北前船を主題にした本公演にはうってつけの小雨模様の天気、ロビ−の一角に金刀比羅宮
の木札をお祭りして公演の無事をお祈りして開演いたしました。おかげさまで無事故で
終演する事が出来、満員のお客さまをお迎えすることも出来ました。ありがとう御座いました。
2001年度の香川 県 芸術祭
「民謡民舞でつづる 讃岐ア−ト新世紀」−北前船のロマン−ご案内
開催日時 2001年10月28日(日) 13:30開演 16:30終演
場 所 高松市 香川県県民ホ−ル グランドホ−ル
お問合せ 民謡民舞でつづる讃岐ア−ト新世紀 実行委員会
実行委員長 島田雅行 台本・舞台監督 谷口尚令
総合舞台アドバイス 村田 大(東京)
香川県では初の県下各団体挙げての民謡民舞合同の公演です。民謡民舞のほか吟詠・日舞・韓国打楽器・津軽三味線等々多彩です。
日本民謡の二大伝播者「水主とゴゼ」。死と隣り合わせの毎日ながら「夢」を追いつづけた水主と「仕方無しの人生」を送ったゴゼ達。どちらも悲しくもすさまじい人生をおくった人達。彼らが伝えてくれた「民謡」、それはどんなものだったのでしょう?
江戸から明治にかけて、「一本柱に一枚帆」の木造和船が日本近海にあふれていました。水主達は大坂と蝦夷の間を往復しながら、各港で生活物資を売買致しました。唄われた「民謡」は水主達の生活に、安らぎとリズムを生み出す清涼剤であったといえましょう。日本各地の港々の賑わい振りは、「江差の五月は江戸にも無い」と云われたほど目を見張るもののようだったとか。近くでは多度津港・下津井港・鞆の浦港等々。
「板子一枚下は地獄」と表現されたように、海は木造船にとって手ごわい相手でした。遭難事故も多発して死者が出ることは珍しいことではありませんでした。
私達香川県下の民謡民舞愛好者は、この公演で水主達の「夢」を追ってみることにしました。日本各地より、民謡民舞のプロの特別参加を得て、元気いっぱいの舞台を創ります。従来の舞台と一味違った県芸術祭ならではの舞台を目指します。
私達の合言葉、それは「挑戦」です。
皆様、ご期待の上是非ご来場ください。そして私達と一緒に大いに楽しんでください。私達にあなたのパワ−を下さい。お待ちいたしております。
県下出演団体
民 謡 香川県民謡連合会参加団体
日本民謡高砂会 日本民謡久未会 日本民謡淑子会 讃岐民謡保存会 讃岐民謡友の会
坂出民謡同好会 四国民謡研究会
民 舞
たちばな会 民踊友の会 正扇友の会
ひまわり子供会
津軽三味線 讃洲三絃会 民謡渡辺会
現代舞踊 土曜族 香大ダンスクラブ
日 舞
藤間流 藤間幹弥会
吟 詠
臥風流
洋 楽 栗田敬子とアカデミ−アンサンブル
特別ゲスト出演
津軽民謡 成田武士 今 重造(2代目)内山みゆき
津軽三味線 木下伸市 五錦竜二 工藤 武
尺 八 工藤竹道
太 鼓 成田恵美子
民 舞 神 昭子 南部まみ 南部みえ 南部ひろよ
江差追分 細川澄美枝
ゴゼ唄 萱森直子
佐渡おけさ 山中節 高橋キヨ子
隠岐民謡 国村千鳥他
出雲民謡 出雲正之助他
牛深ハイヤ節 須賀道子
阿波おどり 四宮生重郎他
友情出演 韓国太鼓 動天
当時流行の五大民謡
@ 九州(ハイヤ節)A 山陰(出雲節)B 越後(松阪・追分・広大寺口説)
北前船の航海
一年に一航海、大坂〜蝦夷間往復の沖乗り買積み船でした。今風に云えば動く海の
@ 船出 (大阪 木津川河口)淀川支流の一つ 3月末〜4月上旬
船頭や水主(知工・表・若衆・炊)達は北国人が大半で、敦賀から琵琶湖を経由大坂へ徒歩で集結、船出準備して春出港しました。
帆柱立て 民謡「柱起しの木遣り」「帆柱起し音頭」
船荷積込
民謡「どっさり節」隠岐の島座敷唄。
瀬戸内舟唄 「伊吹島舟唄」「瀬戸追分」
運んだ文化 (民謡 俳句 浄瑠璃 祭礼 芝居等)
「板子一枚下は地獄」、遭難時の恐怖を克服する只一つの手段は神仏を信じ祈る事だった。
そこから金刀比羅信仰や住吉信仰が生まれた。又法然や親鸞の説いた「南無阿弥陀仏」を唱えることですべての人が極楽浄土へいける
という 教えは彼達の心のよりどころであった。当時の農村の人々が商業交易に従事したことは、明治以降の日本の近代化がスム−ズに
運べた礎ともなった。
A 角島まいり 山口県 響灘 5月初旬
瀬戸内海から荒海の日本海へ抜けるところに角島が有る。ここで、新人の炊(炊事役)を雇った北前船は、日本海での安全を祈ってオカムイマイリ(角島まいり)の儀式をしたという。
裸の飯炊き役の炊(かしき)に緋縮緬の褌をしめさせ、腰には注連縄を巻いて船のふちを
B 能登 佐渡 東北 5月中旬〜下旬
橋立「親方前」
下りの北前船が故郷である加賀の橋立にさしかかると、「親方前」といって沖に船を停泊させ、船頭は親方へ無事航海の挨拶のため、伝馬船に乗り移り「ホラホンサノサ− イヤホンサノサ-」と掛け声勇ましく櫓を焦がせて上陸した。
勿論家族には土産としてとろろこんぶ・番傘・ぞうり等を準備し、
よってくる子供達には塩水で焚いた一石の米飯でにぎりを振舞ったとか。
福浦 能登「腰巻地蔵」
福浦は風待ちの良港で、日本最古の日和山灯台のある港。
港を見下ろす高台には「腰巻地蔵」と呼ばれるお地蔵さんある。そのいわれは、昔船乗りと仲良くなった遊女は、別れがつらくて、何とか海が荒れることを願って、ひそかに裏山に登り、地蔵さんに自分の腰巻をにかぶせたところ、本当に悪天候となり船出できなくなったことがあったそうな。何時しかこの地蔵を「腰巻地蔵」と読んで遊女のけなげな心に同情の念を示したとのこと。
隠岐民謡 「隠岐追分」「しげさ節」
出
出雲民謡 「浜田節」「さんこ節」「安来節」
越後東北民謡「佐渡おけさ」「秋田船方節」「謙良節」「津軽あいや節」
「津軽じょんがら節」「津軽おはら節」「津軽よされ節」
D 松前(蝦夷) 6月下旬入港、8月下旬出港
「江差の五月は江戸にもない」といわれたのは、鰊が大量に捕れたよい時代のこと。
一面真っ白になったそうな。
内地から出稼ぎのヤン衆達がどっと漁へ繰り出し、浜では女達(オロロン)が鰊の加工に忙しく働く。
三味線抱えたごぜさんや座頭は悪天候の休息日を狙って得意ののどを聞かせる。
来訪者であった。
蝦夷三品 鮭・鰊・昆布
蝦夷三品の長期保存と荷造りに、塩とわら製品は大量に必要とされた。
瀬戸内各地の塩は蝦夷地へ大量に輸送された。
干鰯は貴重な肥料で、瀬戸内各地での綿・藍の生産に必要であった。
民謡「追分馬子唄」「越後追分」「江差追分」 「ソ−ラン節」
E 下津井(岡山県) 多度津・丸亀(讃岐) 風待ち 荷積み 9月〜10月
下津井港は東西南北交通の要の港で、1694年に港の整備がされ急速に栄えた村である。
北前船は荷物の積み下ろし・風待ち・水の補給のため寄港した。
港の商人は60余名、倉庫倉が立ち並び祇園神社の足下には遊郭金波楼もありたいそうな
金毘羅信仰
金毘羅山の広大な林の中に、宮司さえちかづかぬ神窟があり、そこから吹きだす神風が航海を守る守護神と信じられている。又象頭山の山頂には竜神が祭ってあり、龍は水と雨をつかさどる神獣でであるので航海の守護神と考えられている。
金刀比羅信仰をひろめたのは塩飽水軍で、昔の船頭達にとって、象頭山は航海のよい目印で有った。新造船の安全祈願、海難からすくわ
れた船乗り達により深い信仰を集めた。
民謡「 「下津井節」「金毘羅船々」「音戸の船唄」「阿波踊り」「三原ヤッサ」
「金毘羅道中馬子唄」「浜曳き唄」「塩田小唄」
「リキヤ節」 関の五本松の元唄。香川県の民謡。讃岐岡田の溜池普請唄
「 「関の五本松」 昔は「ショコバのお井戸」といわれ、元唄は「リキヤ節」
F 山中温泉 1月〜2月
無事に蝦夷からの積荷を大阪に持ち帰り、商いも終わると船乗り達は、船囲いをして
新年を迎え、航海の疲れを癒すため、家族や仲間達と温泉に出かけて半月程逗留する。
温泉で船頭たちが好んでうたったのが「ハイヤ節」「出雲節」「どっさり節」「江差追分」等で
母体と成った民謡である。
温泉芸者のことをここでは「シシ」と呼び、こんな歌詞もある。
加賀の中山 おそろし所よ 夜の夜中にシシが出る