私はこんな人
昭和33年11月11日、高松市生まれ、一卵性双生児です。
私が15分ほど早く生まれ、兄となっています。どちらが兄かは諸説あるらしいのですが、
私の場合はこうなりました。

職業:医師(血管外科、循環器科)

仕事の中心は下肢静脈瘤の日帰り治療と循環器疾患の診療です。診療ご希望の方はこちらへ

24歳ごろから走り始め、ベストの体重は56kgでした。医師になってからもなんとか細切れながら走っていたのですが、開業前後の5年間ほど、走ることを全く忘れてしまいました。仕事のストレスだけでなく、習慣が途絶えてビールを飲み続けた結果、写真上のようにぶくぶくに太ってしまいました。マラニックにでても全く周囲についていけず、
多くのアムラーさんにご迷惑をおかけしました。元ランナーから脱するため、
2003年4月から再び走るようになりました。その結果が下の写真です。約3年あまりでこの変わり様!体脂肪を落としたい方、秘訣をお教えしますよ!
写真をクリックすると拡大されます。
走り始めたきっかけ大学生時代、講義室の後ろの窓から遠くのグラウンドを同級生が走っているのが見えました。彼は講義が始まるときにはすでに走っていて、途中でも走っていて、90分終わってもまだ走っていました。こいつはばけものか!と思ったものでした。そのころ瀬古選手が福岡国際でイカンガーを最後にぶっちぎって優勝した姿をテレビで見ました。なぜか私の中で「俺もこうなるんだ!」と思ったのでした。
それが走り始めたきっかけです。
競技歴まったくなしの典型的な市民ランナーです。
初めの頃大学は出雲にある島根医科大学でした。日本海側ですから冬の朝にはグラウンドに雪が積もっていることがときどきありました。早朝走ろうと決めておんぼろジャージを着たもののランニングシューズがありません。ふと下宿の玄関を見ると誰のものかわからない運動靴が置いてありました。長く使ってないように見えたので、黙った拝借して走りに行きました。グラウンド一周が死ぬほどきつかったのを覚えています。しかし、バージンスノーに自分の足跡がくっきり残ったことに感動したのでした。最初の日は一周しかできませんでしたが、次の日はなんとか二周しました。さらに次の日は三周、そして毎日一周ずつのばしていって、1ヶ月で10km走れるようになりました。ほ〜、俺でも走れるんだ、と1ヶ月後の自分に感心したのでした。黙って借りた靴は底が剥がれてぼろぼろになっていました
最初のレース1988年広島平和国際マラソン10km。50分ぐらい。30kmの部が瀬古選手の復帰第一戦となった。たくましい走りを目の当たりにして感激!
最初のフルマラソン1988年ホノルルマラソン 5時間48分56秒
最初のウルトラマラソン1994年第1回四万十川100kmマラソン 71kmの関門でアウト
ハーフマラソンベストタイム1時間29分56秒 三田国際ハーフマラソン
フルマラソンベストタイム3時間26分44秒 1992年愛媛マラソン
100kmマラソンベストタイム12時間16分36秒 1995年四万十川100kmマラソン