ようこそ 「あれこれ」のペ−ジです。


      香川県の市民が育てる情報HP ◆ギュ−とKAGAWA(瀬戸内海放送の企画) 是非見てね。

@ 最近出会った、素敵な言葉

    @ ささえあってこそ人、認めあってこそ人間( 判っちゃいるど、実行は難しいです )

@ 万歳、「 NHk 邦楽技能者育成会」

     昭和の代、邦楽に新しい流れを注いだ「邦楽四人の会」「尺八三本会」「日本音楽集団」「創明合奏団」

     「沢井合奏団」「正邦楽苑」等々、彼らのおかげで邦楽は伝統を守るだけでなく、新分野への展開が

     可能となったことは皆様ご存知のことです。流派を超え専門演奏家を育て、卒業生を中心にこれら

     の会は結成され、目覚しい活躍で若者の心をも捕らえました。五線譜という共通楽譜が特色で、

     杵屋正邦さんは自分の夢を、生徒を育てることで果たそうとし、成果が実ったとのことです。

     すばらしいですね。正邦さん。 一定 吟ゆう 流露 みんな魅力的な曲です。 感謝。

@ 近現代の邦楽創作者  杵屋正邦 さんに感謝

    杵屋佐吉(三絃主奏樂) 宮城道雄(新日本音楽) 中能島欣一(新邦楽) 杵屋正邦(現代邦楽)

     何か紛らわしくてよく判りませんでしたが、このほどある本に出会いました。 現代邦楽< > という言葉、たくさん

      の会が使用していますよね。 この言葉は新日本音楽と新邦楽が合体した内容のジャンルだと説明してあります。

      すべてではなく、ある部分は現代音楽と言われているとか。 

               明治維新後の洋楽偏重音楽教育政策で近世邦楽は変革の糸口がつかめず、主として伝統を守ることに終始して

      いた中、邦楽改革を段行した先達がこの四人であったとのこと。

      宮城の「春の海」はルネ・シュメーのバイオリンとの合奏で、宮城の新しい邦楽作品が世界に通用することを証明した

      画期的出来事であった。「秋の調べ」は邦楽の江戸脱却の第一歩となる明確な証の曲であった。宮城は海外演奏を通じ

      て、流派閉鎖性・家元制度などで、邦楽界が民衆と無縁になることの危機を感じ、作曲と演奏活動に精力を傾けた。

      中能島は「三つの断章」で芸術祭賞を得た。

      最近、杵屋正邦さんの曲ばかり特集した「尺八のおさらい会」がありました。杵屋さんは1354曲の作曲をされ

      洋楽、邦楽,和洋樂、劇音楽、テレビドラマ音楽等幅広い作曲家。この人が存在しなければ、宮城道雄同様現在の邦樂界

      は考えられないと書いてあります。尺八曲も独奏曲のいいものが、難しいいけれどありますよね。

     もともと、杵屋ですから長唄系のそれも作曲を得意とした派の方で、もし正邦さんが、五代目杵屋正次郎となっていたな

      ら、伝統を守る立場となるので、今日鑑賞できる杵屋の曲は生まれなかった。と記してあります。邦楽愛好者として感謝

      しています。                        「杵屋正邦における邦楽の解体と再構築」

     

@ 「チュウナ−調弦」の問題点? 純正率と平均率

    琴の調弦に、調弦結果を目で確認できる「チュウナ−」が流行ですね。

      筝曲には大雑把ですが、古曲と新曲(現代曲)の二種類があります。

      現在の傾向として、すべての曲を、平均率であるチュウナ−で調弦して何の疑問も抱かない方が増えているように

      思います。この点は問題ないでしょうか? 平均率音楽のかもしだす雰囲気が落ち着かない曲がある様に思えます。

      一部の先生方は古曲の場合は、半音を少し低めにとるよう指示なさっているとの事。

      今後学校で古典曲の調弦方法を指導するとき、この問題はっきりと確認しておく必要はないのでしょうか?

   

@  昔、全国的に流行った民謡はなんだ? 民謡の源流を知りたい!

  船が重要な輸送手段として活躍してた頃、農業と漁業が二大産業であったころ、といえば明治の前半頃まででしょうか?            

   池つくりや、道つくりを人々が力を合わせて手作業でした頃、作業唄・祝い唄等々の民謡が盛んに唄われました。    

   民謡は船乗りやゴゼさんあるいはお伊勢参りの人々により、全国津々浦々に届けられ、親しまれ、変化を遂げて

          新しい民謡が生まれ育ちました。その元唄的存在の流行民謡は「松坂」「こだいじん」「ハイヤ節」「伊勢音頭」

       「馬方節」等であったようです。

 

   現在は民謡のほとんどが三味線・尺八・太鼓等の伴奏で唄われていますが、その当時は無伴奏でうたいあげる素朴な

         ものが多かった。昭和初期、民謡を唄える人々が高齢化してこの世から消えていくことに危機感を抱いた民謡愛好家が

         全国をまわって音の録音と取材に奔走され「日本民謡大観」なる本にまとめた。大いに賞賛すべき快挙であったと思う。

   その収録のテ−プを最近入手することが出来、何とか舞台に役立てたいものと思案中です。解説書の中に民謡は本来

       「自由奔放」であるべきで、正調とか保存会活動が民謡の主役になることを危惧している点、心すべきものと感じました。

  

@ NHK出版物の「ふるさとの唄」の中に竹内 勉先生がかかれています。

  民謡研究家の第一人者竹内先生が、若い頃の民謡採取の経験談として述べておられます。

   毎月、8日は薬師さま、18日は観音さま、21日はお大師さん、24日は地蔵さん、28日は不動さんが縁日だそうで

   その日に神社仏閣へ行けば、お年寄りが集まっているので民謡の採取に好都合だったとか。

   それも自転車で東京を走り回って採取しているうちにわかってきたとの事。何事も足で稼ぎなさいということでしょうか?

 

@ 中国地方は昔、製鉄(たたら)生産の日本一の地域だった。

  砂鉄は中国山地を形成している花崗岩の表面が風化して砂になるとき、砂に混じって川に流れ出したとの事。

   それを集めて、木炭で焼いて鉄を作った、その量は日本全生産量の90%であったとか。これまたすごいですね。

   有名な民謡「安来節」はこの砂鉄採取から生まれたとの事です。  

 

@ 「六段の調べ」八橋検校の作では無かった?

俗筝の創始者といわれている八橋検校、「六段の調べ」「八段の調べ」「乱輪舌」等は八橋作曲と聞いていました。どうもそれが間違いで、実際は高弟の北島検校が、当時琉球より伝来した六段を平調子に直したとの事。この見解は田辺尚雄先生のもの。昭和23年11月号の「日本音楽」に記事があります。

八橋は「組曲をまとめた事」と、筑紫筝曲より4と6を変えて「平調子」をつくった。この2点に功績が有るとの事。今後もう少し色々な本を調べてみたいと思っています。

 

 

@ 三曲合奏(琴・三弦・尺八)の生みの親?  生田検校・八重崎検校。

江戸時代、多数の三弦曲に琴の手付をして、合奏を楽しめるようにした人、八重崎検校。いわゆる「京物」といわれる名曲の数々。 「末の契」「茶音頭」「夕顔」「八重衣」等々。尺八が参加して現在の三曲合奏の形になったのは明治になってからのこととか。

 

@ 八橋検校以来、筝曲の独立を志した名人二人  

歴史とは面白いものです。誰かが新しいことをすればまた誰か元の精神に戻そうとする人が出てくる。それを繰り返しながら段々に発展していくものなんでしょうか。  光崎検校「秋風の曲」、吉澤検校 「千鳥の曲」他、古今組。 二人とも三味線との合奏楽器としての筝の存在に満足せず、純粋な筝曲を作曲した人です。八橋時代に精神的には戻そうとしたといえるのでしょうね。でも悲しいことにそのような改革者は阻害されて、大作をなした後、社会的に評価された人生を送れなかったようです。現在はどうでしょうか?

@ 一度、訪ねてみたい三味線寺「大信寺」

東京は芝の、魚藍坂三田松坂町に大信寺があり、石村近江の墓石があるとか。琉球から伝来した蛇皮線を改良して現在の三味線の原型を作った人でしたか? 三味線といえば現在でも石村姓のお店多いですよね。

@ 日本最古の弦楽器の発見は?

昭和24年、静岡県の登呂遺跡で和琴の前身である琴の一種が発見された。このことで琴の歴史はおおよそ2000年を越える古き時代より我が国で弾かれていた事が実証された。

@ 「黒髪」の替え歌

「酒のみの酔いつぶれたる面白さ、酔うて寝た夜はひじ枕、酔わずねた夜は箱枕、私しゃお酒が好きじゃと言うて、好きな上戸の心としらで、しゃんと立ったるかんちろり、夕べの酒が今朝さめて、湯くれ水くれ塩茶くれ、毒とも知らず積もる大酒」

@ 失敗の巻  尺八やはり難しい  あがって あがって

 観音寺のある神社で「春の海」を合奏する機会に恵まれ、自分なりに頑張ってその日を迎えました。

 出だし「ハロ−ツ−ロリチレチ−」に特に気をつけてやわらかく出て盛り上げていくべく何度も練習

 して望みましたが、結果はさんざんで強弱が思うようにならず、部分的に音色も冴えないところが多々

 あり独奏の難しさを痛感しています。

 でも、今後何年吹けるかわかりませんが、プロの演奏をいいお手本にして、機会を積極的に作って

 挑戦するつもりです。

@ 「長唄」小山ナミ先生 95歳 坂出市 残念にもなくなられました。 

  なんとすごい先生でした。95歳迄一人暮らしを続けられながら長唄を教えられました。

  9歳より習い始めた長唄が、頭の中には何十曲も詰まっていて、弾きだすと自然に出てくるそうな。

  現在長唄は衰退して、県内の舞台で聴く機会もほとんどなくなりました。「難しく長い」という事で現代人に習う人が

  少なくなりこのままでは文楽のように国が伝承者を育てることになるのではと危惧いたしております。

  海釣りがお好きで、魚をご馳走になったこともあります。坂出は明暗尺八の芳村宗心師を失い、又ナミ先生を無くして少しさびしく

   なりました。その分、松浦坂出市長が頑張って三味線にかかわってくださっています。