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No.201 〜

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No.201 とりさん、ご意見ありがとうございました。
こんにちは、「とり」といいます。
かつて自分自身がいじめられたり、いじめを目撃した経験から、私自身が得た結論というか考えを書かせていただきます。(学校での「いじめ」を想定しています)
これはあくまで私個人の意見ですので、一つの考え方として参考程度にでも見ていただければと思います。
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結論から言いますと、まず、「いじめ」というものはいじめる側がどのような意図で行っているものであれ、いじめられている人が苦痛に感じる限り成立しかねないものです。(時には被害妄想の産物であったりもしますが)
 
そして、いじめ問題については全ての立場について反省するべき点が考えられますので、誰かが一方的に悪いとは言えるものではないと思います。つまり、誰が一番悪いのかといった議論や、いじめる側といじめられる側どちらかの非を一方的に指摘したり弁護するといった主張は、個々の「いじめ」について考える場合であればともかく、世間一般における「いじめ問題」を検討する手段としては不適切であると私は思うのです。(事実、過去においても同様の議論は幾度となく行われていますが、現在に至るまで「いじめ」についての議論が進展しているようには感じられません)
 
また、以下に挙げたいくつかの立場のうちどれか一つでも問題点を克服できれば個々の「いじめ」を解決すること自体はそんなに難しいことではありません。自分自身の立場でできることをした上で他の人が問題をややこしくするようなら、そこで初めて相手の問題点を指摘すればいいのです。自分のことを棚に上げて他人の問題点を指摘しても罵り合いになるだけで何の解決にもなりません。
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<いじめる側>
いじめる側が意図的にいじめようとしている場合については、明確な意思があるのですから、いじめる側に非があることは明らかでしょう。しかし、害意や罪の意識がない場合は事情が違ってきます。当人にいじめているつもりが無かったとすると本当に悪いのかどうかわからなくなってしまうからです。実際問題として、一概にいじめている側が悪いとは限らないのですが、事情はどうあれ、相手を嫌がらせることをしていたとしたら、相手の気持ちを察することができずに傷つけたという事実については反省しなければならないでしょう。(これは「いじめ」以前の問題ですが)
 
被害の原因となる行為を行う人を「加害者(ここでは[いじめる人])」と呼ぶわけで、そもそも他人の嫌がるようなことさえしなければ問題自体成立しません。
 
ちなみに、ごくまれに下手をすると殺してしまいかねないような危険ないじめ方をして問題になるケースがありますが、これは自分の行為の意味と効果さえも考えずに他人を攻撃するという性質上、最も基本的な所で必要最小限の危機意識すら欠けているということで、言うまでもなく責任は重大ですね。
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<いじめられる側(特に気の弱い人)>
いじめられる側には責任はないのでしょうか?
いじめられている人本人が意見をはっきり言う人である場合には、自分の受けた被害を嘆く前に自身の言動が他人を傷つけていないかどうかを考える必要があります。いじめが問題になる多くの場合、加害者自身は自分のしたことについて自覚を持っていない場合が多いのです。それはすなわち、被害者自身が別の側面で加害者となっている可能性もあるということなのです。
 
また一方で、自分が被害者だと思う人は、嫌な思いをした時にちゃんと「嫌だ!」と相手に意思表示をしているのでしょうか。先ほどいじめる側が相手を思いやることができないことは問題だと書きましたが、相手だって人間です。100%相手の心の中を察することなんてできません。大人だって相手の気持ちに気づかずに傷つけてしまうことがあるのですから、まだ若い学生であればなおさらです。「いじめには被害者側にも責任がある」という意見には根拠が無いわけではないのです。
 
いじめられて嫌な思いをしているなら、まずははっきりと相手に伝えることが大切です。もし知らずに傷つけていたり誤解がある場合には、それで問題は解決するでしょう。それでもだめなら、相手は嫌がっている事をわかった上でいじめ続けるのですから、理由が何であれ相手の過失であると言えるでしょう。自分が嫌がっていることを知って、それでも変化がないのであれば周囲の人達や親や学校の先生に相談して協力してもらうことです。中には学校の先生や親に話したことを非難したり仕返しを考える相手もいますが、他人を傷つけたうえに指摘されて八つ当たりするような相手であれば、はっきり言って底が知れています。また、そんな相手の無茶苦茶でわがままな論理には耳を貸すだけ時間の無駄です。誰がどう見ても非は明らかに相手にあるのですから、仕返しを怖れる必要はありません。
 
繰り返しになりますけど、嫌なら嫌とはっきり意思表示する勇気を持つことが大切です。酷な言い方かもしれませんが、嫌そうな顔をした位では相手に伝わるとは限りませんし、誰にも相談せずに一人で苦しんでいても誰も気づいてくれなくて当然です。必ず自分の気持ちをはっきりと相手や周囲の人に伝えることです。それすらもせずに苦しんでいるようなら、被害者という殻に閉じこもって目前の現実から逃げているだけではないですか? そんなことでは、どんどん追い込まれる一方です。まずは、勇気を持って確実に一歩を踏み出すことです。どんなお節介な人でも自ら助かろうとしない人を救うことはできないのですから。私の経験を言わせてもらえば、最終的に「いじめ」を克服する原動力になるのは自分自身の「意思」の力です。
 
「いじめ」の事実を作るのはいじめる側かもしれませんが、いつまでもそれを引きずって「いじめ」を克服できない理由の多くはいじめられている人自身にあります。ついでに言えば、いじめられている人をどん底まで追い込むのも本人自身だったりすることが多いのです。
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<傍観者>
「いじめている人」と「いじめられている人」の周りにいる人達ですが、この人達の行動に問題があるとすれば「見て見ぬふりをすること」でしょう。いじめに限らず追い詰められている人にとって、周囲の人が全く関心を示さず無反応でいられることほど辛いことはありません。(いじめる側のグループに追随する場合も同様です)いじめられている人は周囲にたくさんの人がいるにも関わらず、世界でたった一人自分だけが孤立したように感じてしまうのです。その孤独感は普通の人間が長時間耐えられるものではありません。「いじめられている人」が自分の殻に閉じこもって自分自身を追い詰めているという側面は確かにありますが、ただ声を掛けるだけでも自らを追い詰める思考から抜け出すきっかけになり得るのも事実です。そして、周囲にいる人達が「いじめ」に対して被害者の支えになってあげるならば「いじめ」自体を解決することもできるのです。
 
最終的に「いじめ」から立ち直るのは本人の意思次第だとはいえ、「傍観者」の行動次第で必要以上に追い込むことになりかねないということは知っておく必要があるでしょう。必要以上に追い込んでしまった結果、自殺や重大な事件をひき起こしたとなれば、
第三者といえども責任が全くないとは言いきれません。
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<親や学校>
親と学校については、双方とも子供の生活に大きく関わる立場にある人達であり、当然勉強や生活の保証だけでなく、社会の中で生活することについてもちゃんとサポートする責任があります。親は保護者とも呼ばれ、子供の最も身近にいる「大人」ですし、学校は集団生活を通して知識や能力を高め人との付き合い方を学ぶための機関です。どちらかがちゃんと機能していれば「いじめ」に対する有効な予防手段にも対抗手段にもなるのです。もちろん、本来は両方が機能していて当たり前、だったりするのですが。
 
親は自分が子供から悩みを打ち明けられるような存在でなかったり、子供からのメッセージに対して適切な対応ができなければ大いに反省する必要がありますし、学校は社会生活での人との関わり方について適切な指導をし、問題が発生したときには適切に対応しなければなりません。自らの責任を棚上げした上に互いに責任を押し付け合うなんて、論外です。
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文中で「加害者」「被害者」といった表現を使っていますが、これは他に適切な言葉が見つからないためで、決して加害者(いじめる側)が一方的に悪いという考えで使っているわけではありませんので、誤解のないようにお願いします。
 
No.202 セルシアさん、ご意見ありがとうございました。
こんにちは〜!
わたしは、いじめられたとき、一番大切なのは、親友や、家族などの『たよれる人』だとおもいます。それも、本気で、本当にたよれる人。
 
あなたの身の回りの人は、本当にたよれるのでしょうか?って考えてみてください。
そして、本気でたよっていいよってわかったら、その瞬間人はとっても強くなれるよって信じてます。
 
その人が、身近にいなくてもいいと思う。だって、たいせつなのは、自分が落ち込んだとき、「ああ、でもあの人がいれば大丈夫。あの人がいてくれるから。」って思う心だから。
 
いじめられる人は悪くないって、それはどうかと思う。
自分にも悪いところがあったんじゃないかなって、それを反省して、正面から向き合う。それが大切だよ。でも、それでもいじめてくる人もいると思うし、自分が悪いことしてないのにいじめてくる人は、ああ、どうしようもないバカなんだ。っておもって、やり過ごしちゃえばいいんだよ。そいつらは、あとで絶対痛い目見るし。それに、世の中、そんなバカばっかりじゃないんだから。

No.
203 あやねさん、ご意見ありがとうございました。
私は小学生のころからいじめに会いました。でも、クラスの中にも同じような人が居ました。
他のクラスにもやはり居ました。30歳を過ぎたというのにたまに思い出します。
人の手に触れる時、頭の中を記憶がよみがえるのです。汚い と言われたことを、、、、。
後遺症の様なものかどうか 今でも人と接するのが苦手です。いじめというのはおそらく永遠に記憶に残り続けると思います。
 
No.204 はっちさん、ご意見ありがとうございました。
最近俺が思うに大人があやふや過ぎる、テレビなんか見てても大人が悩んでるし具体的にアドバイスできてない事がこの”問題”とやらを大きくさせてるように思う。社会とかマスコミとか学校がどうだなんて引っぱりだしてきて、なんでも”問題”にしてしまうトコが。
”いじめ問題”なんてものに大人が協力してやれることは、ただひとつしかないと思う。
それは、”こうすればいじめられなくなる”という固い信念を植えつけること。
一種のマインドコントロールみたく、心底”そうだな”と思わせる事を。
そんで具体的な切り返し方を教えてやればいいと思う。
それってむちゃくちゃ単純でシンプルなほど効果的だと思う。
 
例えば無視といういじめにあってる場合、黙ってるだけじゃなく時には考え方を変えていじめてくる人間に対して相談事を持ちこんでみたり、思春期だったらだれでも興味の沸く異性やSEXの話(今はどうか知らないけど、俺の頃はくわしい奴ほど人気者だった)にもっていくなんてのもツボにはまればひとつの突破口になると思うし、いじめてる人間が興味を持ってるようなことで思わずふきだしちゃうような質問をぶつけるとかなんてのもいいと思う。
でも、それはただ単にいじめてる人間の下手にたっておべっかを使うって事じゃなくて、あくまでも一時的にいじめから脱出するための手段だと思えばいいと思う。
 
俺の意見は、思春期の頃ってのは急に考え方が変わったり、たわいもないことを本気で信じてたりするから、単純なアドバイスでも時には効果があるはずだし、なんでもいいから具体的に断言するように伝えるという事、そういうことがHP上なんかでは役立つはず!と。
 
No.205 東京人さん、ご意見ありがとうございました。
私はいじめ問題について三つの問題点を指摘したいと思います。
 
 一つ目は、学校とか社会とかマスコミとかのレベルでは、一様いじめは悪いというコンセンサスが得られていますが、個人のレベルでは、いじめは悪いというコンセンサスは得られていないということす。つまり個人のレベルでは、いじめられるほうが悪いという意見も根強くあるということです。
 
 二つ目は、いじめの被害者の親に自分の子供を助ける意思も能力も無いものが多いということです。
 
 三つ目は、いじめから逃れる選択の一つとして学校に行かないという発想が出来ずらいということです。
 
 いじめ問題を考えるときにこの三つのことをクリアーにすれば、いじめというもの自体は無くせなくても、いじめの被害から逃れることは可能だと思います。
 
No.206 NICKIさん、ご意見ありがとうございました。
初めて書かせていただきます。私は、いじめ経験者です。障害者でもあります。
私は、いじめがこの世の中から消えると信じています。
ですが、その前に人々の人間性から治していかなくては・・・とも思います。
難しいようで簡単な事かは、わからないですが一つ・・例えば今の若い子達を見る大人の眼差し嫌気がします。確かに、若い子もいけませんが大人達も醜いことをしているんだ。
身体の不自由な人をチラチラ見る、平気で順番抜かすなどお互い様なのに、よく、「親の顔みたいわ」なんてゆうひとは、醜い。そんな大人が育てたのが今の時代なんだ。
どちらが良い悪いの問題じゃなくて、しっかり怒って、しっかり誉めて包んで欲しいだけの時の子供たちには、あるとゆうこと。
その思いにお互いきずいてないだけ・・理解しようとしていない
逃げてばかり、相手をおもったら体当たりする位じゃないと人の心は、救えない!!
私は、いじめがあって今は、プラスにできた。
それは、人の痛みが分かる人間になれること。一番必要な事
時間も努力も人の倍やっていかなければ行けない。
でも、なにより両親を尊敬している事家族が支えであることが、1番辛い時救われた。温かさが欲しい時もいっぱいある。それをくれる人は、本人にとってかけがえの無い存在になっていくと思います。
大人達、どうかやっているうわべだけで、判断しないでもっと綺麗な部分に早くきずいてあげてください。
 
No.207 りんごさん、ご意見ありがとうございました。
わたしは、教師を目指してしている大学生です。いじめについて考えてみようとこのサイトをみました。教師になって、いじめに直面したときにわたしに、何ができるのだろうかと不安でいっぱいです。ほんとうの対策なんてありえるのでしょうか。精一杯対処しても、教師の努力がたりないと、とりざたされるいま、わたしに教師ができるだろうかと悩みます。教師を目指して、試験も受けて1次は受かりましたが、もし、本当に合格して教師になれると決まった時、わたしはほんとうに教師になるかどうかをいまだに迷ってしまいます。子どもの笑顔が大好きですがみんなの人生の抱え込む(守ってあげる)ことができるのだろうか。教師という職業は、とっても責任のある命をあずかる仕事だっと感じています。
No.208 aiさん、ご意見ありがとうございました。
私はいじめられていました。
保育園から中学校までいじめられてきました。
暴力、嫌がらせ、あだな、陰口.......いろいろあったけど、一番嫌だったことは暴力でした。すごく痛かった。
自殺も考えました。でも、ふと考えてみました。
どうして私は悪くないのにいじめられなきゃいけないのか?どうしていじめた人のかわりに死ななきゃいけないのか?と考えるうちに何かもっともっと生きたい。いろんなことを体験したいと思うようになりました。
今では、普通の高校に楽しく通っています。
前より、自分自身が強くなったし、心が成長したんだ。
そのおかげは、いじめだと思う。
私はいじめがあったからこそ、強くなれたし、自分自身が発見できたんだ。
だから、いじめた人にも感謝してるよ。
いま、いじめで悩んでいるひとがたくさんいると思うけど、その人には悪いけど、私はそうやって乗り越えました。いじめがあったからこそ、今の自分が在ると思う。
批判されてもいいけど、これがいままでたどってきた私の道なんだ。
 
No.209 ギュスターヴ20世さん、ご意見ありがとうございました。
いじめがない学校なんて、ないと思います。いかに、自分の意志をしっかりしているかそれが大事だと思います。意思と言うよりも、支えになる何かだと思います。
私は、いじめによって、一時人間不信になったことがあります。でも、機械に出会って、自分の個性を大事にするようにしました。
今でも、支えになっています。ほかの人から、「変」とか「変わっている」とかよく言われます。
自分の嫌なことを言われても、嫌いといわれても、無視されても、一番自分の個性を大事にしていくことが大切だと思います。
いつか、その見返しが来ると、私は思います。
 
 
No.210 藤田 吉規さん、ご意見ありがとうございました。
初めてメールします。
以下の文章は、国会の憲法調査会に意見書き込みした時のメールです。
今の日本がどうしてこんなことになったのかを追求しています。
問題には成立条件があり、前段階の条件も追求していく内に、憲法とか、アメリカとかいう問題に溯ります。
「いじめ」は、内臓の病気が表面の皮膚に現れた現象と捕らえています。
内臓のこの辺が悪いよと、メールさせて頂きました。
 
 <戦いを禁じられた人間(国)の末路>
 
  既成の知識とか言葉の境界を超えて、素朴に本質的に憲法というものを考えるに、平和よりも我が国民が生き延びる方が優先度が高いと思えるのです。生きるために、生命を脅かすものに立ち向かわざる得ないのです。それが、対立であり、喧嘩であり、戦争であるわけです。戦争だけを別扱いするのは、無理があります。立ち向かえない者に残される態度は、無関心、脅しへの屈服、自殺であるといえます。投票率の低下も、いじめ問題も、モラルの低下も、全て不利な立場から立ち向かえなくなったことが共通項としてあります。
 
  私の周囲には国家なんか必要ないという人が多いです。そういう人にお金のことをどう思うか聞いてみます。みんな、お金は大事だということで一致します。お金は国家の信用を背景にして、中央銀行が発行している紙切れです。
  また、国家が気に入らないなら、どのレベルならいいのかと、質問してみます。都道府県レベルでいいといいます。国は戦争をするから嫌いだと。同じことなのです。 異なる憲法の異なる法治県(国家)同士の争いになるのです。原理的には、最大の統治単位では、上位に親がいないので、争う現象が見られます。
 
  戦争のできない平和は、屈服でのみ維持が可能です。
我が身の安全は得られても、気概も誇りもなく、いじめと傍観者の社会が残るだけです。
やがて秩序が崩壊してきます。その時が安全の失われる時といえます。

No.211 大島雄一さん、ご意見ありがとうございました。

私が最近になっていじめに付いて気付いた事を書きましたのでお読み下さい。
 
いじめの形や状況は様々だろうが、その手法として共通する物が有ると感じます。
 
まづ総体的に言いますと、
裏切られる。
無視をされる。
拒否を繰り返される。
逃げ場を奪われる。
罰を与える形を取りミスや欠点に対して極端に叱責・懲罰する。
その結果、どんどん自責の念を抱き孤立して行く。(すべて自分の所為に思えて来て、誰にも相談できなくなって行く。)
森永砒素ミルク事件の被害者の母親達の多くにその傾向が見られたと聞きます。
 
特にいじめの手口としては、
わざわざ期待を抱かせておき、最終的に期待を裏切ったり無視をする。
些細なミスや欠点を極端に大きく叱責したり指摘し、自信を削ぎ又仲間から引き離す。
全体の不安を煽り、些細なミスや欠点を見逃さないような雰囲気を増長する。
特に弱者が信頼を置いている者に裏切らせる。
弱者の予定している事の直前になって、避けられない用事や状況を作り断念させる。
結果としてどんどん孤立させられ無力感に襲われて行く。
 
いじめをする者の特徴を考えてみますと、
どんな方法を使ってでも、何もかも自分の思い通りにしたいという極端なエゴイズムを感じます。それは社会性の欠落と幼児性から来るものと思え、幼児体験と成長段階の人的環境によると思います。
いじめる者は、人と接する際に押し付けがましい・傲慢・自己中心的と言う言動が知らず知らずに出いるにも関らず当人は認識しておらず、その結果として相手からの拒否反応を受け、そして相手を屈服させる為にいじめの行為がエスカレートして行くケースが見られます。
それに対しては、自分自身の言動とその影響を認識させる事や、人を傷付けないで自分の欲求を満たす術を教え、その行為を正しく評価する事(いじめの行為に対して罰する事と誉める)を続けていく事が被害を拡大しない事に成ります。
いじめる側の人間の年齢に関係なく、心の再教育を行なうべきでしょう。
被害者を出さない事は当然ですが、加害者を生まない事を積極的に考えて行くべきと思います。
 
例えば、毎年700万件程も起きている交通事故を取ってみても、時間・場所・当事者が総て一致する者はないはずです。
いじめに於いても同じ形態の物はないでしょうし、此処から此処までがいじめですと言う事は難しいと思います。ですから加害者側や学校として、いじめが有った事を認める認めないと言うような事に成ってしまうとも思いますが、いじめの特徴的な事を1つ1つ消して行く努力(加害者を出さない)によって、いじめを排除する可能性は有ると思います。
いじめや虐待の事例を1つ1つ検証して見ては如何でしょうか?

No.212 nickyさん、ご意見ありがとうございました。

いじめは、人々の心の醜い所から現われて自分に自身が無い人は、その弱さに負けて人を傷つける。
いじめられる方もいじめている方も多分おなじ傷がつくのだろう・・いつかは
でなければ人ではない。
自分以外どうでもいいと心にある限り、相手を思いやれない限り醜さは増えていく気がしてならない。
またされた方も自分一人の生命ではないことと、生きたくても生きれない命がこの世にあることお勉強しろ!
魂の重みをもっと感じろ死んだりすることで、終わったと思うのは間違い。その弱さがある限り誰にも勝てないし悲しみだけが取り残される
そんな事位いいかげんきずいて欲しい。頼むから。後ろ向きな自分に1番負けてはいけない!!!。
いじめる奴はほってたらいいんです。そんな奴のために生命を無駄にすることないんです。
貴方には、必ず良かったと思える日が来るからです。
 
私は、自殺しかけた友達を必死で止めました。
今は幸せを掴んで精一杯生きてます。そんな子がいるだけで私はうれしい。

No.213 もえさん、ご意見ありがとうございました。

はじめまして。
私は大学生です。
過去にイジメをした経験があります。
中学生のときでした。
今では、その子とも普通の友達です。
でも、イジメの犯人が私だとはいえませんでした。
知り合ってみればいい子で悪かったと思っています。
 
以前イジメについて考えたことがありました。
その結果たどり着いた答えが「人は誰かより優位でいたい、これは性だ。」という悲しい答えでした。
でも、私の心の中の正直な答えだと思っています。
だから、イジメは自然なものじゃないかと思ってしまいます。
でも、人には理性というものがあって仲良く生きていけると思ったりもします。
 
未だ心底「いじめはなくなる」と信じられないのです。
でも、いつか、信じられるようになったら・・・。
 
お忙しいなかホームページを作られてすごいと思います。
これからもがんばってください。
 
教育学部の学生より。

No.214 孤女さん、ご意見ありがとうございました。

私は中高一貫の私立に通っていました。私がいじめを受けたのは中一の後半になってからです。事の始まりは出席番号が一緒の男子と何度も隣の席になってしまい、それを鬱陶しがられたことでした。こんな些細な事から始まるんですよね、いじめは。それから、その男子が友達に私の悪口を広め始めました。その広がりは恐ろしいほど速かったです。その男子は野球部に所属していたので、友達なんかも活発で女子に人気のある人達だったので誰にも打ち明けられませんでした。言ってみたところで誰も解ってくれないような気がしました。何時の間にか、私の悪口は全校の男子に広まってしまい、私は常に人の目を気にするようになりました。私の事を気付かれないようによく下を向いて歩いていました。授業中に紙飛行機を背後から当てられたり、笑われたり、悪口を聞こえるように言われたりしていました。とっても辛かったです。私が何をしたわけでもないのにいじめられるこの悔しさ。行動には嫌われるような事をした覚えが全く無かったので、そのうち自分の顔が醜いからいじめられるんだと思うようになりました。女子からは何もいじめられていたわけではないのに、(残念ながら以下は文字化けしていました)

No.215 まなみさん、ご意見ありがとうございました。

私は、今でもいじめにあっています。
初めは、変なあだ名を付けられたりとかるいものでした。
いつの間にか、私は一人になっていました。
親友にも「あんたと居ると私たちまでいじめられるでしょ!ちゃんと考えてよ!」
と言われ、彼氏からも「お前と付き合ってると、俺まで疑われるんだよ!正気かってな!」
と言われました。いっそのこと死のうかと思いました。
でも出来なかった。私は、生きようと思うことも、死ぬ勇気も持っていなかった。
私が本気で死のうと思った引き金は、男子に“性的イジメ”を受けたときでした。
いつものように、放課後教室に呼び出されました。
いつもは、4人なのになぜかその時は5人でした。
「こいつお前のこと好きなんだって!」それは、イジメグループなのに私のことはけしていじめようとはしなかった子でした。
内のクラスでは結構人気のある人だったのですが、前の日にグループのみんなに打ち明けたそうです。でも、他の子達は「いいおもいさせてやる。」と言って、私の事をイスに縛り付けました。私は、胸や〇〇〇をいじられました。私を好きだと言ってくれた人も、同じ事をしました。
中2だった私は6Pをされ、体力をすべて失ってしまって、立つことも出来ませんでした。
縄をほどかれても、フェラーリやオナニーをさせられました。
その日から毎日のように性的イジメを受けています。
逃げたり、登校拒否、自殺したら、6Pしているところの写真をばらまくと言われました。
授業中にバイブを入れられたこともあります。
つらくて、保健室に行きました。授業が終わると私の異変に気づいた先生が保健室に来ました。
先生はバイブをとるように言いました。私は先生の前ではとれないと言いました。
すると、先生は私のパンツを脱がせてバイブを無理矢理抜きました。
そして、私は先生とも関係を持ちました。
最近は観客の男子を集めて、オナニーを声を出しながらやらされて、一日一人観客の中から私のSEX相手が決まります。
私とSEXするには2000円をイジメグループに払うだけです。
どんどんエスカレートしていくばかりのいじめ・・・。
6人の男性に中2の私がなぜ・・・。
本当イヤになる毎日です。
私は、どうしたらいいの?

No.216 すがわらつとむさん、ご意見ありがとうございました。
参考にどうぞ、私もいじめの被害者です。絶対にいじめは許さない心境です。
 
  「いじめは卑怯な「暴力」絶対に許すな」
 
白土 今回から「いじめ」の問題を取り上げさせていただきたいと思います。
 そこで、前の女子中等部長の松村さんにも来てもらいました。
 
松村 よろしくお願いします。中等部長を担当させていただき、いじめの相談をたくさん受けました。乗り越えた人もいますが、悩み続けている人もいます。
 このテーマで語ってくださることが本当にうれしいです。池田先生に心から感謝いたします。
 
池田会長 こちらこそ、皆さんの努力に感謝します。
 この連載が始まってからも、世間では、いじめを苦にした中学生の自殺もあった。ひとりでも、そんな子がいるということは、大変な問題です社会全体の大悲劇です。十代による残酷な事件も続いているが、背景にいじめがある場合が、しばしばだという。
 しかし、日本人の感覚がマヒして、いじめと聞いても、なんとなく、またかという感じになっている。そんな危険を感じる。
 恐ろしいことです。心の堕落です。心の闇です。こどもの悲鳴が聞こえなくなっている。
 「いじめは昔もあった」とか「こんな時代だから、少しくらい、しかたがない」などという声もある。とんでもない。
 だれが何と言おうと、いじめは絶対に「悪」せす。現に、こんなにも苦しんでいる人がいるのだから!
 「どんないじめも、断じて許さない!」という強い強い意志が、大人になければいけない。中学生にもなければいけない。それが、すべての大前提です。
 
白土 本当に、そう思います。担当者も、その決意で頑張ります。
 今回、悩みを寄せてくれたのは、中学二年生の男子です。
 「今、ぼくはクラスで孤立しています。クラスでリーダー的な人が、ぼくを『無視』したことから始まりました。その人に、他の人も合わせているんです。
 何かあって無視されたんなら、まだ、わかるんですが、そうじゃないので、話そうと思っても、また無視されるんじゃないか、答えてもらえないんじゃないかと思って、接するのがこわくなるんです。
 自分にも何か原因があるのかもしれませんが・・・・。
 まわりの人が笑ったりしていると、ぼくのことを笑っているんだと思ったりして、すごく不安になります。きっと、無視している人たちは、そういうぼくの姿を見て、楽しんでいるのでしょう。それが悔しいです。まだ授業中はましなのですが、休み時間や昼食の時間がきついです。すごく長く感じます。ぼくは、どうすればいいのでしょうか」
 
松村 「無視」――「シカトする」と言うんですが、とても多いいじめです。
 あるひ、突然、だれも話しかけてくれなくなる。近づいたとたんに、さっと逃げる。理由を聞こうにも、全然口をきいてくれない。
 これは、つらいです。
 
池田会長 残酷だ。やっている側は、軽い気持ちでやっているのかもしれない。ゲームのような感覚で、やっているのかもしれない。
 しかし、やられている側は、大変なショックです。地獄の苦しみです。
 その苦しさが、わからない。目の前のクラスメートが苦しんでいる心が、わからない。恐ろしいことだ。
 わかってやっているとしたら、もっと恐ろしい。
 人をいじめる人間は、そのとき、自分の心が死んでいるんです。
 心が人間じゃなくなっている。畜生になっている。野獣になっている。
 ある青年がいっていた。
 「きょう食べた食事のことよりも、中学時代に受けた、いじめの記憶のほうが鮮明なんです」。楽しいはずの中学時代が、何と、かわいそうなことか!
 「いじめ」という文字を見ただけで、ぞっとして、吐き気がしてくるというひともいる。
 無視だって、それは、人の心を傷つける「暴力」です。人の心に「クギ」を打ちつけているようなものだ。
 たとえ、クギを抜いても、クギの穴は残る。ずっと残る。とんでもないことだ。
 質問してくれた彼も、どんなにつらかったか。よく耐えてきた。えらいよ!
 そして今、こうして「相談する勇気」があった。これが、なかなかできないんです。
 相談することは、全然、恥ずかしいことじゃないんです。このことを、特に強調しておきたい。
 ひとりで悩まなくてもいいんです。
 なぜか。いじめられている君は、全然、どこも悪くないからです。
 質問に「自分にも何か原因があるのかもしれませんが」とあったが、そんなことを考える必要はありません。君は、どこも悪くない。
 いじめている側が、百パーセント悪い。千パーセント悪い。
 「いじめられている」側に問題があるのではない。「いじめる」側が、自分の中の「もやもや」とかをぶつけているだけです。原因は、いじめている側の「心の中」にあるんです。
 
松村 たしかに、今のいじめは、突然、理由もなく、やってくるんです。たとえば、クラスで力のある子が「あの子、むかつかない?」と言えば、みんなも「うん、むかつく」と。そして「シカトしようか」となるんです。
 
白土 次は、夏休みの中等部の研修に来ていて、自分から私に声をかけてくれたんです。話を聞いて、びっくりしました。
 明るくて、はきはきした子で、いじめに悩んでいるようには見えなかったからです。
 彼自身は「ぼくは、堅くて、柔軟性がないから、人の意見を聞けなかった面があるからかもしれません」といっていましたが・・・・。
 
池田会長 そうじゃないんだよ!
 もし、かりに、そういう面が自分にあったとしても、どうしてそれが「いじめられてもしかたがない」ことになりますか。
 だれだって、完全な人間なんかいない。欠点だらけです。だからといって、その人をいじめていいことになりますか。
 そんなことを言ってたら、いじめる側のほうがよっぽど不完全で、卑怯ではないか。人間として最低でしょう。
 「みんながやっているから」「だれかが言ってたから」「いっしょに、いじめないと、今度は自分がやられるから」
 もしか、そんな理由で、簡単に人をいじめるのを「柔軟性」と言うのならば、そんな「柔軟性」なんか、ないほうがいい!
 そんなのは柔軟性ではなく「付和雷同」という。日本人の一番悪いところです。
 だから、いじめられている人は、決して、自分を恥ずかしいと思ってはいけない。自分を、みじめに思ってはいけない。
 「恥ずかしがらないといけない」のは、いじめている側です。そちらのほうが、本当は「みじめな人間」なんです。
 だから胸を張りなさい。目を伏せてはいけない。そんな、くだらない人間の仕打ちに負けてはいけない。負けたら、自分が損だよ!
 
松村 今、思ったんですが、たしかに「いじめ」について話していると、「いじめられる側にも問題がある」という考えの人が、けっこう多いんです。
 時には、学校の先生方にも、そういう考えの人がいるようで、びっくりしました。
 この考え方が”いじめが、なかなかなくならない”大きな原因ではないでしょうか?
 
池田会長 「いじめられる側の問題」というのは、たとえば?
 
松村 よく聞くのが、「暗いから」とか「なまいきだから」とかです。
 
白土 体つきのことや、「目つきが悪い」とか、「勉強ができる」というのも理由にあげられます。
 
池田会長 しかし、反対に、勉強ができないことが、いじめの原因とされることもあるでしょう?
 
白土 そうなんです。
 
池田会長 勉強ができても、できなくても、いじめられる。
 太っていても、やせていても、いじめられる。
 「暗いから」といって、いじめられ、反対に「目立つから」といって、いじめられ、じゃあ、どうしたらいいのか。
 
 松村 どうしようもありません。
 
池田会長 だから、いじめられる側の責任じゃないんです。
 百パーセント、いじめる人間が悪い。
 第一、「暗い」とか何とか、どんな表情をしていようと、個人の自由じゃないですか!何も、そんなこと、人からとやかく言われる義務はない。何も悪くない。
 
白土 その通りだと思います。
 ただ、その子が「うそをついた」とか「約束を破った」とかが、いじめの原因になる場合もあるようなんですが・・・・。
 
池田会長 それが事実だとして、「だから、いじめていいんだ」ということになりますか?
 たとえ、相手が悪くても、いじめてはいけないんです。
 相手がうそをついたら、ナイフで傷つけていいのか。
 そんなことはない。
 相手の性格が悪かったら、殴っていいのか。
 そんなことは、絶対にない。
 それと同じです。
 「いじめは」は暴力です。どんな理由も、理由にならない。
 「いじめられる側にも原因がある」というのは、いじめる人にとって、つごうがいいから、そう言うのです。
 また、いじめを「見て見ぬふり」をしている人が、自分の勇気のなさをごまかす「言いわけ」です。
 私は、そう思う。
 
松村 本当に、そうです。もしも、何かの理由があって「気にいらない」なら、それを友情をこめて伝えて、なおすように努力してもらえばいいんですから。
 だけど、そんなことはしないんです。「いじめの材料」に使っているだけです。
 
白土 父親に相談したら、「いじめられるなんて、お前に『いくじがない』からだ」とか言われて、いじめられている自分のほうが悪いように責められた人もいるようです。
 いじめられるのは「弱い」からだ、強くなればいいんだ、という声はよく聞きます。
 
池田会長 それも、まちがいです。
 いじめを増やしている原因です。
 それじゃあ、いじめている人間が「強い人間」なのか。そうじゃないでしょう。
 人を苦しめる人間の、どこが強いんですか。
 人間として、一番弱い、一番醜い心ではないですか。
 自分で自分の醜い心に負けている「弱い人間」ではないですか。
 そういう暴力人間を「強い」ように勘違いしているところに、「いじめ」の根源がある。日本社会の狂いがある。
 昔も日本は、お隣の韓半島(朝鮮半島)や中国を侵略しておいて、「日本が強く、相手が弱い国だったからだ」と、まるで相手が悪いようなことを言っていた。
 その狂った論理が、今も抜けきっていない。社会全体が、今なお「人間としての正義」ということがわかっていない。ここに問題があるんです。
 
白土 よくわかりました。
 
松村 いじめで自殺した子にたいして、「死ぬのは、本人が弱いからだ」と言った人がいました。私は、死んだ子が、かわいそうで、涙が出てきました。
 死ぬところまで追い詰められて、どんなに苦しかったことか・・・・。それなのに、死んだ後まで、なんで、そんなことを言われなければならないのか!
 だから、池田先生が「いじめたほうが千パーセント悪い」と、はっきり言ってくださって、本当にうれしいです。
 
池田会長 そうだよ!だから、いじめられている人は、「自分が悪いんだ」などと思ってはいけない。自信をなくしてはいけない。
 「どうせ自分のせいなんだ」などと、あきらめてはいけない。
 反対に、「自分は、正しいんだ」「いい人間なんだ」「自分には、すごい使命があるんだ」と言い聞かせなさい。本当に、そうなのだから!
 心の中で、「君たちが何をしようと、自分は負けない!まちがっているのは、君たちだ!人の悲しみがわからない君たちのほうが『悪』なんだ!」と叫びなさい。
 そして「自分は、一生、人をいじめるような人間にはならない」と決意することだ。
 
白土 本当は、いじめる相手に対して、「やめろ!」と言えれば、一番いいんでしょうが・・・・。そうすると、「反抗」したために、よけい、いじめられるようになる場合もあるんです。
 
池田会長 それは状況しだいだし、いじめがひどくならないよう、賢く対処しなければならない。
 「いじめは狂犬にかまれたようなものだ」と言った人がいる。正しい反論が通用するような状況でないことが多いでしょう。
 だからこそ、「いじめ」という狂ったことをするのだから。
 しかも、今のいじめは、大人が想像できないほど陰湿で、暴力的になっているといわれる。まともに相手をして、けがをしてもしかたがない。
 具体的にどうすべきか、これから一緒に考えていきたいと思うが、ともかく、どんな状況にあろうと、まず「心では負けない」ことだ。「あきらめない」ことだ。
 「絶対に、乗り越えてみせる!」と、まず決めることだ。
 そう決めれば、状況によって、いろんなやり方があるはずです。
 もちろん、状況は千差万別だから、「こうすれば絶対、解決する」という「マニュアル(手引)」はないとも言える。
 ただ、どんな場合にも言えることは、「ひとりで悩まないほうがいい」ということです。
 親にでもいい。信頼できる先生にでもいい。未来部の担当者にでもいい。
 誰にでもいいから、「いじめ」の事実を伝えることだ。
 相手に、陰湿に逆襲されないような工夫はあるはずです。
 大人に伝えるのは「告げ口」ではない。
 それは、君たちの「武器」であるし、これから、ほかの子が同じような犠牲者にならないためでもあるんです。
 「いじめている」側は、それを多くの人に知られることが一番いやなんです。
 「親に心配かけたくない」という人もいるだろうが、相談してくれたほうが、親は、よっぽど、うれしいんです。
 「あんまり、大さわぎしないでほしい」と思う人は、きちんと、それを言ったうえで、やはり、知っていてもらったほうがいいと思う。
 人に助けを求めることは、恥ずかしいことではない。だれでも、それが必要なときがあるんです。
 また、相談を受けた人は、ともかく、まず、じっくり話を聞いてあげてほしい。途中で話を、さえぎらないで。
 黙って、とことん聞いてあげることが、まず一番必要なことです。 
 ともかく、いじめを「我慢しなければならない」理由なんかありません。人権侵害には、反撃する事が、正しいんです。
 「いじめる」人間は、最後は堕落し、きらわれ、敗北していく。かわいそうな人間です。なおしてあげなければいけない人間です。
 むしろ、「いじめられた」人間のほうが、最後は勝つ。
 また、勝たなければならない。
 そのために、何ができるのか、それを、これから一緒に考えていこう。
 
                  〜9月20日付け 『聖教新聞』 より〜

No.217 組長さん、ご意見ありがとうございました。
初めまして。以前何度か伺ったのですが、今回初めてお便りします。
 
自分自身幼い頃からいじめられて育ったので、ここに寄せられる投稿は他人のような気がしません。どうやら学校といじめは相変わらず切っても切れない関係にあるようですね。
・・・いじめに対する私個人の意見を体験談を踏まえて述べさせていただきます。
少しでも参考にしていただければ幸いです。
 
○まず、いじめは無くなりません。しかし減少させることは可能だと考えます。幾つか同意見もあるようですが「自分が強くなる」これに尽きます。もっといえば「強くなると決心する」ことが大切です。人間いじめられすぎると、ただ生き長らえることだけ考えるようになり、卑屈になったり無気力になったりします(体験済み)。そこでまず自分の弱さと正面切って向き合い、それを認めることが必要です(かなり勇気が要ります)。そしてそこから本気で這い上がろうと決心すること(させること)が大切です。
 
○いじめは転向や登校拒否によって回避することは可能です。しかしそれは一時的なものでしかありません。どこかで振り返って追いかけてくるものと闘わなければ、一生それの影に怯えて生きていくことになります。そんな生き方を「イヤだ!」と本気(生半可じゃ駄目です)で思わせることが、周囲の大人が本当にすべきことなのではないでしょうか(もちろん心の支えになることも大切です)。人はいつか一人で生きていく日がくるんですから・・・。
 
○はっきりいって「強くなる」と決心した後の人生は、いじめられている時の何倍も辛いです。「理想の自分」と「現実の弱い自分」のギャップに苦しみます。いままでは家に帰ると安全だったのが、寝ても覚めても自分の不甲斐なさ・非力さに苦しみ出すわけですから。この「現実の弱い自分」というのは生涯最強の敵と言ってもいいかもしれません。しかしこれを抜けないと強くなることは出来ません。何か一つでも取り柄があるとそれを励みに飛躍することも可能ですが・・・。周囲の人間は、その人の取り柄を見つけてやり、誉めてやることが大切でしょう。そして本人がそれを自覚し、自信につなげた時本当の意味で強くなったと言えるのではないでしょうか。
 
以上です。えらく長くなってしまった(笑)。「いじめられなくなる」くらいでは面白くないです。どうせなら「オレの周りでいじめは許さねぇ!」くらいになる気概でいきましょう。いじめを減少させるには、元いじめられっこが立ち上がるしかないんですから。

No.218 ラルスさん、ご意見ありがとうございました。

初めまして。私はラルスというものです。
いじめ問題が大きく表面かしてきた今
過去にいじめにあった人間として少しでも苦しんでいる人たちの力になり
また、自分自身の過去を知らしめることで気持ちが軽くなればと思い
このホームページにたどり着きました。
自分と同じ経験をした人たちがこんなにたくさんいたのだと改めて感じ、胸が痛くなりました。
乱文ですが、まずは挨拶まで。
 
No.219 りささん、ご意見ありがとうございました。
私は今大学4年で、卒論を書いています。その内容がいじめについてだったので、このホームページを見つけました。
私は自分がいじめを受けていたことがありません。それは、今思うと私がちょっと変わっていたからだと思います。
私はいじめられても気にする素振りは見せないし、勝手にやってれば・・・みたいな大人びたところがあったのです。
でも、友達は違いました。クラスの中にはやはり標的にされる子がいます。小学校の時は主に身体的なことでいじめられていました。
教室に入れないとか、「ばい菌」と言うとか。私は幸いにもその子たちを守ることができました。
私の学校の先生達が必死になっていじめに立ち向かっていたのです。中学校でもそれは同じでした。
いたって平和な学校だったのです。私だけでなく、クラスでも守ろうとしてくれる人たちが多くいたのです。
だから私は本当の苦しいいじめというモノを目の当たりにしたことがないんです。
その中で唯一のいじめは中学3年生になった時です。担任の先生がよその学校から赴任してきました。
それまで私の学年では特に目立ったいじめはありませんでした。それが、急にいじめが起こったのです。
学年というわけではなくごく小さなモノだったのですが、クラスの中で起こりました。
特に何が悪いわけでもなく、ただ人よりもちょっと勉強が苦手で友達が少なかった女の子。彼女が標的でした。
2人の女子が常にいじめていました。しかし、いじめにはうるさい私の学校では大きないじめはなく、先生の見えないところでしかとしたり、軽くぶつ程度。最初は私もふざけているのかと思っていました。
いじめだと分かったのは修学旅行の時でした。加害者と被害者、3人が同じ班だったのですが、被害者の女の子が班別行動を休みたいと私に泣きついてきたのです。
きっとちょっと友達からはずれている私が1番先生にも頼らず何とかしてくれそうに思えたのでしょう。
私は保健の先生に体調が悪いと伝えてその場はしのぎましたが、やはりその後ほっとくことができず、担任に相談。
担任は「おまえが守ってろ。」それだけ言いました。なぜだか分からないけど、私はその場で泣きました。
悔しかったのか、なんだったのか・・・。私がいじめられているわけでもないのに。
その時、友達から1歩離れて変わった感じだった私ですが、それは自分を守るためのカモフラージュだったんだと気づきました。
本当はみんなといろいろと話したいし、一緒に行動したい。でも、それでいついじめられることになるか、それを考えると怖かったのです。
私は臆病だったんです。だから自分をだまして友達を作らないことでいじめから自分を守ろうとしていたんです。
先生が言ったこと、それは先生が守ってくれないと言うことと同時に、私が守ること=私もいじめられるかもしれないと言うことで、逆にその子を守るぐらいなら私はその子と一緒にいたくないと思ってしまったんです。
だって、クラスの誰1人も彼女を守らないじゃない。見て見ぬ振りしてるじゃない。だったら私だって・・・。
でも、そう考えたら悔しくて、私という人間がなんなのか分からなくなり、結局泣いてしまったんだと分かりました。
いじめは悪いこと、わかっています。傍観者も悪いこと、それも分かります。だからこそ悩むんです。
きっと傍観者で過ごした人はたくさんいるでしょう。いじめなくても傍観者で過ごした人は・・・。
私もその1人になりそうでした。でも、そのいじめられていた女の子が私を助けてくれました。
「私を守らなくてもいいよ、あなたまでいじめられちゃうから。」と言ってわたしをやさしい目で見てくれたのです。
先生よりも頼れる・・・っと正直思いました。そんな彼女がいじめられているなんて思えない・・・とも。
それからはずっと2人一緒でした。2人いればいじめもたいして感じません。やばそうだったら先生に言えば良いし・・・。
何度も言うようですが、私の学校はいじめに厳しかったので、だから楽観的になれたのだと思います。
クラス全体でのいじめもなかったし・・・。その点で私は学校やクラスメートに恵まれていました。
私の体験記にはならなかったのですが、少しでも傍観者のつらさを分かってほしいと思いメールしました。
そして、傍観者が傍観者じゃなく、守れる人間になれると言うこと、それが大事なんだと言うこと、それをお伝えしたかったのです。
1人でも被害者の味方になれば少しは状況が変わるのです。きっとみなさんも分かっていることだとは思うんですけど。
長くなってしまいましたが少しは参考になればと思い、メールしました。
最後まで読んでいただいてありがとうございました。

No.220 waterさん、ご意見ありがとうございました。

こんにちは、はじめまして。私は7才(小2)と3才の子どもを持つ母親です。
実は、7才の子が、最近一緒に学校に通っている子に無視されています。クラスは違うのですが、誘いに行くと「先に行ってて」と、この1ヶ月くらいいわれ続けてて(それでも誘いに行き続けるような我が子)、会うと顔を背けて通り過ぎるのです。しかも、その子は同じマンションの隣の部屋に住んでいます。
実は、母親どうし気が合わず、正直いって仲が悪いです。なので、子どもはそれを感じ取っていたのかもしれません。家が近すぎてうっざったいのかもしれません。
もしかしたら、無視されるくらいよくあることで、まだ心配するほどではないかもしれない(本人は辛いですけど)。でも、なぜこんなに不安なのかというと、わたし自身が小学校、中学校といじめられた経験があって、そのときすごくつらかった。今でも思い出すと涙が出そうです。
だから、できることなら、ひどいことになる前に、なんとかならないか、あせってしまうのです。
隣といい関係を作れなかったこと、子どもの頃の私とそっくりな性格の息子であること(ばかが付くくらい真面目でおひとよし)、考えれば考えるほど、後悔や辛い気持ちが込み上げてきます。今から私にできることは何なのでしょう。
ここに書くことで、少しでも気持ちの整理ができたらと思って、投稿しました。
ほとんど愚痴みたいな内容ですね。読んでいただいてありがとうございました。

No.221 ななせさん、ご意見ありがとうございました。

もし、今、いじめられている人がいるならば・・・
私は、一つだけアドバイスしたいことがあります。
本を読むのです。
 
ありとあらゆるいじめを受けていて、逃げ出したくなった時、そこから逃げるのはとてもいいことです。
学校を転校するのはいいことです。
自分を守りたいから、自分をこれ以上傷つけたくないから、逃げたいと思うのは自分を愛している証拠だからです。
 
そして、それは、普通の人なら、そう思うのは、しごく普通のことなのです。ってか、当然です(笑)。
 
決して、自分を良く見せたい、だとか良く見せようなどとは思ってはいけないのです。
でないと本当に取り返しのつかないことになってしまいます。
自分を救ってやるのは自分しかいないのです。
そしてそれは、自分で動き出さなければ変わらないということなのです。
思い切って、親に転校の話を持ち出してみましょう。
つらいでしょうが、耐えてください。こんな痛みはただの一瞬です。
一生続くわけじゃない。
 
逃げ出したいのに「逃げない」だとか、「負けない」というのは、あまりにもバカげています。
意地を張っているだけとも取れます。キレイ事ともいえるような・・・。
自分を成長させるにいい機会???
成長するより前に、自分はどんどん変質していきます。
自分で止めようと思っても止められるものではありません。
自分ではどうすることもできないことってあるのです。
そしてそれは目に見えないとても大きな力で動いています。
勝てるわけがないのです。そしてこれはあまりにも無意味な戦い。
 
そして万が一勝ったとしても、あとに残るのは「いじめにかかわっていた」
という思い出だけ。
これがいい思い出でしょうか?
それに、つらいことなんて、あるよりない方がいいに決まっているのです。
自分には正直になりましょうネ!(笑)
 
そもそも、「逃げる」という行為にどんなメリットがあるのでしょうか?
自分に正直に生きるため。
・・なのですが、その根源をたどれば・・・ですね・・(笑)。
『自分を愛してやる力』を失わずに済む事です。

これはいったん失ってしまうと、取り戻すのに膨大な労力を使います。
もう元の自分には戻れない人もいるだろうと思います。
一番大事なものって、失ってから初めてその大切さに気づくものです。
 
そして、心の平安を取り戻したなら、次にすることは自分の心を構築することです。
本を読むのです。
(もし、やむ終えない事情で、もしくは、その状況(いじめ)をあまんじなけらば
ならないとしても、これは、とても有効な手立てです。
どうか、ぜひ、参考にしてください・・・。)
今までの自分を癒す為、これからの自分を強く想像する為、自分をいじめた人を哀れに思うため、その人を軽蔑するため、
何者にも冒されない自分だけの精神世界を創造する為・・・。
つまり、自分だけの聖域を創る為です。
これによって、自分が一皮剥けることは確実(笑)。
 
人を信じられなくなったら、必ず、本はあなたを救ってくれます。
本とは、無言にも、本当にさまざまなことを知っているし、誰に対しても、いつわることなく、色んな事を心ゆくまで教えてくれます。
人との付き合いとはどういったものなのか、正しいものの考え方とはなんなのか・・・等々。
先人達のものの考え方もとても為になるんですよ。
心にたくわえが出来ます。余裕というか。
 
そして、それらが積もり積もって、きっと人を信じられるようにもなっていくことでしょう。
 
本とは、自分を豊かにするひとつの糸口なのです。
決して、それがすべてとはいいませんが、もし、いきづまっている人がいたらば、そんなことも思い出して欲しいと思いまして・・。
 
自分を愛する為にも、人を愛していく為にも・・・
本はとてもいい味方になってくれるものです。

No.222 死ねない私でよかった♪さん、ご意見ありがとうございました。

初めて、カキコさせていただきます。
 最近、新聞やテレビがいじめいじめと騒ぎ立てていますね?
便乗、というわけどはありませんが、私の意見を書かせていただきます。
 
 いじめられてる・・いい気分ではないですよね?
できれば、解決したいと思いませんか?
 アナタは、自分にいじめられる原因があると思いますか?
 いじめには、ほとんど自分に原因がない場合と、自分にも原因のある場合があると思うんです。
 どこに行っても、いつになってもいじめられる!!そういう人に聞きたいです。あなたはいじめられているのですか?それともただ、嫌われているのですか?幼い頃の私は、後者でした。その頃は、そんなことを考える余裕などなく、ただただ、自分をいじめる人達を憎んでいました。
 その頃の日記を先日発見したのですが、恥ずかしくて顔が真っ赤になりました・・(^-^;)「死にたい」とか「私が何をしたというのか・・」「今私が死んだら、奴らは後悔するのだろうか・・」今にして思えば、私には嫌われる要因・・結構あったんですよね。まあ、だからといってそれをいじめを受ける理由にしたくはないですけど。
 その辺は割愛(笑)させていただきますが。
 それと、誰かがいつも自分の悪口を言ってる!!と思ってしまうこと、ありますよね?
 ちょっと冷静に考えてみましょう。
 一日は、24時間もあるんですよ。自分を嫌っているだろう相手が、24時間自分のことを考えてる・・なんておかしいでしょう?
 確かに、人に嫌われるのも悪口を言われるのも嫌な感じです。
 でも、あなたはその人のこと、好き?
 相手が、嫌ってるんだもん。私も嫌い!
 あなたは、その人のこと悪く言ったり思ったりしたことは?
 相手が、言ってるんだもん!私だって!!
 ・・んじゃ、もし相手が同じように考えていたのだとしたら?
 人の心は、読めないものです。辛いこともありますけど、そんな時は、ゆっくり一杯のお茶を飲みながら、考えてみませんか?
 自分以外の人のこと。
 
 そうじゃなくて、もう、そんなレベルじゃなくて・・
 暴力を受けたり、金銭の受け渡しを強要されたり・・そんな時。
 それは、親と相談するべきだよ。
 学生さんは特に!
 親御さんも、自分が与えたお小遣いの大体の管理はするべきじゃない?
 ただ、気をつけて!大人が突然割り込むと、話は急に進んでしまいます。
 ゆっくり家庭で話し合うこと!自分で、じっくり考えること。
 狭い世界に閉じこもらないで。
 世界は、君が思ってる以上に、きっとずっと大きいから。
 どうしようもなくなったら、言ってみよう。「引っ越したい!うんと遠くに!!」
 その場合は、理由もちゃんと打ち明ける覚悟が必要だけどね。
 
 なんだか、長くなってしまいそうなので、この辺で終わります。
 御迷惑でなければ、またお邪魔しますね。
 
 最後に、親御さんへ。子供さんの姿を御自分に重ねるのはやめましょう。
 アナタのお子さんは、アナタの過去ではなく、一人の人間です。

No.223 かなかなさん、ご意見ありがとうございました。
私は、高校1年生と中学2年生の子供の母です。高校生の子供は、幼稚園の頃からいじめに遭い、その親に話しをしました。しかし、親自体もなんの反省もなく、悪びれる風も無い事が多いのです。そういう親の元で育って子供が、人の心の痛みがわかるはずもなく面白半分にいじめに走るのではないでしょうか?いままでいじめの事で私は、子供と共に動き、わかった事があります。
それは、いじめている子供にいじめられている子供が自分の言葉で気持ちをぶっけることです。親は、どうしてしもその子を守ろうとすると自分の感情で話し相手は、ただ怒られたぐらいにしか思わない。だから、ちくれたと今度は、自分のほうが被害者きどりでいるのでしょう。
子供に対して見本になるような大人が少なくなったのでしょう。それが、今のいじめがなくから理由になっているのだと思います。いじめに遭った子供達が将来、自分の子供には、人として
どうあるべきか教える事の出来る大人になれると思います。
No.224 うにさん、ご意見ありがとうございました。
前に一度投稿したことがあるものです。
そういえば、私の今住んでるオ−ストリアでも1件(!)いじめに関する話があったなっと今思い出しました。
その時にはニュ−スで報道されたので、私も知っているのですが。年齢的に中学生くらいの子供が一人のクラスメ−トにいじめられていたのですが、この件は、他のクラスメ−トが先生に報告したため発覚しました。ちょっと詳しいことはよく覚えてなくて恐縮ですが、いじめた子供の方は家庭環境が余り良くなかったとか何とかで、このあと精神カウンセラ−に送られました。これ意外に、隠れたいじめがこの国にあるとは、私にはほとんど思えません。私の個人的な視点からしても、日本と同じような意味でのいじめが生じる原因になりそうなことが見当たりません。
学校には規則も入試もありません。卒業試験はあるが、受からなけれは落第するだけで、それも恥ずかしいことではないため、精神的ストレスはほとんどないものらしいです。個人の性格や特徴などは違いがあって当然のこととされます。変わっていようが、不潔だろうが、超自分勝手だろうが、嫌われてもそれでいじめられるなんてありえないといってもいいと思います。
またオ−ストリアの学校では、先輩・後輩とか区別せず、みんな同じように付き合います。果ては先生や友達の親に対しても、ほとんど立場の違いを意識することがありません(ドイツではこうはいかない。)職場なんかでも上下関係の様なものは余り無いとか。
私の個人的な意見ですが、いじめっていうのは、簡単に言えば、ある一定の相手の何らかの事柄を一方的に「悪」と決め付け、その結果「善」になった自分の側はそれを理由に優越感を得る、それで「善」の方は「悪」をやっつけてもいいと勝手に正当化出来るというものだと思います。ただ単に自分より弱そうな人をいじめるケ−スもたくさんあります。どちらにしても、自分の方が立場が上であることに満足感を覚えているのです。こういうことは、オ−ストリアの様な個人主義の国では当然起こりにくい訳です。受験ストレスも、先生や親からの圧迫もこちらにはないため、いじめで欲求不満を解消する必要もないのです。
一方オ−ストリアでは、まだそれほど多くないようですが、外国人(特にアフリカ人)が学校でいじめられるケ−スが増えてきています。この人種差別問題は、日本のいじめとは全く違う問題の様に見えるかもしれませんが、私個人としてはこれらは根本的には原因を同じくしているように思えます。長くなったので、また今度続きを書きます。

No.225 岩岡広行(rock)さん、ご意見ありがとうございました。

私が学生のときは好んで喧嘩などはしませんでしたが、同じ中学の生徒が他校の生徒に絡まれていた時とか、他校の生徒が徒党を組んで私の学校に攻め込んできたときは駆り出されていていました。私は地域最強として不良グループから絶対に手を出されない立場でしたので、例えばいじめの場面に出くわしたときとかなど、いじめている側に(そうゆうのは気に入らないので)蹴りを入れたりしていたので、少なくとも私の前ではいじめはありませんでした。ある意味恐れられていたので、いじめられていた人に感謝される事はありませんでしたが、それでいいと思っていました。
ニュースでもアナウンスされましたが、最近私の母校の近くの学校でいじめによる自殺した女の子がいます。最近の学校には例え孤独を選択しようと気にせず闘える私のような存在はいないのでしょうか?それとも私が特殊だったのでしょうか?

No.226 匿名希望さん、ご意見ありがとうございました。

よくいじめられた子やその親etcによる本などが出ていますよね。一般的に内容は「こんなに苦しんでいる」とか「虐められる立場だったらどう思うか」といったような、感情に訴えかけるようなものが多いように思います。しかし、きつい言い方をすれば、これらが何らかの効果をあげているのかはかなり疑問です。
 
そもそも、少しでも相手の立場になって考えられるような余地があれば、テレビのニュースになる程エスカレートすることなどはじめからないでしょう。虐める側が相手のことを少しでも考えられると思っていては、所詮虐められる側から見れば結局甘過ぎる対応しかされません。
 
(ここでは高校に絞って書きますが、)最悪虐められる側が自分から学校を止めるようなケースになったとしても、やむをえないという程度で片付けられてしまうでしょう。しかし、虐めている側をもっと厳しく指導してくれと言ったところで、やはり事を荒立てるのが嫌らしく、退学どころかかなり消極的な指導しかしてくれません。普段高校は義務教育ではない、自分で選んだのだからもっと責任を持てと言っている割にはあまりにも甘やかした対応です。せめて、これ以上エスカレートすれば退学もやむを得ないということを示唆するくらいの厳しさは必要でしょう(実際にさせるかは別として)。何故虐められる側を優先して考えることすらしてくれないのか?こんなので教師に相談しなさいなどと、よく恥ずかし気もなく言っておれるものだと思います。感情的にならずとも、これで解決すると思う方が相当間抜けであり、「何故相談してくれなかったんだ」などという台詞に至っては、空いた口が塞がりません。とは言うものの、教師も立場的にどうしようもないことは分かります。かといってシステムを根本的に改善云々と言っていて、すぐになんとかなるとは到底思えませんが。w)窓u巨燗セなど無意味に等しいし、学校側は当てにならないし、親はこの場合蚊帳の外でしょう。あと何かありますか?相談所とか○○テレフォンとかありますが、どういう対応をしているんでしょう。関係者に何ともならないものを部外者が改善できるのでしょうかね。
 
思い付きでどんどん書いたので、拙い文章で済みません。
 
No.227 今井千賀子さん、ご意見ありがとうございました。
私はいつもいじめる側にいましたが、いじめられる奴はそれなりにクズな奴等が多いと思う。
大体自殺して現実から逃げる糞ははじめから生まれて来なければいいはず!!
自分がいじめられてるからといって逃げてる奴は本当に単なる雑魚に過ぎない。
自分の力で解決できない奴はこれから一生大人になってもゴミはゴミ!!!
だからこんなくだらないこと意見や感想は止めた方がいい。 いじめられる奴もいじめてる奴も自分自身で解決しなくては一生成長しないでしょう・・・・。
 
No.228 銀河さん、ご意見ありがとうございました。
いじめはいけないこと。いじめはいらない。必要ない。だけどいじめはこれからもなくならないだろう。弱い者がいる限りさらに弱い者をいじめるから。あまりいじめについて語りたくない。
もっと深いものだから。一言では語れない。永遠に続くでしょう。だけどこれは言えるいじめはこの世には必要ないもの。
 
No.229 tomomiさん、ご意見ありがとうございました。
初めまして。このHPに来るのは2度目なのですが・・・。
私は今、学校で「いじめ」について調べそれを今度ある校内発表で発表するつもりです。
このHPにはいろいろな資料があり、たくさん活用させてもらっています。
 
ところで私が今調べている中でどうしてもお尋ねしたいことがあるのです。
それは、アンケートでもあったように、いじめの原因はどんなに調べても「社会」や「家庭」にほぼ問題があるという答えが多いのですが、ほんとうにそれだけなのでしょうか?確かに今の社会や家庭環境にも問題はあると思いますが、私はなぜか、それがただ単にこのいじめという問題に目を背けているだけのような気がしてなりません。なんだか、自分たちは悪くないと言ってるようにしか思えないのです。
私は社会や家庭の問題にする前に、今いじめが多い中・高校生が自分たちの問題として受け止めるべきだと思います。そうしない限りいじめはなくならないし、少なくもならないと思うのです。そこで、私がお尋ねしたいこととは、
 「私達に何ができるのか」です。ただ社会のせいにするのではなく、自分たちの問題として受け取るために、私達はどんなことを心がければいいと思われますか?考えでも結構ですので良ければメールで意見をいただきたいです。それも、私の発表資料に加えたいと思っています。
 このことを伝えて私も少しでもいじめがなくなるようみんなに訴えていきたいと思っています。よろしくお願いします。
 
No.230 匿名希望さん、ご意見ありがとうございました。
いじめって最近始まった事じゃないですよね。
私はもうすぐ30才になりますが、小学校の4年生〜6年生までの3年間ずっといじめにあっていましたから。
今から20年前には今程露骨でないにしろ似たようないじめはありました。
確かにいじめられる方にも悪い点があるのかもしれません。たとえば自己中心的であったりとか。
相手が好きになれない、嫌いだ‥‥というのはしょうがないと思うんですよ。性格は十人十色ですし、30才になった今でもやっぱり好きになれない人っていうのはいますから。
でもそれと「いじめ」は全然別の次元の問題だと思います。
好きじゃなければ距離をおけばいいこと、何か感情のもつれがあったら喧嘩をすればいいことです。
「相手が悪いから、気に食わないからいじめた」というのは理由にならない。
いじめは個人対個人の問題じゃないんですよね。中心になる人物達がクラスメートを扇動するんですよ。
静かに目立たないように。自分もその輪に加わらないと、今度が自分が標的にされるっていう圧力がかかるんです。そしてクラスの中で孤立する。
無視される、グループ分け(遠足の時なんかにしますよね)で誰も入れてくれない、筆記用具をわざと床に落とされる‥‥確かに今の時代のいじめとは違います。でも20年前でも暴力によるいじめはありましたよ。
私は頭を殴られて血腫ができたこともありましたから。今は恐喝と暴行ですもんね。そういう意味では内容は随分エスカレートしているみたいですけど、根本にある「動機」はあんまり変わっていないんじゃないかと感じています。動機はなんだったのか‥今でもたまに考えますけど、気に食わない人を標的にしてみんなで集まって楽しんでいたとしか思えない。一つの事へ集中することでの同士感や多数派でいることの安心感を得る一つの機会だったんじゃないかと思っています。いじめに理由なんてないんじゃないですか?
よく「今の子供には余裕がなくてストレスが溜まっている」のが一因だ‥などと言われますが、今から20年前だって受験戦争はありましたよ。私は3年生の3学期からずっと塾通いでしたし、そういう子は何人もいました。
 
じゃあ昔と今と何が違うか‥と考えてみると、まず・親の躾が違うと思います。今の親は甘い。
また自分の子への観察力も低い。叱ることだけがしつけではないと思っていますから、今の親が子を叱らないといっているわけではありません。何故それをしなくてはならないのか、何故それをしてはいけないのか、その理由をちゃんと子供と話し合うのでしょうか。頭ごなしに「勉強しろ」「ゲームばかりするな」といっても何故そうする必要があるのかを話し合わなければ理解には至らないのではないでしょうか?叩いた時に人が感じる痛みも、自分で感じてみないとわからない。これをやったら人が死ぬってことは、10才でも本当は分かっていなければいけないことなのに、限度がわからない。これって親の教育の範疇じゃないですか?
 
学校の先生の態度は今も昔もかわりませんよ。訴えてもまともに取り上げてくれない。
「無視」がいじめとの認識が薄い。加害者に謝らせれば終わると思っている。これってすべて教師もいじめの本質がわかっていない証拠じゃないかという気がしてなりません。
 
最後に、いじめられた人は「自分が悪い」なんて思う必要はない。
そこに好き嫌いといった感情の不一致があったとしても、それは「いじめ」の理由にはならないと思うんです。
ですから周りも「いじめられた方にも原因があったんじゃないか」などというべきではない。
なにか原因があったらいじめが正当化されるのでしょうか?
「いじめ」は当人がそう感じたら「いじめ」なんです。嫌われていることといじめの違いは当人はわかるんです。
嫌われるときは自分にも思い当たるふしがあるから。でもいじめは突然始まるんです。
また加害者側は「ふざけているだけで、いじめているとは思っていなかった」ってよく言いますよね。
絶対いじめているって分かっているはずなんです。確信犯なんですから。ただいじめが悪い事、してはいけないことという認識が欠如してしまっているから、自分にとってはそれ程の重みを持っていないということなんじゃないでしょうか?
 
私は中学受験をして私立へ行きましたから、いじめられた人達と同じ中学に行く必要がなく小学校卒業とともにいじめも終わりました。それからはそういう経験もなく多くの友人に囲まれて楽しく過ごしています。でも今でも昔いじめで中心にいた女の子の家の前を通ると昔の記憶が蘇り、涙が出ます。多分一生名前を忘れる事もないと思います。
 
No.231 はまさん、ご意見ありがとうございました。
今日はじめてこのHPにきました。
私は中学のときに担任の数学教師からいじめを受けていました。
私は物心つく頃からあまり母親にかまってもらえず、いつも空想の中で遊んでいて、そのため人見知りが激しい変わった子供でした。
自分でも確かに変わった生徒だったとは思うのですが、だからといっていじめられる理由にはならないと思うのです。
 クラスの大半が答えられない問題なのに私だけそれを理由に廊下に立たされる。
 他の子がしたいたずらも全部私が犯人扱い。
 テストで良い点を取るとカンニングとみなされ私だけテストのやり直し。
 その他数え上げたらきりがないくらいです。
クラスメート達も最初は同情してくれましたが、そのうちに自分も標的にされたらかなわないと思ったのでしょう。私から遠ざかっていきました。(まあ、その事に関しては責められないですけどね。)
親に相談しても、「先生がそんなことをなさるはずがない、おまえに原因があるに違いない。よく考えて反省するように」との事。そんな中、私はどんどん人が信用できなくなりました。高校へ入学すると、自分で「私にかかわらないでよ」という棘のようなものを出した態度でまわりの人たちをけん制しました。人を信用しない。人に頼らない。それがわたしの最大の防御だったのです。
今は信頼できる夫と子供にも恵まれて平和な日々を送っています。
もし子供が学校でいじめを受けたとしたら、相手とその親に直接話しに行くでしょう。
世間はあまりにも学校を頼りすぎています。
自分の子供が起こした事です。しつけをしたのは親なのです。学校は教育を受ける場で十分だと思っています。それ以上の事を期待しすぎていませんか。中途半端なかかわりは逆に混乱します。
学校で頼れるはずの教師にいじめられた心の傷を持つものの考えです。
偏った考えですが、今の心境です。
 
No.232 ミュウさん、ご意見ありがとうございました。
はじめまして  
自分も小学、高校といじめにあっていました。小学校のときはいじめられ強制的にいじめさてられたりしていました。高校のときは、ほとんど恐喝ですね、お金を取られました。なぐられました。何度となく死のうかと思いました。でもなんとか死なずに今人生を送ってます。
小学校のときは、じいさんがいじめてる人たちをしかってなくなりました。
高校の時は、先生(生徒指導部)に助けを求め、なんとかなくなりました。
 
自分が思うにいじめって誰もが原因じゃないでしょうか。
親(大人)。過保護すぎて怒れない、殴れない、
学校。親PTAなど、怖がって怒れない
世に中。受験、ストレスがたまる環境、何でも手に入る 情報など
誰が悪いって犯人を探すのではなく、一人一人がどう思うか
一人一人が真犯人じゃないかなと思います。
 
良いこと悪いこと、しっかり教えられない未熟な大人。中途半端な大人が中途半端に子供お育てるから、こんな世の中になる。基本的な礼儀も知らない、親は怖いもの正しいと思わせて育てるそして親さえしっかりしてれば・・・どうかな
 
50年前っていじめってあったのですか?
ないとはいえないかもしれないけど、今と違うのかな、違ったら今と過去を比べてみるといいかも、何かわかるかも、と思います。
 
No.233 じゅーくさん、ご意見ありがとうございました。
自分はいじめられた経験がある。しかも学年全体からのいじめ。あれはひどかった・・・
何もしてくれない学校と家庭。何も信じれなくなってしまい、結局人間不信に。
「頼れるのは自分だけ」と言い聞かせていた。あのころは毎日がが地獄で生きている感じがしなかった。(ちなみに中学の頃)
 でも、自分の場合はいじめは解決した。「暴力」という最悪の結果で・・・
あまり良い例ではないが。しかし、あの時はそうするしかなかった。
 なぜなら、そのままだと絶対死んでいたからだ。
 いじめた奴の親まで殴った。学年のほとんど殴った。先生までもだ。
と、自分の解決方法はこんなのだが今思えば暴力はいけないよ・・・ちょっとしみじみ。
 
No.234 なっこさん、ご意見ありがとうございました。
いじめをうけている子供たちは、それだけの世界で暮らしています。もっともっと今いる世界と違う世界もあるんだよって、大人が教えてあげたほうがいいとおもいます。学校だけのいじめの生活だけでは明日が怖くてたまらないとおもいます。いじめは相手のあることなので、すぐ解決できません。だからいじめを考えながら、自分の楽しい事もしていってほしいです。世界は広いなって思ってほしいです。とくに親はいじめをなくそうと必死になるけど、それより、子供さんの楽しいことをみつけてあげてください。そして、その世界を誉めてあげてください。学校だけの世界だけに子供さんをとじこめるのはやめてください。
 
No.235 浪人さん、ご意見ありがとうございました。
僕は今、予備校生なのですが、予備校の中で高校の同級生からいろいろ陰湿なことをされています。僕は保育園のときからいじめをされていたのですが小学校3年の時にクラス全体からいじめを受けて親に学校に行きたくないと訴えたのですが親は何もしてくれませんでした。それからしばらくして自分に対するいじめはなくなったのですが今度は別の子に対するいじめが始まってそれに僕も荷担するようになったのですがそれに対して回りから僕だけがひなんされるようになりました。僕がいじめをするがわに回ったことは決して正当化できることではありませんが僕がいじめをされていた時には助けてくれなっかたのにぼくを非難することがどうしてできるのかと思いました。それから中学、高校でもいじめを受けてばかにされることが続いたのですがそれがおさまったときにはまた自分がする側に回ってまた回りからいろいろと悪口を言われるということの繰り返しでした。今になってやっとそういうことはしないでいこうと堅く思うようになりました。でも教師には何もしてくれなかったことへのうらみがありますし社会へのうらみもあります。
No.236 おゆきさん、ご意見ありがとうございました。
こんにちわ。
わたしは、私立中学校に通う1年生です。メールをするのは初めてですが、人差し指一本でがんばります。
私の学校でも「いじめ」について考えています。クラスでいじめはありませんが、学校の勉強でたくさんのことを学び、深く考えるようになりました。
さきほどのアンケートで、わたしは「いじめはなくなる」と書きました。というより「なくなるようにと願う」といったほうが正しいかもしれません.私の大師匠(?)とゆうか、大先生が、「いじめはなくならない。と言う人が1人でもいたら、この世からいじめはなくならない。」と、言いました。この方は、じぶんの意思をしっかりと持った方です。そして、こうも言います。
「いじめるほうが、100%悪い。人には誰にでも欠点がある。たとえそれがどんなことであろうと、決していじめてはならない。」
いじめをして「あっちが弱いから悪いんだ!」と言う人がいる。
でも、よく考えると、いじめをする人のほうが弱いんです。
いじめられている人は、がんばって耐えている。
その人のほうが、何百倍、何千倍も強いんです。
だから、いじめられることは恥ずかしいことじゃない。
1人で悩まないでください。
親の方も相談をされたら、きちんと耳をかたむけてあげてください。
人は、支えてくれる人が1人でもいれば生きてゆけるんです。
 
No.237 C-ヤンさん、ご意見ありがとうございました。
えーと、私は都内の大学に通う21歳の大学生です。つい最近覚えたばかりのインターネットでこのHPにたまたま出くわしました。様々な皆さんの体験談や意見を読ませてもらい、自分も経験したいじめに病んでる人が沢山いるのだとあらためて感じ心が痛くなってしまい、思わずメールしてしまいました。
 私が中1だった92年の夏休み前に、私もいじめにあいました。その頃はどのクラスでも必ず一人はいじめにあっていたくらいのいじめブーム。私が標的になる前にも数人、後にも数人。おそらくいじめに合わない人の方が少なかったのでは・・・。とにかく今だに何故自分がいじめの標的にされてしまったのかきちんとした理由はわかりません。ただいじめの内容は凄まじかった。暴力を受けるでも無く、ただひたすら「シカト」。昨日まで話していたハズの仲間達からも・・・。いきなりだったもので、初めはさすがに頭の中真っ白でしたよ!何となーく聞きつけた他のクラスの子達にも同じ扱いされましたね。(もっと詳しく書きたいのですが、それはまた機会があれば・・・。)さすがに笑顔と元気が売りの私もこたえましたねー。毎日その場から逃げる事ばかり考えてましたよ。今だったらもうあの状況は耐えられないかもしれないナーと考えますが、いじめにあっていた数ヶ月一回も私は学校を休まなかったんですよ。色々な受け止め方はあると思いますが、「今休んだらもう学校に行けなくなっちゃうよ」と言う母の一言が大きかったと思います。いじめの事は元気の(この部分は文字化けでした)人に心開いてないナーと自分で思う事はあります。おそらく他人を信じる事に少し臆病なのかもしれませんね。一応これでも友達は沢山います。どちらかというと、常に友達の悩み相談室みたいになってます。私も皆みたいに気軽に相談できるようになりたいです、はい。
 今では、過去の事として冷静に話しが出来ます。いじめの心の傷はやはり、それを受けた人にしか解からないと思います。だからといって解決策は私にもわかりません。ただ私はいじめを受けた事でその痛みもわかってあげられる、いじめは良くないと主張できる自信と勇気を持ちました。いつ自分が人を傷つけるかわからない。常に相手の立場で物事を進められたらと思います。大学では、教職課程の中の心理学を学んだり、いじめについては自分なりに一生に課題として見つめていきたいと思っています。何でもいいです、意見や体験など相談でも構いません、一緒に考えていきたいと思います。ちなみにどんな出会いでも私は無駄なものは無いと信じています。そして、小、中、高などでの先生方には恵まれていたと思います。高校には今でも年5回位は顔を出して、担任と話をしているくらいです。
 
No.238 中村主水さん、ご意見ありがとうございました。
いじめられても、くじけるな!強くなるんだよ!
つらいなら学校に、行かなきゃいいんだよ!すべての生徒は、平等なんだから、それを遂行できない、学校、教師が、悪いんだよ!
大検取ってさ、大学行けばさ、問題ないよ!でも家で勉強するんだよ!
大学でいじめなんて、あるわきゃないからさ!
とにかく、負けるなよ!社会で見返したれ!
 
No.239 梨紅さん、ご意見ありがとうございました。
学校での出来事です。この間私は足を捻挫をしました。
養護の先生に「悪化するといけないから」と松葉杖を使うように言われ、その後教室へ戻ったのですが、Aさんが「大袈裟」とわざと聞こえるようにいってました。
私は悔しくて悔しくて堪りませんでした。
しかし、言い返すと今よりも嫌な想いをするだろうと思い私は何も言いませんでした。翌日から松葉杖を使わずに生活していました。
これでは足が治るわけもなく、病院へ行ってみると靭帯を痛めているといわれ、もう1週間ほど器具をつけて学校へ行かなければならなくなりました。
次の日学校へ行くと私が痛くもないのにしているような口振りで「まだつけてるのか」「また病院に行って来たのか」といわれました。
そのときの先生達の態度が1番胸に刺さりました。
だから今はあまり学校へ行きたくありません。
今の私の救いは、親友と呼べる良き友がいることです。
 
 

 

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