我が家の歴史

★誕生から判定まで

ノブは昭和56年10月28日、元気に誕生しました。お産も信じられないほどの安産で、その後も本当に順調に育っていきました。

その頃住んでいた町では、月に一度保健婦さんの健診があり、ノブはいつも優等生でした。首の座りも寝返りも、お座りも歩き出すのも、すべて、運動面での発育は標準より少し早いくらいでした。
1歳の誕生日を無事に迎え、言葉も少しずつ出はじめ、何の心配もなく、毎日を過ごしていました。ところが、1歳半健診のときに、初めて「指差し」をしない、ということでひっかかったのです。「指差し」なんてたいしたこととは思っていなかったので、あまり気にはしませんでしたが、少し、心の中に不安の陰がさしました。

それからしばらくして、何気なく見たテレビのドキュメントの「自閉症」の男の子のしていることが、ノブとよく似ていることに不安を感じた母親は、さっそく電話相談でそのことを訴えました。「手から離れても、呼んだら振り返って戻ってくるのなら、お母さん、その子は自閉症じゃありませんよ。心配ないです。」それが電話に出た医師の答えでした。
今から思うと、とんでもないアドバイスだったとおもっています。それからノブは変化していきました。しっかり合っていた目線は、気がつくと合わなくなっています。表情豊かだった顔は、能面のようです。そして、理由のわからないパニックも起きるようになり、両親は困惑しました。

母親の身内に危篤者が出て、看病のために、ノブを一週間父親の実家に預け、再びノブを迎えに行ったとき、ノブは両親の前を素通りしていったのです。まるで、母親がそのあたりにある観葉植物か、壁か、はたまた空気のように・・・。見もせず、素通りしたのです。
その時、両親はノブの異常を確信しました。

「自閉傾向がありますね。」それが児童相談所での判定結果でした。ノブが2歳3ヶ月のときです。
それと前後するように、転勤族の我が家は遠く離れた土地へと引っ越しました。2年間と期限のある転勤でしたが、その間にノブは自閉症の特徴を思う存分発揮し、我が家は大変な困惑の毎日を過ごすこととなったのです。冷蔵庫の角に頭をぶつける。畳の上で足をスリスリして、血だらけにして泣き叫ぶ。場所へのこだわりが出始める。わけのわからないパニックで大暴れする。

まるで宇宙人がいるようでした。

★保育園から転校(小学5年)まで

2年の期限が過ぎ、我が家が再び以前の町に戻った頃、ノブはだいぶ落ち着きを取り戻していました。
2年間、念願だった「母子密着」は充分にでき、いよいよ集団生活の始まりです。
ノブは4歳になっていました。

ノブが「自閉症」であることを隠すつもりのなかった両親は、保育園の手続きの折、ノブの障害のことを話しました。その上で受け入れてもらえるかどうかを任せたのです。
保育園側は検討して下さり、ノブに加配(専属)の先生が一人つく、という好条件で受け入れてくれることになりました。おまけに、保育園の次に続く幼稚園は、小学校のプレスクールの形でしたので、保育園入園の時の相談内容がそのまま町の方で検討され、幼稚園でもノブには加配の先生が付き、小学校は障害児学級が新設されました。

地域のノブを地域の学校で受け入れようという、町の前向きな姿勢がとてもうれしかったです。

そして、つくづく「オープンに暮らす」ことの大切さを感じました。小学校では保育園からの友人が大勢いて、ノブを特別扱いすることもなく、自然な学校生活が続いていました。
上級生にも可愛がられ、先生にも恵まれ、統合教育の良いところを存分に味わい、吸収していたと思います。

そして、ノブが小学5年生になる春、転勤族の我が家は再び引っ越すことになります。
今度は12年ぶりの故郷の県でした。

★養護学校小学部〜中学部まで

故郷に帰ったとき、ノブの学校について、両親の心は決まっていました。
小学校高学年から、知らない学校の障害児学級へ入れる気はまったくありませんでした。中学校になったら、将来の自立を考えて、養護学校を選択するつもりだったので、迷わず、養護学校小学部への編入を希望しました。

両親は、すぐにその選択は間違っていなかったと知りました。
勉強面での遅れは覚悟していましたが、生活面での伸びは想像以上でした。小学4年生まで、どうやっても治らなかった頑固な偏食が、わずか一学期でほとんど治りました。そして、ノブの表情がどんどん豊かになっていきました。
統合教育の良いところと、専門教育の良いところの両方を、ノブは経験できたのだと思います。

中学部になって、作業が始まりました。社会参加への自立の一歩が始まりました。
思春期を迎えたノブは、身体もグングン大きくなって、力も強くなって、問題行動も目立つようになってきました。
パニックの叫び声も、ずいぶん「おっさん声」になってしまいました。

★養護学校高等部時代

高等部一年のとき、ノブは担任の先生から「コミュニケーションブック」を使った指導を受けることになりました。

けっこう画期的な手法だったので、まだまだ「言葉の神話」にとらわれていた両親は、ブックを使うことで、曲がりなりにも出ている要求言語までが消えてしまうんではないかと不安になりました。
でも、先生の「
ノブを楽にしてあげたい」という言葉にかけてみようと、協力することにしました。
そして、少しでも理解しようと、いろいろな勉強も始めました。

自主通学などとても出来ないと思っていたノブが、JRに乗って帰ってこれるようになったのは、それから数ヶ月後のことでした。今でも時折、いろいろな問題を起こしたり、心配したりすることを繰り返しながらですが、なんとかJR通学は続いています。
問題行動も次から次へと起こってくる毎日ですが、コミュニケーションブックで気持ちや伝えたいことを、頭の中で映像化することで整理する方法を身につけつつあるノブは、とてもおしゃべりになりました。(おしゃべりといっても、まだまだ完全に会話が成り立つほどではありませんが、自分の心に浮かんだことを次々に伝えようとしています)

そんな風に、コミュニケーションには相手があるということに気づいたノブ。
社会に出て行くための基礎がしっかりとできた気がします。

そして、高等部の卒業式を無事に終えて、いよいよノブは、社会人になります。
学校生活の間に、いろいろな先生や友人と知り合って、ノブはふたまわり、いやそれ以上成長した気がします。

★社会人一年生(もちの木作業所)

ノブは、社会に出ました。そして、もちの木作業所へ福祉就労しました。
私たちが願うのは、彼が彼らしく、楽しく有意義な人生を歩んでくれることです。
指示待ちだった、おとなしい少年は、自己主張の強い、元気いっぱいの青年になりました。
作業もするけど、ボウリングやカラオケ、のぶ工房にプールに卓球・・・。

何年か先、彼が自立してひとり立ちしていけるように、少しずつ、少しずつ、そしてまだまだ、彼の成長を見続けていきたいと思います。

ノブのおかげで、楽しい毎日を過ごしている両親です。



我が家の「マラソン」大好き青年、ノブです。