翻訳者大西央士の作品紹介 |
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E・C・ベントリーの横顔 |
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| 1875年7月10日、ロンドン郊外シェファーズ・ブッシュに生まれる。 日本で言えば、廃藩置県の4年後で、西南の役の2年前。福沢諭吉の『学問のすゝめ』が出版されたころ。 イギリスはヴィクトリア女王の時代。大英帝国として世界最強国の座に君臨しており、当時の国力の目安となる鉄の生産高は、一国で米仏独の3か国のそれを合わせたほど。 司法官の家に生まれたベントリーさんは1509年創立の名門セント・ポール学院に学ぶ。 そこで知り合ったのが、生涯の友となる推理作家のG・K・チェスタトン。『トレント最後の事件』の献辞にもあるように、文学好きのふたりは紙と鉛筆で交友を深め、その過程でベントリーさんが編み出したのが、有名人の名前を題材にして言葉遊びをする新しいタイプの四行詩。 この詩はのちに人気を博し、ベントリーさんの名前をとって「クレリヒュー」と呼ばれることになるが、ちなみに16歳のときにベントリーさんがはじめてつくった作品は次のとおり。
数々の発明でナイトの称号をもらった18世紀の化学者ハンフリー・デービーさんは肉汁がきらいで食べるのにヒーヒー言って、ナトリウムを発見したと言われてまたヒーヒー言った、と言っているのだが、最後がsodiumになっているせいか、なにやら「ソーダ村のソーダさん、ソーダ飲んで死んだソーダ」という文句を思い出す。 クレリヒュー関連リンク: 1894年、オックスフォード大学マートン・カレッジ入学。日本では、日清戦争勃発の年。 卒業後に弁護士の資格を得るが、自由と平等を愛し、当時、ボーア戦争 (南ア戦争) などを通して帝国主義的植民地政策を推し進めていたイギリス政府の方針に反対してジャーナリストの道へ。 このへんに『トレント最後の事件』の主人公フィリップ・トレントのキャラクターの片鱗がうかがえる。でまたそれが、当時のミステリー界の流れに反し、人間を描こうとしたベントリーさんの真骨頂ではないかとも思われる。 1902年、『デイリー・ニューズ』社へ。 『トレント最後の事件』を執筆したのは、ここに勤務していたころ (1910〜1911年)。日本では、伊藤博文と明治天皇の没年にはさまれた時期。 そう聞くと、この作品を読まれたかたはきっと驚かれることだろう。それくらい、フィリップ・トレントのキャラクターは現代的で、新しく、生き生きしている。 1912年、『デイリー・テレグラフ』社へ。 以後も終生新聞人としての顔を保ちながら、何作かの作品を発表するが、よく知られているのはこの1作のみ。 1956年3月30日没。 ミステリー関連リンク: |
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