子どもの考える力を育てる学習づくり
−野田弘先生の教育理念と実践に学ぶ−


1 はじめに
 『授業の研究 ―子どもの思考を育てるために―』の考察を通して,堀川小学校の実践が昭和30年代初期から教育の機軸を子どもの側に移し,子どもの思考に視点を置いた学習研究が行われていたことにまずもって深い感銘の念を抱かされた。私が昭和59年に教職に就いてから今日まで,学校行事の精選,学校のスリム化などと謳いながらもますます煩雑化する教育現場においては,堀川小学校や奈良女子大学文学部附属小学校に見られる「はじめに子どもありき」の教育理念は建前となり,実を伴わないような教育課程の編成やカリキュラムのシステム化ばかりが先行していった感がある。そして今,『生きる力』の育成を合い言葉に新しい世紀に向けての教育改革が進められているが,そこでも移行期間中の教育課程の編成に追われ,形式的なカリキュラムの作成に多くの時間を費やしているのが現状である。確かにこうしたカリキュラムは計画カリキュラムとして必要ではあろうが,その作成の陰で教師と子どもたちとのかかわりが軽んじられているということはなかろうか。
 今回,堀川小学校の実践に学びながら,常に私に意識の中にあったのが香川の,いや日本の教育においても多大な功績を残した野田弘先生の教育理念と言葉を大切にした実践である。本稿においては,野田弘先生の教育理念に学びながら子どもの考える力を育てる学習についての考察を行う。

2 野田弘先生について
 後述の通り,その経歴だけを見ても先生の偉大さを知ることは容易であるが,倉澤栄吉先生はその遺稿集に「読み進むにつれて,野田弘の息吹がただよってくる。やさしい表現の裏に,野田弘の思想がある。それは,教育哲学と言ってもよい。」と寄せている。すなわち野田先生は,思想家であり哲学者でもあり,そして生涯を通じての実践家でもあったのである。
 この野田先生から私が直接ご指導をいただくことはなかったが,教育実習時の講話に始まり市内各校での研究発表会における講演等を通してその理念や実践について学ぶ機会に恵まれ,その時々に先生の言葉に考えさせられことが多かった。しかし,野田先生亡き今,遺稿集を通して得たものは当時得たものよりも大きく感じられた。それは,きっと先生の言葉にふれる私自身の背景が大きく変わってきたからであろう。

3 野田弘先生の教育理念
3-1 教育の人間化
 野田先生は教育の人間化の必要性を説く中で,「一人の人間が頭の中で考える人間との触れ合いがあって初めて,私たちは潤いのある生活をすることができる。」と語っている。つまり,教育とは一人の人間が黙って人間を発見することであり,物に人間をかぶせ,その物の背後に歴史を思うことである。物を全て人間として生きている人格をもったものとして扱うということ,すなわち,人格に触れ合い,人格をもった人との触れ合いが,私たち生活を豊かにするというふうに考えるべきである。人間と人間のふれあいのある教育,人間と人間の間にうちとけた会話のある教育が今必要なのである。

3-2 集団から孤独へ,集団から一人へ
 集団に依存し社会集団の規律を個人の思考なくして強制するという封建的な教育が今もなお教育現場の中で行われていることは否めない。今,必要なのは,自分というものをみつめる機会を教育の中にもつことである。開放された人間関係をつくることも大切であるが,自己を見つめる力を育てることがさらに大切なのである。一人の人間が集団に埋没せず,一人でそこに人間を発見するということ,それが集団からの離脱,つまり個に確立につながるのである。
 野田先生は「孤独」ということについて次のように話している。「孤独とは黙案すること,つまり黙って考えることである。」これは,孤独になることで自分自身に沈黙の状態をつくり,その沈黙の時間において人間は何かを考えるのである。その何かとは,これからの行動を生み出すための何かである。したがって,沈黙は静止ではなく動きであり,積極さなのである。そのためには,自分を見つめ直す時間をもつこと,つまり自己否定の教育が必要であると野田先生は主張する。特に,肯定的否定の思想と助言,「そこまではよいが,ちょっと気になることは」と立ち止まらせること,自分を見つめさせることが必要だということである。したがって,一人の時間,私の時間というものを学校の中で,授業の中で持たせたいのである。また,それとともに,友達の発言を生かして自分が発言してみるという連帯,そのような時間が子どもたちに必要のなのである。

3-3 考える力を育てる
 考える力を育てるためにはどうすればよいか。例えば,子どもがけんかをした場合,子どもは自然と仲直りするためにはどうしたらよいか,また同じけんかをしないためにはどういう方法があるのかと考えるだろう。つまり,これが生活の知恵とも言える子どもの考える力なのである。では,この子どもの考える力を学習の中でも発揮させるためにはどうすればよいのか。そのためには,「こうしなさい」「ああしなさい」と命令せず,「どうしたらよいか。どうしたら一番いいかなあ。」と子どもに考えさせることである。道路を横断する子どもに「危ないと叱るより手をひこう」と大人が手をさしのべるのでは考える力はつかないのである。それどころか,そうして育った子どもは責任転嫁の考え方を身に付けてしまうのである。こう考えてみると,子どもにとってのけんかは必要なものである。けんかをしない素直でおとなしい子どもよりも,けんかをする子どもの方が自分以外に人がいることを知るのである。けんかを通して子どもは自分の思い通りにならないということを学び,そこから友達といることの喜びを感じるのである。
 しかし,こうして考える力を育てるためには考えるためのゆとりが必要であることは容易に考えられる。このゆとりの中には,自分自身が考えるための時間だけを意味するのではなく,いろいろな考えを包み込む寛容性をも意味するのである。結果を急がす,善か悪かと対立を急がず,人や物の気持ちを考えたゆとりのある教育が必要なのである。

3-4 新しいモラルを発見する教師
 多くの教師は,到達目標を重視し,それによって子どもを縛っている。到達目標からの子どもの見方は,社会からの強制であって個人の存在は希薄である。個人が個人としての生き方を見つけるためには,教える教育ではなく,強制のない発見の教育が必要なのである。安易に教材を提供し,安易な理解のさせ方するような教育はだめだということである。そのためには,教師自身が権威や命令ではなく知識や説得を基礎とする生活を築いていかなければならない。また,教師は集団の管理者ではなく,一人一人の管理者,一人一人の教師でなくてはならない。さらに,教師の中に集団があってはならないのである。これは,教師自身が集団に甘えてはならないということを言っているのである。
 では,そのための具体的な方法とは何かというと,それは,「子どもの言うことに耳を傾ける。」ということである。子どもの言うことに耳を傾け,子どもの必要を満たしてやること,そして,全ての物に人間をかぶせることが,人格化の道を歩むことにつながるのである。こうした考えのもと野田先生は次のことを教師に望んでいる。
●いろんな考えがあることを認め合うこと。
●何が言いたいかを想像してみること。
●個人の判断が独断でないかを考えてみること。
●教える態度の硬さをとること。
●全人格で子どもと接すること。
 さらに,「今後,教育に携わる者は,非凡人,異端児,アウトサイダーといわれる個性ある人間を育成する気風をつくりだしたい。」とも語っている。

4 学習づくりへのアプローチ
4-1 教師の助言
 「発問はやめよう。」「発問研究よりも助言の研究が正道である。」と野田先生は私たちに呼びかけていた。発問は子どもの思考停止をさせる一番大きな弊害をもち,次に何をしたらよいかを考えさせず,教師の指示を待たなければ何もできない子どもをつくるのである。
 教師は,発問に対して正答が得られない時,「ほかに」ということばでそれまでの子どもの考えを捨て去り,正答を求めるあわただしさだけを教室に漂わすのである。では,子ども一人一人を大切にし,しかも一人一人の考えを高めることのできる教師の助言とはいったいどうあるべきなのだろうか。ここでは,野田先生自身が自らの実践の中で語ってきた子どもへの助言または言葉についてまとめる。

4-1-1 子どもの名前を大切にする
 一人一人を育てるとか個性を伸ばすとかいうのであれば,子どもから学ぶために「○○さん」と呼びかける。「みなさん」ということばを使うことなく,一人一人の名前を呼んでその一人一人の子どもから学びとることを心がけよう。

4-1-2 使いたくない言葉
●「〜しなければならない」
「〜しなければならない」は,おごりの心の表す言葉である。それがよいとか悪と言うのは権威者としての教師であり,子どもの言動によって教師も「助かった」,「よかった」と言える慎ましさが大切である。
「もっともっと」
 子どもが話しているのに,「もっともっと」と子どもに要求してはならない。現代の私たちには「もっともっと」と欲張る気持ちが強いが,「もっと分からせてやろう」という横柄な考え方を捨てて,その子どもがたどりついたそこから教師自身が何かを学びとっていこうとする,そういう謙虚さが教師としての第一歩である。「もっと」いう代わりに「よくここまで考えてくれた。」と教師が満足するべきである。また,この点で,別の子どもが「付け加えます」という言い方は,その子どもの発言を見下した言い方でもある。子どもが力いっぱい考えたことをみんなで賞賛すべきである。
●「なぜ」「どうして」「分かりましたか」
 「なぜ」「どうして」という言葉は,子どもが使う言葉である。子どもが「なぜ」「どうして」と問うことで,子どもが何を問題にしているのか分かるのである。「分かりましたか。」と言うのは,教師が何かを教えようとする意図があるから発せられる言葉であり,「何が今,問題なのか。」ということを教師と子どもが考えるべきである。そうすることで,「何を次にすべきか」「ここまで勉強してきたのなら次に何をすべきか」と考えることにつながるということである。
「分かりましたか」
 「分かったか,分かったか」という前に「何が問題なのか」,「何が分からないのか」と考えなければならない。「分かりましたか」は過去を志向しており,「何が問題なのか」「何を今からやるべきか」は未来を志向している。私たちは未来に向かって子どもと共に歩むことを大切にしたい。
「他に」「まだ」「それから」
 子どもが一生懸命考えたのだから,その子どもによりもっといい答えを求めないことである。「ほかに」「まだ」「それから」は,教師が正しい答えを待っている証拠である。

4-2 学習の高め方
一門五答主義
 まずは,一つの問いに対して五人の子どもが答えを出せるようにする。次に,その一つの問いは子どもが出せるようにする。五人の子どもが答えを出せるようになれば,さらに五通りの答えが出せるようにする。一問について五通りの答えが出せるようになってきたら,その回数とその指導の場についての考察を行う。
●「なぜ」という言葉
 「なぜ」は子どもの発言権である。教師が使い過ぎにより,子どもの本質的な思考を停止していることについては先述した通りである。子どもが「なぜ」という言葉を何回言ったかで学習を評価することができる。この言葉が多いほど学習が主体的になっていると考えることができる。
●失敗すること
 失敗したということは新しいことをやっている証拠である。現在を見つめ,将来を展望した指導は,自分自身の既成概念にあえてそむかない限り不可能である。失敗したらまた新しいことをやる。そう意味で失敗は常に前向きであることを表している。

5 おわりに
 こうして野田先生の教育理念に学ぶ中で,改めて奈良女子大学文学部附属小学校や堀川小学校の研究や実践に通じるものが多いことに驚かされた。子どもの側に機軸を移した教育は,香川においても野田先生によってこうして主張されていたのである。この野田先生が思いを傾けた学校が坂出市立中央小学校なのである。昭和50年代初期から平成に至る四半世紀の間,坂出市立中央小学校は野田先生の指導を受けながら,現在の生活科や総合的な学習の礎となる総合学習「くらし」や「話す」活動を重視した実践を展開していたのである。当時,その実践は教育界においては大きな功績を残すことになったが,社会に受け入れられることは容易ではなかったのである。さらに年月の経過と教職員の異動に伴い,当時のことを知る教師も少なくなり,今では野田先生の思い語ることのできる者もほとんどと言っていいほどいなくなってしまった。特色ある学校づくりが求められている今,坂出市立中央小学校は,野田先生の教育理念に学び,先輩たちが築いてきた今なお新しい伝統の再度を実現していく研究実践の方向に向かうべきではなかろうか。
 野田先生は,自らの教育哲学を語るだけでなく,その考えに基づき国語科を中心としてその生涯を通して子どもたちとの学びをつくってきた人でもある。本稿においては野田先生の教育理念を中心に子どもの考える力を高める教育について論じてきたが,今後はさらにその実践についても著書等を通して考察していきたい。

★野田弘先生の略歴
1919年   香川県三豊郡豊中町にて出生
1939 3月 香川県師範学校本科二部卒業後三豊郡辻小学校訓導
1941 9月 香川女子師範学校訓導
1943 4月 香川師範学校訓導
1945 2月 香川県国語教育研究会結成
19514月  香川大学学芸学部附属坂出小学校教諭
196010月 文部省より沖縄派遣教育指導員を命じられ,国語指導の実地指導 沖縄国語研究会設立,常任講師となる1962 4月 香川大学学芸学部附属坂出小学校教頭
1965 9月 綾歌郡飯山町立飯山北小学校校長
1969 4月 坂出市立林田小学校校長
1970 4月 香川県教育委員会義務教育課指導係長他兼務。以後主任指導主事・課長補佐・事務局主幹等歴任
197311月 博報児童教育振興会賞受賞
1975 4月 坂出市立中央小学校校長
1977 4月 香川県国語教育研究会長就任
197811月 文部大臣賞受賞
1979 4月 坂出市教育委員会学校教育課長
198310月 坂出市教育委員会教育長(平成199112月)
1997 1月 永眠

【参考文献】
野田豊子『さざんか 野田弘遺稿集』青葉印刷株式会社 1999