親が理解するまでのこと

@(コミュニケーションブックとの出会い)

今でこそ一日中ブックをつけているノブですが、親の目から何度ウロコが落ちたことやら・・・。

まず、そのあたりのことを。

学校では、ブックを導入したときに、まずブックを使うということを理解させるために、ブックを使わないと話ができないという状況を作っていました。そのときは、両親はそんなことが本当に必要なのだろうか・・・。今、曲がりなりにもしゃべっているのに、言葉がなくなるのではないか、こだわりが強くなるのではないか、と、いろいろと不安でした。

でも、担任の先生の「回り道のように見えますが、ゆくゆくは彼をラクにしてあげられると思います。」という言葉を信じて、お任せすることにしました。

それから、彼はしばらく混乱していたようです。家に帰ってくると、ブックの入ったウエストポーチを投げ捨てるように床の上に叩きつけていましたから・・・。
両親は、彼が学校でブックを使う「ストレス」をためてきているんだから、家では今までどおり、自由にさせておいていいんじゃない。って具合にブックのことを思っていました。
つまり、ブックを使っての指導は、彼にとっては苦痛であるという認識でした。
家では単語に毛が生えたような会話でも、ある程度不自由を感じていなかったので、ま、いいかって気持ちでした。
(まだまだ、この頃は両親とも目にウロコがいっぱい詰まっていたわけで)

ブックに対しての最初のウロコが落ちたのは、夏休みに行なわれた自閉症協会のサマーキャンプに参加したときでした。
(1997年8月のことです。)
この時のキャンプは完全親子分離の形で行なわれました。一泊二日で、我が家は初めての参加でした。ノブの担当のボランティアの学生さんはとても熱心でステキなお姉さんでした。夏休みに入った頃から、買い物など外に出かけるときにはウエストポーチをつけていくようになっていたノブは、キャンプにももちろんブック持参で行きました。学生さんはノブにメモによる見通しをつけたり、時にブックを使ったりしてくれ、おかげでとても落ち着いた楽しいキャンプを終えることができました。
ブックを持っていることは彼にとって「ストレス」ではなく「安心」なのかな?と、両親は感じ始めました。

その頃から、ノブは確実に落ち着きを見せはじめ、パニックも目に見えて減ってきました。
A(ノブにとってのブックの意味)

その頃、担任の先生との話し合いの中で、ノブにとって学校と家とが同じやり方の方がラクなのではないかというのがありました。

学校ではすでにブックを通して友達や先生たちと話をするようになっていました。ブックで相手の顔と名前を確認して、それから伝えたいことを話せるようになってきたそうです。

それでも、両親は家でブックを使うのは「注意をする時」くらいでした。もちろん、まだ家ではウエストポーチは所定の場所に置いてあって、両親が注意をする時にそれを持っていって使う、という感じ。その時点では、使用方法を間違っていたわけです。
これでは、ノブにとってブックは不快なものになってしまいます。だって、謝るためのものになっていたのだから。
だから、「お母さん、コーヒーを入れてください。」とか、「犬を家の中に入れてください。」といったように、すでに言えていることでも、ブックを使うことによって要求が通った、という「快」の感覚を与えることも必要だなと感じ始めていました。

次に目からウロコが落ちたのは、9月(1997年)に先生や仲間たちと行ったバーベキューパーティでした。

その日、朝から準備にバタバタしていてノブにウエストポーチを持たせるのをすっかり忘れていました。でも、ま、いいやという気持ちで出かけました。
参加メンバーは多く、おまけに初めての顔もあり、そしてその日のスケジュールを話していなかったので、ノブはそこでパニックを起こしてしまいました。あっと思って、母は急いで家までブックを取りに戻りました。30分ほどして広場に戻ってみると、まだノブは不安定。ウエストポーチをつけると、あら不思議。ウソのように落ち着きました。そして、落ち着いたノブに改めて今日のスケジュールを教えて、あとは楽しく過ごすことができました。

私たちはそのとき、ノブにとってのブックが、ちょうどすぐに乗り物酔いをする母が安心のために持っている酔い止めのクスリのように、実際に使わなくても持っていることで安心できるものになっていることを確信しました。
彼はこだわりの少ない子なので、これはブックを手放せない「こだわり」とはまた違ったものでした。

その後、11月に行なわれたATACでの研修会に参加することで、母はおくればせながらブックの意義を少しずつ理解しつつありました。
B(ブックの理解と効力)

ノブがブックを使うことの意義を、先にきちんと理解したのは先生とよく話をしていた母ではなく、母から間接的に聞いていた父でした。

家庭における構造化の様々なアイデアを生み出しているのも父のほうです。
そして、ノブが高等部一年から三年になる間に、一番変化したのも、父でした。

1997年12月に両親揃って学校に行くことがあり、その時に担任の先生と父がブックを使った指導について、直に話し合える機会を得ることができました。
それで、父の最後のウロコが落ちたようです。

そしてノブのブックはその日を境にバージョンアップしました。
それまでは紙製の名刺入れ(A6版くらいの、名刺が1ページに3枚ずつ入るもの)だったのが、おしゃれなバックスキンのバイブルサイズのシステム手帳になりました。手触りもよく、薄手なのでジャマにもならず、何より差し替えが簡単なのがグッドでした。
中身も、デジカメを使ったみんなの写真入りとなり、それまでの絵カード(PCSの中の人物カード)による人の識別よりもより確実になりました。
シンボルも、いろいろと組み合わせて、先生の工夫が見えます。

高等部1年生の時の冬休みをきっかけに、家でもウエストポーチをつけておく?と尋ねると、本人が自主的に着けるようになりました。
たとえば、「ボク、電気をつけてください。」という今までの言い方をしたときに、「ン?」と首をかしげると、自分でブックを取り出して「ボクが電気をつけます。」と言いなおしをします。ブックのシンボルが彼の言葉の手がかりになっているようです。
家では実際にブックを使うことは今でもまれですが、私たちに上手く意思が伝わらない時にブックを引っ張り出しています。

ノブがブックをもっと自由自在に使えるようになったとき、相手が誰であろうと自分の伝えたいことをブックを手がかりとして伝えられるようになるといいなと、親の期待はつのります。
そして、これから親がしなければならないのは、ブックを使ってコミュニケーションを取ろうとするノブを理解して、受け入れてくれる環境を整えることだと思っています。

先は長いです。
C(三年経って思うこと)

この「親が理解するまでのこと」は、ノブがコミュニケーションブックを使い始めて一年経った頃に他のところで書いたものを載せました。
それから現在では二年経っているわけです。

でも、両親の「コミュニケーションブック」に対する理解は同じです。ノブにとってもっともっと自然なものになってきているのは嬉しいことです。
その上、この三年の間にQHWも加わり、ノブが見通しを持って、そして自分の意思を伝える手段を持って、より快適に、より楽しく暮らしている様子を見るにつけ、三年前のブックとの出会い、またそれを指導してくださったS先生への感謝の気持ちでいっぱいです。

これからノブは実社会に出て行き、いろんな壁にぶつかると思います。
どんなことにも柔軟に対応できるアイデアを、ノブの側にたって考えられる両親でありたいと、思います。