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No.1 〜

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No.1 磯崎泰志さん、ありがとうございました。

いじめはやはり本人の意志の問題ではないでしょうか。やはりいやなことはいやと言えるよう回りの人が教えてやらなければならないと思います。

No.2 yokoparさん、ありがとうございました。

いじめ問題の一番の原因は、「和」という日本人独特の宗教です。何よりも集団の協調が優先され、乱すものは排除されます。本来は教育できちんと教えるべきものですが、日本においてはこの存在に気づいている人さえほとんどいません。さらに、文部官僚の画一(金太郎飴)教育がこれを煽っています。とにかく、子供に多様な未来の可能性を与えることです。世の中試験の成績だけで割り切れることはほとんどないのですから。

No.3 Takashi Ohnishiさん、ありがとうございました。

バックがウインドウズしているような気がします!?インターネットのメールアドレスは世界で只一つの個人を識別できる コードですが、半分匿名性もあります。いじめ等若干言いにくいことも、割合率直に意見交換しやすい世界ではないでしょうか。生の声を集めて、了解が得られれば掲示板に掲示したりメールアドレスを表示して直接意見交換が出来るようにな
(受信した時、ここから先がとんでしまいました。ごめんなさい!深くお詫びします)

No.4 武川修士さん、ありがとうございました。

「いじめについて」は「差別について」と同じように、本音で語る人が少ないのと日常の中で意識されず、「特別な時間」だけ「真剣」に考えようとすることに問題があるのではないでしょうか。だから「私はいじめていない」「私は差別していない」と思ってしまうのではないでしょうか。いじめも差別もいつも日常の中に隠されているのに・・・。無意識の日常の中でいじめ、差別がされていることに誰もが気がついたらもっと多くの人たち(子供たち)があれほど苦しんだり命を絶ったりすることもなかったと思います。

No.5 濱本紀子さん、ありがとうございました。

ホームページを拝見させて頂きました。個人的に日本の教育の在り方に興味をもっており、大変参考になりました。
相方向のコミュニケーションツールとして注目されるインターネットですが、今の所テレビ放送と大差がない状態のようなので、せっかくですから参考にはならないかもしれませんが感想を書かせて頂きます。
<感想>
いじめによる自殺者の遺書を読んで思ったのは、中学生にしては大きなお金が動いているのにもかかわらず、その家族が家庭内での金銭の異常に気がつかなかったり、追及が甘いのには驚かされました。親が子供の行動にもう少し注意を払っていたらと悔やまれます。
私が子供の頃もひどいイジメを沢山みてきました。現代の日本の教育や家庭の中で子供達は大変なストレスを感じていて、そのストレスをコントロール出来ない子がイジメに走る様な気がします。親の無関心さ、社会が求める人材の在り方、教師の質など全てがいじめの問題を深刻にしている原因だと思います。
子供に「イジメを見て見ぬふりをしてはいけない」と言っても、「長いものには巻かれろ」的な考え方を吹き込んでいる大人社会の人間(日本の殆ど全ての大人)が幾ら言っても説得力に欠けるのではないでしょうか?教師と言えども、一般の会社員と同じで様々なしがらみで理想通りにはいかない事も十分分かりますが(自分が大人になって良く分かりました)。結論は日本人の価値観が変わらない限り、深刻ないじめはなくならないと思います。
私自身が中学生のときに苛められっ子に相談されて、イジメる側の心理と、いじめられる子のどの部分がいじめる子を引き付けるのかを理論的に説明する事で問題が解決した経験が何度かありました。
男の子の場合、極端に暴力に免疫のない子は殴る真似をされるだけで服従してしまうようです。少子化や地域社会の分断で小さい頃にもまれて育つ子が減っているからでしょうか。しかし兄弟喧嘩はいざ知らず、親がむやみに子供に暴力をふるう家庭の子は暴力を軽く考える様になるのか、自分の親と同じように暴力で他人を服従させようとする傾向がある様に思います。これは一部の教師にも言えることです。暴力を軽く考えている教師(むやみに体罰を与える教師)がいじめの問題を解決できるとは思いません。
私事になりますが、私自身は学校が嫌いで義務教育は半分も出席したかどうか怪しいくらいですが、それだけに日本の社会や教育の在り方に大変感心を寄せています。(当時は登校拒否児童という言葉はなかったように思います。単に怠け者で休みがちな人で片付けられていたようです。地方だからでしょうか)
(最後になりますが)大変興味深いホームページでした。これからも定期的に訪問しますので、これからも頑張ってください。日本も涼しくなった頃かと存じますが、お体にお気を付けください。ご活躍をお祈りしております。
以上
濱本紀子
ロンドンより

No.6 中本篤子さん、ありがとうございました。

私は本当にこのいじめという問題はいじめられている側、いじめている側、そしてその双方の家庭環境、担任の先生や学校側の認識度、今の教育のありかたなど様々な要因がもたらしてでてくる問題だと思うのです。
決して人をいじめるということは許されることではありません。ですが、なぜその様なことが起こり、一体何が気に入らないのか真正面から聞くことも必要だと思います。それと恐いのはただ見ているだけだという子や、やらなければ今度は自分がやられると思ってしてしまう子、その子たちは何故そこに至るまで親や教師に相談しないのでしょうか。
ここ数年でいじめに会い、自殺する生徒が増えてきていますが、そのご両親は全く子供の変化に気付かなかったのでしょうか。先生はどう思われますか?私はそうは思いません。きっとその子達はなんらかの形でSOSを出していたのではないでしょうか。それに気付かなかった大人達にも多少責任はあるのではないでしょうか?もちろん自殺という逃げ道にしか走れなかったその子自身にも責任があるとは思いますが・・・

No.7 匿名希望さん、ありがとうございました。

いじめについて疑問に思っていることを問題提起をさせてください。
1:文部省のいじめの定義ではいじめられた子がいじめだといえばいじめになる。と言っているがその考えは実に非科学的である。発達段階上子どもはトラブルを通して大人に成長していく存在である。大河内君のような場合はいじめというより迫害、犯罪である。
2:今の学級定員数が多すぎる。欧米なみに20人程度にすべきである。物理的条件を変えることでいじめ問題は大きく前進する。

No.8 鈴木さん、ありがとうございました。

 そうです、私はこと子供の事となると礼儀など忘れて怒れる人間になってしまうのです。そして、いじめっ子を肯定するつもりもありません。先日又いじめの犠牲者と思われる自殺がありました。奇しくも私が映画のコルチャック先生を見た直後にニュースで流れていました。涙が止まりませんでした。
 実は私は物心付いた頃から高校生の頃まで手の付けられないいじめっ子だったのです。そんな自分の過去を肯定するつもりもないが、なぜだったのか自分の心に問いかけることでその答えを見つけられた。
 そもそも、遺伝や大脳生理学に興味がありその分野の本を読みあさっていて幼児教育の本と出会いました。
 その世界には人類の未来がありました。なぜ世の親や、教師はそんな人類の宝ともいえる物に真剣に取り組まないのか?不思議でならない。人間の脳の素晴らしさ、子供の知能の凄さ、その真実の姿を知ればいかに現在の日本の学校教育がくだらないかに気が付くと思う。人間はまだまだ進歩しなければダメだ、そんなに大した生き物ではない。その自覚が必要である。紀元前2000年前のソクラテスの未だ足元にも及ばない我々が今やらなければならないのは子供の知能の素晴らしさに気付きそれを伸ばしてあげることだ!
 あなたはご存じであろうが、マリア・モンテッソーリの哲学を学び、グレン・ドーマン博士の研究を理解し、ジツコ・スセディックの愛を知ることでも良いと思う。
 天使のような子供達を悪魔に変えているのが全ての大人達によってであることを理解してほしい。その責任から誰も逃れることは出来ない、しかしその義務を与えられたことを私は誇りに思う。
 最後に一つだけ、私は、IQが160以上ある。そして母の育て方が全く私の読んだ幼児教育の本とそっくりであった。小学校1年の時にはっきり教師達が大嘘付きで、自分より頭が悪い人間だと確信してしまった。大人相手に、腕力と権力のない私が勝てる筈もないので心の中でいつも教師を笑っていた。そしてその教師達の真似をすることによりその矛盾を解決し心のバランスを保っていたと思う。でなければきっと私は狂っていたはずだ。
 なぜなら大人はいつも真実をごまかしているからだ、あなたに聞きたい。子供の頃大人にいじめられていると感じたことは一度もなかったですか?大人の意見はどうであれ、子供がいじめられたと思ってしまえばそれが真実なのです。俺は 教師にいじめられている。教師はすなわち権力者だ。権力者は自分の嘘もその権力により正しいのだと言い切ってしまう。私はずっとそう思っていたし現実私の担任であった教師達はそおであった。
 喧嘩も強くIQも高かった私はそれが人間のルールだと直ぐに解った。そして、大人達のそのルールを子供の社会でもお手本にして、わたしはいじめっ子の道へと歩んでいった。世の犯罪者に知能の高い人が多いのが私には解る気がする。

No.9 森 和彦さん、ありがとうございました。

高校教師です。いじめ問題の指導の経験がいくらかあります。問題はどうも人間の本性から来ている部分がありそうな気がしています。また、「いじめる側」は、クラスの邪魔者や、クラスの団結を乱す者への制裁のつもりで参加している場合が多いことも気になります。加害者にとってはしばしばいじめが「正義感であることに、問題の難しさを感じます。
人間である以上いじめは避けられないのでしょうか。教師として数多いいじめの問題を見ていると、そんな気持ちにさせられます。また加害者と被害者との区別がいよいよ曖昧になってきている印象を受けます。「いじめが起きた」ということで一斉に動いてみると、被害者がつい数日前まで加害者であったり、とにかく問題は複雑で対応に時間がかかります。教師にも、「いじめ問題にかかわった経験」が問われてきています。こういう複雑な状況の中で判断を誤らないようにするには、より一層の洞察力が求められるでしょう。また、どんなに悪質な加害者に対しても冷静さを保ち、愛情を忘れないことも(これが本当に難しい)大切になると思います。

No.10 匿名さん、ありがとうございました。

文部省いわく「いじめは、人権に関わる重大な問題です」ということですが、人権侵害を堂々とやっている文部省がそんなことを言っても全然説得力がないと思います。「いじめ」についてホームページで考えていくことはよいことだと思いますが、文部省のパンフレットを紹介するのは疑問です。 私は、各々の違い(多様性)を尊重しあえる社会が健全な(「いじめ」の少ない」)社会ではないかと思います。いま学校がやっていることはまったく反対ではないでしょうか?
#文部省は、小中高校で生徒の個性・独創性を摘むような教育をやっておいて、大学や所管の研究所の研究者には「独創的基礎研究」を求めるのだから可笑しな話です。

No.11 木檜正夫さん、ありがとうございました。

私の子供も来年の4月から小学校に入学するので「いじめ」の問題とは正面から対決する必要があるかもしれないと感じています。元来、何かのきっかけが子供の残虐さを引き出し、いじめる側はそれで味をしめエスカレートしていき、いじめられる側はそのあり地獄から抜けられなくなってしまう、という構造があり、それぞれが自分を止められないで、子供であるが故に悲しい結果までたどり着いてしまうこともあると思います。子供には毅然としていて欲しい、と思ってもなかなかできない子供もいます。やはり親が真剣に子供と会話することが第1歩ではないかと思っています。

No.12 大学生さん、ありがとうございました。

いじめの原因は学校のシステムにあります。どの国の軍隊でも、大学の体育会でもいじめが存在しているように、人々が協調を求められるシステムの中では大人同士でもいじめが存在します。私は大学生ですが、体育会では存在しているいじめも一般の大学内ではほとんど聞いたことがありません。これは、大学という空間に原因があると思います。大学では、フィーリングの合わない人と無理矢理一緒にいる必要はありません。目障りな奴がいても毎日一緒にいて協調を強いられるのでなければ、無関心でいれるのでいじめたいとは思いません。また、自分に対して攻撃的な人からはすぐに退却の道を選べるので、いじめられることもありません。しかし、今の小中高校生は、息苦しい学校のシステムの内部にいます。クラスで一緒に、班で協力して、といった奇麗事の建前の下では、いじめはなくなりません。(いじめっこは、毎日接触のあるいじめられっこを無視出来ず、益々いじめたくなるし、いじめられっこは、いじめられる空間からの逃げ場を見つけることが出来ません)。だから私は、小中高校もクラスを撤廃し単位制を導入してはどうかと考えています。

No.13 松井孝二さん、ありがとうございました。

いじめた本人の責任をきちっと問うことを軽視してはいけませんが、いじめた子たちの育った環境や悩みを解決することなしに、いじめをなくすことはできないと思います。

No.14 ぐうたらママさん、ありがとうございました。

いじめる生徒には、いじめることで解消するストレスがあります。彼らは何に追いつめられているのでしょうか。荷担してしまう生徒、見て見ぬ振りをする生徒には、そうしなければ我が身に危険が降りかかるという切迫感があると思います。こんな状況の中でどうしたらいじめがなくせるでしょう。最初にあげた、いじめる側のストレスの要因から考えていくのが順序かと思います。その要因は家庭ばかりではないと思います。まず、人間の能力を点数化することで序列づけ、その存在価値までも決定づけてしまうかのような現在の学校教育の在り方、を変えなければならないでしょうし、物質欲を限りなくそそる社会のあり方も考えていかなければなりません。いじめとは、決して、命の尊さや、思いやりや、それが悪であることを教えたりすることでなくなるものではありません。第一それらはいくら言葉で「教えて」も伝わるものではないでしょう それは周囲の大人の生き方の問題でもあります。いじめ問題が起こる度に行政側から、
「いじめは人間として許されないこと」
「思いやりや優しさを家庭で教えて」
「親は子供の話を良く聞いて」
等の言葉が聞かれますが、私はそのたびに馬鹿じゃなかろうかと思います。

No.15 宇野宏美さん、ありがとうございました。

私は、県の教育委員会に勤め、行政事務の公務員です。いじめの問題の根底にあるものは、一言で一人一人が相手への思いやりをなくさせる「ゆとりのない社会」にある。つまり、相手が生きていること、勉強ができなくても、仕事ができなくても、その人がその人なりに前向きにいきていればそれをみとめることができる「ゆとり社会」、「心温まる社会」、と現在は、かけ離れ人のことはかまわずの「成功第一の社会」にあると思います。解決に向けて教育行政に携わるものとしても、県庁ないで議論に議論を重ね、啓発にパンフレットを印刷し、予算を使うことでは、ある程度効果はあっても、根っこを断つことはむつかしいと思います。一段階この壁を乗り越えるには、教育現場に勤めるものは、自分たちでは解決できないことがあれば、自分たちだけで何とか解決しようとするのではなく、声を大にして社会へ言うべきであると思う。又、われわれも、こころ温まる社会実現へどうしたらいいかを考え、小さなことから始め、大きなものへとなり解決へと繋がると期待していきたいですね。

No.16 子供たちと闘っている大学生さん、ありがとうございました。

私はいじめというのはどう考えても根絶することはできないと思います。それは人間が人間である以上やむを得ないと思っています。しかしながら、減らすことはできます。そのためには、子供が小さい頃から、親や学校が中心となって教育しなければいけません。いじめが悪いということは、教育で必ず理解させることができます。今までしてこなかったとは言いませんがもの足りません。いじめに真正面から取り組んではいなかったと思います。いじめている本人の心うんぬんという以前に、いじめの認識がいじめている人間になかったし、学校の対応もしれたものでしたし(自分の保身も分かりますが・・・)。いじめが悪いと分かっていてやっているのなら、救いはあります。これからでも遅くないので、先生方は、生徒と戦争をするくらいの覚悟でこの問題に取り組んでもらいたいと思います。体罰はいけませんが、愛のむちは必要なときがあります。最近どうも先生の立場が弱くなっているように思いますが、だから見て見ぬ振りをするのではなく、荒波を立てずに収めるのでもなく、教師としてのプライドを持ち、悪いことは悪い、いいことはいいと堂々と言える先生であってほしいと思います。
また、学校の教育だけでなく、子供の性格等の根本が形成される家庭の親の教育も同様に重要です。家庭のごちゃごちゃや、虐待、無干渉は、絶対、子供の人格や行動に悪影響を及ぼすということはいうまでもないことなのに、親のプライドはどこに行ってしまったのか、自らの行いにより、子供を誤った方向へ進ませ、かつ、それを黙認しているという現状は一体・・・。このような親や子が生まれないような 世の中にするのは非常に難しいと思いますが、子供たちの将来だけでなく、我々大人たちの将来のためにも、ひとりでも多くの人が考え、行動して、心に重荷を背負う人が減るようになればと願っています。

No.17 けんごさん、ありがとうございました。

私は「いじめた事(言葉による暴力)」もあるし、「いじめられた事」もある。又、時には「傍観者」であった事もある。ただ、いずれにしても現代の「いじめ」は、程度を知らなさすぎる様に感じます。じゃあ「程度」とは?というところが気になりますが、私が小学生の頃は、体で覚えていた様に思います。というのは、「これぐらいの力で人を叩いたらどうなる」とか「こんな事をいったら傷つく」とか…ただこれは、色々体験したから後で言える事で、解決策にはなりませんが。体験しろとは言いませんが、体験してみてヒトの痛みが分かるといったありきたりの言葉ですが、そんな気がします。ただ、いじめていた時を振り返って見ますと、学校教育どうのこうの以前に「親の愛情を欲していた時期の様に思います。参考には、なりませんでしたがふと、思ったことを書かせて頂きました。難しい問題に直面され、ご苦労も多い事と存じますが、「自分のやっている事を信じて」頑張って下さい。

No.18 千葉久子さん、ありがとうございました。

こんばんは。内容もかなり充実してきて、すばらしいページになってきましたね。私も中学生と小学生の親なので、ちょくちょく覗かせてもらっています。先日よめに先生のページを見せたところ、大変興味を持ちまして、さっそく意見を述べさせてもらう事にしました。
いじめによって遂には自殺という悲しい結果を迎えたことを、学校側がいじめは知らなかったと報道されている時がありますが、それは、許されるべきことではないと思います。中学生の子を持つ親として、子供をしっかり見ていれば、必ず、変化があり、信号を送るはずです。学校、親がいじめを知らなかった、子供も親も教師も忙しくて、そこまで目が行き届かなかった、ではすまされない事です。私は、毎日子供とけんかをしながらでも、しっかり見つめ合いながら過ごしております。子供は家の宝、社会の宝なのだから...........。

No.19 奥友久美子さん、ありがとうございました。

日本は今いじめ問題で大変ですね。いじめの原因は、能力差があるにもかかわらず全員が同じ教育を受けるから、と最近聞きましたがそうなんですか?私はスイスに住んでいますが、中学生になる時にもうすでに将来が決められてしまう、ここの教育に反対です。中学へ入ってから頑張る生徒だっているし、高校に入ってから頑張る生徒もいるのに、それを無視して、高校へ進学する生徒の為の中学、会社員等になれる能力のある生徒用の中学、どうしようもない生徒用の中学と分けてしまうのは、更にやる気を失わせるだけのように思います。もし良かったら、いじめについて教えてくれませんか?

No.20 マキコウヤさん、ありがとうございました。

 いじめに関するページにアクセスしたのは、実はこれが初めてなのですが、電話代を気にしつつも、意見を送らせていただきます。
その一。いじめは絶対に、いじめる側が悪い。理由は、加害者だからです。
クラスの調和をみだすだとか、「正義感」をもっていじめる、という文が目に入りましたが、いいかえると、「出る杭を打つ」というだけです。子どもに限らず人間はそれぞれ違い、三十人も四十人も集めれば、必ず、どっか、ズレた行動をする物も出ます。それをよってたかって、仲間外れにしたり、口をそろえて悪口をいうのです。それのどこが「正義」ですか? 「出る杭」である子どもは、多分自覚もないのでしょう。というのは、私がそうだったからです。(今でもだけど)自分のやっていることは、よくみえません。その上、子どもなので、わからないでしょう。 わかっていれば、何とかやらないように、とちゅういすることもできます。わからないから、「出る杭」として打たれます。 それも、ほんのすこしだけ、出ているだけで。たったそれだけで、小学校六年間、中学三年、高校三年、とみじめなおもいをします。 ついでに、いじめる側は、自分たちが大したことをしていないと思っているでしょうが、いじめられる側は、一生おぼえています。物の本で読んだ話では、いじめられた子どもは、成人してから、鬱などの症状をおこすことがあるそうです。
その二。教師は無力だ。役に立たない。
いじめに関して、結局なんの役に立ってないことの方が多い。役に立っていないから、子どもが、自分の判断で、解決する方法はないと思い、自殺を選ぶ。
その三。親にも話したがらない理由。
話したところで、なにもならないと思う。「いじめられっ子」というのは、一種の、いじめられる理由がある+弱い+教室内での身分が低い、などの、自慢できることではない、というよりも、人間として劣っている、ということでもあるのです。その反対の、完璧だとか、クラスの人気者なら、いじめられることもありません。 いったところでわかってもらえないし、イメージも落とすし。私もいじめられていましたが、親にいったことはありません。
その四。教師の対応に対してもう一つ。
私事が連発して恐縮ですが、私は金銭を強要ことがありませんので、威張ってかくことができないのですが、新聞、週刊誌などでみる限り、学校は、教師やPTAのめんつを守るために、犯罪を隠匿します。 校内で、暴力や恐喝があった、と公表されると、責任能力を問われるから、だそうですが、私に言わせれば、犯罪が公然と校内で行われているのに、防止も摘発もできないのは教師と言うよりも、人間として失格です。 今時の親は、「泥棒は悪いことだよ」などと教えないかもしれませんが、子どものやることであれ、泥棒は泥棒であり、恐喝は恐喝で、暴力は暴力です。 こういうことは、とりしまらないほうが、異常なのです。もし、教師や校長が脆弱で、子どものやっている犯罪を止められないのならば、警察に連絡して取り締まらせればいいのです。 人を脅して、殴ったり蹴ったり水に顔を漬けたりしてお金を奪うのは、立派な犯罪です。  いじめと一言で言いますが、私はこの、金銭や暴力の関わる、「犯罪いじめ」と悪口や仲間外れの「心のいじめ」と(ふたつともの子も多いとは思いますが)二つのジャンルに別れ、解決策や、議論にしても多少内容が分かれると思います。 いじめ問題で、指導が必要なのは、加害者です。いじめるがわが、いなくなれば、みんなバンバンザイで幸せになれるのです。

No.21 山田光俊さん、ありがとうございました。

私は静岡県の高校教師です。虐めの問題は大小様々起こってきます。生徒に話すことに、もし野生動物が教室に40匹以上閉じ込められたら、多分ストレスとうで死んでしまう。人間は知恵でその壁を乗り越えられる。みんな少しずつ他人を思いやり、少し傷つけ、少し慰め、喜び悲しみを共有することで生きる知恵を身につける。

No.22 藤本正之さん、ありがとうございました。

私は「奈良インターネット しかせんべい」代表でサンエー電子工業株式会社取締役社長 藤本正之です。当方が開設している「いじめのホームページ」に数々の投書が寄せられていますが、内容的にとても掲載出来ない物等沢山あり、いわゆる当たり障りの無い物のみを掲載しております。このような当たり障りのある物の中に本当のいじめの実体が隠れているように思います。その中でも最も多い物が逆差別的な内容の物で、私が掲載するように指示しても、スタッフが掲載しない、その理由は数々あるのですが、、、、。
このような状況の中で根本が解決しない中で上辺だけのいじめ撲滅を何度唱えても絶対物事の解決には至りません。そのような本音で話し合えないコーナーは全く無意味のように感じながらこのコーナーを運営しております。私は子供の頃より、いわゆる「いじめっ子」で人にいじめられた経験はあまりありませんが、当時のいじめと今のいじめは根本的に違うように 思います。これから当社も本音で話し合えるコーナーにして行きたいと思っております。今後ともどうぞ宜しくお願い申し上げます。

No.23 港南島の山ちゃんさん、ありがとうございました。

ホームページ、読まさせていただきました。 このページについては、某ラジオの番組中で取り上げられていた事で存在を知りました。 私も中学時代にいじめられた(と思い込んでいるだけかもしれませんが・・・) 経験があり、何度”命断ってやろうか”と思ったことがありました。幸いにして、 卒業間近だったので、高校進学を機に生まれ変わることができました。 今振り返り考えると、いじめの始まりは決していじめられる側の問題ではなく、 いじめる側(ほとんどがグループであり、個人ではない)であると思います。 人か集まってできる集団の頭となる人間の”意志”が、集団以外の少数に対して 肉体的あるいは心体的に傷つける力を発揮することによる思います。 十代のいじめに限定すれば集団のリーダーもやはり、十代であり、周りの大人 (先生、両親を含めて)の指導下(堅苦しい言い方ですが・・)に有る身であり、 ”やって良い事、悪い事”は周りが教えてやらなくてはいけないのでは ないのだろうか?集団行為が悪いのではなく、考える方向が良くないのでは? と、私は考えます。 ただ、起きたいじめを解消するのは先生でもなく、親でもなく、いじめられた本人が まずは解消する努力をしなければ始まらない。周りの大人はきっかけを作っても、 本人が解消したいと思わなきゃ終わらないものであり、そういう考えを周りの大人か 付けさせなくてはならないと私を考えます。 今は相手が居ませんが、結婚して人の親になった時、自分の子どもにとって いじめる環境、いじめられる環境を作り出さないよう、努力します。  以上、だらだら書いてしましました。乱文お許し下さい。 もし何かの参考になりましたら、幸いです。失礼しました。

No.24 匿名さん、ありがとうございました。

私はいじめの被害を受けた経験者です。いじめが原因で神経症をおこし、十二指腸潰瘍で入院し、最後は学校を退学しています。私はいじめを憎んでいます。いじめについてのホームページを作ろうと考えたこともありますが、二の足を踏んでいました。

いじめは教師の側がしっかりしていれば防げるものです。だって学校外では人権侵害=犯罪であるものが学校内だといじめや体罰といったことばに代わっているだけて、加害者側にしっかりと罪を償わせれば、そんなこと出来なくなるはずだから。

ちょっといいすぎかもしればせんが、いじめで1度しかない人生でとりかえしのつかない被害をうけた者の1人として書きました。

No.25 いじめで高校をやめた人間さん、ありがとうございました。

ホームページを拝見いたしました。

私も小学校の時、いじめにあいました。もう10年も前のことです。当時のいじめは明らかに目に見えるもので、みんなの前で罵倒されたり雑巾で顔を拭かれたりというものでした。しかし時代は流れ、今のいじめはある種高度で複雑になったと思います。今の子供たちは大人たちが考えるより、はるかに悪知恵が働くようです。「目に見えず、それでいて相手を確実に追い込む」こんなやり方が学校で平然とまかり通っていると思うと悔しいです。もはや「所詮、子供だから。」という考えは通用しない時代に入っていると思います。先生も僕たちの世代も今までの概念を捨てて、もう一度子供たちについて勉強し直す必要があるのではないでしょうか。それはもしかしたら、生徒に教えてもらうことかもしれません。

中学校の先生はかなり大変だと思いますが負けないでください。あなたのような考えの先生がいなくなったら僕はこの国に絶望します。

No.26 匿名希望さん、ありがとうございました。

私も中学生の頃に、比較的軽いものではありましたが、いじめを受けていました。そのため、いじめの問題に関しては、他人事でないような気にさせられます。

私は、学校側がもっといじめを表沙汰にできる環境の整備が必要だと思います。

担任教師や校長が、なぜいじめの事実を隠すのかといえば、それによって自分の経歴に傷が付くのを恐れるからです。しかし、こういう態度を非難することは私にはできません。たった一度、自分の担当するクラス(あるいは学校)でいじめがあったという理由だけ処分を受け、教育者であり続ける限り、それが汚点として付きまとうとすれば、事実を隠そうとするのは当然です。

本来であれば、いじめが起きて、それを担任教師や校長がどう解決したかという点こそが大事であるはずなのに解決を図る前に処分を受けさせられてしまうのが現状です。

ここでは「処分」という言葉を使いましたが、これは教育委員会などによる処分だけではなく、マスコミや親による非難も含まれます。本当によい学校というのは、「いじめのない学校」ではなく「いじめが起きても、それを早期解決できる学校」だと思うのですが、いかがでしょうか?

No.27 father さん、ありがとうございました。

 いじめの原因はそれぞれ違うので、全てを解決するべく糸口を見つけることは困難ですが、この問題がこれだけ大きくなってしまったその背景に何があったのかを付きとめることは出来ないことではないと思います。そして、それを参考に解決に向かうことも出来るのではないでしょうか。

 まず、いじめが起きる現場は大抵学校な訳ですから、そこに何か問題はないのかということ、そして多くの子供はそこから帰る家庭というものがあるはずですから、そこにも目を向ける必要があると思います。

 前者の学校ですが、生徒の他には教員しかいないのが教育の場です。そこで彼らに何か問題はないのかということになります。現在どれほどの人が教員という仕事についているのかは知りませんが、かなりの数になるでしょう。しかしその人達は教育のプロであるにも関わらず、教員試験の他に大きな試験や、彼らへの指導の場は特に設けられていないそうです。つまり一度教員になってしまえば、たいして人から指図されることもなく、一生、独学で教育を学び、実行していく訳です。やはりそこには大きな矛盾を感じます。

 また家庭の方ですが、カギっ子や塾に通う子供、片親の子供が増える中で、親子や家族での会話やコミニケーションが減り、子供が人からの愛情を感じることなく育ってしまう傾向にあるようです。もちろん親や兄弟はその子に愛情を抱かないはずがありませんが、愛情を感じにくいシチュエーションに子供がいるのではないかということです。また、その愛情のそそぎ方にも少し問題があるのではないかと思います。
 依然変わることなく、むしろエスカレートしつつある学歴社会の中で、塾に通うのは仕方のないことなのかもしれません。しかし、その高い月謝や受験費用に負われ両親共に遅くまで仕事をして、会う機会を無くしてしまうのはどうかと思います。そして、会えないから、愛情が物に変わり、子供に高価な服を着せ、携帯電話を与えてもその想いは通じないのではないでしょうか。
 鉛筆も削れない子がナイフを握れば、それは武器になってしまうように、愛情を感じたことのない子供は、友情すら表現できず誰かを攻めてしまうことでしょう。そして、たまたまその子の近くにいた子がいじめに遭ってしまうのではないでしょうか。またいじめに遭ってしまう子供にも同様の理由が考えられるのではないでしょうか。

No.28 匿名さん、ありがとうございました。

「苛められるほうが悪い」というのはいじめてる方に言い訳を作ってるにすぎない。これを言う理由の大半はいじめられる人の自己主張ができない等だが、人に弱点があるのはあたりまえでそれをせめている様なものだこの言葉は苛められている人を余計に追い込んでいくことになる。しかも、苛めをなくすということに矛盾していると思う。

No.29 高野大輔さん、ありがとうございました。

いじめという問題を考えるときなぜ学校側と家庭側とが対立しているのか。学校と家庭がもっと緊密な関係でなくてはならないと思う。
また私自身の経験から教師(親)の資質の低下もあると思う。今日の小中学校の教師(親)で友情とは、愛とは、人間とはなにかを教えることのできる者が少なくなってきてると思う。教育というのは勉強だけを教えれば良いというものではない。

No.30 倉光さん、ありがとうございました。

子供の代弁者として.一父兄

子育て歴二十余年現在二人の中学生がおり特別問題は有りませんが,子供達を通して教育問題にも少なからず関わるようになり助助に疑問点や矛盾点が吹きだし現在に至ってお子供達も口にこそ,はっきり言い出せませんが同様にいや以上に思っています。しかし残念ながら子供達は訴える術を持ち合わせていません,此処に保護者としての子供達の代弁者として訴えます。 

 いきなりですがこんな事例が有ります。

担任とそりが合わなくなった生徒が前回のテストより上がり平均点を取りなおかつ校内態度を改めたも関わらずオール1の通信票を渡され受験を控え本人は公立をどうしても希望,内申書が悪いが為担任は公立受験を諦めさせようとし母親からの電話相談です。

信じられない事ですがこれが今の中学の現実です,勿論極端な一例ですが似たような出来事はざらに有ります。一見虐めのテーマとは関係ないように思われがちですが虐めの定義付けは”肉体的,精神的に苦痛や虐待を受けたと本人が感じた場合でよろしいでしょうか。勿論,性格や環境,状況によりいちがいには言えませんが勉強の嫌いな子は授業を受ける事も苦痛に感じ,勝ち気な子は指導という名のもとで命令される事さえ苦痛に感じ,みんなの前で恥をかかせられる事を虐待と感じる子も大勢いることでしょう。又,不用意な一言で傷つき登校拒否に陥る子らの事例も沢山報告されています。

中学に入った途端性格が変わり大らかさや小学の時のような明るさ,朗らかさが失われ皆反抗的になり豹変します,どうしてでしょう。当たり前の事だとお考えの方もお出でかも知れませんが私に取っては残念なことです。果たしてこれでいいのでしょうか?原因は明らかです。受験の為の勉強と校則による厳しい締め付けで情緒不安定に陥りゆとりがなくなりストレスがたまり”ムカツク状況となり精神衛生上最悪の環境です。
この状況”虐めの定義に当てはまると思われませんでしょうか?
全てとは言いませんが虐めを造る環境の芽は今の教育実状に有るように思えてなりません。親もまた成績と交換条件に欲しいものを買い与え学校ではクラスごとに成績を競わせ点数の悪い子には”お前がクラスの足を引っ張っているなどと言われたら誰でも性格がひねくれてしまいます。これら状況を変えずして指導なるものをしても時によっては逆効果となり校内暴力に発展しかねません,そもそも力で(命令指導,組織、校則、体罰,内申書)押さえるには無理があり先入観にとらわれずに生徒と先生の垣根を取り払い対等に接して頂きたいものです。
どんな子でも色々な可能性を秘めています,たとい今は勉強は出来なくとも,どんな悪たれでも十年先二十年先には
開花するかも知れません,せめて今はその芽を力で摘み取るような事だけはして欲しくないと先生方に訴えます。その子の人生を左右するのも又先生方次第です。

子供の権利条約にも加盟しました,世界の国から恥ずかしくないよう子供をを一人の人格として対等に扱い国際的にも通用する人格を育てる教育を望んでいますが閉鎖的な学校教育に対して他にも色々不満や不信も有りますが,ここにきてようやく教育が問われ議論されようとしてきているだけに官僚主導で造られた校則のようには持っていって貰いたくない問題です。

日本の経済も危うくなり世界の目はASEANに向けられつつ有る中で今日本は何をすべきかが問われためされており既存の知識やシステムでは対応出来ない状況にあり,次世代をになう子供達に国際的創造性とたくましさ,そして自由な発想をを培って貰う為にも先生方にお願いし以下に学校内で気がかりな事を提案します。

・子供の人権を第一に尊重して頂きたい
・内申書を圧力や取引材料に使わないで下さい
・それぞれの可能性が有り落ちこぼれはいません平等に扱って下さい
・なるべく命令の形を取らない言い方をして下さい
・見下した言い方や馬鹿にした言い方はしないで下さい
・過度な制裁はしないで下さい(虐めのお手本となります)

子供達は管理された学校内では非常に弱い立場に有り,ただツッパテいるにだけに過ぎません。家の子を例に取り上げますと三人共出かける前に腹痛や頭痛を訴えていました,無意識の中の拒絶反応の現れでしょうか,これを精神的に弱いからと片づけていい問題でしょうか?是非,先生方にご理解願いたいと思います。尚,私の意見はこちらの<バドタケ.ホームページ>にも投稿しておりますのでご関心の有る方はご覧下さい,又こちらでは<神戸からの提案>和田さんのページ教育に限らずさまざまな問題を捉え提案しております。
kura(倉光)

No.31 深沢弘保さん、ありがとうございました。

「ドラえもん」の世界にも、「アンパンマン」の世界にもいじめは存在していると思う.
でも、そういった「いじめ」と最近の「いじめ」が違うのは、いじめそのものがとても冷淡に、非人間的になってしまっていること.
いやなものは「いや」と言うように、アメリカでは自分の身は自分で守れといわれるように、教育の現場でもそのような社会になっているのではないかと最近感じます.

どうぞ参考までに.がんばってください.

No.32 大石尚志さん、ありがとうございました。

1.提案させてください。
「いじめ」という言葉の定義を皆でもっと考えたらどうでしょう。苛められた側は「いじめ」という言葉をいやでも理解すると思いますが、苛めている側も傍観者も苛めと認識していない場合もあるのでわないでしょうか。苛めた者や学校関係者の「いじめていない」、「いじめはなかった」という言葉は「いじめ」という言葉についての理解の相違が原因であり、解決への道も難しくなっていると思います。

No.33 匿名さん、ありがとうございました。

いじめによる登校拒否、人間不信、そして自殺・・
このような子供たちを救うためには、人をどうこう言うことよりも、まずは、自分の心、考えを改めて考えてみることが大切だと思う。
”うちの子はいじめてないし、いじめられてもいないから関係ない”なんて思わないで!子供社会は大人社会の縮小版に過ぎない。”いじめる子が悪い”とか”いじめられる子が弱い”とかいうこと以前に大人たちが悪い!
自己防衛するばっかりで他人への思いやりに欠けている大人たちがいるから子供はそれを真似するの!

No.34 教師を目指す大学生さん、ありがとうございました。

私は教育系の大学に在籍しているので、このような問題にはとても関心があります。3回教育実習を経験して「今の子供は・・・」と思ったことは、「非常に短気でわがまま」「大人のような落ち着きとク−ルな考えを持っている子が多い。」「しかし、深く話し込んでみると、精神的には意外にもろい。」などです。そして、「私が学生の時と違うなあ。」と思ったことは、「誰もがいじめの標的になる。」といういじめの現状です。昨日までなかのよかった子同士が、次の日からなかまはずれになることがあるのです。

私の独断と偏見ですが、子供は本当は寂しくて弱い存在なのに、いついじめられるかわからないというストレスを抱えて、友人、又はクラスメイトに互いにけん制しながら生活するというように見えて仕方ありません。周りの人にこころを開けないというのはとてつもないストレスだと思います。
そんな自分の存在をわかってほしいと「わがまま」なふるまいをして、私たちに「サイン」を投げ掛けていると思います。いじめられる子も、いじめる子も、一人ひとりはとてもいい子だと思います。

ではなぜいじめが存在するのかというと、「子供たちの罪の意識の低下」だと思います。悪いことをすると必ずその報いが来るという意識が、私たち大人に比べて、驚くほどないと思います。その原因として、愛のムチとしての体罰の制限(うまく表現できませんが、ゲンコツなどのことです。)や、間違った子育てなどがあると思います。

また、学校側のいじめ対策もゆきとどいてはいないし、親も「うちの子に限って・・」的な発想があり、さまざまな要因が絡み合っていると思います。
実習で体験しましたが、教師という職業はとてつもなく忙しく大変な職業です。親側も学校任せにしないで、一家だんらんの時間を設けて子供たちのSOSを感じ取ってほしいと思います。うまく書けなくてすみません。

No.35 土橋弘幸さん、ありがとうございました。

学校、家庭、社会環境、など、要因は一つではなく、さまざまな要因がからみあって現在のような状況を作り出しているのだの私は考えています。しかし、家庭というのは、そのなかでも特に大きな割合を占める要因だと思います。なぜなら、そこが人生の人間関係のスタート地点だからです。幼少のころ、ここで失敗した人は、大きくなって学校、社会でも失敗する傾向があるのではないでしょうか。いじめる側も、いじめられる側も、同様に問題をかかえた(多くは育つ過程で家庭や学校で歪んだ価値をインプリンティングされてしまった)人たちだと思います。
 有効な対策として私が思う、私がTVでみた、アメリカの小学校でのいじめ対策のカリキュラムをご紹介致します。まず、最初の週は、最初に黒人は白人より劣る、というルールを教師が子供たちに教え、守るように指導します。するとそれに従った行動が子供たちに出始め、黒人をバカにし、いじめが始まります。そして次の週では、今度は逆に白人は黒人より劣る、というルールに変えてしまいます。まだ自分で考える力が無い子供たちは、素直に教師の言に従ってゆきます。黒人はいままで差別されていた仕返しに、今度は逆の立場から白人いじめが行われるのです。そして2週間のカリキュラムが終わったあと、いじめる側と、いじめられる側との両方の立場での感想をのべあい、いじめはいけないことだ、という概念を刷り込むわけです。三つ子の魂百まで、というように、幼少時の体験や教え込まれたことは、ずっと大人になっても影響を与えるものだと思います。この例のは、多くのことを示唆しているのではないでしょうか。なお、このカリキュラムを受けた生徒の追跡調査も行われており、青年に成長した多くの生徒が、あのカリキュラムを受けてよかった、役に立った、など好意的な感想を述べていました。
 一応外国ではこのようなこともおこなわれている、ということをお知らせしました。何かの参考になれば幸いです。ホームページで紹介していただければうれしいです。

No.36 芹澤翔紀さん、ありがとうございました。

わたしはいじめられっこでした。中学の頃でした。

あのころ、毎日朝起きるのも怖かったような気がします。
わたし自身のいじめについては、解決することができました。

でも、あのころいじめられた頃の記憶は、時々夢になって出てきます。
怖くて眠れなくなってしまう。
たとえ解決して、昔の事であったとしてもいろいろな意味で傷つけれれた気がします。

どうしていじめがあるのでしょうか。
いじめる側、いじめられる側、そしてまわりの環境。
地位、学力、身分、性別・・・
いろんなところから原因がでているとおもいます。

いじめのある原因の一つに誰かを「偏見」する事、それが極端に表に出てしまった行動の一つなのかもしれないとわたしは考えます。

No.37 karayanさん、ありがとうございました。

なかなか強烈なページ内容でした、とくに遺書の項目は
私の思う事を少し書いて見ようと思います

アンケートにも書いたのですが、今の状態で子供達のいじめが無くなるとは思いません
また、絶対無くならないかと言われればそれも解りません
原因の1つはこの世の中だと思います
私達大人の作ってきた世界です、個々に作ってきたという意識は無くとも
幸せに暮らしたいとか、強く生きたい、やさしく生きたいと思っている
今現在の私達が暮らすこの世界です

今私達はかって無いほど平均化しているのではないでしょうか
昔みたいに回りに貧乏人が沢山いる訳でもなく
お金持ちといっても、ジャンボ宝くじ1つ当てれば平均よりぐっと上に行く訳だし
芸能人や国のトップの総理大臣といえども、そんなに雲の上の人ではないでしょう
我々の平均値がぐっと上がってきているのだと思います

この日本、中間層が団体で走っている様に思えます
自分の見える範囲ばかりを気にして生きてませんか
だから、上に行く人を見つけると変なあらを見つけて本当は自分と大して変わり無い
と納得したり
自分の短所も解っているので、自分より下を見つけては少し安心したり

子供に思いやりを教えた父親が、電車でやくざに絡まれている人を見ても
まず目に入れるには回りの反応、みんなが黙っていればもちろん自分も動きません
そんな人に限って何割かの人が立ち上がれば、こんな時こそ自分は黙っていられない
とばかりに参加します、それが人の道と言わんばかりに
もちろん中間の層に居たい、でも少しだけ上の方に
立ち上がった何割かが上の方なんでしょうか

家では正しく生きることを子供に説く母親がバーゲンでは人を押し退ける
私はごく普通の女性です、でもみんながそんなに争って買うなら私も
回りの人は皆そうだから、ひじで人の顔を押し退けても気にしません

電車で初めに立ち上がった人もいれば、バーゲンで最初に走った人もいる
残りは皆同じではないでしょうか、2番目も最後から2番目も皆、中間層

もしかすると最初に立ち上がった人は今から会社だというのに、やくざにボコボコに
されるかもしれない
最初にバーゲンで走り出した女性は家でもそんな人なのかもしれない

いじめられた子供とは少し前に書いた、自分より下を見つけた人の餌食なのでしょうか
いじめた人とは最初にバーゲンで走り出した女性でしょうか
それとも、ひじで他人の顔を押し退けた女性でしょうか
それでは電車の中でそしらぬ顔をした人達が他のクラスメイトなのでしょうか
みんな団体で走っている中間層だという事に少しも変わりないのでは
私にはさほど特別な人達とは思えません

子供達は大人より少し純粋でストレートです
しかしこの世界で生きる以上、保身だけは大人同様に身に付けてます

私は平均より少し汚れた大人だと自分で思いますが(回りもそう思うそうです)
若い頃あまり泳ぎが得意でないくせに、夜の荒れた海に溺れた人を見つけて
飛び込んだ事があります
救助した人を連れて帰りは本当に死ぬと覚悟しました
落ち着いて考えればとても損得の理にかなわない行動でしたが
しかし、大なり小なりそうゆう経験って誰にでもあるのではないでしょうか
自分の親、そのまた親に比べれば随分少なくなった気持ちでしょうけど

そんな心をどうすれば子供達に教えられるのか私には解りません
しかし、海に飛び込んだ時には回りは見えていません
自分の平均的で、ごくありふれた家庭とか
人に笑われない程度の普通の会社での地位とか
電車で最初に立ち上がった人もきっと回りが見えてなかったんだと思います
自分でも気付かぬうちに立ち上がってしまったような
撲られて床に転げ回さられれば、たんなるばかな正義感と言われるのに

今はみんな忘れかけているけど、本来誰もが持っている気持ちのような気がします。
そうなればいじめも、もしかしたら無くなるのかもしれませんね

脈絡の無い長い文章最後まで読んでいただきありがとう
あの子供達の遺書がこんな気持ちにさせました
最後に死んでいった子供達の冥福をお祈りします。

No.38 大石尚志さん、ありがとうございました。

子どもには、人生経験の少なさから自分の気持ち{言いたいこと}がうまく伝えられないと思います。大人ほど持っている言語の数が多くないのです。はじめて苛められた気持ちやはじめて苛めた気持ちを聞いてもうまく説明できるはずがありません。大人になってから、あの時こう言えばうまくせつめい出来たのにとみんなが感じていることでしょう。私が考える苛めを解決する方法の一つは、苛めた経験や苛められた経験をもつ人達{大人}に聞いてみるのがいいと思います。
苛めにあった子供たちがうまく気持ちを言えなくてストレスとなり自殺という方法をとって気持ちではなく苛められた事実を遺書として残しているのではないでしょうか。

No.39 二児の父親さん、ありがとうございました。

今年、小学校1年生になった男の子の父親です。
今から、いじめが発生することを非常に心配しております。その理由は・・・
@いじめは、自分の努力で解決できるものではないと思うからです。
Aいじめられているとき(または、いじめているとき)は、いじめること以外の新たな展開を考えることが難しいと思うからです。
Bいじめているときは、いじめられている子どもを除くほとんどの子どもたちが、同じような(あるいは似通った)気持ちになっているからです。
と考えています。

自分がいじめられた時の状況を思い返すと、まずBの理由からことは起こると思うのです。
あるとき、気がつくと友達はみんな自分の悪口を言い、いやがらせをすることに気がつきました。仲良しの友達に助けを求めても、その子も自分を避けようとします。その子は本能的に自分がいじめの対象となるのを回避するのだと思います。要するに、この時すでに”いじめ”という共通の気持ちが出来上がっているのです。そして、自分はこの状況に対して危機感だけが増し、この状況を改善するために冷静に考えることができなくなっています。最も単純な回避行動として、自分の立場を他人に転化しようと試みます。しかし、この行動自体が結果的に、”いじめ”の共通の気持ちを強化しているのだと思います。実際、いじめの対象の転化に失敗したときには、自分がいじめられる状況を決定的にしてしまうことが多かったからです。この後、自分はおお泣きして解決することが多かったのですが、このパターンが繰り返し起こるといじめはだんだんひどくなってきます。始めのうちは、おお泣きすることが新たな展開を考える新しいきっかけになっていたのですが、自分のおお泣きもパターン化してしまうといじめは続行されるようになってきます。この状況がAの理由です。いじめられて泣いている現場を先生に発見されても、状況を一部始終見ていない先生は状況がわからず適切な判断はできません。最悪の場合は、いじめていた子供たちの弁護だけが聞き取られて、自分の主張は通らない状況になってしまいます。”いじめ”の状況下で最も冷静さを失い、客観的になれないのはいじめられている自分自身なのですから、公平に事情を聞かれても説得力のある話しはできるはずがありません。この最悪の条件下でかえって自分が悪者にされてしまうことすらあります。こんな状況が続くと、もう自分の努力でいじめから脱出することは不可能になります。(@の状態。)自分自身の精神状態も異常になり、努力したくてもできるものではありません。自信喪失状態から自己嫌悪に発展し、自分が努力できる精神状態に戻ることすら不可能となってしまいます。特に、感受性の強い子どもは一番始めの状態(Bの理由のとき)にこんな状況になると思います。暴力を伴ういじめはその瞬間から最悪の精神状態になり易いと思います。

自分自信の小さな体験を踏まえて、私はいじめを防止するために子どもに対して行っていること話していることを以下に列挙します。オーソドックスな方法ではありますが参考にして下さい。
(1)”なぜ?”という気持ちを大切にする。
どんな些細なことでも子どもになぜ?と聞かれたらできるだけまじめに(わかる範囲で私自信が思うことを話したりもします)答える。科学的なことであっても社会的なことであっても、ふざけたことであっても・・・・・「なぜか?」と素直に疑問に思う気持ちが相手の立場を理解するきっかけになると思うからです。いじめの状態から脱却する展開の発想が生まれるかも知れません。
(2)あいさつを大切にする。
人間関係はあいさつできることでスムーズになります。あいさつしてもらえなかった場合も、なぜあいさつしてくれなかったのか考えさせるようにしています。心のこもった[ごめんなさい」を言うのが一番難しいと思います。息子がしてしまった他人への迷惑はチャンスだと思ってまじめに謝らせるようにしています。いじめの状態から脱却の方向へ向かったとき再発防止につながると思います。
(3)やさしい人が一番偉くて強い人なんだよ
けんかして暴力を振るった子どもにも(けんかのあと十分に落ち着いたときにそっと)話しています。「殴っても自分の言いたいことは相手ははからないよ。」とか、「結局自分は一人ぼっちになってしまうよ。」と、できるだけやさしく話しています。せめていじめに暴力が加わらないことを望みます。

追伸
けんかした子どもに「なぜ?」とたずねるのは効果的だと思います。けんかは自己主張のようなものですから聞いてやると素直に話してくれるみたいです。特に、一人ずつ個別に聞いてみると子どものことがよく分かります。その後の信頼関係ができて町で出会って近寄ってくる子どももいます。

No.40 匿名さん、ありがとうございました。

ルールと感情のバランスの崩れと思う。ルールがあるということを声高に唱えるのも恐ろしいし、無視することもできない。極論を正当化しない限りいじめはなくならないと思う。各自が思いやる等というのは簡単なことではない。思いやりを受けるのを恥と感じる人も多いはず。

No.41 充実を目指す1社会人さん、ありがとうございました。

 人間と社会との関係の観点から、下記の「1 原 因」以降、いじめの発生原因と防止対策とについて考えてみました。
 またこのことはいじめのみならず、各種マスコミの伝えるような小・中・高・大の学生等の覚醒剤の服用、売春、創造性のない学習法及び教師の体罰、女子学生への破廉恥行為、利益主義による学校経営等の教育荒廃においてもあてはまることと考えます。但し一部においてです。
1 原 因
  原因は、教育の真の目的であり当然なことでもある「立派な人間を育てる。」という強い観念が社会とその影響を受ける家庭において確立されていないためです。
  そしてその原因の背景となっている代表的なものが次の2項目です。
 ・ 教育の経済・技術至上主義化
   次のア項のみを教育し、イ項を実施しないことです。
  ア 実利的な教科科目 
    大東亜戦争敗戦後の経済復興に不可欠な経済・技術至上主義の実利的な教育科目のこと。
  イ 徳 育
    戦前においてはとても重要な教育科目としてきちんと実施していたものであり、漢学、儒学、先祖の偉業、人間愛、礼儀、至誠、努力、根性、思いやり等の人間性を教える教育のこと。
 ・ 大東亜戦争敗戦後の社会風潮
   敗戦後から今日に至る日本そのものの姿でもあり、家庭及び学校を含めて社会全体に大きく悪影響を及ぼしているものです。代表的なものとして次の諸点を列挙することができます。
   ア 愛国心の消滅、イ 悪平等主義、ウ 拝金主義、エ 過度の自由  要求、オ 道徳軽視、カ セックスの奨励、キ ことなけれ主義の政策、ク 義理人情の抹殺、ケ 俗吏・俗僚の横行、コ 享楽主義、サ 恋愛至上主義、シ 家族制度の崩壊、ス 民族的歴史観の否定

2 対 策
  「人間は教育次第でどうにでもなること」及び教育の真の目的である「立派な人間を育てること」を重要視かつ強く認識し、次の諸点を厳然と実施することが必要です。
 ・ 家庭及び学校における徳育の整備・実施
   家庭においては円満な家族関係(鍵っ子、不倫、暴力の発生等のない家族)を築くと同時に、両親が前記「1・イ 徳 育」についてその重要性を認識し子供に対してきちんとした躾教育を実施します。
   一方社会側の学校においても同様に教師が人間愛、個性(但し、「個性」と「欠陥」とは同意義的なものではありません。)、公正、先人の偉業、礼儀、思いやり等について教科書をはじめとする様々の教材を用いて制度化した確固な授業を実施します。更にまた入試科目にも道徳科を設けます。
 ・ 敗戦後の社会風潮の排除及び是正
   私達皆が問題意識をもって前記「1・ 大東亜戦争敗戦後の社会風潮」とは反対の良識ある社会風潮を築くことです。
 おわりに
 江戸時代の寺子屋での基本的な教科書である『小学』の中で、孟子の言葉として「飽食暖衣逸居して教えなければ即ち禽獣に近し」が掲載されています。正にいじめをはじめとする今日の日本の教育荒廃の核心を突いているといえます。当り前のことをしていない訳です。
 21世紀において日本を世界史から消滅させてはいけません。そのためにも、先ずは家庭教育の充実及び私達皆が傍観することなく問題意識をもって内容のある確固とした道徳科授業(徳育)の制度化を進めていくことが必要と考えます。

No.42 望月弥生さん、ありがとうございました。

初めまして。

 これはあくまで私の体験談です。

 私は11年間(幼稚園から中学)虐められっ子でした。各種学校の部類なので生徒は少なく、学年に1クラス、25人前後しかいませんでした。

 虐めは過酷で悲惨なものでした。物を隠されることはおろか取られたり、ごみを投げられたり同じ学校の兄弟を虐められたりと。「ばい菌」とよばれ、どんな努力をしても誰も認めず、先生に訴えても信用してくれず、しまいには親に「被害妄想の激しい子」といい、親は何もせず私をしかるだけです。(親は嫌いなのでもうどうでもいいですけど)うちの先生は最悪で良いところしか見ない上、成績の悪い子、字の汚い子、そういう子まで差別して授業中につるし上げみたいに名指しでおこります。生徒のこと何もわかっていないくせに学校の世間体や自分の名誉で生徒を統一させ、自分の考えが全てだというようにおしつけていたように今では思います。
 そんな中転校したいと親に訴えても世間体がどうのとか面倒臭いという理由で親は私を無視し続け、行きたくない学校に無理矢理いっていた思いが未だに残っています。遅れて授業に行けばきまった男どもがぎゃーぎゃー騒ぎ、「何で来るんだよ」「お前は2度とくんな」とののしられ、授業中なのに先生がいても何も言わず、見ているだけです。配られるプリントも汚されたり最後に回ってきたりで、特に試験終了後などストレスの発散をするように男どもは私をよってたかって虐めまくります。「やめて」といっても「何かいってるよ」と笑いながらかわし、先輩や後輩も面白がってよってたかって虐めてくるので本当に自殺を何度も考えました。

 しかし私は将来を考え自分を変えていくように努力しました。人数が少ないので同じ学校から同じ高校にいく人間がほとんどいなかったからです。私は「早く学校を卒業したい。」その一心で過ごしてきました。中学に上がっても先生は「お前が仲良くしようとしないのが悪い」といい、実際は仲良くしたくても外因的内傷で男に近づくことも恐ろしく、たとえそれが出来たとしても相手されないのがおちなのに先生は全て私のせいにしました。そのうえ私といじめのリーダー的存在の男と同じ高校にいれ、高校生活も暗い物となりました。先生は全てしっていたのにあまりにひどいです。

 私は今でもその頃の夢を見、泣いています。大学生になって1年以上すぎた今でも・・・・つつかれてしまえば涙は溢れるし、関係者1人の顔を見ただけでなきそうになった上すくんでしまいます。それだけ心の傷は大きいのです。

 その中で私が1つだけ先生とのいい想い出があります。個別にだれもいない所で何時間でも何時でもそんな話でも聞いてくれた事です。時間が許す限りその人は私の誰かに対する悪口でも聞いてくれました。

 「あなたは強い子だから我慢して」「本当に我慢してるなって関心してる」これらの言葉は絶対に子供に言わないであげて下さい。私がそうですがそれは先生の逃げとしか聞こえなかったし、我慢する以外になにもなかったし、好きでしている事でもなかった。

 私は何の因果か教職をめざしています。本当は虐められっ子対象の家庭教師をバイトでしたいんですけど・・・私はたとえ学校を敵に回しても子供の正しさを守りたいと思います。先生の中の善悪をしっかりと子供にわかってもらえるように、私は私なりに守っていきたいと思います。つかえない先生のようにはなりたくありません。以上です。

No.43 けろっぴさん、ありがとうございました。

私は大分市で小児科医をしています。障害児を扱っているので、いじめ、不登校の子どもさんがときどき外来に来られます。今度、お母さん方相手に講演会を行うことになりました。よいHPをみつけたと思います。これだけの資料がアッという間に参照できました。また、のぞきに来ます。
ありがとうございました。

No.44 野中健太郎さん、ありがとうございました。

僕は私立の高校に通う一年生です。
 俗に言われる不登校の児童でも有ります。

 いじめに関して、僕の意見を言わせてください。

 僕はいじめの原因で最も大きなものに現行の教育制度を挙げます。

 全ての人間には個性が有ります。もちろん、一長一短が有り、それぞれが固有の特性を持っています。
 無論、一人一人に適した教育をするのが最善です。
 しかし、現在、ほぼ全ての児童は633制の学校制度の中で教育されています。その中で個人は一つの決められた集団に組み込まれ、画一的な授業を否応無しに受ける事になります。
 これを否定する事はほぼ出来ません。国内で生活する限りは。
 親にも、実際に授業その他を受ける子供にもその選択権は存在しません。社会的にも非難されます。
 僕はこの点に先ず疑問を抱きます。
 この国では、親が自分の子供のために最も適する教育を選ぶ事が出来ません。公私の区別は有りますが、進学率に差が出る程度で私立も公立も学童に施す教育は基本的に変わらない様に感じます。
 シュタイナー学校のような、全く別の教育システムを持つ学校は一部のフリースクールを除いて存在しないのです。
 欧州、アメリカの各州に存在する、多様な教育制度、教育の在り方は、親に自分の子供に最も良い教育を与えうる可能性を持っています。――合わなければ別の教育に変える事も出来るでしょう。
 多様な学生時代、生き方が保証されているのです。
 このようなより自由な環境下では、いじめは起こりにくいはずです。
 最低限果たすべき事は果たさねばならないが、他は自由であるという環境こそ、子供が委ねられるべき環境なのではないかと思う事も有ります。

 結論として僕が言いたいのは、学校に縛られた教育制度を捨て、教育を受ける側、受けさせる側である親子、家庭に強い権利と自由、そして重い義務と責任を与えるべきではないか、と言う事です。

 いじめそのものについてですが――

 今いじめにより自殺を考えている人がいたら僕はこう言います。
「真似だけでもいい、教師やいじめる奴等の目の前で手首を切れ」
 とりあえず、いじめは止まるはずです。
 泣きわめきながらコンパスか何かで適当に手首の当たりを刺したりすればたいがいそのリスクの大きさに気付くはずですから。
 本当に切っても構いません……処置が早ければ死なずにすみますから。少し血が出るだけでも物凄くびびってくれます。
 この方法は********ですが、まあ、最終手段ですね。
 遠巻きに何か言われるでしょうし、敬遠されますから。

 それはともかく。
 いじめで何が一番つらいかと言われたら、それは否定されている事に尽きると思います。
 この辺、僕は一種の哲学をもっいるんでそれが前提になりますが。
 人間の行動は評価を前提としているんだと思います。
 評価するのは想像の中の他人だったり現実だったりしますが、基本的には肯定されたい、否定されたくないというのが根底に有ると思います。
 そして、一個人の持っている世界は非常に狭い。少なくとも一介の中学生や高校生の世界はそんなに広くない。十分な広さが有れば多分いじめに対しても強い耐性が有ると思います。
 日常ふれあう事のある人の評価が基本に置かれます。一番多いのはだいたいクラスメートですね。そのクラスメートみんなから否定されると言うのは、世界から否定されるのも等しいんじゃないでしょうか。
 ここで自分の世界から原因(いじめる側、学校)を排除してしまうと不登校、周囲の目、世間一般を恐れて耐える選択をしてしまうと最終的に死に至る事も有るのではないかと僕は思います。
 僕の中では、世界を閉ざして自分を守るか、世界の変化を許容して危険因子を抱き込むか、と行った違いです。
 で、最後まで許容してかつ耐え切れないと、自殺、世界の崩壊です。

 自分でも何が言いたいのか自分でも良く分からなくなってしまいましたが、
 いじめられても本人に原因はないが、自殺する原因の根には自分自身、ひいては親と育てられた環境に原因がある、という事です。

 何やら訳の分からぬ事を書いてしまいましたが、何らかの参考になれば幸いです。
 ユートピアをユートピア(=どこにも無い)にしない様にがんばってください。

No.45 匿名さん、ありがとうございました。

いじめは子供の世界だけにあるものではありません。だから、その原因を子供が置かれている環境のみに求めようとすることには、反対です。もちろんいじめの手法は昔に比べ、ずいぶん残酷なものになってはきました。しかし、だからといって、その部分のみに注視し、いじめとは、現代の子供という病的な人間が引き起こす、病理現象であるというようにとらえてしまってよいのでしょうか。私はいじめとは、せまい範囲に人が集まった際、その中で仲良くすることを求められた時に生じる人間関係の問題ではないかと思います。

No.46 匿名さん、ありがとうございました。

いじめ自体は形を変えながら、なくならないと思う。
しかし、私が子供のころと比べると現在のいじめは質が大きく変わり、いじめというより「犯罪」というほうが正確なように思う。
問題の根本は、いじめる側もいじめられる側も人とうまくコミュニケーションできないことだと思う。いじめる側はコミュニケーションできない不安を、外にぶつけ、いじめられる側は自分に向けていると思う。
幼児のときの遊びから見直す必要があると思う。

No.47 匿名さん、ありがとうございました。

中学生のころ、いじめにあっていました。原因は、私が運動ができなくて太っていたからだと思っています。今、いじめにあっていたことは誰にも知られたくない気持ちがあります。恥ずかしいと思ってしまいます。現在の私は、やせていますが、太っている人をバカにしてしまうことがよくあります。自分がいじめられていたことを考えれば、そんなことできないはずなのに。

No.48 おがわさん、ありがとうございました。

いじめって本当に恐いですよね。私は、中学3年の時に千葉に引っ越してきました。その前までは、田舎の中学にいて、その学校は、平和でいじめなんか存在しませんでした。転校生がきても、みんながその子の周りに集まって、私から見ると転校生はアイドルのような物でした。だからでしょうか、自分が転校する時も全然不安はなかったのです。ところが、転校生ですと先生が私のことを紹介して休み時間になっても誰一人私の周りに集まってきませんでした。その時初めて孤立した感じを覚えました。結局私が仲良くなったのは、クラスでも嫌われ者の3人組みでした。でも今のようにいじめもひどくなかったし、苦にはなりませんでした。もしあの時今のようないじめに自分があっていたら・・・と考えると、自殺はよくないこととは簡単に言えません。

No.49 伊地目 嫌太さん、ありがとうございました。

いじめの要因について

(1)過保護による要因
 
 私は中学校時代、意味もないのに毎日拳固で殴られていました。
私は殴り返す気もなかったので、殴る生徒がどんどん増えていきました。
私は身長がクラスで一番高かったから、彼らにとってはデカイ相手を殴るといった事が快感だったのでしょう。
 ある日、我慢できなくなって、担任の教諭に相談をしました。
相手の両親を呼び出しての話し合いになりました。 「うちの〇〇ちゃんは、まさかそんなことをする子とは思えません。とっても優しい子です。うちで飼っていた犬が死んだときも、泣きながらベッドで一緒に寝ていたし・・・。まさか少年院送りにはなりませんよね・・・」と相手の親の言う話をまだ覚えています。
 たぶん、この両親は自分の息子を摂関したことが一度もないのでしょう。
相手の両親の過保護さに今でも怒りを覚えます。 

 私は生徒のいじめにおいて、過保護に問題があると思います。 
最近、体罰についてニュースにとりあげられ、やる気のある教師・教諭が退職させられています。 一昔前、教師・教諭によるビンタなんて当たり前だったはずなのに、今ではビンタだけで体罰扱いされて大問題になってしまうことがおかしいと思います。 悪いものは悪いとして、言葉で聞かない生徒には体罰あって当たり前だと思います。
 体罰をやめてしまうと「いじめる側の生徒」は教師や弱い生徒に対してなめてかかり、つけあがります。 「いじめられる生徒」は孤独で誰からも守られません。少なくとも体罰を奮う教師が唯一の味方なのですから・・・ 
 私の偏見だと思いますが、過保護な両親(PTA)と教育委員会が学校の教育を腐敗させたと思います。

(2)外的要因
 
 子供は何かから影響されると思います。 私の中学校時代は、「男一匹ガキ大将」という漫画本があって、不良少年どもは話し方や形態を真似しました。 やくざの市街戦みたいなことは恐いので、一番安全な逆らわない弱い生徒を殴って喜んでいました。

 今でも、そう変わっていないようです。 まして、昔より強力にいじめる精神を促進させる要因がたくさんあります。
 戦闘・喧嘩関係の漫画本やアニメ、ゲームまでたくさん出ています。 特にファミコンのRPGやAVGやリアルタイプシミュレーションは暗示的なものがあって、要注意だと思います。 
 
(3)その他

 いじめる生徒は一人ではありません。 ボス的な生徒がいて、子分が増えて、クラス全体に及びます。 暴力を奮う生徒以外の生徒は無視しますので、いじめられる生徒は孤立します。 仲間は数人いると思いますが、優しく弱い性格なので、暴力を奮う生徒が寄ってきてもかばうことができません。
 他の生徒は見て見ぬ振りをします。

 今でも思い出す度、悔しく思います。 現在、卑劣・卑怯なこのいじめをしていた連中はいじめに関するニュースを見てせせら笑い、あるいは自分の子供にいじめを教育して、変わらず同じような卑劣で卑怯極まるいじめを社会でも発生させているのでしょうか?

No.50 久保誠二郎さん、ありがとうございました。

 とても興味深く拝見しました。このHPで最も考えさせられたのは、「その他」フォルダに入っている作者の授業研究などの報告でした。これらの報告を読んでいるうちに私は言いしれぬ感動で胸が熱くなるのを感じました。とても難しい「いじめ」の問題に、こうやって現場の教師と生徒たちが向き合っているということに、率直に感動しました。日頃からほとんど教師の実践を知らぬ私たちにとって、これらの報告はいじめを考える際にとても有意義です。
いじめの問題では学校や教師、家庭、地域の責任が必ず問われるものですが、ならばその一方で私たちは、教師の実践をもっとよく知らなければなりません。そこには美談ではなく教師の抱える苦悩もあるでしょう。でも、そうでないと学校現場の貴重な経験を踏まえない空論が、はびこるように思います。私たちはもっと現場の教師たちの声を聞くべきです。教師もまた、大きく声をあげるべきです。親もそうです。責任を問いつつも、お互いの抱える困難を認識することが大切ではないでしょうか。教師は担当の生徒が多く雑務で多忙、親も長時間労働で疲労するような社会で、子供たちに問題が起きない方が不思議です。こうした問題も含めて、抱える困難をもっと出し合って、それを変えていくことを考えるべきだと思います。ですから、安易に「いじめはなくならない」などという観念での議論にとどめないことが大事だと思います。
 その他フォルダは是非名前を変えた方がよいと思います。大切な内容が含まれていると思いますので。
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