつぁん、アメ屋の親父に舐められてるやないか! ゴチャゴチャぬかすな、この一番大きい黒いアメ、これにしとけ! ほら、一銭じゃ、受取っとけ!

アーンせい。いや、手ェで持ったら手がベトベトになって、着物汚すさかい、口の中にほりこんだるさかいに、口あけ...ほれ、これでええ。ええか、口の中でろれろれ、ろれろれしとけ。噛んだらあかんぞ。噛みやがったら張り倒すぞ。なんでて、当たりまえやないかい、アメてなもん、噛むもんやあるかい。べろの上に乗してジーッと置いといてみい、甘ーいお汁が湧いて出るやないか。これをチュウチュウ吸うてたらええねん、これでうちへ帰るまでそのアメもつやろ
寅やん ...クチャ...ペチャ...ムニャ...か、噛まなんだら...美味いことおまへんなぁ...
おとっつぁん ごちゃごちゃぬかすな!
寅やん おとっつぁん、なにか、きょうは初天神やで、天満の天神さんまで来て、それでなにかいな、一銭のアメひとつかいな...こんなけち臭いことやったら、今年もおとっつぁん、芽ェでぇへんで...
おとっつぁん 黙って歩け! 口開いたらよだれこぼして着物汚して、また後でおかあはんに小言云われてんの、おとっつぁん、横で聞いてて辛いさかいに云うてんねん。黙って歩け
寅やん おとっつぁん、わい、アメ食いながらしゃべってよだれ垂らすような、そんな素人やないでェ...アメ食いながら唄でも唄うで...ぁ、しのの〜めの〜
おとっつぁん そんなおじいみたいな唄うたうな! 生意気なやっちゃ!(ゴチーン)
寅やん うえぇぇぇぇぇぇ〜〜〜〜っ、 うぇぇぇぇぇぇ〜〜〜〜〜〜っ
おとっつぁん コラッ、この悪ガキのくせしゃぁがって! ドタマどついたくらいで大きな声上げて泣きやがって、アホンダラ! ワルサやったらな、おとっつぁんに頭どつかれたくらいで泣くな!
寅やん フン、わい、おとっつぁんに頭どつかれたからいうて泣いてんのとちゃうわい!
おとっつぁん ほんならなんで泣いてけつかんねん?
寅やん おとっつぁんが頭ゴチンと叩いた拍子にアメ落としてしもたわい! うぇぇぇ
おとっつぁん えぇっ、アメ落とした? ほんまに、どんくさい...どこで災難にあうや分からんなぁ...よっしゃ、おとっつぁん、アメ洗うてやるさかいに、どこに落とした? ...落としたて、どこにも落ちてないやないか?
寅やん 落としたわい! ノドの穴の中に
おとっつぁん 食うてしもたんやないか! ...こういうガキや。そやからおとっつぁん、お前連れて来るの嫌や、ちゅうねん
寅やん おとっつぁん、アメ、買うてぇな...
おとっつぁん 今、ひとつ買うたったとこやないか!
寅やん おとっつぁんが頭どつくさかいに、こないなことになってしもうたんやないか! アメ、買うてぇな!
おとっつぁん あかん! あかん、あかん! もうきょうはなにも買えへん!
寅やん ......ほな、おとっつぁん、きょうはもう何も無理云えしまへん
おとっつぁん おう、そうしてくれ
寅やん もう無理云えしまへん...
おとっつぁん おう、お前がな、いつもそうしてええ子にしてたら、おとっつぁん、いつでも連れて歩いてやるがな
寅やん おとっつぁん、もうわいなぁ、なにも無理云えへんさかいな、ひとつだけわいの無理を聞いてもらうわけには参りまへんじゃろか
おとっつぁん ...ほら来た。お前、いま「無理云えへん」ちゅうたとことちゃうのんかい? いったいなにが欲しいちゅうねん!
寅やん おとっつぁん、わい、まだ生まれてからいっぺんも凧上げてなこと、したことがないやろ。そこのお店にぎょうさん凧ォ売ってるやろ。あの凧、買うてぇな
おとっつぁん えぇ? 凧ォ? あかん、あかん! 凧てな高いモン買えるかいな!
寅やん 凧買うて!
おとっつぁん あかん!
凧屋 ぼん...これ、ぼんぼん...凧が欲しいんかいな。で、おとっつあんが凧、買うてくれん? そうか、可哀相に...よっしゃ、おっちゃんが凧買うてもらえる知恵、教えてあげよ。向こうに水溜まりがあるやろ。あそこへ行って、ベチャッと寝転んで、「凧、買うてぇな!」ちゅうてバチャバチャと...
おとっつぁん コラァッ、凧屋! お前、なにをしょうもないこと教えてんねん! コラァッ、寅ァッ、お前もしにいかんでもええ、分かった、買うたる!

おい、凧屋!
凧屋 ヘヘッ、いらっしゃいまし!
おとっつぁん いらっしゃいやあるかい! その一番小さいやっこ凧、ひとつもらうで...えぇ、こっちの大きいのがええ? そんなん買えるかい、そらこの店の看板や。あかん、あかん
凧屋 いや、大将、それ、売り物でんがな
おとっつぁん 黙ってぇ! あぁ、分かった! ほんなら、その中くらいのこっちので我慢せぇ! なんぼや? なにぃ!? 五円! ...なんでこんな凧が五円もすんねん。初天神やからちゅうて掛け値してけつかるやろ。ナニィ、糸? 糸はおまけで付けとけ!
寅やん 糸がァ長ァいほうがァァ...
おとっつぁん 長い糸つけろ!
凧屋 ぼん、うなりはどないしまひょ
おとっつぁん おいおい、余計なこと云わいでええねん! ...わ、分かった分かった、このガキ、ほんまに水溜まりに飛び込むがな...うなり、付けとけ! なんぼや? 九円五十銭? ...銭、ここ置くで...おうっ、凧屋!
凧屋 へ、まいど
おとっつぁん まいどやあるかい! こんどわいがガキ連れて通るときに店出してけつかったら覚えとれよ...
寅やん おとっつぁん、凧屋の旦那さんびびらしてどないすんねん。ほな、凧屋さん、はばかりさんで...
おとっつぁん ...このガキ、どこまでクソ生意気なこと...どないすんねん...あと五十銭もあれへん...こんなもん、賽銭にもならんで...
寅やん おとっつぁん、えらい無理申しましてすんまへんでした
おとっつぁん 何をぬかしてけつかるねん! 買わしといてからべんちゃらぬかすな!
寅やん おとっつぁん、無理ついでにもうひとつ無理聞いてもらうわけには参りまへんじゃろか
おとっつぁん ...なんや? ...こんどは何が欲しいねん?
寅やん いや、ちゃうがな。わい、何か買うてくれなんて云うのやあらへんで。せっかくこないして凧買うてもろうても、うち帰ってこの凧上げる場所が無いやろ。ちょうど向こうに広場があって、よその子ォがぎょうさん凧上げしてるやろ。うちへ帰るまえに、あそこで凧上げがしたいねん
おとっつぁん あぁ、なんじゃぃ、そんな無理やったら聞いたるがな。あぁ、なるほど...ぎょうさん上げとるなぁ。よし、ほな、向こうで凧上げよ
寅やん ほな、わい、ここで凧上げしてるさかいに、おとっつぁんはその間に天神さんに参ってきたらどないや?
おとっつぁん お前、偉そうに、凧上げするて云うけど、あげたことあるんかい? 無いやろ。初めてのもんがそう簡単に上げられるほど、凧上げは甘いもんやないで。よっしゃ、おとっつぁんが始めに上げといたろ。それで上へ上がったらな、後はもう誰がやったかて凧は勝手に上がりよる。そやさかい、おとっつぁんが先やったるさかいに、寅ァ、お前、その凧持ってな、向こうの方へ行け
寅やん おとっつぁん、ほんまに後でやらしてくれんねんな?
おとっつぁん 当たりまえやないかい、お前に買うてやった凧やないか。そやから、その凧持って向こうへ行け
寅やん おとっつぁん、ここらでええか?
おとっつぁん アホやな、そんな近くではあけへんがな。もっと向こうへ行かんかい
寅やん おとっつぁん、ここらでどないや?
おとっつぁん もうちょっと向こうへ行けちゅうねん!
寅やん こんなもんか
男-壱 痛いわ! このアホンダラァッ! 凧上げに夢中になりくさって、人の足踏んでるの、気がつかんのか、ドアホッ!
おとっつぁん えらいすんまへん、うちの子せがれでんねん。足踏みよりましたか。いえ、えらいすんまへんでした、相手は子供のこってすさかいに、堪忍したっておくなはれ。おい、寅、ナニ泣いてけつかんねん、何も恐いことあれへん。おとっつぁんが付いてるさかいに、心配せんでもええ
寅やん 大丈夫か、おとっつぁん、ここらでええのんか
おとっつぁん そやそや、そこらで...あっと、こらあかん、そこ、上に電線があるやろ、凧の糸が引っかかってしもうたらどもならん。もうちょっと右へ寄れ...右へ...お前、右と左も分からんのかいな! 右や、こっちや...
男-弐 痛いッ! こらぁ、ええ年した大人が、凧上げに夢中になりやがって! 気ィつけさらせ!
寅やん あっ、おっちゃん、それうちのおとっつぁんでんねん。えらいすんまへん、相手は大人のことですさかいに堪忍してやっとくなはれ。おとっつぁん、何も恐いことあらへん。心配すな、わいがついてる
おとっつぁん なにをぬかしてけつかる、同じように云いやがって...みてみい。おとっつぁん、笑われてしもうたやないかい!

あぁ、そこでええ、そこでええ。ええか、おとっつぁんが「よっしゃ」ちゅうたら手ェ放すねんぞ。ええな....よっしゃ! 放せ! ホォラ、ホラホラホラホラァーッ、上がった、上がったぁぁぁぁっ、よっしゃぁ! えぇ、見てみい! おとっつぁんはなぁ、子供の時分は凧上げ名人と云われたもんや。えぇ、そこらの人には負けへんでぇ。どうや、見てみい、うまいこと上がるやろ。始めはな、こないして騙すようにして、こういうふうにして、ほれ、見てみ、な、騙しながらこうして...ほら、なんぼでも上がるやろ...
寅やん ほんまや、おとっつぁん、うまいこと上げるなぁ。人間一つくらい取り柄があるもんやなぁ
おとっつぁん なにぬかしてけつかんねん! ホーラホラホラホラホラァッ。ハハハッ、糸が長うてよかったなぁ!
寅やん おとっつぁん、こんだけあがったらもう大丈夫や、わいにもさしてぇなぁ
おとっつぁん こら、じゃましたらあかん、手ェ出しな! ちょっと待てぇ、今が一番ええとこやないかい!
寅やん おとっつぁん、わいにもさしてぇな! わいの凧やで! わいに遊ばしてぇな!
おとっつぁん やかましいっちゅうねん! 凧上げなんちゅうもんは子供のするもんやない!!
寅やん ああ...こんなんやったら、おとっつぁんなんか連れて来るんやなかった...
  
  
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 今回は上方の笑福亭松鶴スタイルです。東京の咄家では柳家小三治さんのが大好きです。ただ、東京の言葉でやると子供の憎たらしさが不十分で、どうしても可愛らしくなってしまうので今回はえげつなさ100%の上方のくそガキに登場してもらいました。今回の「えげつない」子供がイヤだ、という方には小三治さんの方が好ましいでしょう。

 この小三治師匠という人、わたしが子供の頃から真打で活躍されていますが、三十年以上前の録音を聞いても「まだこなれていない、若い真打」という感じがまったく無く、わたし、この人は凄い咄家だと思います。ある演芸評論家が「小三治は歌舞伎で云えば松本幸四郎だ」と書いてましたが、まったくそのとおりだと思いますね...

 同じ笑福亭でも仁鶴さんの演じ方だと子供もずいぶんと可愛らしくなります。東京の与太郎と、こういった子供の咄は演者によってかなり印象が違いますね。


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