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No.151 〜

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No.151 匿名希望さん、ご意見ありがとうございました。
こんにちは。私は現在大学生です。たまたまこのホームページにたどり着き、ちょっと意見を聞いて欲しいな、と思い、文章を送らせていただく次第です。あまり参考にはならないと思いますが、おひまでしたら、ぜひ読んでやってください。
私は大学生にもなって、いじめ?のようなものをうけています。一時期は本当に死のうと思い、やばい状況でした。しかし本当にいざ死のうと思ったとき、親の悲しむ姿がありありと想像され、思いとどめました。自殺するには歳をとりすぎたか?(半分笑)と思ったりしました。それとともに大げさに言えば、悟りのようなものを掴みました。しょせん自分には、自殺なんてできないと。
自殺しようと思ったときによぎったことは、親のこと、死んだらどうなるかということ、そして自分をいじめた人たちへの復讐(と言ってしまうことに抵抗はありますが、やはり自分がこんだけ苦しんでたんだよ、と訴える心の裏には復讐心があったように思います)でした。やっぱり自殺すれば、いじめた人間は多少は反省しますしね。しかしその反省している人間を死んだ自分は観測できませんよね?死んだらどうなるか分かりませんけど。自分は、人間死んだら多分、無になると思っています。そしたら、死んだその後の世界を観測できないわけです。いじめた人の苦悩を観測できないわけです。それでは復讐は達成されないわけです。どうも文章にすると、ニュアンスがずれて伝わりそうで怖いのですが…。どうも文章にするのは苦手です。中途半端ですが、これで終わります。もし、私の文章に興味をもたれたなら、お返事ください。(メールアドレスは伝わるのか?パソコン買って2ヶ月なのでよく分かりません。) 
 
No.152 ひーさん、ご意見ありがとうございました。
現在大学3年生です。教員を目指しています。
このhpは、大学のレポート作成の参考にしようと考え探しました。
レポートの課題は「教育相談において、ある具体的場面を想定して、教師と親の連携について考察せよ。」です。
私はこの具体的場面として「いじめ」と取り上げようと考えました。
 ささやかな実践」の中で中学の研究授業の紹介がありましたが、中学生が自分たちの問題をここまで考える事ができるのだ、と言う事にとても感激しました。
この話し合い、発表の中で「教師には相談しにくい」と言う意見と、その内容が書かれていましたが、教師を目指すものとして、おおいに考えさせられました。私自身いじめられたり、目撃した経験がありますが、それを教師に報告、相談したりと言った事は考えなかったように思います。教師の受け入れ体制等の問題もあると思います。
これらの事は、これからじっくり考えていこうと思っています。(私はまだパソコンに不慣れなため、キーボードを前にして考えながら文章を書くことが苦手なので・・・。)いじめる子、いじめられる子、両方の立場に立ち、教師として生徒たちにどう関わっていかなければならないのかを考え、またここで報告できたら、と思います。
最後に、教師という立場から考えようと思いこのhpを見ていましたが、資料室の「遺書」や「大河内清輝君のお父さんの手記」、「彼岸花」(直接いじめとは関係ないかもしれないけど)を見ていて、かなしいいじめの実態を知り、涙が出てきました。一人の人間として、どのような立場にある人でも「いじめ」がなくなれば、と思います。また、そのために「人間愛」が本当に大切だと強く思いました。

No.
153 和さん、ご意見ありがとうございました。
僕は今中ニでいじめにあっています。
毎日ニ人に殴られたり蹴られたりしています。
周りで見ている人たちは、なにもせずにただじっとみているだけで、なにもしてくれません。
別に僕がその二人になにかしたというわけでもないのに。
昨日、僕がその二人にいじめられていたとき、担任の先生がみていたのにもかかわらず先生はなにもいいませんでした。
そんな先生がいるから僕みたいにいじめにあっている人が減らないんだ。
僕は三年になって、こいつらみたいなやつらと同じクラスになったら学校に行かないつもりです。
この事についてだれかメールください。
 
No.154 akiさん、ご意見ありがとうございました。
いじめは、いじめ相手に対して自分が答えてしまうから、発動するものだと考えています。
こちら側が相手にしていなければ、いじめは自然になくなると思います。
たとえ、いじめがあっても、強い気持ち、意思を持つことが最大の課題と思ってくれればうれしいとボクは考えています。
 
No.155 ある母親さん、ご意見ありがとうございました。
中一の娘の友達がいじめられているらしい。小学校の時の同級生で、今はクラスが違うので何もしてあげられないという。担任の先生は見て見ぬふりと、子どもは言う。学校のカウンセラーに相談するように言ってみたが、何の解決にもならなかったとか。
明日のグループ行動でも同じグループの人たちがその子を置き去りにすることを相談しているのを知ってしまったので、明日その子は休みたいと言っているらしい。
子どもがせっかく話してくれ,何とかしてあげたいのに、親として何ができるのかわからない。以前に個人懇談で担任の先生にいじめのことを少し話したら、わが子の友達関係の方を心配するようにといわれてしまった。
中学校ってどうなっているんですか?
 
No.156 小沼笑さん、ご意見ありがとうございました。
いじめの事を考えると私は、苦しい気持ちになります。
でも、1人じゃないという気持ちを強く持つ事。
それと、死にたくなったら、「自分に、自分の事をこの世に導かせてくれた人がいる」って思って欲しいです。
命は、平和です。平和は、命です。だから、自分と他人、他人を自分のように愛して大好きになりましょう。
生きるって事それは、自分が持った夢を叶わすために生きるって事。
生きるって事それは、自分が持った目標を達成する事。
この2つが、叶えたり、達成が出来るまでがんばる事。
これらが、大切な事だと自分に思い込む事、思い込みたまに良い時にかわる事もあると思う。
でも、大切なのは、死にたくなったら、(この世に導かせてくれる人がいる)と思う事。
生きるというのは、自分の持った夢を叶わせるまで、努力してがんばる事。
それと、自分が持った目標を達成するまで、努力してがんばる事。
命というものそれは、平和な事。平和というものそれは、命という事。
この間は、初めてここへ来たのに、なれなれしくあんな事を書いて失礼しました。
ですが、登校拒否してみて、いろいろな考え持ってそれでいろいろとある考えの中での1つだったので、そう書きました。なんか、悪いみたいな感じになっちゃいましたね。
 
No.157 結城さん、ご意見ありがとうございました。
いじめをするのは人間だけではないです。サルなど、群れを作る動物はいじめをします。人間も他の動物と同じ本能を持っていて、いじめはその本能による行為だと考えられます。
 
群れを作る動物は、ただ集まれば良いというわけではないです。何匹かが集まれば、中には群れにとって望ましくない者がいます。群れを作る動物は、群れが生き残るために、群れにとって望ましくない者を排除する本能を身に付けています。
たとえば、保護色の動物が集団で狩をする時、獲物に気付かれずにどこまで近づけるかが重要です。しかし、集団の中に突然変異で色の違う者がいた場合、獲物に気付かれ狩が失敗します。保護色の動物の群れの中に色の違う者がいることは、群れにとって死活問題になります。これを避けるために群れを作る動物は、色違いなどの群れにとって望ましくない者をいじめ、群れから追い出そうとする本能を身に付けています。
動物は、長い年月をかけ環境に適した性質(色、形、性格、振る舞い、考え方など)を遺伝子に身に付けます。群れを作る動物なら、群れとして生きるのに適した性質を身に付けます。群れを作る動物にとって、みんなと違う者は、群れとして生きるのに適した性質を身に付けていない者であり、群れにとって望ましくないです。人間も、群れにとって望ましくないものをいじめ、群れから排除しようとする本能を身に付けています。ただ、人間の今の環境は、本能が想定した環境とずれているために、過剰にいじめが行われていると思います。
 
「人間は動物と違う」という先入観が邪魔をし、正しい理解を遅らせています。
対応策を講じるためには、大勢の理解が必要です。多くの人が理解できるようになるまでは、過剰ないじめが続くと思います。
No.158 hondaさん、ご意見ありがとうございました。
はじめまして。今年専任の教諭になったばかりの者です。
以前は、東京都の女子校で講師をしておりましたが、今は北海道の高校に勤務しています。
 
東京の子と地方の子とは随分扱いが違うのだと、改めて驚いています。
東京より地方の方がいじめはひどいという噂は聞いてましたが、それは本当の事だと実感している毎日です。
どうもマスコミなどは都市部を中心に問題を考える傾向にあり、ここの地域のいじめ問題を考える手だてが非常に少ないんですね。ここでは地域性の問題が大きくかかわっているような気がします。子供の頃に一度いじめられると、それは高校生になってまで続いて行くんですね。これは東京では考えられないことです。どこかで人間関係が入れ替わって、どこかに逃げ道があるもんなんです。この町を出ない限り、いじめっ子は永久にいじめっ子で、いじめられっこもまた然りです。お互いが成長していくきっかけというか、そういうものが全くないわけで、これはますます深刻です。そしてその関係がそのまた子供の代まで受け継がれていく。
一人の子のいじめを考える場合、その親同士がどんなつきあい方をしているかまで、複雑に絡み合っています。
 
このHPを地方のいじめ問題を考える手だてにできたら幸いです。またちょくちょくおじゃますると思います。
 
No.159 宮良 諒さん、ご意見ありがとうございました。
初めまして。僕は高校2年生、今回僕の通っている高校の国語の授業でイジメについての討論会(ディベート)があります。そこで僕たちのグループは「イジメはなくならない」という意見です。イジメは確かに悪いと思います。しかし、社会全体という範囲で考えた場合、大人の社会でもイジメはあります。まだ成人していない僕達からしてみれば不安です。イジメというのは、どこまでがイジメで、どこまでがイジメじゃないのか区別というものがつけられないと思います。教師の体罰などが問題になっていますが、僕からしてみれば今の親は自分の子供しか見えてないのではないのでしょうか?一昔前のように、子どもの取った行動に対してきちんと注意できないというのはおかしいのではないのでしょうか。まだまだ僕の考え方というのは子どもかもしれませんが、これからもっともっとイジメに対して考えていきたいと思います。これからもよろしくお願いします。明日は討論会なので、自分の意見をしっかり言いたいと思います。
 
No.160 Kaoさん、ご意見ありがとうございました。
「いじめる側は絶対悪くない。」そんなこと当たり前です。
私はもうすぐ29歳になる主婦ですが、未だに中学校のときにいじめられたときの傷が癒えません。
 
私は実際保育園のころから他の子に疎まれていたようです。長女として生まれたせいか、内気な割には自分勝手なところもあるというような性格だったと思います。小学校の頃もいじめられっぱなしでしたが、今考えてみると何がきっかけだったかよく分かりません。やっぱり内気だったからかもしれません。その頃に入っていたピアノ教室でもいじめられ、3ヶ月でやめました。その頃のいじめも割合にひどかったけど、大事にしていた工作作品を壊されたことを除いては、あまり気にもしなかったと思います。仲良くしてくれた友達もいたことはいたし、小4くらいになって内気さが少し直ってきたらいじめが少し減ったこともあると思います。
これが恐ろしいことになったのは、中学のときです。最初のときは特に何もなくみんな普通ですた。しかし私のクラスには、誰か目障りな人やおとなしそうな人を探し出して中傷やいじめを行うというグル−プみたいなのがあったようでした。彼らは派手に「活動」を行っていたので、先生にもすぐ情報が行って、クラスのみんなの前で何度も注意されていました。私の前にも3、4人も被害者がいました。一番おとなしくて何かされても何も言えないタイプの男の子、ちょっとはねっかえった感じの目立つ女の子などがそうでした。そんなことをする連中がいるなんてと私は恐ろしくなりました。私にもそのうちお鉢が回ってくるのではないか・・。
私は考えてみれば、何か思ったことや言いたいことがあっても、あまり言えないタイプだったと思います。それをいいことにどんな陰湿ないじめをされたか、他の方のいじめの例に漏れませんが、改めてここには書きません。金品を取られるというようなことはなかったにせよ、破壊されることはしょっちゅうでした。
いじめた人間にはこれ以上言いたいこともありません。今考えても忘れられないのが、自分が直接手を出していないといい子ぶってまわりで見て見ぬ振りをした女子生徒達と、中2くらいの時のある日の「集会」です。先生がクラスの人間に「どうして○○さん(私)をいじめるのか。」と聞くということを行ったのです。その時の彼らの意見というのが奮っていました。「給食を早く食べすぎるから」「前髪が長すぎるから」「つめを噛むから」といった類のが延々と人数分黒板に書き出されました。見て見ぬ振りの女子達が「おとなしいから」のようなこともいいました。私ははらわたを煮えくり返らせました。この生徒達ではなく先生にです。「要するにこいつらはなんかへ理屈や言い掛かりをつけて、私をいじめる理由にしたいだけじゃないか。そんなこと先生をやってるような人間が、なぜ分からないのか。この先生は何の恨みがあって私にこんな恥じをかかせようとするのか。」これ以来私はこの先生を全く信用しなくなりました。先生はいじめをなくそうと努力しているようで、私の母まで呼んでいろいろと話し合いをやってくれましたが、結局全てが見当違いのものでした。(この部分が文字化けしていました。)
先生はその、母も含めた面談の際に「君にも悪いところがあるんじゃないか。」とか「君はもう少しみんなの役に立たなくちゃいけない。」というようなことを言いました。その時私は、「みんなの役に立つって言ったって、みんな私のことを嫌ってるだけで必要だなんて思ってないんだけど・・・。どうすりゃいいっていう訳。」と思ったことを覚えていワす。母を心配させたくないと思って一生懸命隠していたいじめのことを、先生に母にばらされた上に、私は母からも「おまえは人の役に立っていないからいじめられるんだ。」といわれる羽目になりました。私はこの時の学校のやり口にどれだけ腹を立てたか分かりません。もっと深刻なのは、私はこの時言われたことを潜在意識の中に浸透させてしまったことです。
 
これら当時の自分の周りのほとんど全員に対しての恨みは、高校に入学した後いじめる奴等から決別した後も何年もの間、極度の自己の劣等感・人間不信という形で私の心に大きな傷を残しました。何かにつけて「自分は何も出来ない」「自分は人の役に立たない人間だ」「自分は人より劣っている」「自分は愛されることはない」と思い込み続けました。希望の学校・職業選択にも影響が出、男性や友人との付き合いにも妨げが生じました。その後10年あまり、いろいろ個人的に悲しい思いをしながら考えに考え抜いて私が出した結論は「私は何も悪いことをしていなかった」ということでした。その割には私の失った物は多すぎました。
 
大体いじめの原因といわれているものなどというものはきっかけに過ぎません。例えば「おとなしいから」なぜ人をいじめていいんでしょうか。これはただ単に「おとなしいから、いじめても何も言えないから」ということでしかないのです。大体、なぜ他人が個人の性格を云々出来るのでしょうか。人はみんな違うのですが、それが日本では許されないようです。たとえそれが一般にいう「悪い性格」だったとしても、それを理由にいじめるなんて本当は以ての外なのに、大人でもそれが分からない人たちがいます。「自分の自慢ばかりする」とか「人を見下す」とか「でしゃばる」などが挙がるかもしれません。しかし、誰にどんな性格を「悪い」と決めつける権利があるんでしょうか。人に欠点は付き物なのに。これらは誰かが個人的に気に入らない性格でしかありません。どちらにしたって、嫌いだったら嫌うだけにしたり、勝手に付き合わなければ済むことです。腹が立つことを言われたりされたりしたからいじめる、という人もいるようですが、これも同様です。どうして彼らは、そのことを相手に伝えて反省させたりするだけではいけないのでしょうか。
特に問題だと思われるのは、きっかけはそのような(客観的には)些細なことであるにもかかわらず、彼らは徒党を組んで一人の(客観的には)罪も無い人間を仲間外れにし、精神的、時には肉体的にも傷つけて平静な気持ちでいることです。いじめる側に立つと、自分たちの行為はどのようなこと残酷なことであれ正当化され、(実際には意味の無い)優越感を持つ訳です。いじめることが正義であり、それに逆らおうとするものは報復を受けるため関係ない者も、見て見ぬふりをするだけです。このような心理状況がどれほど危険なものなのか、世界の歴史も日本の歴史も教えています。歴史がどうのこうの言わなくたって、これが人間として許されないことは明白です。「いじめはいじめられる方が悪い」なんて私には本当に、大人の言うこととは思えません。逆にこういう大人がいるから、少しもいじめは減らないのです。
 
私はいじめというものは、その発生の過程を容認しているような日本の社会構造上、または教育問題上、特別に多く発生せざるをえないものだと思っています。それを避けるためにもっとも大事だと思われる「自己主張」「個人主義」「他人の人格の尊重」といったことが、日本の学校や社会などでは重要視どころか問題視されてしまいます。雲をつかむような話ですが、これらを変えていくのは一人一人の心がけとしか、今の私には言いようがありません。このサイトを読んでいる人たちから、いじめや差別行為が一体何故いけないのかよく知り、自らの考えをしっかり持ち、それを他人の前で、またはその行為自体を目にしたときはっきり言えるようにならなくてはいけないと思います。私は自分がそういう体験をしたため、いささか極端なほど自分の意見をはっきりといえるようになりました。間違っていることは間違っていると、周りを気にせず言えるようになったことは自分としても大きい収穫だと言えます。間違ってるのは、大勢に合わせるために、分かっていながら間違ったことをしている人たちです。でも日本ってそれで成り立ってるところですから、正直なところ希望が薄いなあ(ここも文字化けでした。)
 
今私は縁あって外国に住んでいます。夫は外国人ですから、子供はいわゆる「ハ−フ」になります。「ハ−フ」の子供へのいじめは日本では深刻だと聞いています。私は自分の子供がいじめられるのだけはごめんなので、日本の学校にはやらないと心に決めています。こちらではそういういじめの話は外国人だろうが普通の子供だろうがほとんど聞きません。出来るだけいじめの可能性の少ない環境があるんだったら、そちらの方で幸せに育って欲しいです。はっきりいって、私もこの国に生まれてればあんなに傷つくことはなかったかもと思うことがあります。それでももし万が一子供がいじめにあっても見逃さないように、自分の体験をもとに対処できるようにしたいと思っています。

No.161 まゆさん、ご意見ありがとうございました。

私は、自分のことがずーっと嫌いでした。でも今では好きです。
今26歳です。昔いじめられていました。その頃の話を書きます。
クラスの人、全員に無視されました。私の分のプリントだけ床に放り投げて拾わされました。
教科書に馬鹿とか学校来るなとか書かれました、バイキン扱いして、触ると汚いと言われました。
あいつ自分がきらわれている事知らないのかな?あいつ死んじゃえばいいのに、って、全然関係の無いクラスメートが、話しているのを聞きました。
いじめてる子に言われるよりも、まったく今まで関係無い人がそう言い始めたことにものすごいショックを受けて。
本当に死んでしまおうと考えました。
でも、悔しくて、怖くて、なんか負けた気がして悔しくて、死ぬことよりも、あきらめることが怖くて、そんな自分が悔しくて、出来ませんでした。死ぬのは少しの勇気があればいつだって出来るのに、今それをするのが嫌だった。自分が、大嫌いになりました。
いじめる子よりも、悪口を言う子よりも、なによりも自分が嫌いでした。生きてて何の意味があるのかと思いながら毎日過ごしていました。
誰とも口を聞かないで、気持ち悪いと言われても端のほうでじっといて、ただ、学校に通っているような毎日でした。
親にも自分がいじめらているなんて事は情けなくて言いませんでした。恥ずかしかった。
そんな中学生活でした。高校に行ってからも、その時の癖が取れなくて、おはようと自分から話し掛けれなくて、知り合いがいるとなるべくすれ違ったりしないように気おつけて、前にいるなら抜かさないように気を付けて歩き、後ろにいるなら速く歩いて自分の姿がその人から見えなくなくまで落ち着きませんでした。人のことも信じられなかった。集団が怖かった。って、思ってたのに今じゃ全然平気なんだもん。
自分を自分で事好きなやつなんて本当に居るの?って、思ってたけど居るここに、、、って感じです。
自分大好き。うーん時の流れって、、、、、。
今じゃ、他人にうらやましがられるくらい悩み無いでしょ?とか言われちゃうお気楽者です。
別に普通にしてるだけで、面白いこと言ったり出来ないんだけど、それが面白いんだって、良くわかんないけど。
好きって言われるのはやっぱり嬉しい!で、今にして思う私の3年間を「今だからこう言える」を交えて書きマース。長いと思います。
 
事の始まりは、その頃に仲良かった友達Aと、話しが合わなくなってきた頃。待ち合わせて学校に通っていて、私はそのA達が遅れてきても皆そろうまで待っているのに、私が送れるといつも先に行っちゃう。私が遅れてくる時だけ待っててくれない。その事に疎外感を感じ、裏切られた気がした。仲間はずれにされてる気がした。自然に怒ってるからちょっと無口になった。すると、どんどん話しが合わなくなって来た。私は無意識に他に友達を作ろうとして、その子達とは別のB子達と学校に行くようになった。私はすでに仲間はずれにされていると決めかかり、A達に今度からB子達と学校へ行くことを伝えてなかった。だって、A達が先に行くから後の時間に登校するB子達としょうがなく学校行ってたんだもん。言う義理ないじゃん。私が待っててあげたのにあなた達は先に行っちゃったんだよ?少しは困れば良いんだ!と、考えた。
(*確かに些細なことなんだけど、意地悪もしたくなるけど、素直にA達にここで私は「何で先行っちゃいの?」って、怒っているのを伝えるべきだった。もしくは、今度からB子達と行くと、伝えるべきだった。もしくは、A達ともっと喧嘩しちゃうべきだった。)
そして、私と仲良くなりたそうにしている嫌われ者のCちゃんが近づいてきた。この子は、皆に嘘をつくし、仕切りたがっている支配者だった。誰もその子には逆らえない。そのかわり本当の友達がいないの。そう言って来た。Cちゃんは人の悪口を言うのが好きだった。私はA達に怒っていたこともあり、CちゃんにAの悪口と秘密を言った。そして、Cちゃんがそれを秘密にしててくれるなら信じようと思った。試した。
(*だからって、悪口言っちゃ駄目だよね。本当の友達がいないって、信じたがってた子に、裏で悪口言うの好きな子だからって、友達だった子の悪口言ったらぜーったい私の事信用しないよね。たぶん、私も本気で友達になろうとしてなかったんだと思う。)
ある日、Cちゃんの家にB子から呼び出された。私は、もうこんなこと止めようかな、本当は、Cちゅんの事試すためにAの秘密を話したんだよ。と、伝えようとしていた矢先だった。なんと、Cちゃんの家にA達がかくれていた!私を呼び出したB子は、Cに、「もう帰って良いよ」と、指示されて帰っていった。
(*なんで、あんなに怖かったのか?Cちゃんに逆らうと「イジメられる」とゆうのがインプットされていて、誰も逆らえなかったのだ。)
すごい裏切りだった。私は、A達4人とCちゃんに、よってたかって責められた。自分は悪いと思っていなくて、そっちだって、ここがこうだったジャン!と反論することもあきらめて、だだ態度だけは、ふてぶてしくしていた。それだけが私に出来る反撃だった。そして、「ごめん」の言葉を言わされた。
(*今思い出しても、くやしい。そっちだって、やり方がすごい卑怯だし、初めに、しかけて来たのは向こうなのに。
何で私だけが、謝らなくちゃならいの?なんで、自分の思ってる事を抑えつけちゃったんだろう?なんで、解ってくれ無いのなら、もういいよって、諦めちゃったんだろう?)
一度、自分が思ってもいないのに謝るとゆう行為をすると、とても卑屈になって、プライドが崩れてく。悔しくて泣けてきた。自分が嫌いになった瞬間だった。
次の日に学校に行き「おはよー」と挨拶をした。誰も返事を返してくれない。どうやら、A達とCちゃんから私を無視するように指示が出たようだった。話し掛けても誰も返事をしない。友達だったA達、友達になろうと思っていたCちゃん、友達だと思っていたのに私を売るような事をしたB子。なにも関係が無いし詳しいことも知らないのに、指示されるがままに、私を無視するクラスメート達。いきなり誰も友達がいなくなった。誰も、信じられない。とても悲しかった。だったら私もあんた達なんて無視してやる。そう思った。この日から私のイジメが始まった。
(*無視が始まった頃を、思い返してみて、「私だってあんた達なんて無視してやる」そう皆思ったんじゃないでしょうか?「こんな人たちに負けてたまるか。あんた達、最低だよ。」「大勢で、中学に入ってまで無視とかする?そんな人達こっちだっていらない」そう思いませんでしたか?
思い返してみて!ここが、逃げちゃ駄目、逃げちゃ駄目だって、自分に言い聞かせた瞬間。
今度こそ逃げない!と思った瞬間じゃなかったでしょうか?今になって、やっと、これが最大の間違えだった事に私は気づきました。人それぞれですから、違う人も大勢いると思います。その中で、私は心当たりある。と言う方、聞いた下さい。かつて、負けず嫌いだった、自分を覚えている方!逃げちゃいけないのは、人の心を受け入れる事に対してだったのに、それを無視するような体制に負けちゃいけない。だったのに!いつのまにかAに対して(こうなった原因)から逃げちゃ駄目。になってしまっていた。否定しながらも、すべてがAに対して感情が回っていた気がする。自分が逃げたくないと思ったものは、本当は何に対してだったの?)
日にちが経つうちに、最初の思いも薄れてきて、ただ寂しさと辛さだけが積み重なってきている。私は寂しさから、私に対して、罪悪感があるだろうB子と行動を仕方なく取るようになりました。私を売った子なのに、だからこそ私はB子を許せなく、話し相手がいないから取り合えづずの存在として一緒にいました。B子は私より格下の存在でした。最初は指示されたからだったクラスメート達も本気で私を嫌ってきている。そして、自分も自分の事をどんどん嫌いになって行く。何よりも、直接喧嘩したわけじゃない、私を良く知りもしない相手が私に対してする、蔑んだ言葉や、態度。私は皆から汚いものとして扱われているのが当然だとゆう反応。全人格を否定されたような、冷たい仕打ち、それが辛かった。私に物を配るときだけ汚いものの持ち方。罰ゲームだといって、私の机を触ってくるように言われている男の子。目が遭うと、こっちミンナヨと、視線があっただけで気持ち悪がる人。床にはいつくばって物を取るときの屈辱感。私にはどんなひどい事をしても良いと思い込んでいる人たちの中に居るのはとても辛いことで、精神的拷問だった。だんだん自分でも自分がそう思えてきて、私がこの空間に存在している事自体が苦痛だった。だから余計に殻に閉じ篭るしかなかった。これ以上傷つきたくなかった。自然に人が嫌いになって行った。なのに寂しい。心が、どんどん硬くなって、「話さないから暗い、気持ち悪い」のイメージを自分でもわざと定着させるような行動を私は取り始めた。眼鏡を掛け、髪を一つに束ねて、人とは目を合わさない様に避けて歩き、教室で、誰かが話している面白い話しを何とか聞かないようにして、笑わなくなっていった。自分を苛めた子に、私はあなた達のせいで、こんなに暗くなっちゃったのよ!て、伝えたかった。
(*なんで、こんな行動を取り始めたかは、多分「自分でもワザトやってるから、だから嫌われて当然なんだ」と、自分に言い聞かせて何とかプライドを繋ぎ止めていたからかな?でもそれが苛めに拍車を掛けていた要因でもあった。後、「私はあなた達のせいで、こんなに暗くなっちゃったのよ!」って、本気で思いしらせるつもりだった。今思うと馬鹿らしいけど。同じような事しちゃった気がする人、自分に問い掛けて、、、、。
誰に、そう思って欲しかったのか!今、苛めの先頭に立っている人に対して?いや、よく考えると私は違った。私は、最初原因になったA達に対してだけだった気がする。私は、最初に逃げちゃだめって、無視されてから思い始めてしまったが為に、その後に関わった人達を誰一人受け入れようとしていなかった。良く考えてみると、偽善だろうが、私に話し掛けて来る人はいたような気がする。他のクラスの、私が苛められてる事を、まだ知らない人とか。その人達と話しをしていたもの。私が友達って認めていないだけで、本当は友達になれたかもしれない人も、「本当の自分を知らないから。。。」と、否定していた。あなたは今、本当に誰も話す人がいないの?学校以外でもいい。メールの中でも良い。本当に誰もいないの?いるでしょう?ただ、自分はその人達の事を認めていないだけじゃない?。話しはするけど本当の友達では無いって、自分のほうから他人を(気持ちを)無視してないって本当に言える?じゃあ誰が本当の友達なの?私は、結局、すべてがA達だと思い込んでいた。A達に認められないと駄目だと思い込んでいて、先に進めなくなっていた。私が逃げちゃいけないのは、人の心を受け入れる事に対してだったのに、Aに対して逃げちゃ駄目。になってしまっていた。だから、話しはするけど友達じゃない。そう考えてた。自分でそう思い込んでいたら、友達も出来ないし、なろうとしてた子も去って行っちゃうよね。最初から何もかも理解してくれる人なんていないの!なんとなく一緒に居るうちに、楽しいから友達になるの。他にしゃべる人居ないから本当はここに居たくないけど適当に友達してる。って、つもりじゃ駄目だよ。その人達と友達になろうよ、受け入れようよ、なにも自分の秘密を何でも知ってる人だけが友達じゃないよ。相談する友達、飲み友達、スキー行くときの友達、いつも遊ぶ時の友達、いろいろ同じランクじゃないけど、大事な人になるよ?こうなってしまった原因からは逃げていんだよ。そして違うところで自分に力を(自信を)つけてから向かっていけば良いの。急がば回れ、腹が減っては戦は出来ぬって、本当だよ。戦わなくて良いの。だって、負けちゃ駄目、って、戦ってるつもりなの自分だけだもん。楽しい事をするの。自分が楽な事をして心を休ませて心に力を付けてからもう一度ゆっくり自分が本当はどうしたいのか考えようよ。心が弱ってるときって、ろくな事考え付かないからね。私は中学生活がとても辛かった。けど、行って良かったって今では思ってる。あの時の自分があるから今の自分が居るっておもうし。)
2年生になって、クラスが変わってもちっとも回りの状況は変わらなかった。
私は嫌われ者で、休み時間は一人で居ても不思議に思われないように本を読んだり、寝たふりをしていた。何に対しても無気力だった。何もする気がなくなっていた。人が端で話してて、笑い声があがると、自分の悪口を言って笑い者にしている気がしてそんな人たちが苦手だった。やれと言われた事だけする。ひとの妨げにならないようにする。だって、自分は要らない人間だから。学校なんて、楽しくない。なのに、楽しそうにしている人達と一緒に居たくない。自分が余計に惨めになって辛い。
自分だけが仲間はずれだ。周りで、笑い声のするような所に行きたくない。だって、皆自分にだけは冷たい。いいな、うらやましいなあ。
何で私はこんな人間なんだろう?なんで皆私の事を嫌うの?私はそんなに気持ち悪いの?どこかおかしいの?普通の人とどう違うの!
何で私がこんなメに遭わなきゃならないんだろう。何で学校なんかがあるの?無くなっちゃえば良いのに、皆死ネバ良イノニ。ああ、駄目、こんな事考えちゃ、だって私は、皆と違って心が優しいんだから。そんなひどい事考えちゃ駄目だよ。
私はそんな人間じゃないんだから。
(*クラスが変わっても、私は、いまさら前の自分には戻れなくなっていた。暗いままの、自分が大嫌いな人間だから、自然とやはり嫌われていった。それが当然だと自分でも思うようになっていた。どうしても、自分が周りにどう思われているのか過剰に気になって、どうせ嫌われている。と、当たり前のように納得していた。何に対しても後ろ向きで、否定的だった。たとえ話し掛けて来る人がいても可愛そうに思って気を使ってくれている。としか思えなかった。)
ある時、掃除をしていると隣の部屋の掃除をしている人達の会話が聞こえてきた。「何であいつと同じ班になっちゃったんだろうー、掃除なんてあいつに押し付けて帰っちゃおうぜ。あいつ自分がきらわれている事知らないのかな?あいつ死んじゃえばいいのに、」って、クラスも変わったのに、そんな事をいまだに言われる私は本当にバイキンなんだ。悲しい。何でそんな事言えるんだろう?
死んじゃえば良いのになんて、あなたには何の迷惑も掛けてないのに他人なのに、目ざわりってだけの理由でなんで?
私は、すごく悲しくて、自分に絶望しました。そこまで、存在の軽い自分に絶望しました。そして、悔しかった。本当に死んでやる!
そして遺書にあなたのせいで死にました。と書いて、絶対一生後悔させてやる!私はあなたの事を一生怨んでやる!そう誓いました。でも、出来なかった。あまりにも私の存在は軽すぎて、死んだとしても後悔させられないかもしれない。
そのくらい私の存在はどうでも良いんだ。後悔しても、今私が死ねば、相手は後悔すると同時に良かったって、喜ぶかもしれない。
悔しい。死ぬ事さえも、もう私にはどうでもいいだなんて!悔しい、悲しい、大嫌いだ、すべてがもう嫌だ。
結局悔しすぎて、死ねなかった。
(*自殺を考える人、多いと思います。怖くて、よりも、悲しすぎて駄目なんですよね。自分がカワイソ過ぎて、悔しすぎて、そんな事出来る状態じゃない事のほうが多いと思います。やっぱり、希望ってありますもの。実際私、生きてて良かった。今楽しいもん。生きてりゃ良い事あるって本当だよ。いいこと、、、、うーん良い事、、、。事件とかは無いけど、今、生きてるだけダケド、幸せってゆうか、辛いことあんまり無い。楽しい事の方が多いよ?)
私には何人か話しをする子がいます。でも皆、私ほどじゃないけど嫌われ者で、目立たないタイプです。
今は嫌われ者だからこうしているけど、立場が変われば、すぐに私を裏切っていくんだ。そんな人たちの輪。
私達はクラスの端のほうで目立たないようにおしゃべりをします。でも、仲はそんなに良くないです。ただ、他に人が居ないから仕方なく一緒に居るだけ。本当の友達とはちょっと違う。私は子の人達(結構嫌われてる人)の中に居ると安心します。
誰かが言ってました、あの人(私とは別の嫌われ者)部活では、すごいしゃべるし、笑うんだよー。全然性格違うのー。馬鹿みたい。
二重人格なんじゃない?、、、、そうか、いつでもこのままで居ないといけないのか。楽しんじゃいけない。怖いよ。
人から嫌われて無い人と話すときは、なんか気を使ってもらっているだけな気がする。いい気になっちゃいけない。あの人みたいな事を言われちゃうから、、、、。
(*この頃は被害妄想的な意識がとても強かった。直そうとしても直せなかった。でもさあ、こんな事気にするなんでなんて、根性無しだったんでしょう?私が暗くなって皆が暗いと思い始め、実際自分もそうなって行っちゃたように、最初はすごい大変だけど最初から普通に話す人だったふりをし始めると実際自分もそうなっていくんだよね。
ただこの時の注意は、自分に対して先入観の無い場所、自分が苛められてる情報が入りにくい場所で演技すれば良い。嘘の自分を好きになってもらってもと、思っている君、思い返してみて、?本当に最初から自分はそんな自分だったの?ちなみにこの頃の一緒居るだけで友達とは違う。と思い込んでいた人達、今でも仲良いです。本当に大好き、まあ、この子達の重要性に気がついたのは、高校行ってからなんだよね。私が間違ってました。はい、、、。)
そして卒業。こんなに嬉しかった事は無い!私は晴れて自由だ!やっと開放される。なんて嬉しいんだろう!今までの私を知らない世界にずーっと行きたかったんだ。今度こそ変わろう!そう思って中学を卒業した。
(*この時はホンットに嬉しかったー!)
高校生活は中学と違ってラクだった。友達もやっと出来た。
ただ、苛めらてた事を知られるのが恥ずかしくて、それとなくとしか言ってない。
でも、自分からは挨拶まで出来ないけど、挨拶してくれるから、挨拶をしかえす。おはよーって、だだのそんな事が無性に嬉しかった!ただ、トラウマになってしまっていてなかなか人に馴染めない。引っ込み思案の人だった。自分からは怖くて挨拶すら出来ない。
その時の癖が取れなくて、おはようと自分から話し掛けれなくて、知り合いがいるとなるべくすれ違ったりしないように気おつけて、前にいるなら抜かさないように気を付けて歩き、後ろにいるなら速く歩いて自分の姿がその人から見えなくなくまで落ち着きませんでした。
人から写真に写るのに「うつすよー!」の掛け声には、向かって行く勇気が無かった。だから関係無い人の振りや、気づかなかった振りをしていた。でも、友達も出来た私は着実に、精神的に癒されていった。
(*やっぱり新らしい環境って良いよ!苛めに耐えられなくなったら、転校するのは良い手だと思う。自分は暗い人のハズって思い込みだったんだよね。人に話し掛けられるの嬉しくてついニコニコしてたら、就職先で、明るい人だといわれた。話した事も無いから顔だけで判断したんだろう。だって、自分は本当は暗いんだから、、、。しばらくずっとそう思っていた。思い込まされていた。これも一種の洗脳だよね。自己催眠。まずは形から入ろう!結構効くのよ。真剣に!ほら、私達人の言う事に敏感になってない?だから、知らないうちに、アーラ不思議、こんな人になっちゃったよ。初めは、暗い振りしていた髪や眼鏡から変えた。
とても勇気がいることだった。服を買っておしゃれっぽくしてみた。すごく恥ずかしかった。
ほんっとに気を抜ける場所!そーゆう環境が必要だよ。!何で今までこんなに突っ張って来たのか!こんなに今楽になったのに!今だったら、あの時の環境の中学に戻されても、もっとうまくやって行く自信あるもの。やはり、心を休ませるのは重要!自分を助けてあげるのが、負けない為に必要な事!時には引いて、陣を整えるのも勝つためには必要な事なのよ!あ、ここで言ってる勝とか負けるってのはいじめっ子に対してではなくて自分の心の弱さにって事ね。勇気を持つためにって事ね。自分を好きになる為にって事ね。って意味です。
でもねー、たった中学の3年間、酷かったのは1年間半だけど、克服するのに、10年掛かっちゃったなあー。
もっと早く気づけば良かった、あの時私は何と戦おうとしていて、何が欲しかったのか。
必要な勇気は、苛めに勝つための勇気じゃなく、やりたい事をやる勇気。
好きなことに素直に飛び込んで行く勇気。楽しい事に対して抑えつけていた好奇心を開放してあげる勇気。楽したい気持ちを認める勇気。
他人の意見に惑わされずに、自分のやりたい事をまずは言葉に出す勇気。(これ、結構、難しいよ。)
自分がイケナインダ。なんて、誰でも考え付くような答えではなく、ではどんな所が駄目で、どうしたほうが良いのかまで、辛抱強く嫌な事でも悩んで、何個か答えを出して行く根性強さ。出した答えが出来なければ、ならどうすればその答えを出来るようになるかを考える。1つ1つ考えて行こうよ。そんな前向きの勇気。そうゆう、勇気だった。
そして、決別する勇気。いつまでも囚われちゃ駄目。
本当はAから逃げるのが嫌でがんばっていたんじゃなくて、Aを諦めるのが嫌でがんばっていた。友達だったけど諦めるでも、ちょっと離れたせいで、今だったらAとも仲直り素直にできただろうって、思えるし。
あんまり近すぎると全体が見えなくて解らなくなっちゃうんだよねー。自分を好きになると、世界が変わるよー。
あ、自分を好きだって人が現れたからって、恋人が出来たって自分を好きにはなれないよ?。
自分のしたい事を素直に言えるようになった時にやっと、自分が好きになって来たの。皆、わがままになろうよ!私達は心の痛み十分わかってるつもりだから、やりたいようにやっても、大丈夫なのよ、結構!無意識にセーブしてるみたい!お徳よ!今の私って、ちょっとやそっとのことではストレス感じないとゆう体になっているし。
あとね、相手の立場になって考える癖をつけよう。相手の立場になった時、自分も無視をすると思う?
今ではヤラレテイル痛みを知っているから、しないだろう。でも、された事が無くて、無視された居たのが自分じゃなかったら、皆がしてるのに自分だけしない勇気がある?しないかもしない、でも、するかもって気持ちもあるはず。
自分の中にも卑怯な気持ちや汚い気持ちがあるの。それを、認めて、ちょっとだけ自分を許してあげるの。
と、同時に相手もちょっとだけ許してあげるの。そして、でも良くない事だ。間違っている。私は嫌だもの。
って、自分を勇気付けたあげて、その気持ちを誰かに言葉に出して伝える勇気をもってね。長々とすみませんでした。)

No.162 ゆうきさん、ご意見ありがとうございました。

僕は、いじめた事(いじめられたくなかったらいじめろと命令されて)も、いじめられた事もあります。どっちの立場もつらかった…。だから、いじめなんてなくていいんです。いじめるから、いじめられるわけで、いじめる方が悪いに決まってます。そんな理不尽ないじめに、傷付き、迷い、悩むのはいじめられた方なんです。いじめなんていらない。その苦しみ、悲しみをとめたい、なくしたい。きれい事ならそれでもいい。心からいじめをなくしたいと思ってる。今の僕にはこんな事しかできない。正直何をしていいのかわからない。(誰か教えて…)でも、この気持ちは一生なくさない。そんな大人になっていきたい。いじめは許さない!自分にできる事をしていきたい。いじめなんて消えてしまえ…。

No.163 貴明さん、ご意見ありがとうございました。

いじめる人は、産まれたときからいじめる人だったんでしょうか。
いじめは、確かにいじめる人がいなければ「いじめ」はなくなります。
いじめは何で起きたのか、誰が作ったのか、何でいじめる人になったのか。
よく考えればわかります。学校内だけではなくもっと広い視野から見てください。
いじめられる人もいじめる人も被害者です。
いじめ、家庭問題、学校問題、環境問題、社会問題みんな根は同じなんですよ。相手がいけない、相手がいけないといっているだけじゃ何も解決しないんだよ。
悪口いいあって解決したことあるかい。どんな風にしたら仲良くなれた。
思い出してごらん。答えは見つかるよ。
何度もすいません、貴明です。
わかりましたか答えは?ヒントこの社会を作ったのは誰ですか。この教育を作ったのは誰ですか。この世の中を作ったのは誰ですか。
この社会を作ったのは誰ですか。家庭崩壊は誰が崩壊するんですか。環境破壊は誰が破壊するんですか。わかりました。
いじめだけを見ていたらいじめはなくなりません。何度もいうようですけれどももっと広い視野で見れば全ての答えが見えます。
この意味がわかれば次の質問に答えられます。
いじめで自殺する子は自殺する前の日までしっかり学校に行っています。なぜでしょう
普通自殺するぐらい思いつめていたら学校に行かなくなります。なぜ学校に行くのでしょう。なぜ自殺するのでしょう。わかりました。
僕は、16歳の男の子です。僕の言いたいことがわからなければいじめはなくなりません。ぼくは、主に環境問題を取り扱っています。

No.164 削除させていただきました。(管理人)

No.165 ゆっきーさん、ご意見ありがとうございました。

私も小学校5、6年の2年間いじめにあっていた経験があります。
内容としては今テレビなどで取り上げられているような壮絶なものではありませんでしたし、いじめ自体は2年で終わったのでその後ダメージが残り続けるということはありませんでしたが,やはりそれでもいじめられた2年間は今でも忘れることはできません。
掲示板の方でも某テレビ番組の件でいくつか御意見がありましたが、私もあの番組を見て改めて考えさせられました。
まず一番に思ったことは「なぜいじめられてつらい立場の人達が頑張らなくてはいけないのか?」ということです。
いじめにあっている、またはあっていた人達。
ものすごくつらい日々をおくっていると思います。
なのに、どうしてそういう言ってみれば「被害者」の立場の人が努力しないといけないのでしょう?
どうしてそういう人達がいじめを乗り越える、またはやり過ごすことを強いられなければならないのでしょう?
「今はつらくても将来あなたは強く優しい人になれる」というのは今現実につらいめにあっている人には通用しづらい言葉です。
今のつらさを将来のバネにできると考えられる人が一体いじめられている人達の何割いるか…。
本来ならいじめる側の人間を追究するべきなのに。
確かにいじめている人をはっきりさせるのは難しいことです。
どこまでを主犯とするか、傍観していた人達はどうとらえるか…など。
しかも、私の経験ではいじめている人というのはバカではありませんから滅多なことでは存在を大人に知られるようなことはしません。
他でも問題を起こすような人は別として、いじめる人というのは小さい頃から活発だったり何か目立つ所があったりして、学校のクラスでも発言権をもっていたような人が多いように思います。
そういう人は大人うけがいい場合が多く、先生や親にしてみれば「元気で明るい子」に見えるのです。
反対にいじめられる子というのは「おとなしすぎる」とか「気が弱い」というマイナスイメージになってしまいます。
私も実際おとなしい方で、本当はそれほど内気なわけではなかったのですが見た目でそう思われていたようです。
よく「いじめられても嫌なら嫌という意思表示をはっきりする」というのが解決させる方法のように言われますが、それほど気が弱いわけでもなかった。私でもそれは言えませんでした。どうして嫌と言えないか。
それは相手が怖いとかもありますが、いじめられたという精神的ショックが一番大きいと思います。
後から考えればなぜ言えなかったんだと思うような時でも、その時はショックが大きくて口に出せないのです。
親や先生に相談できないのもそうです。
親や先生を全く信頼していないというわけではなくても、自分がいじめられていることを公にするのが嫌なのです。
クラスでそのことが露見して騒がれるのが嫌なのです。
それでは解決にならないかもしれませんが…。
 
私が思う解決策は、今すぐにどうこうなるものではありませんが、やはり親や先生がちゃんとした教育をすることです。
特に親は、自分がいじめる側の人間を作っているなんて気付かないかもしれませんが、身の回りの些細なことが子供に影響を及ぼすということを自覚すべきです。
例えば、よく親がゴミのポイ捨てをするのを見た子供が同じようにするというのがありますが、それと同じだと思います。
子供の前で近所や会社の人をバカにしたような口をきいたり、特定の職業や立場の人を蔑んだり、そういうことを日常的にやっていれば子供は人を見下すことを覚えます。
私事ですが、私の両親はそういった点で小さい頃からかなり気を使っていました。
昔はくみ取りのトイレが多かったので、衛生車などがよく近所に来ていましたが、小さい子供は臭いと思ったら平気で口に出して「臭い、汚い」と言います。
しかし、私の両親は私に「ああいうお仕事の人がいてくれるから家のトイレがいつもちゃんと使えるんだよ」と教えてくれました。
また、同和問題を学校で習った時に私が何気なく自分の住んでいる町にもそういう地区があるのかと母親に聞いた時には、「確かにあるけど、それがどこかということは知らなくていい。あんたが聞いたからって差別するとは思ってないけど、そうやって特定の地域を教えていくことが既に差別なんだ」と言いました。
現在のいじめが全てそういったところから発生しているわけではなく、もっと些細なことが原因になっていることはわかります。
子供は特に小さいうちは残酷なところがありますから、思ったことはすぐ口や行動に移してしまいます。
しかしそれを親が黙認したり、ひどいと一緒になって言うことで徐々にいじめにつながる意識ができてしまうのではないでしょうか。
些細なことと思っても、子供の行動や言葉を「人を思いやる」という意識につなげるきっかけにしてほしいと思います。
それから先生。
受持の子供だけでも全員を見るというのは本当に難しいことだと思いますが(親でさえできない人がいるのですから)普段見やすい所だけでなく、あまり意識していない所があったら一度意識して見てみてください。
それで何かひっかかるものがあったら、しばらく見続けてみてください。
いじめはいつか必ずしっぽを出します。
それを見逃さないでください。
私としては第一の問題は家庭にあると思っているので、あまり学校にどうこう言いたくはないのですが。
 
長くなりましたが、いじめについて思っていることを吐きださせてもらいました。
(本当はもっともっと長ーい話になるのですが、私の文章力では言いきれません)
皆さんの意見もよく読んで、私自身これからも考えていきたいと思います。

No.166 みいなさん、ご意見ありがとうございました。
私は、小学校の時、いじめられたことがあります。
それは、言葉によるいじめでした。
やせていて、肌が白かったことから、おばけちゃんとか、幽霊とか言われていました。
それ以外は、特になかったと思います。
 
辛かったという感じはあまり受けなかったけど、嫌でした。
みんな、一人一人違いはあります。
その違いを、認めてほしかったです。
なんで、色が白くて痩せていたらいけないのかと思いました。
子供は、外で遊ぶから、健康的な肌でなければいけないのでしょうか。
いずれにしても、心が傷つくような言葉は、言ってはいけないと思います。

No.167 里奈さん、ご意見ありがとうございました。
私は、何度か自殺を考えたことがあります。どこにも自分の居場所がなくて、すごくくるしかった。そんな私にはたった一人信じられる友達がいます。唯一の理解者だと思っています。私は、高校に入ってから、自傷行為を毎日のようにするようになりました。それも、自分の知らない間に切っているんです。私の中にはもう一人の自分がいるんです。悩み始めると、気が遠くなってきて、今の私は消されてしまうんです。そして、気が付くと、さっきまでなかったはずの傷が確実に増えているんです。私はいつか、このもう一人の自分に殺されてしまうのだと思っていました。でもそれで楽になれるのなら、それでもいいと思ったんです。どうせ私一人が消えても誰も何も思ってくれないと思ったから。ある日、上で書いた友達が自殺をしようと手首を切ったのです。その子は何度も私に電話してきていたのに、助けを求めていたのに、私は気づいてあげることができなかったのです。朝起きて、そのメールに気づき、電話をしたのですが、ずっと電話に出てくれなかったんです。私の頭の中を不安がよぎりました。それと同時に後悔しました。自分の無力さに、そして(この部分が文字化けしていました)。何かあるたびに、考えてしまいます。毎日毎日、腕の傷は増えるばかりです。もうやめたいのに。

No.168 ある父親さん、ご意見ありがとうございました。

いじめについてご意見を頂きたくご報告させて頂きます。
小学5年の女の子ですが、最近1週間程前から仲の良い友達が次々と無視しだし、口を聞いてくれません。事の発端は4年生の時に同じクラスで現在は別クラスになった仲良しの子のことを私の子がはっきりものを言わないから「キライ」と言ってからです。(その後あやまらず)その子はおっとり型なので気にもしなかったのですが、それを聞いた子供が2人いました。それからがいじめにあった始まりでした。
誰かがリーダーになってグループをつくり「あなたの悪口をいってるよ」と私の子の仲良しの子に次々に言ってグループに入れ仲間はずれにします。
一番の反省として私の子が悪口を言ったり(本人ではなく別の子に)少しわがままなところがあります。親としては行って良い事と良くないことがもう少し解っていると思っていましたが、まだ無理の様でした。
又、別のクラスに遊びに行くことで誰かが友達を捕られると考えていることも原因かもしれません。
親として子にどうアドバイスをすればよいのか困っています。
まだ日も経っていませんので早めに何とか丸く治まる方法を考えています。
アドバイスを宜しくお願い致します。
 
No.169 中学時代にいじめられた経験を持つ者さん、ご意見ありがとうございました。
昔は、いじめもあったでしょうが、それ以上に障害者へのいじめ(差別)のほうが大きな社会問題だったと思います。そして、本人のせいではない、どうしようもない欠陥をさして、差別したり、いじめてはいけないと言う教育を私達は受けました。
しかし、そこに大きな落とし穴があるように思います。
つまり、ある程度本人のせいであると思われる、絶対的な弱者とは言えない者を相手なら攻撃しても良いのだという落とし穴です。
意見をはっきり言えないとか、行動がゆっくりだとか、太っているからとか・・・。
「はっきり、本人のせいじゃないことなら別だけど、例えばデブはいじめられたくなかったら痩せればいいのだから、その努力をしない本人にも責任がある。いじめられるのは仕方がない。」と言う子供が実際にいます。デブがいじめられる理由が何処にあるというのか?
また、無責任に、いじめられて傷ついている子供に対して、「強くなりなさい」と更にむちを振るうような事を言う教師がいます。強くなると言うことがどんなに大変なことか・・・。しかも今現在傷ついてる子供の何処にそんな力が残っているというのでしょう。
それに、どうして強くなる必要があるのでしょう。子供ですよ?まず強くならなければいけないのは、その子供を守らなければいけない大人です。親です、教師です。
大人しいとか、太っているとか、暗いとか、「だからいじめられるんだ」と言う考えをまず、全ての大人が否定しなければいけません。そして、いじめを正当化する理由なんて、何も無い。いじめ自体が完全な悪なのであると言うことを、もっと小さいときから教え込むべきです。
私が、ほぼ学年中からいじめられたにもかかわらず、自殺という道を取らずにすんだのは心の中で周りをバカにしたからです。いじめのような下等なことをして喜んでいる、馬鹿な同級生、それに対して何もできない無能な教師をさげすむことで3年間を乗り切りました。自分より小さな子供のいたずらだと思えば、腹も立ちませんから。孤独は孤独です。しかし、それは別のことで紛らわすことが出来ます。一番怖いのは、いじめられる原因が自分にあると思い、自分の価値を過小評価し、嫌いになることです。自分の方が優れていると思い続けることが出来たら少なくとも、自殺は避けられるはずです。
だから、もし、いじめられていると勇気を持って相談に来た生徒がいたら、そしてそれがお互いに理由のある、ただの喧嘩ではなかったら、仲良くなる方法を考えようとか、強くなろうとかではなく、その子を評価して上げて下さい。「こんなよいところを持っている君を、いじめる方がバカなのだから、悩むことはない」と、まずその子の心を守ってやって下さい。解決方法を探すのはその後です。
自殺する生徒に対して、結局は本人の決断などと責任を放棄しないで頂きたい。
子供の命も守れない教師なんて、教師とは認められません。
もちろん、今の教師だけでは対応しきれないこともあるのも事実です。
わかっています。それは、親の責任であり、国の責任です。
でも、まず一番じかに接する教師のみなさんには、子供に絶望を与えないで下さい。

No.170 SASYAさん、ご意見ありがとうございました。

こんにちは。このHPは、夏頃からみています。でもずーっときていませんでした。
私は「ここがヘンだよ日本人」が好きで、毎週みています。昨日のテーマは「いじめ」でした。過去に私はいじめられたことがあります。そして思い出してきてました。
クラスの子にもいじめられていましたが、先生にもいじめられました。
色々なことを言われたし…。もうその先生は結婚して引っ越してしまいました。
しばらくしてなんとか住所とかをさがして、文句をいってやろうとしましたが、結局わからなかったんです。
インターネットをやろうとして、母校の学校のHPにいきました。そこには掲示板があって、「私はこの学校でいじめを受けました。こんなところ大嫌い」そうかいてやろうとしましたが、馬鹿らしくなって当たり障りもないことかいて送信しました。
いじめって、せっかくの楽しい時間、奪われるんですよね。
いじめらていたときに記憶、あまりないです。
毎日毎日我慢してました。私はいじめられてもしょうがないからたえるしかないって。それで毎日学校いっていましたね。
せっかく学校にいっているのに。学校って楽しいのに。
毎日辛くて辛くて仕方が無かったけど、まだ仲良くしていた友達もいたし、親もTVアニメも大好きだったから、かなしませたくなかったから学校へいった。
おかげで不登校にはなりませんでしたけど。
あまり、いじめられても先生という発想はでてきません。先生は好きだけど、信用というか、頼りにはしてませんし。
24時間守ってもくれないし。仕事だってあるし。先生がからむともっとややこしくなるし。
たから相談はしたことないです。
こうやって先生がいじめ問題を考えてくれると嬉しいですね。
これからもがんばってくださいね。
あ、それと…。
そのいじめられた(のかなぁ…)先生に、「あんたと同じ血液型んあていやだわ」と言われましたね。
どうしてそんなこというのは不思議で腹たちませんでしたけど。
同じ先生として、どう思いますか?なぜあんなこといったのか、今でもなぞです。唐突にいわれたんですけど。
それにずっと忘れられません。

No.171 ハニワさん、ご意見ありがとうございました。

私は、普通の大学生です。いじめや登校拒否などの教育問題に大変関心があり、TV番組やニュースなど、極力見るように心がけています。関心を持ち始めたのは小学生の頃で、何故こんなに関心を持つようになったのか覚えていませんが、一人で良く考え込むことがありました。いじめを受けていたのかもしれませんが、あまり良く覚えていないのです。本題に入ります、いじめに関して、いじめている側、いじめられている側、傍観者側で、誰が悪いのかという議論を耳にしますが、本当に誰か悪者がいるのでしょうか。一概に被害者、加害者と分けて考えるべきではないと思います。どのような犯罪にしても、加害者達には、それぞれの理由があるのです。(もちろん、理由は様々で、私達にはどうでもいいと思われることや、たったそれだけの事でと感じるものもありますが、本人にはとても重要なことがあるのです。)犯罪の一面だけを見ず、多方面から見ると、加害者も、被害者であると私は考えています。このように、いじめている側、いじめられている側、傍観者側と、誰もが加害者であり、被害者なのでは無いでしょうか。特に精神的に未成熟な少年・少女達には、やり場の無いストレスが溜まりがちです。それが爆発しないよう、両親は、「自分の子に限って」などと考えず、自分の子だからこそ心の痛みを感じ取れるように心がけ、学校の先生達は、生徒一人一人を、自分の子供のようにしっかりと見つめなければならないと思います。それが、教育の最も難しく、最も基本的な事ではないでしょうか。
結局何が言いたいのか分からないような文を読んで頂いて、ありがとうございました。よろしければまた、勉強しなおして、投稿させて頂きたいと思います。

No.172 かっしーさん、ご意見ありがとうございました。

私は昨年、障害者(2級)の認定を受けました。
障害認定の病名は精神障害、治癒見込みなし、就労不能です。
具体的な症状を紹介しますと、運動抑制といって、長い間向精神薬を飲み続けた副作用で、粘膜や内臓や体の全体的な機能が落ちてしまって、働けない状態です。
 
長い間・・・では、私はいつから向精神薬のお世話になっているのでしょうか?
10歳からです。
 
夫婦仲が悪く、父は不在がちで暴力と言葉で家族を操作していました。「家族でなければ、お前なんか付き合うか。醜い顔だな」と父は私にいい続け気分次第で暴力を振っては「愛想悪いな、お前。そんなにブスで愛想が悪いと価値がないね」と笑い続けるのでした。そのくせ、14くらいに私が成長し、眼鏡をとると自分でも結構可愛いと思えるようになってからは、体を酔って触り水着の写真をとりまくり「お前の旦那は俺がなんとかしてやる」などと急変するのでした。
母は、そんな父のグチを私に聞かせるばかりで 私の話など全く耳にしません。裕福な家庭でもないくせに、趣味のコーラスやオペラに出かけるばかりで家庭からはすっかり逃避しているばかりの人でした。子供が熱を出しても、オペラにでかけ「お見舞いよ」といって、食べれもしないケーキを山ほど買ってきてしまいます。もともとがお嬢さん育ちで、風邪の看病の仕方ひとつ知らないところが父の関心を引き込めない原因でもありました。
 
ほとんど、ほったからしで団地に閉じ込められて育ったせいか3歳児にして、自分の部屋を出た世界はまったくの異世界のように思え他者とのコミュニケーションは全くできませんでした。幼稚園の保母さんが、心配して児童相談所を母に紹介してくれたり、自閉症ではないかと母に話しをして下さったりしたのですが、母は私の問題を認めたり、その問題に関わる時間や気力をさくのは
面倒だったようです。ほとんど、独りですごしていたようです。ですから、子供心に親はわたしに何かあったとき頼りになるはずがないと知っていました。
 
他者とのコミュニケーションを知らない私は、やはりいじめにあったのですが・・・
 
いじめはこのようなものでした。
毎日殴る蹴るは当たり前、プールの排水溝に詰められたり紐で首を締められて、意識を失い保健室にかつがれたこともあります。担任が両親に話しても効果なく、私は不登校できる居場所もありませんでしたから、毎日登校し毎日そのような目にあいつづけました。
 
だんだん、感情が無くなっていき 空想の世界に閉じこもるようになり見えない友人と話をして、日々を過ごすようになってしまいました。保健の先生が心療内科を母にすすめたのですが、母は露骨な嫌悪感を示し「うちにキチガイがいるなんて!」と帰宅するなり母は抽象的絵画を見せて私にどう見えるか聞き、キレイだと答えると「ああ、キチガイの人って これが人の顔とかにみえて恐がるんだってねあんた恐がらないから大丈夫だわ。あんたふざけているだけでしょ」と笑い、精神障害のような人が事件を起こすと「あんただったらああいう人の気持ちわかるんでしょ?」と笑うのです。
 
空想癖やチックがひどくなり担任が母に、特殊学級行きをすすめると母は「あんたがマヌケだなんて聞かされるなんて!」私を殴り、それっきりでした。
 
10歳の私は、ひとりで精神科に向かいました。耳鼻科に行くといって、保険証とお金をもらい。
そのときから、向精神薬との付き合いをしています。そのとき体も調べてもらったら、いじめのせいか? 肩骨がはずれていて 背骨がひとつずれていて、腰がふらついてかばんが下げられない状態でした。
 
以来20年の精神科通いです。
 
いじめは「甘えている」「いじめられる方が悪い」というひともおられますし当時は、私もひたすら自分が悪いと自分を責めておりました。しかし現在は、親や社会構造、差別の問題だと思っております。そして、当方の場合に限っていえば精神障害に対する偏見も関わっているように思えます。
 
差別という点では、身体障害など「目に見える」障害に対する理解は、進んでいるように思えますが目に見えない障害や、美醜や能力にたいするいじめは、より過酷になっているように思えます。
 
いっそのこと、障害者でなくとも 普通学級にいずらい生徒が通学できるような養護?学校があればよいのに・・・フリースクールがもっと評価されてほしいですね。フリースクール出た子は、気持ちがやさしくて 真面目だとかね。

No.173 ゆうさん、ご意見ありがとうございました。
今日,一泊移住でした.すごくすごく楽しみでした.
でも昨日行くのが嫌になった.前々からすこしいじめられてたけど昨日はすっごくいやだった.先生がとなりにいて,私が,すぐ近くにいるのにとじこめてやる.とか,明日いじめてやる.とかあいつは,言っていた.
すごく腹がたつ.だから今日やすんでやった.あいつと、顔を合わせないのは、うれしいが、他の人に会え無いのは、いやだ。
どうすれば、いいのかよく分からない。
No.174 ユウコママさん、ご意見ありがとうございました。
今日は、授業参観お疲れさまでした。まるでテレビの番組を見ているようなシナリオがあるかのような先生と子どものやりとりでした。娘が先生のHPがあるというので開いてみました。
先生がいじめ問題に取り組んでいらっしゃることを知りました。授業の最後を見届けることができず、残念でした。
子ども達の意見を聞きながら、大人の自分に置き換えて考えてました。
自分の正しいと思う意見を主張できずに、ジレンマを抱え、ストレスをためている自分、子どもにはこういう性格は受け継いで欲しくない。と思いながら・・・
人を傷つけることなく、ためらいもなく、自分の意見を述べれる子どもに育って欲しい。
そんなことを思いました。またHPにおじゃまするかもしれません。

No.175 エイトさん、ご意見ありがとうございました。
いじめは急成長しすぎた社会の副産物だと思う。学問優先に勧めた結果が子供たちの心を小さくしてしまったのだと私は思う。家庭の中で何が大切なのか。話し合って欲しい。
情報が人間を支配している現在。いじめて楽しいのだろうか。そのとき楽しくても自分の心の奥底で間違っていると思うなら。辞めるべきだろう。いじめている者はいつかその報いがあることを知っているのか。ストーカーにしてもいつか自分がされる事に気づかない。
私もいじめたことも、いじめられたこともある。でも、それがいじめだとは気づかなかった。
何回かは傷を縫ったこともある。その度に親が来て「すいませんでした」と謝罪していた。
その姿は子供ながらに惨めに思えた。
いじめる者は親になったとき自分の子供が犯した罪を何処まで償えるのですか。
いじめられる者も「仏の顔も三度まで」といいます。強くなって思いっきり戦えば勝てないはずはありません。
No.176 まちまちさん、ご意見ありがとうございました。
いじめをなくすには・・・・
 
少し乱暴とは思いますが、全国各地に少年少女特別収容所をつくり、説得しても体罰を与えてもいじめを止めない人を放り込み、社会から隔離するのがよいと思います。
 
No.177 元暴走族野郎で〜すさん、ご意見ありがとうございました。
言葉が乱暴なのは勘弁してくれ。
153か154か、わかんねえんだけど、今、中2でいじめられてるやつ。
中3で学校やめる、言ってる少年。〜知恵、頭つかえよ。頭。〜                                  
学校でいじめられてんなら、学校やめりゃいいんだよ。てめえの命と学校、どっちが大事なんだよ?てめえの命に決まってンだろ。                         
 
おれは学校やめてよかったぜ。親はバカだから世間体(せけんてい)気にして、学校いけとか言ってたけど行かなくてよかったぜ、ほんとーに。学校じゃなくて社会で通用する人間になりゃいいんだよ。
わかれよ、おれのはなし。会社で、ひとのこと、いじめてるやつは1日で首なだよ。
レールから外れろよ。学校なんぞ捨てちまえよ。いじめられて死ぬぐらいなら、学校、捨てろ。がんばれよ。とりあえず、行動に移せ。実行しろよ(ここも大事)。 
  
あと、俺もやられたんだが、電話とかで呼び出されても、行くなよ。
しかと、してりゃいいんだよ。行ったら殺されるぜ。まじで。リンチされて死ぬぜ。俺の仲間、呼び出されて半殺しにされたぜ。しつこい場合は(ここ大事、頭に叩き込めよ、必ず)東京に住んでんなら、物理的に離れた町に住所を誰にも教えないで1人で住めよ。引っ越すんだよ。おめえのじいさんが千葉、北海道、大阪にいたらそこに逃げ込め。物理的にかなり離れりゃ、バカは追いかけてこねえよ。結論としては、徹底的に逃げる/うそをつく/これが大事。

No.178 マサさん、ご意見ありがとうございました。
これは私の勝手な意見なので、気に入らない人は無視してくださって結構です。私はいじめられて自殺するというのは一番愚かな行為だと思っています。生きているのが辛いから死んで楽になりたい、自殺すればいじめた人は一生後悔するだろう、なんていうのは思い込みです。実際は何年かしたら忘れてしまいます。いじめた人を後悔させる一番の方法はいじめている人の手で殺されることです。間接的にではなく直接。過激な発言ですが、正直これが一番こたえるはずです。そうすれば、ご両親も明確な怒りのぶつけ場所ができるってものです。結論としては自殺するぐらいなら闘って殺されたほうが絶対にマシだってことです。せっかくの人生、逃げっぱなしで終わるのはもったいない。自分にとっての悪に対して暴力で闘ってみることは決して悪いことではないと思います。
 
No.179 わんわんさん、ご意見ありがとうございました。
初めてHPを見ました。今の世の中『いじめ』を苦に自殺・・・と言うニュ−スを見る事が多くその度に『今に始まった事では無いのに・・・』と思っていました。
・・・と言うのも、私は過去に『いじめ』にあった経験があります。
今『いじめ』にあってる子が、少しの勇気が持てる事を願って、私の体験を書きたいと思います。
私の父親は転勤族で、小さい頃から引越し&転校の繰り返しの日々で、小学校は3回。中学校は2回。転校しました。
私は小さい頃から体が大きく、人と話す事が大好きで、一人でも多くの友達が欲しい子供でした。ただでさえ体が大きい為に目立つ存在だった私に、初めて『いじめ』と言う嫌な思いをしたのは3回目に転校した小学校での事です。
その小学校でも転校早々、1日も早く多くの友達が欲しかった私は即友達作りに励みましたが、ある日学校へ行くと『転校生のくせに生意気だ!!』と言う罵声を浴び、何時の間にか学級会の時間に、私の『学級裁判』がかけられたのです。自分では訳がわかりませんでしたが、担任の先生までもが生徒と一緒になって・・・結果『廊下に立て!!』と言われ放課後訳もわからないまま部活にも行けず、廊下に立たされた事がありました。(未だに原因は解かりません。)
そんな『いじめ』も忘れかけ、夢と希望を抱いて高校に入学した私に待ち受けていたのも『いじめ』でした。
高校での3年間は、本当に苦痛でした。
原因は、女の子独特のグル−プによる脱退が原因です。
私は小さい頃から、この女の子独特のグル−プで固まる事が好きでは無かったし、色々な中学から集まる高校は、グル−プによってヤンチャをするグル−プだったりと様々で、大学進学を希望していた私には『このまま居ちゃいけないグル−プ』だったんです。
その事に気が付いてグル−プを抜けたのが高校1年の夏で、それから卒業するまでの間『いじめ』の的にされ続けました。
毎日毎日『1日も早く高校を卒業したい』ただそれけの毎日でしたが、1日も休んだ事はありませんでした。休んで単位を落とせば『コイツラ』の思うツボ。何としてでも卒業して『コイツラ』のような弱い人間にはならない・・・と心に決めて通学しました。
・・・でも、今でも鮮明に覚えているのは『修学旅行』です。
他所の人から見れば『高校生活最後の楽しい修学旅行』なのでしょうが、私にとっては最悪の修学旅行でした。
修学旅行の行き先は『京都』で、それもクラス全員の女の子が人部屋に詰められ三日間同じ部屋で過ごすものでした。
案の定夜になって、男子の部屋で遊ぶのも飽きる時間になると、私の布団を蹴りはじめる何人かの女子。そんな子に限って男子の前では『可愛い女の子』を装う子達ばっかりでした。
 
今現在、私は結婚し30歳になりましたが、4年前に結納の為実家に帰省した私は、地元の公園で高校時代私を『いじめ』ていた一人と会ってしまいました。その子は鼻のたれた汚らしい小さい子の手を引き『アラ〜○○ちゃん。どうしてココに居るの??』と声をかけ、自分がバツイチになった事を話し、私が結婚する事を言うと『おめでとう!!』と笑顔で行って帰っていきました。『アイツラ』には覚えの無い出来事だったんだろうなぁ〜とつくづく思いましたが、私には一生消えない心のキズです。
 
今現在『いじめ』にあってる人が居たら、自分の将来の為だけに今を生きて、勇気を持って1日を過ごしてください。
今が1番辛い時かもしれないけど、そんな事は一生は続かないし、将来は楽しい事が沢山待っていますよ!!

No.180 永塚弘明さん、ご意見ありがとうございました。
千葉県富津市の大貫中学校の教員をしています。生活委員会を担当しており、いじめのアンケート結果を発表する生徒集会が先日行われました。生徒が考えたのはアンケートをOHPで写し、そのけっかと分析を委員長が発表していくという事でした。何とかもうひと味付けたいと思いあいている時間にインターネットを探していたら、当サイトを見つけました。遺書はちょっと我が校の生徒には刺激がきつすぎるかなと思い、大河内君のお父さんの文を集会の最後に生徒に朗読させて終わりました。思った以上に反響が大きく、「涙が出そうになった」「いじめられたり、見たりしたら、必ず相談する」などの感想が生徒の間から出たり、また学級通信で取り上げてくれた先生も多くいじめを考える良い機会になりました。改めて、生の声、心からの声の影響力の大きさを知らされました。こういう集会が出来たのも、資料等を紹介して下さる当サイトのおかげです。ありがとうございました。

No.181 たけちゃんまんさん、ご意見ありがとうございました。

いろいろと読ませていただきました。私なりの意見を述べたいと思います。
たとえばいじめに関して「加害者が悪い」、「親が悪い」、「教師が悪い」,「文部省が悪い」などいろいろいわれます。そのような考えに秘められている思想は何か,それはそれら非難を向けられている対象が「強者」であるというものだと思います。「強者」とは
何か、それは「自分自身で変わる力がある」ということです。スピノザを読んだことがある人はこの考え方はわかりやすいと思います。要するに「自由」であるということです。彼らは強者であるのだから、彼らが変わらなければいけないということですね。勿論普通は「弱者」にこれは期待しません。(この「強者」、「弱者」のここで使われている意味誤解しないでいただきたい)いじめられている人に、「変わる」ことを期待するのは随分ひどいことでもありますね。彼らはものすごいいじめの重圧を受けているわけで,それをそれを肌で感じていない人が「跳ね返せ」というのは、無責任とすら思います。しかし、この「重圧」から、全く自由な人などいるでしょうか,私はいないと断言します。勿論いじめの直接の重圧を受けているのはいじめられている人ですからそのいじめの重圧をうけていない人がそれを解決すべきだというのは一見もっともともいえます。彼らは「自由」とうつるでしょうから。しかし、この「重圧」というのはなにもいじめに限りません。たとえば加害者は,いじめの重圧ではない別の重圧に操られている,ともいえるのです。それは、それをしないと自分もいじめられるかもしれないとかいろいろあります。これを責任転嫁と見なして彼らに「変わる」ように主張するのは,いじめられているひとに「たたかえ」、というのと同じくらい無責任だと私は思います。親、教師も同じです。その渦中にいるひとしかわからない、その人の行動を拘束する力というのがあるわけですね。文部省がそれでは責任を持って取り組むべきでしょうか。残念ながら、文部省のようなお役所は、以上の文脈ではもっとも「弱者」です。彼らが自由であろうとした結果が総理の「神の国発言」であるというのは疑いないと思います。そのような重圧から自由な存在とは何か、それは神様しかいませんね。勿論、私は宗教家ではありません。
 私は、理性といいますか,自分から変わる力というのを否定するのではありません。しかし、私がいじめの議論で気になっているのはあまりにも「根性」でいじめを排除しようと唱える人が多いということです。世界には、自分の力で何とかなることと,自分の力でどうにもならないことがあると私は思います。いじめは自分の力で何とかなることと思うか思わないかは人それぞれでしょうが,「どうにもならない部分」があるとわたしは考えています。どうにもならない部分があるのに、それをどうにか排除しようとするのは無理があるとおもいますね。この「どうにもならない部分」ということについては、私個人考るところがあるのですが、それを書くとこれの5倍くらいになってしまいそうなのでやめておきます。人間というのは,どうしようもない構造のなかでもがいてもいますが、それを変えることができる力というものももっているわけです。変われた人は、うまくその力を引き出すことができた「幸運」なひとです。しかし、私は「不幸」な人を責めるきなど全くおきません。

No.182 Tさん、ご意見ありがとうございました。

東京近郊の都市に住む4歳と2歳の男の子を持つ父親です。
最近のいじめや学級崩壊などの多くの報道を見ると、自分の子供の今後が非常に不安です。
 周囲では、やはり問題が多いのは公立の学校であり、受験して入る私立小学校は、それなりに目的意識が近い家庭の子供が集まるので問題が少なく、また、経営上の理由から問題に対する対応も早いから、私立小学校に入れるほうが無難だという意見を多く耳にします。
 本来であれば、近所の子供たちが仲良く通学したり、遊んでいる姿を、父親であり地域社会の一員である立場で温かく見守っている自分の姿を想像し、それを望んでいましたが、仮に近所に友達が少なくてもそのほうが子供のためになるのであれば、多少無理しても受験させたい気持ちもあります。
 しかし、この問題(いじめなどの)が、そのような単純なことで起こったり、避けられたりするようなものなのか、あるいは、避けようとしていいことなのか、疑問を感じています。
 私立と公立の差を含めて、マスコミでは見れない実態についての情報があったら教えてください。 
 

No.183 ユッキーさん、ご意見ありがとうございました。

いじめられて自殺をする人(子供)は心のやさしい人です。大人になるといじめだけでは自殺はしません。色々なしがらみ、借金や人間関係、恋愛、病人介護などでどうしようもなくなり自殺してしまうのです。なぜいじめはあるのか、これは家庭と世の中の体制にあるのです、生まれた瞬間から、ああ家の子供は可愛い、学校に入れば成績はいいしスポーツ優秀これが普通の親の感覚または教師の感覚です。しかしよく考えてみると成績いいということは、自分より下に、何人もいるということです、下にいる人の気持ちなどは考えないのです、これが今の日本の考え方生き方なのです。いじめも結局は同じ考えかたなのです、いじめられる方の気持ちは考えないのです。成績のあまり良くない方がいじめになぜまわるのか、これは相手に対して勉強はお前に負けるが、その他は負けないぞと言う意志の表れも多分にあるとおもわれる。
 ようするにいじめらて自殺する子供は、目には目、歯には歯の仕返しを選ばないやさしい人間なんですこういうやさしい人が自殺して少なくなり、いじめる側の人間だけがのうのうと生きてゆき増えるのです。尚更勝組みだけが幸せと思える世の中となっていくのです。

No.184 雄大さん、ご意見ありがとうございました。

僕も中学の時、いじめられていました。当時は、ただ笑ってごまかす事しかできなかったです。でも死にたいとは一度も思わなかったです。だから死にたいと思う人の気持ちはわからない。   自殺するということはずっと永遠に逃げることだと思う。いまいじめられて死にたいと思っている人はそのことを親に言えばいいと思う。そして学校になんかいかなければいいと思う。死ぬぬなら、家に閉じこもる方がましだと思う。今一番安全と思える場所に少しの間隠れとけばいいと思う。その代わりその場所で一生懸命勉教していろんな本を読んで、もっと、もっと自分をみつめて、もっと、もっといい男、女になって、10年後、20年後にいじめているやつの前で久しぶり、元気って言ってやればいい。いじめるやつなんて本当は弱いやつばかりなんだからろくなやつにはならないと思う。生きてさえいればいくらでも逆転のチャンスはあると思う。自殺なんかしたらいじめているやつよりも弱いってことになると思うよ。

No.185 茅野 竜典さん、ご意見ありがとうございました。

はじめまして。一番印象的だったのが、子どもの立場でいじめの問題をとらえている点です。ぼくは塾の先生をしているのですが、そこで見たり聞いたりする先生方は大人の立場でものを言い、いじめの本質を見ていないような気がします。塾生でも登校拒否をしていたり、いじめられている生徒はいます。そういう子どもに対して、先生方は大人の論理で接します。これでは子どもを理解することはできないと思います。さとるさんのような考えを持った先生はいったいどれくらいいるのでしょうか。ぼくは子どもと一緒に成長していくことが先生(大人)の役目であり、教育だと考えています。こういう考えが地域、社会に浸透していけば失った大人の信頼も回復していくのではないでしょうか。
こういうメールを送るのは初めてで、何を書いて良いのか良く分かりません。お返事は頂けるのでしょうか。
またこのページを開きたいと思います。失礼します。

No.186 そねっとさん、ご意見ありがとうございました。
ぼくも小中といじめられました。
かれらわげ〜むかんかくなので罪悪感など微塵も感じないとおもうよ
僕の中学時代のいじめっこなんか無差別にいちゃもんつけて毎日後輩や同級生袋にしてたよ。
これだけいじめられっこがいるなら皆であつまって1人ずつ袋にしちゃえばいいとおもうよ。
彼ら彼女らにも痛みおわからせたほうがいいよ。
そうしないといじめわなくならないよ

No.187 CREPEさん、ご意見ありがとうございました。
いじめの研究をみて感じたこと・・・。
いじめの解決法として良くないと思われます。
私の理想的な方法はこうです。
まず、生徒を束縛しないこと、何をやるにも先生は提案、助言、意見のみ。
これが今の教育上で足りないもの。
学校は、校則というもので生徒をがんじがらめに縛り付けていると言う印象が強い。
生徒にも個性があるということを認めること。御先生方だけにあるのではありません。
必要な校則ならばその必要性を生徒一人一人が理解するまで説明する必要がある。
それと、校則は先生方が決めるが、生徒会がそれを承認する形をとると今よりは
良くなるのではないかと思う。
先生中心ではなく、生徒中心に活動を促すべきだと思います。
 
それでは本題に入ります。
 
まず、いじめを見つけるということは、まず10件中1件無いと思って頂いて結構です。
いくら相談しやすい環境を作っても、生徒との信頼関係を作ったにしてもです。
 
そう言う環境下で、それをちくれるのはほんの一部の愚か者だけです。
 
被害者、加害者を特定するまでも無く少なくできると思う。
学級会などで、いじめをしている事に関して話し合ったのではかえって逆効果です。
それは、いじめている側が、加害者意識を持っていると言うこと自体がまれなケースだからです。周りの人がいくらそう思ったって現状を変えられる力になるとは考えられません。特にいじめをしている人がいるという発言が出てしまえば、もしかしたら自分のやっていることはいじめに入るのかと思われ、ばらしたやつを血祭りに上げます。逆効果の最悪のパターンです。
なら、どうしたらいいか、加害者だけではなくクラス全体で、役を作ってみていじめを再現します。
役はそのときにランダムに決めます。
 
実際に皆が見ている前でやってみます。
どれだけカッコ悪いか、やっても意味が無いことかを教えるのと同時に、自分がいじめられたらこんな感じなんだと言う。理解がえられます。
加害者を特定しないから、皆にそう言う被害者意識と加害者意識が体験できます。
私だったらこうします。そうすれば今の世の中の状態よりは改善されるのでは?と思いました。
 

No.188 毛利さん、ご意見ありがとうございました。

私も、いじめられました。中学の三年間、いじめられてたんですよー。先生も、「あんたにも問題がある」と言われました。文句言っただのってリーダー的存在の餓鬼にうわさいいふらされて、なんかのグループ決めのときは、文句言うからっていじめられました。もちろん仲間はずれにされました。やっぱり死んだらだめだよね・・・・・・。 私も、こんどいじめを考えるページつくっていこうと思います。らかったなぁ。一言も喋れなかった。友達も出来なかったし、保健室登校もさせてくれなくて、先生にも、「対人恐怖症」の保健室に部屋までつくった後輩も好きな先生に、私の悪口いいふらして、私が結局失恋しました。そのせいで、ほとんどの先生に嫌われました。その子に保健室まで取られた。私の居場所はんくなっちゃいました。でもいま、卒業もしたし、高校生で彼氏も出来たしたまに死にたくなるけど幸せかな・・・・・・。みんなににらまれてもまいにち学校行きました。   ここのホームページあって嬉しかたっす。またグチが、たまったら掲示板に書き込みに行きます。死なないでよかったです・・・・・・。涙 婚約もしました。また遊びに来ます。今友達いっぱいいますー。
 
No.189 外山公二さん、ご意見ありがとうございました。
私は小学6年〜中学1年生までいじめをしてました。今、あのころを思い出すといじめをしていた自分がはずかしくてたまらない気持ちに今でもなります。家族にかまってもらえなかった自分の甘えが、友達をいじめて楽しんでたに過ぎません。
現在その人に、仕事で大変お世話になっています。
社会での自分の弱さ力のなさ 弱い者をいじめる。
本当の弱い自分がここにいます。

いじめは、家庭からのように思います そして先生
いじめを、きずいてください 体を張って生徒を
助けて下さい  本当は先生という人は怖い人です
逆らえない人です 殴られる人です 
     親はそれを理解する人だと思います

No.190 さやかさん、ご意見ありがとうございました。

今日はここがヘンだよ日本人を見て誰かに、自分の意見を聞いてもらいたくてメールを送りました。体型や顔、しゃべり方など生まれ持ったことに対して悪口を言うのは最低な人間のやることだと思います。私は実際にはそれほどヒドイいじめにあったことはありません。しかし、私の周りにはいじめにあった友達がいます。毎日すごくつらそうで、いきなり泣いてしまった事もあります。その子は今は元気に高校へ通っていますが、手首を切ってしまった事もありました。いじめをしている人はただ、楽しいからやっているのかもしれませんが、いじめられている方にとっては死にたいくらいつらいことだと思います。いじめをしている子は「いじめられている方にも問題がある」と言ったり、「いじめられている方にとって将来プラスになる」と言ったりしますが、そんなの、いじめている方の屁理屈だと思います。まず、いじめられている方にも問題がある・というのは、いじめをするということじたい、悪いことでそんなの問題ではないと思います。そして、将来プラスになる・というのは、屁理屈です!て、言うか大きなお世話!!!いじめにあったことがあって、つらさを知っ(この部分は文字化けしていました。)
   〜いじめがこの世の中からなくなってくれることを祈って・・・ このメールを送ります。〜

No.191 匿名希望さん、ご意見ありがとうございました。

私は「教師」という存在を尊敬した事は一度もありません。
私は学生時代自分で言うのもなんですが、そこそこ勉強も出来て、スポーツも出来ました。
まじめで、決まりはきちんと守って、いわゆる「いい子ちゃん」でした。
先生からしたら文句のつけようのない生徒だったと思います。
しかしそんな私も、中学前半まで目立たない、勉強もそんなに出来ない、表情も極めて乏しく何を考えているか分からないような子でした。家庭訪問では、「注意しても反省の色が伺えないこんな子は初めてだ。」と言われたくらいです。先生は何も悪い事をしていない私に、よく出来る私の友達の罪を勝手に着せただけでした。本当の事を知ろうともしないで、優等生の言う事は信じて、出来ない子の言う事は信じないのです。教師のそういう態度を知ったときから、私は先生に何も文句を言わせない生徒になる決意をし、勉強を頑張りました。
成績がぐんぐん伸びて、クラスでも3本の指に入るくらいにまでなりました。そしたらどうです!先生の今までの態度がころっと変わったのです!何かと私を手本にしてみんなに示すようになりました。教師って、なんて嫌なやつだろう!そう思ったのです。
教師になる人は、学生時代とんとん拍子で駆け上がり、何の挫折もなく生きてきた人ばかりです。もちろん教師になるための勉強を頑張ったのでしょうが、その努力がことごとく身になっている人なのです。そんな人に、挫折を味わう人間の気持ちなど、分かるはずがありません。
私は大学受験を一度失敗し、2年目に教育大学に入りました。教員採用試験に合格する連中は、たいてい苦労知らずの連中です。「頑張ればよい結果が出る。努力をしないやつが悪い。」
私は教員には興味がなかったので0免コースを選んだのですが、教員の道を行こうとする人には、そんな人が目立ちます。
今教師をしている人は、そのほとんどが「教師」と言う職にふさわしくないと、大学に行ってから余計思うようになりました。
 

No.192 ・・・・・さん、ご意見ありがとうございました。

だいたい 短大にも入っていじめを続けているあんたらってなんなの
実際 私も友達の接し方ってもんが欠落してるけどそこまで言うことないんじゃない
あと態度 あんたに比べたらきっと私のほうが我慢強いと思う。だって 挨拶なしでかえる やつ友達じゃないし きっとお昼食べる時だけ必要なんだと思う
わたしも 早く自立心を育てたいけど
なんでだろう
みんなの笑い者になったり
へこへこしたり
甘えが強すぎる
べとべとしちゃう
いいね おたくらは
気軽に話せてて
私には無理 人を信用していないのか?
良く分からん
まあいい  わたしは小説家になりたい

No.193 ・・・・・・・さん、ご意見ありがとうございました。
メール誰からもこなくなった
でも  私のうわさはとまらない
あいつだ 
近寄りたくない・・・・・・・・
レポートやろうっと

 

No.194 リヴィアスさん、ご意見ありがとうございました。
いじめの問題って結局は本人たちの問題だと思う。周りの大人がどんなにいじめはやめろといったって聞くひとはいない。
聞くんだったら最初からいじめなんかしない。どうやって解決するかも人それぞれあると思う。だから自分なりの解決方法を見つけていくべきだと思う。どうしても方法がないというなら、一般にいう登校拒否してもいいと思う。家族にはすごい負担になるかもしれないけれど、でもそれでも今のまま苦しむよりはずっとマシだと思う。家族には自分の心が落ち着いたとき「ありがとう。」lて言えばいい。

No.195 大河昌樹さん、ご意見ありがとうございました。
初めて参加させていただきました。
以下私のいじめに対する考えを述べさせていただきます。
 まず、いじめがなくなることはないと思います。
いじめをなくす努力は絶対必要とは思いますが、今一番重要なのは、いじめが起こった時の対応と考えます。
 私は中1、小3の二人の子供をもつ父親です。自分でも感じていますが、子供が大好きで妻からも父性より、母性のほうが強いのではと言われています。
 このため他人の子供でもいじめや、学校での体罰などの話を聞くと、どうしても黙っていることができずに、学級懇談会等で妻と2人でいつもその話をすることになります。
 先日は隣のクラスであった、いじめ、体罰について話をしたところ、大部分の親は他のクラスことを何故話題にする必要があるのかという雰囲気でした。教師も学級経営は各担任が責任を持って運営しているので、口をだすのはよくないし、学年担当教師全員でそのような話をする時間も忙しくてとることはできないと言っていました。(初めての学年懇談会では、他の子供のことでも気になることがあれば連絡して欲しいと言って いたのですが....)
 今の親や教師の大部分は(私の思い込みかもしれないが),自分の子供でなければ、自分の担任の生徒でなければ、その痛みも、苦しさも、辛さも、わかろうとしないし、別の世界のことで考える必要もないと思っているとしか思えません。
 またそのような話をすることが、一見して平和な学校生活を乱すこととして嫌っているようなところがあります。
 私は教師、親もみな普通の人間で生徒指導の失敗、子育ての失敗もあって当然とおもいます。ただその失敗が(ここではいじめですが)わかった時には、お互いに責任をおしつけたりせず変なプライドも捨てて、失敗を認め合い、学校、親が責任を持って対処しなければならないと考えます。
 他の子供、他のクラスの生徒のことであってもいじめ問題に対処しないというのは教室内でのいじめの傍観者、はやしたてる人間と同じことをしているという自覚をもってもらいたいと思っています。
 長い文章となり申し訳ありませんでした。

 

No.196 まりっぺさん、ご意見ありがとうございました。
私は,今いじめられています。
原因は、女子のグループの中で、一番いばっている子の好きな人の隣の席になってしまったからです。
なんだそんなこと、と思うかもしれません。
でもホントにつらいです。
このまえは、私の通学リュックをあさられました。
そして、中に入っていた手紙を読まれました.
それも私のクラスの前で大きな声で。
それだけではなく、すれちがうと5,6人のグループでにらまれました。
あのひとたちは、私の行動すべてが気にいらないのです。
私は、おどおどしてました。弱気でした。

でも、私を助けてくれた友達がいました。
いつでもそばにいてくれました。悩みを聞いてくれました.励ましてくれました。
私は、その友達のおかげで、立ち向かう勇気がわいてきました。
今は夏休みです.
2学期にむけて、まだまだ不安はいっぱいあります。
でもわたしには、たくさんの友達や、大切な家族がいます。
9月になったら、堂々とした態度でいじめなんてふっとばしたいです。
 
P.S 私をいじめてる子、いばりすぎてほとんどの男子・女子に嫌われてるんですよ(^-^)

 

No.197 atukoさん、ご意見ありがとうございました。
初めましてこんばんは。いじめについて私個人の考えを書かせてもらいますね。
学生生活から離れて早五年。すっかり子供の頃の気持が薄れていく毎日ですが、最近のTVで見る状況はずっと前からいじめに関して変わらないんだなとつくづく感じます。
今思い返すとすっごい辛い時期が学生生活でたくさんあったけど、私はどうしてたかな?と思い返すと…自分で悩んで苦しんでいたなーと思います。友達に相談してもなんだか気が晴れるわけでもなく、親に心配掛けちゃうなーとか余計に自分ばっかりを自分で辛くしていた気がします。
だけど、ある時ふとあっこれじゃいけない!と思って、強くなったかな?心が苦しいとどうしても自分を責めちゃう感情になるけど、自分で自分を強くする事が私には一番の解決さくだったかな?私には本当に義務教育高校生活は辛かったけど、今までと違う環境になった時に彼氏とか家族以外に落ち着ける所をみつけたりして、今思うと居場所を変えたり、自分を変えたりした事が本当によかったことに思えます。だから、今の子供たちが簡単に死んでしまう事いじめのひどさも分るけど、もっともっと、楽しい事が待っている事を分ってほしいと思います。死んでも解決になるのかな?って思うから…死ぬほど辛くても死んでしまえば終わってしまうから…訴えかけてもなくならないいじめだから体験して苦しかった人が今苦しい人を救ってあげられるはずだから、だから私は体験者の人には少しでも多くのいじめの苦しい経験を唯一理解してあげられる存在なんじゃないかな?と思います。ちょと内容がぐちゃぐちゃしてごめんなさい。でも、少しでもいじめで苦しんでいる人がいたら、解決できなくても聞くことができるから役に
立てたらなーと思いました。私も何かお手伝いできたらいいなーと思ってます。
きっと、このホームページを見てホッとしている人がたくさんいると思います。私に出来る事何かないでしょうか?このページに出会えてとってもうれしいと思いました。では、暑い日が続きますが頑張っていきましょう!!

No.198 匿名さん、ご意見ありがとうございました。
私は小学 中学 といじめにあいました。中学の時がひどく顔にあざが多すぎるのに母がきずきいじめが発覚しました。私は正直隠し通したかったのですが、みつかって学校で問題になりました。 私のいじめられた中学時代の大きなこころの傷は何よりも本気で好きだった女の子にいじめられている姿を見られたことでした。その時とてもみじめな気持ちになりました。どんな人にも大切な人がいます。そのような人に自分のみじめな姿を見せるのはとてもつらいことだとおもいます。長い間いじめにあってきたじぶんでさえなぜいじめられたのかわかりません。しかしいじめられていることを隠そう いじめられていないことにしようという心理はかえって逆効果でなぜかそれがいじめている側にとって「むかつく」ようで「そんなことをするからいじめたくなるだ」というようなことをよくいわれました。そしていじめられている私は発覚することによってイメージが壊れるのをおそれました。いじめられているときずくのですがどんどん悪循環になりいじめはエスカレートしていきます。その原因はわからず混沌のようなものを感じとても悩みました。

私は大学生でいじめについてゼミの発表をしようとしています。ここのサイトは参考になりました。
個人的な事は避けなければいけませんが経験をいかし意味のある発表をしたいと思います。
 
 
No.199 とりさん、ご意見ありがとうございました。
仮名で失礼します。とりといいます。
いじめについてのページを拝見させていただきました。
私自身、かつていじめに直面した経験があり、いじめについて強い関心を持っていますので、こんなにも多くの方が真剣にこの問題を考えていることを知り、とても心強く思います。
 
差し出がましいかとは存じますが、提案したいことがあり、メールを出させていただきました。
 
このページ上ではアンケートを通じて、一人一人が意見を主張するコーナーがあります。
これは大変有意義なことであると感じました。ただ、現時点ではアンケートに記入された意見をただ並べているだけのようにお見受けします。
 
そこで私は、アンケートに記載された各人の主張の中から、具体的な提案を含むものや反響の大きいものを月に1つか2つピックアップし、期間を区切って、それぞれの主張についてこのページを訪れた人々が意見を交し合う機会を作ることを提案します。
先にも述べましたが、各人が意見を発表することはすばらしいことです、そしてこれらの主張はただ周知するだけでなく、議題として正面から向き合い、意見を交わすことでより建設的かつ有意義な議論に発展させることができるのではないかと思うのです。

No.200 今は自分が好きちゃんさん、ご意見ありがとうございました。
今日はじめてこのページをみましたいままでいじめにかんする意見や感想などをきいたことがないのでとてもいいページだなあと思っています.
私は中学2年の時クラスの女子とゆうよりもクラスからいじめをうけました.私がはじめていじめをうけたのは2年になってクラスがえをして1か月ぐらいしてからのことです更衣室で着替えが終わり部屋をでた時に耳にふと入ってきた声でした「私○○さんって嫌い」とゆう言葉でした私はその時は聞き違いかなあと思っていたのですが修学旅行から帰ってきた時その子が後ろの席から他の人にささやいて「ねえあの子ってしってる?○○なんだよ」とわざと聞こえるようにバカにされましたもちろん身に覚えのないことです先生にもいいませんでしたその時はただのわるふざけだとおもっていたから...でもその時間の音楽の授業はショックで声がでませんでした.次に言われたのはなんと先生が黒板に書いてる最中でしたその時は席がえをしその子とはハシとハシになっていたので私は(先生なんでとめてくんないのクラスの人も聞こえてるでしょ)と心で思っていました先生もクラスの人も結局その時注意すらしてくれませんでした.言葉のいじめは7月まであり私は親に相談しました親はすぐに先生と話あってくれました担任の先生はその時(この部分は文字化けしていました).いじめは今もあります3年にあがる時先生と親と私で三者面談をしましたわたしは先生に「私だけちがうクラスにして下さい」とたのみにいきました先生は「う-ん3年は高校にあがるだいじな時なのよだから一人だけちがうクラスにはできんのよ」といわれそれはまるでいじめより進学が大事と言ってるように聞こえ私はショックでした.3年でいじめがあった時本当に手首を切ろうかともおもいましたがその時に相談にのってくれたのが中学校に入って別々になっていた小学校の時からの親友でしたその子は「死んだってなんにもならんで生きてちゃんと解決しようほんで自分の目標を見つけてみなよ」といってくれました私は友達の前で初めて泣きましたこれからの分全部まとめて泣きましただから私は今自分の夢をもっています将来自分ののような子の意見を聞いたりして親友みたいなアドバイスをしてあげたいなあと思っています.ですができればそのときまでにいじめとここから最後までは文字化けしていました)

 

 

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