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No.51 〜

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No.51 junamaさん、ありがとうございました。

僕自身、小学校のときにイジメを経験しました。

イジメのないユートピアを目指すとの事ですが、今大切なのは理想や、原因や、プロセスではなく、「学校という舞台を降りる事もできる」という可能性を作る事ではないでしょうか。「学校にいかなくなってしまったら親も、友だちもみんなが僕を見捨てる。」みたいに思うから傷だらけになっても学校に行ってしまう。

逃げる事ができれば、そこでまた新たな人間関係も生まれます。

問題は一つの選択しか選べない事からくるプレッシャーではないでしょうか?

No.52 ななみさん、ありがとうございました。

いじめの原因が社会全体にあると思っているように、一番悪い生徒を特定できない。特定することができれば、問題を絞り込み解決へ向け進むような気持ちになるが、そのことは逆に、この問題の真相を隠してしまうように思う。子供たちの反応は社会の縮図に過ぎない。社会の歪みは一番従順で、感受性の高い次元に現象として出現する。

No.53 匿名希望さん、ありがとうございました。

私自身もまた、いじめられっ子です。幼稚園から中学校までずっとでした。
毎日の様に皆に悪戯を受け罵倒されリンチに遭い、家の中にすら話し相手も無く、花を見ても奇麗とも思えず、笑い方すら良く解らない様な状況でした。先生は気付いていても何もしてくれませんでした。そして私の家族は、私の顔や身体に痣を作っていた事は愚か、数度ある自殺未遂にも気付いていません。小3位まででしたか、苛められている事を家族に話していましたが、内面的な話題は面倒なのか、何時も交され、或いは無視され、最後まで話を聞いてくれた事はありませんでした。そして私は話すのを諦めました。
私は、中学卒業までの辛抱と、頑張って勉強して、誰もいかないような少し遠くのレベルの高い高校へ一人で下宿して通うようになる(私の生まれた町には高校がないので遠くに行くしかない)までは、只、耐えようと、それだけを考えて生きていました。
高校に入ってからは、私は、必死になってまず「笑う」事から、始めました。心から話せる友達が出来る所までは行けませんでしたが、それでも当時私は、自分が「笑っている」事に気付いて、家で一人、嬉しくて泣いていた事もありました。桜を見て、素直に奇麗だと感じている自分に気付いて、それが嬉しくて泣き出した事もありました。
今私は、未だに人との交流が上手く出来ないでいます。悩みを打ち明ける相手もいません。一度打ち明けた友人がいますが、「私には負担が大きい」と言われ、以来、その人とは連絡もなく、しても拒まれる状態が続いています。それ以来私は、今ここに書いている以外自分の事を誰にも話せずにいます。あの心身の状態がそうだというなら、不眠症、過食症、どもり、対人恐怖症、胃潰瘍、十二指腸炎等何時もどれかに悩まされています。私自身「普通」になりたいと頑張っていても、なかなか改善できずに今にいたっています。

私自身、かなり偏屈な考え方でもって、これを書いているのだとは思っています。変な奴、勝手な奴と、見て取る人もいるでしょう。それも全部含めて、私の事は、苛められっ子の、その後の一例と思ってください。
私が言える事はただ一つ。
今いじめに遭っている子供たちの、その子の話を聞いて上げてください。
何も出来ないなら、せめて話を聞いて上げてください。
一人の味方もなく、口を開く相手すらいない事はとても辛いです。

最後に、簡単に書いて終わるつもりだったのに、随分長くなってしまって、すみませんでした。

No.54 しらゆりさん、ありがとうございました。

いじめの原因は唯物論にあると思います。人間は魂を持って輪廻転生を繰り返し,天国も地獄もあるという事実を,おとぎ話のように思っている人が多く,日本に於いては宗教教育も禁じられているが,それは世界の非常識であることを知って欲しい。(死後の世界の存在や輪廻は学問的にも証明されている事実である。)
また,憑依霊の問題もある。波長同通の法則により,憎しみの心などのマイナスの思いを抱いた人には,憎しみなどを抱いた人が憑依することになる。(これも催眠療法などで証明されているらしい)
だからこそ,正しい心の教育の必要があるのだということを,大人ももっと知らねばならないと思うのです。目に見えないものは見えるものよりも大切なのです。見えないからと言って否定できません。

No.55 うすうすさん、ありがとうございました。

いろいろいると思うけど,本人と、その子をいじめてる人。だけど、本人がいちばんだめだと思う。そして、それを、支えられない家族。先生なんて、悪いどころか、関係ないに近い。だから、テレビとかで校長が出てくるのは、筋違いだよ。いじめるこも、人の幸せを望めないなんて、きっと寂しいんだし。
私の弟もいじめられてたけど、お母さんが、泣いていやがる弟を引きずって学校に行った。人から見たら、よけい悪化しそうだけど、ちゃんと、お母さんは、弟の話を聞いてあげてて。ただ聞いてあげてただけだけど、弟はそれで、がんばれたと思う。
つまり、ぜんぶの、おかーさん!!もっと子供を愛して上げて下さい。それは、いつか優しい心を生んで,いじめなんていつかなくなるんじゃないかな。なんて、100年計画だね。だけど、私は父も母も大好きだから二人が知って悲しむようなことはしたくないんだな。いじめは寂しいっていう、子供のSOSなんだよ。だから、よその子供を避難したり、自分の子供をしかる前に、もっと自分の子供を見てあげてほしいな。そう、思います。と、いつも母と話しています。

No.56 大石尚志さん、2度目のご意見ありがとうございました。

いじめの原因という言葉について!・・・・4ヶ月ぶりに来て私の考えが変わっています。
いじめの原因というのは誰が考えなければいけないか。それは苛められている本人です。当たり前に聞こえると思いますが、この当たり前のことが忘れられていませんか?
いじめは無くならないという考えからですが「なぜ苛めるのか?」という問題はそんなに重要なことではないと私は考えます。いじめをうけた子どもの未来が大事ですよね。だから「いじめの原因」=「何故苛められたのか」ということを本人が認知しなければなんの解決にもならないし逃げたり周りが同情したり忘れようとしてしまったら、これからの人生で強くはなれても、「苛められる自分」は変わらない!と断言します。
今の教育社会では、わからない生徒に(勉強等)分かり方は教えるけど、何故わからなのかは教えられないと思います。わからない原因を教えてもらわずに解き方を教わる。だから何時しか分からない人間が目の前に現れるとすぐ自分の答え(回答)を教える人間になる。逆に悩んでいる人間の気持ちを忘れてしまっているので「なぜそんなことで悩んでいるんだ」という言葉で相手の気持ちを一蹴してしまう者さえいる。馬鹿にする。無視さえする。苛めが始まる。
結論..いじめはなくならない。でもなぜ苛められるのか一緒に考えてあげる。答えはすぐに出ないでしょう。だけどその子は苛められている人の心を理解できる人になる。一緒に考えられる人になる。その人のおかげで将来、気持ちが助かる子どもがいる。その子どもがまた..。
理想論ですが今の私の意見です。感想お待ちしてます。

No.57 中村 哲さん、ご意見ありがとうございました。

いまイジメている、あるいは、イジメられている子供たちと言うのは、大人になってどういう人生を歩んで行くと思いますか?
人間どうしのつながりが希薄になりつつある現在、楽観的な材料は今のところ何一つないように思われます。
ハッキリ自分の意見を主張できる能力は必要です。NoならNoと言える力。だけど、ハッキリと主張したことで妬まれイジメられるということもあるようです。出る杭は打たれる、という諺がありますね。「出る」ことは時にはいいことだってあるのに、一度「打たれ」てしまうと、打たれるのを恐れて出ないでとどまってしまう人が、たくさんいるのではないでしょうか?
このページを、今どのくらいの人々が見ているのか知りませんが、人に見られる場所へどんどん出て行った方がいいと思います。私も現在ホームページを準備中です。

No.58 大石尚志さん、3度目のご意見ありがとうございました。

いじめのない世界=差別・偏見のない世界
いじめは差別と偏見が原因と考える。小学校ではこの二つの言葉を何年生で教えるのか?
漢字だけではなく意味もちゃんと理解させているのか?その二つをしてはいけない事と教えているのか?これが学校の責任だ!!苛めに気付かない事や事件後の処理の仕方が責任と思ってはいけない!ほんと、いつからこの二つの言葉を教えてるの?

No.59 堕とされた者さん、ご意見ありがとうございました。

人間は唯一(自我)という非常にくだらない物を持たされた存在である。
こんなものがある為に他人という物の存在を常に意識しておかなければならない。
そして、他人から自分の存在を守るべく、自分の存在をより強大な物にすべく、このような下劣な行為をとるのである。つまり人間の本能に基づいたごく自然な行動である。したがって誰か一人を責めるわけにはいかない。我々の存在自体が(罪)であるのだ。我々のような愚かな存在はこの地上から永遠に抹殺されなければならないのだ。そうしなければ(人間)という毒でこの地上が永遠に汚染されてしまうからだ。
多くの人がこの啓示を読み自己の愚かさに目覚め(我々が取るべき行動)を見いだし且つその行動を実行した時我々は真の安らぎを得られるのである。

No.60 匿名希望さん、ご意見ありがとうございました。

「いじめ」という言葉の定義そのものがたいへん曖昧になってきているということも大きな問題の一つであると思います。辛い思いをしている生徒や保護者の方々は、生活している環境もその人生もさまざまです。そのすべての事例を「いじめ」という言葉で括ってしまうのではなく、教員のほうは真剣にかつ親身になって現状を改善していく努力が必要ではないでしょうか。

No.61 下村香織さん、ご意見ありがとうございました。

こんにちわ!
私は学校のレポートのためにあなたのHPを検索し、読ませていただいた、20才、短大2年生です。
私は幼児教育科なので、学校でいじめに関しても勉強する機会が多いのですが、先日、いじめについてのディスカッションもあり、その時思ったことをおりまぜて、ご意見したいのです。

私は学校で教育について勉強するうちに、「教育とは社会と、密接に結びついているものだ。」「教育は社会の変動とともに変わっていく」という、当たり前のことを、知らずにいたことを知りました。なにが正しいか、という道徳観念は定義するのが難しく、また、時代の動向によっても大きく変わっていくものです。そのなかで、例えば、歴史的事実をそのままにおしえていくか、または、どこまでを道徳の許せる範囲内でそうしていくかについても意見のわかれるところです。教育は陶冶と訓育から成り立たなければならないものです。その陶冶と訓育は、教科活動と教科外活動・生活指導の両方の側面になければならない、と言うのが教育の理想ですよね。訓育は、実際の学校では校則やホームルーム、生徒会やクラブぐらいで、実際の陶冶の面では、例えば歴史にしてもただ歴史的事実を教えていくことはできますが、道徳の定義があやふやな今、訓育の面をうちだしていくことは難しくなっているんじゃないでしょうか。そのようにして、たとえば教科書検定にしても、学習指導要領なども時代に左右されるものだと思います。
いじめはそうした現在の「道徳」があやふやな教室からはいとも簡単に発生する気がします。そして、いじめはひとことで「いじめ」といっても多種多様なパターンが存在し、「いじめ」というディスカッションをたとえいくらおこなったって、ひとまとめに解決する方法なんか絶対でてくるわけがないと思います。
今までどれだけ、いわれてきたでしょうか?
親がもっと子どもと話す機会をもてばいい、学校がもっと子どもに注意すべきだ…
でもそんなことをいってる内はまだまだ解決するわけない。
いじめは突き詰めれば社会の矛盾から派生するものだと思うんです。
「道徳」がどんどん複雑化していくのは、社会の複雑化に伴っているんだと思うのです。
子どもがいらいらする、ただなんとなくいじめたい、そういう気持ちはたとえば家庭の不和から来ているのかもしれないし、将来の進学の不安からきているのかもしれない。ただまわりにものがあふれすぎて、面白いことがみつけられないでいるのかもしれない。そういった問題のひとつひとつをつきつめれば現在の深刻な社会問題にむずびついていきます。金融不安・女性の立場の不利・受験戦争など、ひとつひとつの社会のシステムの矛盾が重なり合って大きな波紋となって子どもの社会に浸透していっていると思います。社会問題がいつまでたっても解決できないように、いじめも私は、絶対になくなるものではないと、断言できると思います。
ひとつの望みとして今の政府にかかっていると思うのですが、動きのおそいのは確実です。だから、いじめをなくそうとか、どうしたらなくなるか、という議論をするよりはどうしたらいじめに対処できるかがまず先決だと思うのです。
それに、さきほど述べたようにいじめには多種多様なパターンと、根の深い原因がどこかにあるのです。
不登校の子を登校させたからと言って、問題はなにも解決していないのと同じです。

ひとりひとりに相談相手がいること、だれか他に仲間がいること。
私はこれが全てだと思います。
励ましだけでは通用しないのです。だから、一対一の関係が不可欠です。
その子の身近な存在になってくれる人が何よりも不可欠で、それ以外の簡単なはげましなどかえってその子をあせらせるばかりです。
虐められる子が自殺するのは、アイデンティティーの喪失に他なりません。
誰かに必要とされている、という存在価値が欲しいのです。
人間だれでも、自分が阻害されれば、自分なんて、いなきゃいいんだと思ってしまうでしょう。
しかも子どもは「学校」「家庭」というふたつの世界が全てです。
私たち大学生にもなれば、たとえ大学で阻害されてもバイト先でや高校の友達たちがいれば、軽く考えられると思うのです。
学校で虐められた子どもが、家庭でも、ちょっとした喧嘩から母親に「あんたなんか、出て行きなさい!」と言われただけで、どれだけの傷をおうかははかりしれません。
母親だってわからないでしょう。
そういういみで、学校でアイデンティティーを失った子供は危険だといえます。
家庭だけがのこる世界となってしまうのはあまりにも危険です。
だから、他の世界もあるんだ、世界はひろいんだ、という事を知る意味でどこか子どもをうけいれてくれる世界を探してあげるのは凄く大きな意味をもつと思います。

なんて、ながながとすみません。
未熟者のくせに、一生懸命考えたことを言いたくなってしまいました。
だから、もし、お暇でしたら、お返事をいただきたいのです。
それでは、よろしくお願いします。

No.62 yo-ichiさん、ご意見ありがとうございました。

将来的に、いじめのない世の中にするために

 「子どもと対等の教育」を、大人(学校、家庭、地域)が実践することだと思う。
 私の尊敬している教育評論家、尾木直樹氏の著書、「子どもと対等の教育」の受け売りではあるが、これは、「平等」と言う概念から一歩前進して、人間としての一個人として子どもと付き合うために「対等」というわけであるが、詳しくは氏の著書を読めばわかる。別に私は出版社の営業などではない。ただの教師を目指す若者だ。
 「子どもの権利条約」をすべての大人が把握し、納得し、実行し、そして子どもを「大人になるまでの発展途上人間」とか「人格未発達者」として捉えず、彼らの失敗や悪態や間違いなどをひっくるめて全て肯定し、大人は、彼らの苦悩に共感し、個に寄り添い、何でも聴いてあげる愛情をあたえてやれば、彼ら子どもは、自らの力で発達し、いじめという行為の愚かさを理解し、そして、大人も子どもと共に成長できる。
 かなり長い目で見つめなければならない方法ですが、それでも、とにかく、すぐにでもみんながはじめなければ、いじめがなくなるのはもっともっと先の話しになってしまうのではないでしょうか。

 今の子供たちは愛情に飢えています。
 離婚の増加、親の仕事の多忙さなどによる、親からの愛情不足、 核家族化する家庭環境による、祖父母からの愛情不足、 少子化による、兄弟姉妹からの愛情不足、 放課後の時間を塾、習い事に費やすため、地域のお兄さんやお姉さん、近所のおばさん、おじさんたちとのふれあい、そして一緒になって遊ぶ友達からの愛情不足、 教師の多忙による愛情不足。
 「もっと、もっと僕をかまってよ!!」。みんな口には出さないけど、いつもそう心の中で叫んでいるに違いない。
 本当に愛されることに、なかなか馴れることのできないこの現状では、自ら人を、心から愛すことは難しいでしょう。愛に馴れていなければ、いくら「生命に対する畏敬」とか、「おもいやり」とかを唱えても、子ども達は頭ではわかっても、心では納得できない。自殺まで追い込むようないじめっ子が現れても不思議ではありません。
 お父さん、お母さん、お兄さんやお姉さん、愛してあげてくださいよ。先生、抱きしめてあげてよ。(セクハラにならない程度に)。

 ただ、いくら愛だからといって、「善かれ」という押し付けや、「大人になったら恥ずかしいから」という強引な「しつけ」は、むしろ逆効果です。子どもは安心できません。心の平安がありません。ストレスが溜まり、どこかでそれが噴火します。
 子どもを、一人の人間として、(なかなか上手く表現できませんが)、肯定、許容、抱擁してあげるのです。
 そして愛されることを知った子どもは、すごい力を発揮します。いじめが起きても、すぐに消滅するでしょう。とにかく愛は強い(ああ、なんかの歌詞みたい)のだと思います、心から。

 ヨーイチ >体罰容認派の方、僕は絶対反対です。議論しましょう。

No.63 本間裕子さん、ご意見ありがとうございました。

びっくりする位意見の充実したページですね。根本から考えている人が多く、決していじめっ子だけを責める被害者軍団のページにはなっていなくて、とてもすばらしいです。
私は32才の会社員です。本間裕子と申します。いじめた事もいじめられた事も在ります。いじめられた時は横浜より新潟の柏崎に転校時(当時中学生)、いつもグループになっている男性軍団のリーダーに”あんたなんか嫌い!”と言ったのが原因です。ずーっと無視されたり敵対され続けた気がします。でも別にいいやと考えていたので私も無視しました。体操着を隠されたりした時や物を壊された時はさすがに戦いましたけど・・・・。ははは。嫌な時は嫌だ!意見が合わないのは仕方無いのだからほっておいてくれと言った気がします。それからは本人は何もしてないけど舎弟がいじいじやるんです。また、集団になっているとまた私の悪口を言っていると勝手に思い込んだ物です。だから自分も負けるもんかと悪口を言いました。でもこのままじゃいけないなと思い自分から悪口を言うのはやめました。そして自分も同等の人間で相手が悪いだけじゃ無いと思い相手にもそれを申し出ました。私自身、友人は多かったのでそんなに気にしなかったのですが、やはり何かやな感じがいつも付いてまわりすっきりしない毎日に別れを告げたく自分自身反省したのです。今思えば、そのまま卑屈になっていじけて私は可哀相と思っていたら本格的にいじめに会っていたでしょう。いじめた時もありますよ。何かいきなりいやになるんです。相手の言った一言がわずらわしくて仕方なくなるんです。応対が突然ぶっきらぼうになったりします。いじめでしょうかね?こんな事沢山ありませんか?喧嘩や感覚の違いの範囲でいじめと取りますか?こうやって色々経験して一人の人間が出来上がるのでは?経験が理性を生んで成長と共に押さえが効くようになるのです。

No.64 むーむーさん、ご意見ありがとうございました。

 いじめが現在の教育でかなり問題視されているようである。最近までいじめが国会で取りざたされたりしていたぐらいだ。
 だが、いじめは絶対に無くならないとワシは思う。それどころが、国会でそんなことを議論すること自体、時間の無駄とさえ私は思っている。

 理由は2つある。

 1つは、いじめはいけないなどと子供の時から教えたとしても、絶対に人間は派閥を作り、別の派閥と敵対し、互いに忌み嫌うものだからだ。
 実際に政党の中にも○○派とかいう派閥ができているではないか。そんな子供の仲良しグループみたいなちゃちなものと政党の派閥を一緒にするなと政治家は言うかもしれないが、根底にあるのはその子供の仲良しグループと一緒の考えではないだろうか。
 そんな誰かの派閥に入らなければ生きていけない状況下で派閥に入れない、人とコミュニケーションを取ることを不得意とする子供がいたとしたらどうだろう。間違いなくその人物はいじめられる。特に小学校のような低年齢学校ではなおさらのことだ。
 人付き合いの苦手な人間というのは必ず存在する。その苦手な部分をなんとか克服させてやることがいじめを無くす第一歩ではなかろうか。
 なのに世論やマスコミはいじめの主犯グループ、学校、教師を徹底的に叩くだけで何の打開策をも打ち出そうとはしない。ニュース番組に出演する知ったかぶりの知識人(何の知識を持っているというのだ)は「いけないことですね」などと小学校や幼稚園並の解答しか出さない。
 いじめの問題に関して言えばいじめを実行していた彼らが悪いのでは決してない。ましてや、いじめられた方が悪いのでもない。悪いのはそのシステムである。派閥を作らねばならないと言うシステムに問題があるのだ。
 日本という国はお節介な人間が多く、100人の内99人が赤い服を着ていると1人の白い服を着た人に無理矢理赤い服を着せようとする。つまり個性というモノを単なる「社会性の欠如」としかとらえることの出来ない性格であり、皆が派閥に属しているのに1人だけ派閥から離れているとその人物を社会性の欠如した人物と見なして攻撃を仕掛けるような性格を持っているのだ。迷惑な話である。
 断っておくが決していじめていた奴らが正しいと言うわけではない。それは非人道的であるということぐらいワシもわかっている。

 2つ目はまずいじめが表面化することは無いと言うことだ。人間はずる賢い。お上の目の届く範囲では実にかわいこぶっているが、少し目を離すとそれはもう目も当てられない。子供だって同じことだ。先生の前ではかわいこぶって、同級生の前ではとんでもない暗黒面を見せる人間がいる。
 それに利害関係にも敏感である。大人も子供も。子供の場合なら「先生にいじめを報告したら今度は自分がやられかねない」と計算して見て見ぬ振りをするのである。たとえ、周知の事実であっても。
 だから、クラスメイトは全員いじめの事実を知っていても担任教師は全く知らないということが起こるのだ。テレビでいじめの起こった学校の校長の記者会見でいじめがあったことは全く知らなかったという発言をよく耳にする。ワイドショーでは「そんなはずはない。自分の勤める学校のことがなぜわからないのだ!」的な発言をするが、それはワイドショー出演者がスカタンなだけである。そもそも学校は数百人、多いところでは千何人もの生徒を抱えているのだ。担任教師でさえ知らないというクラスでのいじめをどうやって校長が知るのだろうか。それを例えるならサハラ砂漠に埋めたまな板を目隠しをして探しなさいと言うのと同じじゃないだろうか。
 それにいじめられる人物、要するに被害者の方にも表面化しない原因がある。それは、いじめられる人物は大抵、内気で友人も少なく、自己主張をせずじっと耐え抜く人物が多いのである。そんな人物が誰に相談をするであろうか。それに親に相談をしたら告げ口野郎と言われてもっとひどいことをされるのでは無いだろうかと思ったりするため尚のこと事実は隠蔽の道をたどるのである。
 はっきり言ってしまおう。いじめを無くすのは絶対に不可能である。ほとんどの人間は誰かを下に置いて優越感を持たなければ生きてなんかいけない。だから部落差別なんてものがいまも残っているだ。だから対処法はただ一つ。いじめられた本人の最終決断しか無いのである。それが自殺であったり、家出であったり、自閉症であったり、親・先生に相談するのであったり、すべてが正解である。
 ワシは自殺を認める人間である。

 「死にたい奴は死ねばいい」 鶴見 済 著  完全自殺マニュアルより

 正にその通りだとワシは考える。
 だからいじめに耐えかねて自殺するのもよいと考える。
 それがそのいじめられている人物の望んだ最終決断なら...。

No.65 匿名希望さん、ご意見ありがとうございました。

人の痛みを知らないやつが、人の痛みを裁く。いじめはそんなところに根差すのでは?
家庭の中で”自分がされたらいやなことを”よく教えるべきだと思う。
人は悲しみを知り心からの愛を知る(どこかのうた)
僕もいじめられた事がある

No.66 千葉県習志野市さん、ご意見ありがとうございました。

 はじめまして
私は昭和40年生まれの男性です。先生と同年代ですね、、
私は小学校1年生から中学校卒業まで9年間イジメにあいました。学校に行くとイジメられるのがこわくて、登校拒否は毎度のことで勉強どころではなかった。イジメが原因で勉強ができなくなり、、気がついたときは、学年最下位でした。また最下位でイジメが始まり、学校の先生からも見放され、自分の居場所がなかったのです。
気がついた時は暴走族してました。
 先生、、
私は今思うと、あの頃誰か相談してくれる先生、友達がいたらなーて、思います。
最近イジメによる自殺がおおいですね!!
できれば自殺する前になにかいい方法があるはずだとは思いませんか?
もし、学校の授業とかで、イジメの事(先生と一生徒)で話し合う時間なんかあるといいですね、、イジメの問題ビデオとか、まー、もしそーなったら先生も大変だけど、、
 では大畑先生またホームページにきます。レベルの低い文章でごめんなさい m(_ _)m

No.67 「愛、社会的存在感、善悪観」と経済至上主義さん、ご意見ありがとうございました。

私は、大学で生物学の教育と研究をやっています。その一環として、人間を生物学的にどのように捉えるか、ということについても考えてきました。
また、どういう訳か、若くして父となり18歳と21歳の二人のこどもをもつ45歳です。そういう関係で、「いじめ」問題についても少し考えてきました。

いじめは、いじめる側が悪いに決まっています。これは、人間の善悪観の基本(の一つ)そのものでしょう。それを、「いじめられる」側にも何らかの落ち度があるとするのは、泥棒を責めずに戸締まりをしなかった方を責めるのと基本的に変わることはありません。もちろん、ことの重大性からすれば、「いじめられる」側を責める方が、ずっと悪質なのは明らかです(物を盗まれるより、人格を傷つけられる方が桁違いに傷は深い)。

しかし、何ヶ月前だったか、朝日新聞の家庭欄を読んでいたら、いじめる側の子の数10%は、いじめを悪いと思っていないという記事が載っていました。
妙に納得したのを覚えています。まっとうな善悪感など持ち合わせていないからこそ、この子達はいじめに加担することができるのです。
いじめる側の子がいじめられる側の子に対して加害者(悪の遂行者)であることは明らかですが、同時に、彼らは社会や家庭の被害者でもあります。つまり、彼らは、健全な善悪感を育ててもらえなかったばかりか、「いじめたい」という衝動を持たざるを得ないほどの抑圧状況におかれてしまった、ということです。
念のために付け加えておきますが、人間、誰もが「いじめたい」という衝動を持つわけではありません。
こころが不幸な状況におかれている人々だけが他者や弱い動物を虐待して、代償的な満足を得るのです。

その幸福の最低要件が、愛と社会的存在感である、と私は思います。この場合、愛の対語は孤独であり、社会的存在感の対語は屈辱です。
いじめる側の子は、孤独感と屈辱感が、こころの潜在意識にあるのだと思うのです。それを生んだ社会的背景のうち、最も直接的なものは経済至上主義の国家政策とそれを支えた国民達、ということになります。

社会の基本は、健全な社会を次代に継承するという点にあります。何故なら、それ(後者)がなければ社会は崩壊するからです。
しかし、国家リーダーを始め一億総国民が念頭においてきたのは、金を稼ぐことだけです。その結果、子どもを育てる場としての地域社会も、地域の「暖かい自然」(里山の自然)(初めから都会のジャングルに育てばわからないが)も失われてしまいました。
こうして、こどもたちは、地域の中で、年長のこどもに守られ(遊んでもらい)、年少のこどもを守る(遊んであげる)という貴重な人間関係を失ってしまいました。人間関係がうまくとれないのも、思いやりが育たないのも、、、、何もかも不思議ではありません。更に悪いことには、狭い空間でテレビゲームなどしてひとり遊びに興じるわけです。

おまけに、家庭も学校も偏差値を尊重する場となってしまったのです。これは、一方で子育ての場からの愛の喪失であり、一元的価値観の強要でもあるわけです。この一元的価値観の強要にあわせられているうちは、「良い子」に見えるのでしょうが、勉強が本人の好奇心や自尊心に基づいているのでない限り、本人にはストレスが溜まっていくのは明らかです。
更に、この強要によって、偏見・差別意識が育てられていくのも明らかなことです。他者が人格としてではなく、人格に貼り付けられた一つのラベルとして扱われてしまうのです。大人の社会で言う肩書きでしょうか。息苦しいでしょうね。

こどものときは、のびのびと遊ぶ(親の監視なしに)。そうできる社会が40年前にはあった。命を落とすような危険(例えば車)はほとんどなかったし、こどもどうしで遊ぶから、何が危険なのかは、こども自身がよく知っていった。今、そういう社会を作っていくのはとても不可能のように見えるけれど、少しずつその方向に戻していかなければ、結局、健全なこどもが育たないのだから、いずれ日本は崩壊する。

以上、だいぶ大雑把ですが、私の考えを述べました。より包括的には、近々開設する私のホームページ「生命を考える」(http://www.obihiro.ac.jp/~rhythms/)をみて下さい。

ついでに、学校教育(義務教育)について日頃おもっていることを述べます。
 まず、少なくとも30年ほど前までは、聖職者意識を抱いている教師が少なからずいました。かつての日教組が、教師も労働者なのだ、と賃上げ闘争に明け暮れている内に、聖職者意識がとても薄れてきたように思います。子どもを育てる場として、小中学校は、(地域社会が崩壊してしまった今となっては)家庭の次に大切なところです。教師も人間ですから、賃金がないと生きていけないのは明らかですが、その賃金は「労働」に対する報酬ではありません。
国民が税金を納めることによって教師に支払っている賃金は、あくまでも「謝礼」としてのお金ではないでしょうか。学校における教科教育と社会生活に対する訓練を導いてくれる聖職者に対する謝礼によって、教師の生活は支えられているのです。
 
 人並み(またはそれ以上の)経済生活を望む人々が教師になっていきますから、聖職者のイメージはどんどん薄れていくばかりです。教師は、経済的には貧しくなくてはならないし、それをよしと思うような気高い人々になって欲しいと思うのです。

 また、教える内容が多すぎるのではないでしょうか。少なくとも、小学校の時の理科や社会科などは何の役にも立ちません。役に立たないこと自体は悪くないのですが、その代わりにあそばせた方がよっぽど有益だ、ということです。落ち零れは、だいたい算数や数学から始まるのでしょうが、これも大幅に削るべきでしょう。義務教育なのですから、一番できない子に照準を合わせるべきです。できる子は自分で勉強します。

 こうした詰め込みを悪化させるのが、偏差値教育でしょう。学校は、偏差値や受験のための知識を授けるところに転落してしまっているのです。
知識は社会生活(人間関係、職業、世界観、、、、)を営むためにこそ学ぶ必要があるのです。言い換えると、現在の偏差値偏重教育では、知識を本当には教えていないことになりますし、その代わりに、差別偏見、或いは歪められた競争関係だけを教えてしまっているのです。

 もちろん、全般的傾向として話をしているわけなので、個別には優れた実践があるものと思います。しかし、偏差値による一元化を社会全体として改める努力をしなければ、何度も言うように社会は崩壊します。

 なお、私自身にはいじめの経験がありません。ただ、小学生時代に、同級の女の子の気分を損ねて、その兄貴たちに後日取り囲まれて泣かされたことはありますし、中学生時代には、生意気だ、ということで「ちんぴら」不良達に竹薮につれられていって殴られたことがあります。その現場では、それぞれ、とても陰湿でネチネチしていましたが、その後は何もありません。また、小学生時代にカネをしつこくせびられたこともありますが、学校はとても楽しい場でした。
 思うに、いじめが蔓延している状態そのものがこどもたちのこころをますます閉ざしていく方向に働くので、教師達の苦労は並大抵ではないと思います。
いじめを解決する良い条件が一つも見当たらないような状況の中で、このようなページが存在することは一つの救いです。

いずれにせよ、国民の一人一人がその生活スタイル(拝金主義)を見直していかない限り、そしてこどもを育てる上で何が本当に大切なのか(愛と社会的存在感は最低要件)を自覚して社会を見直さない限り、根本的な解決はないだろうと思います。

No.68 蒼さん、ご意見ありがとうございました。

自殺した人たちの遺書を見て本当に涙が出てきて悲しくなりました。
学校の中でいじめがあっても先生はあんまり相手にしていません。私立の学校なので勉強だけしてればいいと考えているのです。でもよく学校ではいじめについてHRで話し合います。だけど真剣に考えている人はいません。とても悲しいです。
このホームページは自分と同じようなことをいじめについて考えている人がいるんだと思ってとてもうれしかったです。

No.69 ゆめのかけるさん、ご意見ありがとうございました。

苛める側は、何もやることが無くて、退屈で苛めやす奴を見つけたから苛める。そして、苛められる側は、自分が何故、苛められるのか判らないまま、黙って耐える。そうなって見ると、苛める方が悪いと言えばそこまでだけど、中には、苛められる方が、弱いから悪いと言う。一体、どっちが悪いのかなんて、はっきりと言えないと思います。

No.70 樋尾正和さん、ご意見ありがとうございました。

いじめは、なくなると思います。では、なくすにはどうすれば良いのか。
いじめる側、いじめられる側の親の子供への感心が、必要ではないでしょうか。
どこの親も、子供が小さい時は、「友達と仲良く」と言う事は、教えていたのではないですか。
ではなぜ、その事を教えているのでしょう。それは、人は【仏神の子】と言う事を、私達は、信じる、信じないに関係なく、『知っている』のです。
いじめる側の親は、「他の人にやさしく」を、また、いじめられる側の親は、「強く、たくましく」を、教えて下さい。
そして、双方の親は、『他の人の良い所をさがす』と言う事を、教えてください。
先生方も、同じです。心の教育=宗教教育です。正しい宗教を真に勉強して、結果平等主義から抜け出してください。
心ある先生の、日教組に相反する強い気持ちと、子供達に対しては、『愛』の心でもつて、接してください。
私達大人全員が、愛を与える側に立った時、いじめはなくなるとおもいます。
それでは、さようなら。

No.71 明子さん、ご意見ありがとうございました。

私も、小学校の頃、1年間いじめに遭いました。
でも、その前は、いじめる側でした。
どちらも、お金の要求や、直接の暴力はありませんでした。
でも、机に火をつけられたりしました。
(学校側にもみ消されてしまいましたが....)

当時の担任、火をつけた人間を、今でも許しません。
多分一生。
でも、この事により、人間が強くなりました。
他の人からは、冷たい人間だと思われていますが、本当の私を分かってくれている人もいます。
10年近くかかりましたけど。

もしも、今いじめられている人が、これを読む事があったら声を大きくして言いたい。

死んじゃだめです。
生きたくっても、生きられない人もいるのだから、死ぬなら、その人たちに命をあげてください。
死んじゃったら、その人たちを見返してやる事すら、できなくなってしまうのだから....

私はそう思って、小学校6年から26歳まで、生きています。
そして、いじめた子に、会ったら、あやまる事のできる自分になるために。

No.72 ミナキさん、ご意見ありがとうございました。

気がつきにくい原因について
大人でだいたいの人が「子どもはとてもきれいで汚れがない」とでも思っているのではないでしょうか。

No.73 大塚 ユウイチロウさん、ご意見ありがとうございました。

先ほどアンケートに答えた者です。(といっても解らないかもしれませんが)
このようなページがあったとは知らず、感動している限りです。
先にページを見てからと思ったのですが、私の現時点での考えを書きたいと思い、さきに意見から書かせていただきます。
まだまだ22歳の若輩者ですがよろしくお願いします。
また、この文の加工・削除・編集はご自由に行っていただいて結構です。

いじめというものは、最近から始まったわけではなく、昔からあったと思います。
ただ、近年問題になっているのはその形態が変わったからだと考えます。
殴る蹴るのいじめから、精神的なものになっていると思います。
(例えば、机の上に生魚を置いたり、それを授業中に食べさせたり等)
近年のいじめの原因は、その人個人の表現の仕方が変わってきたためと言えないでしょうか?
ばれても何もしない学校や、頼ることのできない親にも責任はあると思いますが、やはりいじめているその人の責任感が薄れてきていると思います。

私は、いじめは理性ではなく本能だと思っています。
昔狩りをしていた頃の戦闘的な性格の名残だと思っています。
だからこそ弱いものに標準が向くのだし、死というものが来ない限りやめないのだと思います。

その様な理由で、いじめはなくならないと感じているわけです。
しかし、なくすように努力をすることはできます。

道徳心の向上、教師の威厳の向上(ある程度の体罰は許されると思います)、たとえ子供でも死に追いやった場合は相応の罰を与える等が私の考えるいじめ対策です。
また、親が子供を養護しすぎると考えます。
殴ることをしないし、問題があっても「家の子に限って」と子供をかばいます。
その様なことも家庭でなくすよう努力すべきだと思います。

長々と書いてすみません。
しかし、いじめは許されない行為です。
少しでもと思い意見を述べさせていただきました。

No.74 ぴんくりぼんさん、ご意見ありがとうございました。

いじめで一番悪いのは誰か、ということがよく問題にされます。もちろん、いじめた人が一番悪いと思いますが、最終的にはいじめられた人の精神力にかかっているような気がするのです。そんなことを言うと自分にいじめられた経験がないから、そんなことが言えるんだ、と言われてしまいそうですが、自分自身、小学校時代いじめを経験しています。だからこそ言えるのです。いじめられている時って、極度の被害妄想がある気がします。その結果、自殺する人がふえてしまうのではないでしょうか。いじめはたとえ相手が悪かったとしても、そこを脱しようと思ったら、自分が強くなるしかないのです。全国のいじめられている皆さん、心を強く持って、いじめなんかに負けないでくださいね。

No.75 Athushi Takebayashiさん、ご意見ありがとうございました。

私は最近の少年の凶悪犯罪も含めて、いじめ対策について次のように考えています。
http://www.bekkoame.ne.jp/~atikurin/
Save The 21st: [ 4 ] 少年の刃物・いじめ

1つの考え方です。参考にして下さい。

No.76 FReHapsさん、ご意見ありがとうございました。

私は「学校のシステム」に問題があると思います。「皆が同じでなくてはならない」という学校にある雰囲気が問題だと思います。よく先生は言うものです。「みんな仲良く」と。ただ、みんなといっても、ただ偶然同じ地域に暮らしている、同じ年齢の「他人」です。「他人」だからとことん冷たく出来ます。子供同士だから仲良くなるなんてただの妄想です。

いじめは学校基準のシステムを生徒に無理矢理押し付けた結果、異端(皆と違う)を排除するという行動が現れた結果なのではないかと思います。一人一人考える事や性格は全く違うというのに一つのシステムを押し付けてしまえば、異端が現れるのは当然です。

この場合、異端というのは悪い事ではないのに、いじめに悩まなければいけません。

やはり、必要な授業を選択できる「単位制」のようなシステムが必要と思います。
これなら、「同じ年齢の他人」同士の寄せ集めではなく、「同じ目的の仲間」が出来ます。
もし失敗しても、選択肢はたくさんあるわけですからどこかで「同じ目的の仲間」が出来る余地はあります。そうやって出来た仲間は本当に信頼できるものです。

仮にいじめがあっても一人でもんもんと悩まなくても済むし、一緒に対抗できます。
単位制は自分の得意・不得意が見えてきている中学生くらいから始めたほうがいいかと思います。もし、間違った選択をしてもやりなおしが出来るシステムですし、何より、いじめの一番多いのは中学校です。

No.77 モリオンさん、ご意見ありがとうございました。

こちらのWEBをざっと見ただけの者ですが、〔いじめ〕にたいしての自分なりの意見を述べたいと思います。私、現在、30歳代の男ですが、学生時いじめられっこでした。とくに小中学生時がひどかったように感じられました。今、現在の問題になっているのもまさしく同じ状況ですね。今、いじめで自殺する学生が増えている。自分らの時とは状況が違うんですかね?いじめる側も昔と違いそうとう犯罪と同じ状況ですからね。金せびったり、せびるときも脅しでナイフ使ったりで。まあ、自分の場合は身体的なことでいじめられていたけど、部活とかで発散してましたけどね、無視したりとか。でもなぜか、いじめられた奴に最近会うとちゃんと笑顔で挨拶なんかしていい奴になってるんだよな。
今考えると、いじめって子供のコミュニケーションの一種だった。気の弱い私を強くしてくれた。だから、いじめられっこはいじめっこと対等の気持ちでいないとどうしようもないと思う。
本当はいじめられっこの方が気が弱い奴ばかりなのだから。だから団体でしか行動できないんだよ。暴走族もそう。逆に考えるといつも一人でいるおとなしいのがねらわれるのだから、いい友達をたくさんつくればいじめられないような気もするけどね。今の若いのはいじめられっこだとわかると自分もねらわれと思って急に無視しはじめるからね。始末におけないよ。いじめる側もだれも止めないからエスカレートして脅しや半殺し、ほとんどやくざの世界。
そして昔と違うのはこの状態で学校の先生は気がつかないと言う。嘘だろおい。それでいっしょになっていじめてる先公もいる。本当に今の先公の弱虫なこと。(そんなんならやめちまえ)と言いたい。みんな見て見ぬふりをする。本当は誰かに相談してるのだろう。しかし相談相手がいいかげな奴だったり、よく考えないでいじめっこに注意したりして、どんどんいじめられっこが不利になっていく。(なんで告げ口した!)とぽかぽかと袋たたき。こんなの昔からあったが、いじめられっこの気弱さと大人の無責任さは昔とちがう。だから、自殺する子が増えたのだろう。私は逆に自殺する勇気があるんだったら生きていて復讐するけどね。(抗議文は送らないでください)
結論、いじめはなくならない。会社の世界もいじめがあるやな時代になってしまった。バブルがはじけて弱肉強食の日本にすべてがなったのだろう。すべてにおいて再教育が必要だと思う。
教師、警官、公務員、政治家、そして両親。学校教育が信用できない今、子供を強く社会に送り込むためには親、家庭の教育から考えなければいけない。学校にすべてまかせていたつけが今、どんとあらわれているのだから。家庭で(なぜ、いじめはいけないか)(いじめに勝つためには)など会話する必要がある。もっともまともな家庭だったら食卓でいろいろ会話があるし、まともな子になると思うけどちがいます?
いじめを減らすには大人も子供の考えから脱皮するのが最初です。じゃんじゃん

No.78 新田義治(亮介)さん、ご意見ありがとうございました。

いじめる子もいじめられる子も、自律するように育てられていないということでは、ともに、実は被害者です。まず、家庭での夫婦・親子関係が原因でしょう。いじめは、当事者だけでなく、周りの態度にも影響されます。
私の経験では、親、担任が本気に取り組み、当事者とクラス集団の意識を変える指導をすれば、いじめはなくなります。
詳しくは拙著「いじめられなくなる本」と「いじめ・胎教・母」(共に、たちばな出版)をお読み下さい。なお、お手伝いできることがあればおっしゃってください。

No.79 女子高生さん、ご意見ありがとうございました。

各個人にあると思います。意志の弱さだったり、まわりが見えていなかったり、性格の問題だったり。「これ!」と決め付けるのが間違いではないでしょうか。
いじめはささいなことから始まります。はっきりいってかなりくだらない事やどうしようもない事が原因の場合が多いです。ちょっと気に入らなかったり、容姿や学力など自分より劣るか優るものに嫌悪感をいだいたり。そういう所からはじまります。個人に個性がある以上、いじめはなくなりません。

現在私もいじめらしきものにあっています。なんだかわからないけれどクラスの女子グループ数人に嫌われているようです。
「誰が私を嫌おうとそれは私の知った事ではない」と思えるのは、実質的に被害がないからでしょうか。それでも、あからさまに嫌悪感をあらわにされるとさすがに辛いです。
でも、人間嫌いな人がいて当たり前なんです。私にも嫌いな人間の一人や二人います。それがいじめている相手に対して自分だったということではないのでしょうか。それが結果、不登校、自殺につながるには他に原因がありそうですが・・・・・・。
現在の生きがいは部活動と皆勤賞でもらえる広辞苑、進学のためです。
これがあるからまだ元気に学校へ通えています。それに、少数ではあるけれど友達もいるし。
それにしても、高校まで来て妥協を知らない輩がいる事には少し残念です。
集団生活をする以上、若干の我慢と忍耐を知らないままここまで来てしまったのは、親の基本的な教育の失敗ではないかとおもいます。

これは私の個人的な意見です。
これが世間から見ていい意見かか悪い意見かはわかりません。

若輩者が長々とすいませんでした。

No.80 星 光一さん、ご意見ありがとうございました。

いじめはどのような努力をしてもなくなることは、絶対にあり得ないと思う。なぜなら、世の中に強い者と弱い者がいる。やはりその事実を忘れてはならないと思う。つまり生徒が悪いのではなくその事実を認めずすべての人が平等でみんな仲良しといっている人たちが悪いと思う。

No.81 青い鳥さん、ご意見ありがとうございました。

電気にプラスとマイナス、性に雄・雌があるように、生物は何らかの攻撃性を持っていると思っている。弱肉強食が典型的であり、人間といえども例外ではない。
問題は、この本能をいかに昇華するかであって、闇雲に肯定も否認もできないところが永遠のテーマではないか。
いろいろな競争が優しさを育てることがあるし、人格の差別ではなく物体(例えば学習能力)の差別も優しさを育てると思う。
人と違う行動をすることが個性ではなく、人と違う得手・不得手があることが個性である。間違って教えられていることは、残念である。

No.82 AMEさん、ご意見ありがとうございました。

私は、いじめを見たことがありません。だから実際の状況はわかりませんが本で読んだりメールをみたりしていろいろ考えています。
私のまわりでいじめが起こらないのは、生徒同士が、ある意味、無関心・無干渉だからだとおもいます。みんな、仲がいいけれど、いつもある程度の距離をたもっています。それはいいことなのかはわからないけれど、いじめよりは幸せだとおもいます。人を簡単に憎むのって、すごく悲しい生き方です。自分と合わない人って必ずいるけど、納得できなくても、理解はできるはずです。人と人の出会いってとても偶然で素敵ですよね。ひとつひとつの出会いを大切にしていきたい、といつもかんじます。私はまだ17才だけど、みんなに伝えたいことは沢山あります。いじめっこもはやく気がついてほしい。
私たちは次の世代に何を伝えられるのか。
人を傷付けたという心の傷をもったまま、なにをするべきなのか。
人をいじめられるpowerがあるなら、もっとほかにすることがあるはず。
みんなはやくきずいてほしい。

No.83 あらたにさん、ご意見ありがとうございました。

いじめってなんなんですか?けんかや、いざこざはたくさんあります。人と人が共に生きていけば必ず起こるものだとおもいます。大切なことは、喧嘩をした後自分がしたことを振り返り、相手の状況と気持ちを考えることだと思います。それを考えれるためには、ある程度の心のゆとりが必要だと思います。そのゆとりは、社会に密接にかかっ和手来ると思います。より良い社会を作ることが、いじめをなくすことにつながると思います。

No.84 加藤啓治 教育関係勤務さん、ご意見ありがとうございました。

いじめは、未然に防げるものです。
常に教師が生徒とコミュニケーションをとり心の変化をとらえるよう努力すれば、いじめが起こる前に指導できるはずです。
我々大人すべてが子どものことを考えていればいじめはなくなります。

No.84 坊っちゃんさん、ご意見ありがとうございました。

現在の学校体制の中で教師はよく「やればできる」と生徒に言いますが、これは、現在教師がその生徒に対して満足していないから言う言葉です。これは、生徒を励ましているようですが、実は、やっていない生徒を教師は認めていない。と言っているようなものです。このようにいつも、今ある生徒自身を認めないために(家庭でも同じ、)生徒は自己肯定ができないでいます。
自己肯定の方法が、友人をいじめる=他人を否定することでしか、できない状況に追い込んでしまっているように思います。企業の中でも同様であろうと思われます。

No.85 かにゃんさん、ご意見ありがとうございました。

私自身、中学時代(遠い昔)にいじめっぽいものにあっていました。
今のように悲惨なものではなかったので、「いじめにあった!そこから立ち直った!」というのは少しおこがましい気がするのですが・・・それでも人間不信になるには充分でしたし、それを思うと、いま現在、もっと酷い目にあっている子供達はどんな人生をおくるのだろう?と悲しくなってしまいます。
私のつたない体験が、皆さんのお役にたつといいのですが・・・・

私は子供のころから 「オミソ」な子供でした。兄弟とは年の離れた末っ子でしたのでお姫様のように甘やかされ、そのため我侭で不愉快な子供だったのです。
それで身体的に秀でたところがあれば、きっと「いじめっ子」になっていたのでしょうが、未熟児で身体も弱かった私は とにかく 「足が遅くて力も弱くてドンくさ」く、しかも何も一人じゃできないくせに「高慢で偉そうで残酷」な・・・・勿論「いじめられっ子」です。(残酷、と書きましたが、本当です。子供って残酷なんですよ。自分を護るために嘘をついたり、他人に罪をなすりつける、なんてのは当たり前。同じように、「あの子のこと嫌いだから、話をしないようにしようよ♪」なんてことも、罪の意識ゼロです。きっとみんな経験あるはずですよ。覚えてるかどうかは別ですが)これは小学生になったころのことでした。

こう考えられるようになったのは、高校生になってからですね。その当時は、「私はなにもしてないのに!」という気持ちが強くて。
その後、小学校から持ち上がりの形で中学生になり、その頃には「レベルが下の集団」にいたわけです。ここ大事です。たとえ、オミソでも変わり者でも、「集団」を作っていることで、ある程度身が護れるのです。私の場合、完全に「いじめられっ子」だけではなく「優しい普通の子」というのも何人か一緒にいましたので、余計に酷いことはできなかったようですね。他のクラスで、たった一人で孤立して酷いいじめを受けた人を知っています。(ただ、彼女には同情できませんでした。自分がいじめられてない時には、率先して悪口を言ったり チクったりした人で、親切をあだで返されることも・・・)
なにかされた時に「ひどいよね〜 そりゃないよね〜」と話せる人がいる、というのはとても救われることです。・・・これは、カウンセラーとかじゃダメで、「自分を知ってる、それでも側にいてくれる人」という身近な存在が必要です。だって、誰か側にいるだけで、「お前は決して一方的に悪いわけじゃない」って証明してくれるでしょう?

そして、高校生になりました。私は「変身」にチャレンジしました。
「暗く」ならないこと。誰とでも「普通に話す」こと。自分から「声を掛ける」こと。
「一刻も早く、周囲を友人で固めること」(学校が変わったり、クラス変えはチャンスです)シュミの部分も、「芸能界の話についていけるようになること」「好きなタレントを作ること」「化粧品等の新製品にも詳しくなること」「そういった会話を、楽しく聞けるようになること」「はやりの言葉をとりいれること」いやはや、「普通」であることを努力で勝ち取るほどに、私は「普通」ではなかったらしいです・・・それでも、失敗もありましたが、やはり周りも成長しているせいか酷いことにはなりませんでした。雰囲気として、「いろんな人がいるんだよ」的な人が、中心になっていましたから。ラッキーでした。

そして・・・忘れてはならないこと。「周囲から浮いてしまいそうな人をフォローすること」やはり、いじめられっ子にはみんな特有の「雰囲気」があります。そして、そーゆータイプは、仲間同士お友達になりやすい。でも、同じタイプのみで集まると、絶好のターゲットになってしまいます。そこにまぎれこんで、他の普通の人とのパイプになれれば・・・・特定の人だけに「つなぐ」のでなく、いろんなグループのいろんな人と。
どこにつながりがあるか分からない 顔の広さのある人には、なかなか恐くて手が出せないものですよ。かつて、同じ経験をしているからこそ できることです。いじめ経験者はぜひともやってほしい・・・

小学校のころのグループは、「アンタのそーゆーところがダメなの!」とお互いに注意できる関係でした。それを進めて、オープンなところ(他の人がいる場で)でいろんな話をすることで、その子達への理解や、つながりめいた気持ちができるのではないかと思ったのです。勿論、そのまえに、私自身の足場固めも大切でしたけど。

同じ部活だった2人の友達がいます。一人は結局 学校を辞めてしまいましたが、1人はいまも良い友人です。彼女の一番の問題は「暗い」「太い」「とろい」で、どもりのクセもありました。性格的には決して悪くない・・・・むしろ優しすぎる(甘すぎる?)くらいの子でした。彼女は、自分のクラスに居場所が無いようでした。
私は、同じクラスの友人たちに、「こーゆー理由なんだけど、お昼にこっちに来させても、いいかなぁ?」と相談し、それからしばらく、休み時間には彼女は私のクラスに遊びにきてました。もちろん、彼女のクラスの人間には不愉快かもしれませんが別に無理して 彼女が不愉快な場所で我慢することはない、と思ったのです。たとえ、どんなことがあっても、味方になるよ!という安心をあげたかったし。

他にもいろいろな努力がありましたが、荒療治な部分もありますので、ちょっと割愛。
彼女は今でも、高校時代の友人と連絡をとり、楽しく過ごしています。
それは、私がどうこう、というより、彼女自身の性格の良さが招いたことのようです。
年を取って、やっと彼女の良さを皆が認められるようになったんですね。

他にも、会社での「困った人たち」などの話もいろいろありますが、すでに長すぎるので・・・・おいとましますね。 これからも 頑張ってください。
ながながと、すいませんでした。

No.86 Takakoさん、ご意見ありがとうございました。

いじめが無くならないと答えた理由は、いじめをしている子供のうち、自分がいじめをしているという自覚の無い子供も多く居るという事です。
それに現在のいじめは、暴力よりも言葉によるものや無視といった陰湿で、周りの人間が感じ取るまでに時間のかかるものが多く、いじめを受けている子供は、自ら助けを求めるということが少ないことも確かだからです。
いじめをしている子供のうち、なぜいじめをしてしまうのか自分でもわからない子供たちのほうが多いと思います。
原因がわからなく自覚症状も無い子供達に、いじめを止めさせるのはTVドラマの様には行かないと思います。だからこそ、いじめを無くしていく努力は、今まで以上に努力していかなければいけないと考えます。

No.87 マーサンさん、ご意見ありがとうございました。

自然界の原則が弱肉強食のように人間にも、強い子と弱い子がいます。それは、走るにが、速い遅いのように、なかなか逆転しません。親と子の会話のなかで、弱いものいじめをしないよう、繰り返し教えられた子は、いじめたりしないと思いますが、そういうしつけを、されていない子は、ふざけたり、おもしろがったりして、弱い子をいじめると思います。

No.88 星香しょうかさん、ご意見ありがとうございました。

私は、ヒトを自殺へおいこむヒトが、キライとどうじに、自殺をするヒトが、キライです。ワケは、自分が、いじめられてかなしいなら、泣くなら、自殺するなら、自分が、死んで、かなしむひとがいることを忘れてはいけないからデス。
私も、いじめられて、しにたくなったことはあります。でも、自分が死んで悲しむヒトがいること、自分がしたいことがたくさんあること、しなくちゃいけないことがあること、生きたくても、生きれないヒトがいること、まだまだ、たくさんあるいろんなことを思うと、死ねなかった。死んじゃだめだって、おもった。死のうとおもった自分が、なさけなかった。自殺を考えているヒト、そこまで、なやむきもちはよくわかる。でも、死んじゃだめ。死なないで、お願い。  by ショウカ. (13)

No.89 のぞのぞさん、ご意見ありがとうございました。

今、短大の授業でいじめについて学んでいます。今週の水曜日(12.2)に、いじめについてのディベートがあるため、その資料集めの為にみていました。
私はこれまでもいじめについて沢山考えてきましたが、この授業の時今までになく腹立たしさと悲しみが込み上げてきて本気でいじめについて考えてみようと思うようになりました。
そのきっかけはここのホームページでも参考資料として載っていた大河内清輝君の遺書でした。偶然授業でもこの遺書を参考資料として使ったんですが、初めて授業中に涙が出そうになるくらい、悲しみとひどい衝撃を受けました。自分でもなぜなのかわかりませんが・・・・。
私は将来ミュージシャンを目指しています。その為、2年後に東京に行く予定です。来年は短大を卒業して1年間福岡に残り、バイトをしながらボランティア活動として土日だけでもいじめなどで苦しんでいるこの力になりたいと思っています。その為今、ボランティアとしてでもそのような子達と触れ合うことのできるところが無いか探しています。なぜ私がその子達と触れ合いたいのかというと、その子たちの苦しみや悲しみを少しでも理解して、(もしかしたら理解できないかもしれないけど、)少しでもその子達の力になれる歌を歌っていきたいと思うからです。
いじめられてる子達の苦しみや悲しみは、想像はできてもきっと理解するのは難しいと思う。ほんの同情だけで分かったふりをしたくないんです。本当にその子達の気持ちを自分で考えて、私が歌で救ってあげたい。・・・私が歌で救われたように。甘い考えだと笑う人もいるかもしれません。でも、私は本気です。
もっともっといろんな人の考えを知って、いろんな人の気持ちを尊重できる自分になりたい。こういう気持ちって、いじめをなくす為に必要な考えじゃないですか?いじめって、一個人を尊重し、生命の大切さを心から感じない限り絶対無くならない。そう思いませんか?
あまりうまいこと表現できませんでした。ごめんなさい。ディベートが終わったらまた、メールしたいと思います。ちなみにディベートの内容は”いじめは義務教育に責任があるか、ないか”です。皆さんはどう思いますか。わたしは義務教育に責任はあると思います。でも、まだまだ私の知識が足りないからそう思うのかもしれない。
ディベートの後、わたしの考えも変わってるかな?ディベートだから勝敗がきまります。いったいどっちに白旗があがるか、皆さんも考えてみてください。
長くなりました、ごめんなさい。また意見言わせてね!!

p.s.こういうページってとっても必要だと思う。これからも頑張ってください!!
  いじめは、ひとりでは止められない。悲しいけど。
  沢山の人がこんなにいじめについて真剣に考えてるなんて
  すごく素敵なことだと思う。
  一日も早くいじめが無くなるといいね。
  私もいじめられたことあるよ。跳ね返したけど。(1人でいるのって結構平気だった。)

No.90 バボバボさん、ご意見ありがとうございました。

まず、いじめられる側は100%悪くないと思います。
勉強ができない、運動音痴だからいじめる…これは、人それぞれの能力というのがあるから差が出てしまうのは当然。運動ができなくても歌がうまい人もいる。人間ひとつぐらい特技があるはずだから、こんなことでいじめるのはおかしい。
片親、貧乏などといった家庭環境が原因…これははっきり言って、家庭環境に関しては不可抗力。
だって、親は選べない。たまたま、そういう環境で生まれてしまっただけで、何も悪くない!性格が悪いから無視する…「ここは直した方がいい。」、「そういうことはやめなよ。」ときちんと言えばいい。何度言っても直らないなら、ほっとくか無理に友達付き合いしない。他にも様々な原因が考えられるけど、難癖つけて人に暴力ふるったり、嫌な思いをさせるなんて人間のすることじゃない!!
いじめられた人のなかには、いじめが原因でもっと輝くはずの人生が台無しになってしまう人がいる。
なぜ、人に悲しい思いをさせるのか私にはわからない。嫌いなら、その人とつきあわなければいいのに…。
いじめっ子でもいじめられっ子でもない、周りの傍観者。彼らの方が質の悪い「いじめっ子」だと私は思う。自分が標的になりたくない気持ちで見て見ぬふりをしてしまうからである。もし身近にいじめがあって自分が傍観者の立場にあるのなら、いじめを止めて欲しい。ただ、1人で戦うのは無理だから「いじめはよくない。」と同じ思いでいる人と戦って欲しい。もし自分がいじめられて苦しい時、周りの人が助けてくれたら嬉しいでしょ?それを考えたらできると思う。

結論 「いじめられている側は、100%悪くない。」

No.91 けんちゃんさん、ご意見ありがとうございました。

家庭環境。自分の子が実際にいじめをしていると認めたがらない。おふざけの範疇であると一方的に信じ込んでいる。相手の気持ちを思いやることができない。
自分の子は好い子だと思いこんでいる親のなんと多い事か。息子は、1年から今までいじめを受けてきている。最近は、パンツを脱がされるという、人権にかかわるところまできている。
筆箱を壊す事と同一と考えている親、それに教師。「人それぞれ受け取り方が違う」などと軽くいなして欲しくない。私は、パンツを脱がす行為そのものに大きな問題があると思っているが言葉での説明が結構難しい。感覚ではわかるのだが。やった連中を皆の前でいやがるのを無理にでも脱がさなければわからないように思う。

やった子の親が事の重大さを理解できない、相手をおもいやれない、我子かわいさは誰も同じ。親の教育をきちんとするにはどうしたらいいのでしょうか?
教師も当てにならない。
自分を守るには、どうしたらいいのか、暴力はいけないというが私は、「とにかく、やられそうになったら、力いっぱいなぐる、けるをやって良い、責任は私が持つ」と今の所言っている。
支離滅裂な文ですみません。
パンツの件でまいっているので。

No.92 増田正孝さん、ご意見ありがとうございました。

原因自体が何であるかということはあまり意味のない質問だと思います。しいていえば大人の社会の反映だと思います。大人の社会でもいjめは多いです。言行不一致の政治家、金儲け主義、学歴や社会的地位で人を判断する大人社会の矛盾を鋭く感じ取っていると思います。また長い物には巻かれろといった日本独特の権威あるものへの服従の思想も許せません。傍観者が多いほどいじめはエスカレ−トするというデ−タもあります。強いていじめの解決方法をいうならば、まず大人一人一人が信念を持って生き、子供に生き方の見本を示していくことではないでしょうか。偉そうなことを書きましたが、何といっても現場(学校)でいじめをなくそうと日々努力している方が一番偉いです。頑張りましょう。

No.93 ハタさん、ご意見ありがとうございました。

ネットサーフィンでこのHPを知り拝見させていただいております。
中学校の教師をされているとのこと、こういう形でいじめ問題に正面から取り組まれていて本当に感心致しました。
私も中学から高校にかけていじめられていました。今となっては過去のことですが,心に残った傷は一生消えることがないと思います。
私が知りたいことは、「どうしていじめるのか?」ということです。いじめは、一方的なものではないと考えます。いじめられた人の気持ちはを聞いてあげることもとても大切なことだと思います。それで救われる人もたくさんいることも事実です。しかし、「なぜ,いじめはおきるのか」し考えたときに,いじめる側の意見も大切だと思うのです。
勝手なことを書いて申し訳ありません.これからも応援しております,頑張ってください。長文になりましたが、それでは失礼致します。

No.94 くじらさん、ご意見ありがとうございました。 くじらさん、ご意見ありがとうございました。 くじらさん、ご意見ありがとうございました。 くじらさん、ご意見ありがとうございました。

ずいぶん昔の話で悪いのですが、私の体験談を聞いて下さい。

私には幼稚園時代からの疑問がありました。
母と道を歩いていると、見知らぬ子供から(相手も親と一緒)しょっちゅう「デブ!バカ!死ね!」と罵られるのです。
確かにすこ〜し(と、自分では思っている)太っているのは事実。
『でも!どうして知らない子供に言われるの?親もそれを止めないの???』
答えは出ないまま、無視し続けるしかできませんでした。
そして、それは大きくなると共に相手も若者に替わり、20歳位まで続きました。

7、8年前だったか…新聞の投書欄に衝撃的な記事を見つけました。
3歳の子供の母親からのもの。
“スーパーで子供が黒人の人を見て、「クロパンみたい」と言いその人は日本語が通じたかどうか、ちらっと見ただけで行ってしまった。近くにいたおばさんから「子供にそんな事を言わせたらだめ」と注意を受けたけど、どうして?私は子供の感性を大事にしたいのに。”

私の長年の謎がようやく解けました。
こんな考えを持つ人間がいたなんて!
親をやってるなんて!
悲しいですね。
その子供がまた子供を産む・・・イジメは一生なくならないような気がします。

私が思うにイジメの原因って学校に入るまでの家庭教育じゃないでしょうか?
どんなに気を付けていても、子連れの外出は迷惑を掛けてしまいます。
できるだけ他人に迷惑を掛けないで、思いやれるかを私も今、身を持って体験しているところです。
自分の子供にはイジメラレッ子にはなっても、イジメッ子にだけは絶対になってほしくない。

他にも中学時代の本格的なイジメの話も聞いてもらいたかったのですが、長くなりましたので失礼します。
これからも応援しています。

No.95 元暴走族さん、ご意見ありがとうございました。 元暴走族さん、ご意見ありがとうございました。 元暴走族さん、ご意見ありがとうございました。 元暴走族さん、ご意見ありがとうございました。

いじめというものお、する人は、暇で、毎日ながされるように生きていて、そこで、たまるストレスお、自分より、弱い人お、いたぶることにより、解消していると思う。自分も、そういう言があつた。今は、ほんとうに悪いことをしたとおもう。もうにどとしないと心にきめていきている。

No.96 蛍介さん、ご意見ありがとうございました。

はじめまして。私は現在大学1年の男で、「いじめられた事」が有り、「いじめた事」の
有る者です。
 いじめられたのは、小学校低〜中学年までの間でした。自殺を考えたことすらありますが、原因はよく分かりません。太っているので、視覚的な違いが原因だったのかもしれません。いじめられる度に何故自分がいじめられるのか、理不尽な気持ちでした。殴ったり蹴ったりは当たり前。仲間はずれ、持ち物隠し、中傷、大勢の前で丸裸にされた事も有りました。ほとんど考えられうる限りのいじめを受けたと思います。一度先生が間に入り、とりもってくれたことも有りましたが、逆にいじめは酷くなり、地獄のような日々を過ごした事を覚えています。
 そんなこんなでいじめられた私ですが、小学校の高学年になったころにはいじめを笑って受け流すようになりました。あるいは面と向かって反論する事も多くなりました。いじめていた方は、私の(決して逆らわないという前提での)リアクションを楽しんでいたのでしょう。このころからいじめはぱったりとなくなりました。結局彼らは、「いじめて」いるつもりではなく、反応の返ってくる玩具と「遊んで」いたつもりだったのです。
 玩具でなくなった私は(言い換えれば、人格を認められた私は)いじめていた張本人である彼らともいい関係を作る事ができました。このことは私の人生の中で最も誇るべき事と信じています。
  私がいじめを受けたのは同性からでした。もちろん異性が助けてくれた事など一度も有りませんが。いじめがなくなったとはいえ、4年以上にわたるいじめの恐怖は簡単には拭い去ることはできなかったのです。中学に入ってからの三年間、思春期のほとんどを私は異性とすごしました。そのせいか、セックスとしての本能は男性ですが、 表層的なぺルソナは中性的であるとよく他人に指摘されます。好んで一人称を「私」にしてしまうのはそのせいなのかもしれません。
 異性の中に入り込んだ私は、そこである人物と出会います。仮に、Rとしておきましょう。
彼女は両性からいじめられていました。その事を知ったのはずいぶん後ですが・・・、彼女を(悪い意味で)特別視するという不文律、慣習が厳然と存在していたのです。
 多分に漏れず、私はその悪習に従ってしまいました。しかも自覚なく!彼女に散々心無い言葉を投げかけました。彼女の目に私はどんなに醜く、恐ろしく、無慈悲な悪魔に見えたか知れません。かつて私が私をいじめた人たちに向けたような、憎悪、恐怖に劣ることはなかったと思います。その後彼女とも和解することができましたが、この間に行った事は私の人生の中でも最も恥ずべき事の一つです。
 両性の間を行ったり来たりするうちにその形は違うものの、そのどちらにもいじめは厳然と存在することに気付きました。結論から言うといじめはなくならないと思います。二つ以上の異なるアイデンティティがあれば、その意義の数に比例して争いが、いじめが、疎外が起こるのは人の、いえ、生物の性です。もちろん奨励すべきではありませんが。それでも、「そこにいじめがある」という事から目をそらさないで欲しいのです。
  今最も問題にすべきは、いじめから派生する諸問題です。不登校。彼らは限られた空間で何にふれるのでしょうか。自殺。明日に素晴らしいものがあるかもしれないという希望は持てないのでしょうか。あきらめずに生きた私は、今こんなに幸せなのに・・・。
 いじめから抜け出すのは容易ではありません。それでも心の強さを持てば、生きることは可能です。そして、心の強さは心の支えとなるものがあってより強固なものとなります。自殺は生きる権利を放棄する最も悲しい行為の一つです。それを教えてくれる人がひとりでもいることが重要なのです。それは、誰でもいい。
 不登校ならまだやり直せる。でも自殺したら後悔すらできないのです。
 私にとって、本当はあまり思い出したくないことです。それでも今の自分があるのはいじめに遭ったからです。自殺したいと思っている子供たちに、いつかはわからないけど、他人に話せるようになるまで生きてごらん、と言いたい。その時はきっと幸せなこともあるから、と。
 長々と失礼だったかもしれませんが、誰かに話しておきたかったのです。今結構良い人生を送っています、と。それでは失礼します。

No.97 もうちゃんさん、ご意見ありがとうございました。

こんにちは。今、さらっと掲示板を読ませていただきました。いろんな意見がありますね。しかし、これだけは言わせてもらいます。
「いじめをすることは、悪いことです。」
あたりまえのことなのに、忘れてしまっている人たちがたくさんいると思います。いじめっこは、愛情に飢えているから彼らもかわいそうな子なのだという考えもあると思います。しかし、だからといって「いじめ」という行動に移してよいのでしょうか。そういう意味で、教師が普段の学校生活の中でいじめは悪いことなのだということを、口をすっぱくして言わなければならないと思います。些細な悪口でも、その現場にいたら教師はその度にいじめる子を注意する必要があると思います。
朝日新聞に掲載されていたいじめをクラスで解決した記事を読んだことがありますか。ポニーと呼ばれる髪の毛を長く伸ばしていた男の子が、いじめをどうにかしようとあきらめずに取り組んだ女の先生により段々とクラスにとけ込んでいったものです。
教師の方、あきらめないでください。きっと、いじめにあっている子どもたちはSOSをだしています。先生のところに、いじめられていることを話しに来たら親身になって聞いてあげて下さい。そして、私はあなたの見方なのだという事を強く伝えて下さい。

No.98 小学生の母さん、ご意見ありがとうございました。

現在、小学生5年生の女の子の母です。昨年いやおそらく3年生ごろから、いろいろないじめにあっています。
ただ、これをいじめといってよいのか、よく解らずにいます。というのは、それをしている子供が1人であること、また、確かにクラスの中の1人なのねそれが誰かわからない事です。学校側も担任も残念な事だという程度でいじめとして受取っているのか・・よく私にはわかりません。
始めは、数ヶ月に1度上履きが隠されるといった事からはじまりました。その度にクラス全員で授業を中断して探したそうです。それが、段々周期がせばまっていき、机の上に「死ね」と書かれる、1日かけてかいた図工の宿題にはぐちゃくちゃにいたずらがきをされる、筆箱、かけておいた洋服にマジックで「死ね」と書かれるといったように、エスカレートしてきています。しかもショックなのは、担任が道徳の時間に話し合いをしたその日の放課後に書かれたことでした。

やっている子が全然わからない(担任は数人を呼出し聞いたそうですが、どの子も僕ではないといったそうです。でも時間帯を考えるとおそらく・・ある子ではないかと思うが、本人が違うという以上、追求はできないといっています。できる事はこれ以上エスカレートしないように注意するだけ・・との事です)

子供も私も誰かわからないというところにすごく不安を抱いています。クラス全員で探している中に1人、裏で舌をだしている子がいる・・と思うと。

娘は気が強いほうで、この年頃にはありがちな例えば、廊下を走ったり、掃除をさぼったりする子に対して(特に男の子に対して)強い口調で注意をしてしまうほうです。
おそらく、最初のきっかけはそういうところがしゃくにさわったのだろうと思い、「それぞれの立場が調子や都合もあるんだから、そこらへんも考えなさい」と日ごろ注意はしてきました。仲の良い子も多く、それさえなければ楽しそうなので、というより、強気であまり動揺を外にみせない方なので先生方も安心しているのでしょうが、時々ポキッと折れるのかゲーゲー泣きじゃくったりします。

親として悪い事と思っても見過ごせ・・というのには抵抗があります。「言い方が大事なんだ」とは言いますが。そういう事をマイナスしても、誰かわからない子に次は何をされるんだろう・・と毎日心の隅不安を抱えながらというのは可哀相に思います。

親として子供や学校に対してどのように接していけばいいほうに向かうのか、わからずにいます。
もし、似たような経験等がある方がおられれば、いろいろお聞きしたいと思っております。

No.99
あえて匿名にしましたさん、ご意見ありがとうございました。

Daibata san.... romaji de sumimasen kedo watashi wa Nihonjin de wa nai
desu... (hen na Nihongo mo gomen ne...)

Watashi no musuko wa ????? Ken ???? shi no aru chugakou no seito desu...
'half' no ko to mo iwareru desu .....  Saku nen no hachigatsu ???? kara ???? he hikoshitekimashita... ???? de ijime to iyu koto wa arimashita kedo gakou
wa chikara dashite aruteido kaiketsu ga mukaimashita.... genzai no gakou de
wa hikkoshitekita kara sugu ni hajimarimashita ..... sensei dachi to nan kai
mo hanashi ai shita demo kaikestu ni wa mukaemasen deshita.... kekuyoku
keizatsu ni higai todoke wo dashita keredo ijimekko wo semete no imi ga nai
to wakateiru no de... gakou wo rikai wo totte hoshi no de wa mokuteki
datta....  (higai todoke wo shobun suru tsumori desu kedo....) Yatto gakou
wa sukoshi hanashi wo wakattekita you ni narimashita..... demo kore gara dou
suru wa ii to yoku wakaranai desu.... uchi no kodomo no ken dake jya nai
de.... gakou zentai no ijime ni tsuite no mondai wo nakushitai to omouimasu...
nani ga ii 'advice' ga areba zehi soudan wo shitai to omouimasu...
Yoroshiku

No.100 和田哲志さん、ご意見ありがとうございました。

おはようございます.始めまして、愛媛県の公立高校で教員をしています和田と申します貴ホームページの内容を口頭もしくはプリントで生徒に紹介したいのですがよろしいでしょうか.6/10に学校訪問があり、そのための資料にと考えているのですが…

充実したHPだと思います.
いじめについてはまだまだこれから勉強していかなく手間ならない状況にあります

 

 

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