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こころのお話 |
新聞・テレビからの話題
・ポケモンが子ども達を襲う?(初期報道に現われた心)
・初期報道の誤り
12/16日の夕方放送のポケットモンスターを見ていた大勢の人が体調不良を起した。その状況から見て、アニメの映像効果として使用された赤、青、白の光の点滅が発作の最も有力な原因と見られている。
ところが、この内容を伝えるはずの夜のニュースでは、凶悪事件ばりのBGMにのせて、「今日、放送分のポケモンに重大事件発生!!」との一報。それを聞いた私は、てっきり「購買意欲をそそるようなサブリミナル映像でも盛り込んでいたのか」と誤解してしまった。
(サブリミナルというのは、放送している内容とは全く別の映像をごく短時間盛り込むことを言い、通常1/60秒〜1/30秒という目には見えない映像である。昔、映画に砂漠のサブリミナル映像を盛り込んだところ、飲み物の売り上げが上がったとか。つまり、目には見えていないはずなのに、その映像が脳や潜在意識に働きかけていると考えられる手法なのである。そういうわけでおそらく使用が禁止されていると思われる。)
詳しくニュースの内容を吟味していくと、「サブリミナルを使った事件」ではなく、「アニメに日常的に使われている技法が、偶然、発作を起すラインを越えてしまった不運な事故」である、と気付くものであった。ところが、私と同じ材料を見ていたはずのニュースキャスターが「ポケモンに襲われた事件」と締めくくったのである。このような報道姿勢の結果は、(発生から3日経った12/19現在)厚生省の小泉大臣の「洗脳に近いような状況なのかな?」というあきらかにサブリミナルと誤解している発言に象徴される。
では、なぜ(特にNHK以外の他局の)ニュースキャスターは、あきらかに過った、というより、よりショッキングに、さらに事件性を脚色してしまったのであろうか。当初感じたのは、爆発的に人気の上がってきた他局の人気番組への妬みが、このチャンスに噴き出した、といった印象であった。このような感情が、普段冷静沈着を装うキャスターを軽い興奮状態に陥れ、事故を事件といわしめる..。ニュースキャスターといえども、自分の感情というフィルターからは逃れられない現実を見た気がした。
だが、時間が経つにつれ、今回の報道にみられた現象が、自分(本人)と他人(他の集団)との心理的距離の現われとして感じられるようになったきたのである。(97.12.30)
当初、私はポケモンの報道姿勢をテレビ局(テレビ東京)対テレビ局(他局)の距離で捉えていたため、今回のデフォルメ報道はポケモンやエヴァンゲリオンといったアニメで成功し、社会現象まで巻き起こすテレビ東京へのひがみ、やっかみだと思っていたし、局と局との距離が妬みを引き起こす「お隣」の距離だったのだと思っていた。それも一理はあるだろう。だが、それだけではどうにも不可解なことがあった。例えばフジテレビ。「ポケモンが起したことはこんな危険なものなのだ」と力説すればするほど、自局で放送中のポケモンの以上に光の点滅を多用しているアニメ番組、るろうに剣心の首を、ひいては自分の局の首をしめている...と感じていた。(これに対する危惧は現実のものとなってしまったが...。)それに気付かないほど、彼等は愚かだったのだろうか。いや、おそらく違うだろう。事件報道の図式は、テレビ局対テレビ局というよりむしろ、報道制作部対アニメ制作部だったのだ。この、二つの立場の心理的距離が各局で異なり、報道の語調の違いとして現われたと考えれば、非常に納得がいくのである。語調の荒かった局の報道制作サイドからすれば、ポケモン事故をよりショッキングに扱い視聴率を稼ぐ方が大切で、その報道が自局のアニメ部門に飛び火しても、たいして痛くもない出来事なのだろう。逆に、言葉を慎重に選んだ局としてNHKがあった。
人というものはそれぞれに“他人事ではすまさせない人物・集団範囲”というものを自分を中心とした円のような距離で持っている...とも考えられる。NHKは他の局に比べて内部の心理的距離が近い局であろう。つまり、どこの部署がどう制作しようが、NHKという看板を背負っている限り、全体に責任意識が及ぶようなところなのである。また、ポケモン騒動の前にYAT安心!!宇宙旅行というアニメ番組で、似たような発作の報告を受けていた、ということもあり、報道制作部にとっても“他人事”には思えなかったのだろう。
その出来事にそもそも興味もなく、自分の報道によってその先がどう変わってもどうでもいい“心理的距離”の集団がポケモンの事故を事件と報道しただけなのではないか。そう考えると非常に納得いったのである。これは、視聴者も同様であった。「アニメ?ポケモン??どうでもいいじゃん」という人にとってみれば事故が事件と報道されようが、これでポケモンが終了しようが、全くどうでもいいことなのである。
私にとってはこれまであまりに無頓着に報道を受け取りすぎていた自分に反省を促す出来事となった。いかなる事件の報道でも、事実をよりデフォルメして報道するのが、今のニュースの主流である。そこで持ち上がる話題は大概“どうでもいい距離の出来事”であり、“よりワイドショー的な無責任でショッキングな扱い”を好んで見る。その現状に、皮肉にも今回のことで気付かされたのだ。自分が無責任に見流していた裏で、“他人事でなく”傷ついていた人達がいたことに想像力をはたらかせる一方で、だからこそ、その出来事が“他人事でない”距離の人達は声をあげて抗議し、問題を提起すべきだと感じた。抗議がなければ、無責任に報道した方も、その報道を無責任に受け取った側も、「無責任な自分」の状態すら気付けないからである。
社会心理的な距離による感情移入の差は人間にとってはむしろ当然の機能である。だが、それを補える想像力を併せ持つのが人間である。報道制作部対アニメ制作部の心理的距離のつけが、アニメ制作サイドとアニメ視聴者にまわってくる(これを機にアニメ技法の質が低下したり、放送話数が減るといったアニメファンが被害を被る結果を意味している)ことのないように願うばかりである。(98.1.25)
・その1“プロファイリング”(97.8.3)
・その2“三つ子の魂?”(97.8.10)
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犯罪心理学(神戸小6殺人事件、容疑者は14歳!!) 突然ですが、この事件について詳しい考察をしている大学関係のページです。興味のある方はどうぞ。また、その他話題のニュース関連の考察も行われています。 |
ちょっとお気楽、パーソナルな話題
・女は布団に弱いんよ?!
久しぶりに自宅に帰った日曜日のことでした。朝寝を十分に堪能して起き出すと、母親がどこかから昼食の準備に帰ってきました。「どこ いっとんたん?」と聞くと、○○さんの家だと言います。何をしに行っていたのかと尋ねると、「近く、近辺に出店予定の何かの業者がその宣伝も兼ねて、商品をただで配りたいんだけど、路上で配ると露店になって法律に触れるから家を貸して欲しいってゆーてなぁ。それで、そしたら家を貸してあげるって○○さんがゆーて、そこに近所の人みんなあつまっとったんよ。」と言うのです。この時点で私にはピーンときましたが、もっと詳しく話を聞くことにしました。
母いわく、その業者を名乗る10人ほどの集団は、何台ものワゴン車に荷物を積んで現われました。日曜日、農作業に精を出すそのあたりの住民に非常に親しげに声を掛け、相手の手に即席ラーメンやザルなどを押し付けて、会場(○○さんの家)に来たらもっといろんなものをあげる、と言うのだそうです。母は“花もある”というのに心ひかれたらしく、ただで花くれるんなら...、と思ってさっき握らされた雑貨を手に会場となったその家に向かいました。
ところが、会場となった家の入り口で、説明を全部聞いてくれた人に最後に全部の商品を袋に入れてお渡しします、と言われ、手に握っていた雑貨は取り上げられてしまいました。そこで少しカチンときたものの、説明は20分くらいだというし、それで花をもらえるんなら...と思い直してしばらく説明を聞くことにしたんだそうです。ですが、オープンする店の話だと言っていたわりには、その店の宣伝をせず、代わりに「この商品(雑貨)いる人!!」といって手を突き出させる行為を繰り返す。そろそろお昼ごはんの用意をしなければならないのに、30分しても終わる気配がない...。しびれを切らせた母は説明なかばで家に帰ってきたのでした。もちろん、手ぶらで。
この手法...。会場に行くまでもなく、一昔前によく耳にした悪徳商法、そのまんま。「そんなん、これいる人!!って、はいはい手をあげさせて行くうちに、どんな商品かわからないまま手をあげる行動を条件づけ、最後に何十万もする布団に確認する暇なく手をあげてしまい、ひっこみがつかないまま買わされてしまうっていうあれでしょ?!会場に行くまで分からんかったん?」と、思わずつっこんでしまいました。
母はそのような詐欺まがいの商法があることは知っていたそうですが、親しげな態度と、店の宣伝目的という言葉に騙されて会場に行ってしまった、ということでした。そして話を聞いて行くうちに、これは...と気付いて帰ってきたのでした。「それで、最初は30人くらいいたけど、今は10人程度になっとるんとちがうかなぁ。そうそう、(家の)おばあさんも真ん前に座って聞きよったで。」と母。(母):「それにしても帰ってくるのが遅いなぁ。」(私):「またおばあさん、高い布団買わされて帰ってくるんちゃ〜うん?」「ハハハ(笑)」そんなやりとりをしていると...。
祖母がいっぱいの雑貨を抱えて部屋に入ってきました。「遅かったなぁ。」と声を掛けると、「お金とりに帰ってきた。」と言います。「何でお金がいるん?」といって、玄関に行くと、ななんと雑貨の横に布団!! OHーNO!!(ToT)。案の定、買わされてる〜!!
いそいそとお金を握り締め出かけようとする祖母に「ちょっとまったぁ〜!!」とストップをかけてとにかく話を聞きました。祖母は、この布団(マット)は遠赤外線でええんやて、今回特別にまけてくれたんや、と言います。(私):「そんで、いくら!(-_-#)」(祖母):「15万」(私):「じゅじゅ..15万?!」(祖母):「でも、今回は手付けだけでええんやて、後は月賦ではらったらええそうや。」私のなかでぷつんと何かが切れました。1万落とし食費をけずって質素倹約に努めていたのはつい先日。1か月の給料より多いそのお金をこんなくだらん布団に払うのか...と思うともうがまんがなりません。また、冷静に見積もっても、その布団に15万はデタラメだと感じました。そこで、「そんなに布団が欲しいなら、私がおばあさんに合う布団を買ってきてあげる。(一応福祉の現場で働いてますから^^;)」と言うと、でも、まだ持ち切れなかった雑貨を会場に残してきた、りんごの皮むき器もあった、と雑貨に未練がたらたらです。ここに至っては、高い布団よりもただでもらえるはずの雑貨への執着が募るばかりです。「そんなんなぁ、私に1万渡してくれたら、今日おばあさんがもらってきた雑貨の3倍以上買ってきてあげるから、とにかく布団は返してきて。」と、引き留めて説得していくうちに、やっと「それなら...返してこようか。」という気になったようでしたが、「それなら、おまえ(私)も返すのについてきて」ということになりました。
私は祖母をつれて、布団と雑貨を手に玄関を出ようとすると、なんと家の門のところに業者の一人が立っているのです。私がえらい剣幕で布団を抱えているのを発見すると、「どうしましたか?」とささっと祖母のもとへ寄ってきました。それに対して私は「とにかく布団はいりません。雑貨もお返しします。今からそちらの方へ持っていきます。」と口をはさみました。するとその青年は「分かりました、ですが、気に入って買われた他のお客様もいらっしゃるところに返しにこれらますと、気分を害されることもありますのでしばらくここに置かせてください。」とのこと。(こいつ、うまいな..と感じる対応でした。)でも、祖母が名前を書いてしまったと気にしていたので、本当に持って返るかしばらくその場で様子を伺うことにしました。祖母はその青年に「私はなぁ、布団欲しかったんや、ほらな、こうやってお金も持っていっきょったんで。(といって握ったお札を見せる)でもな、家の孫が県の福祉にいっきょってなぁ、そこで買ってきてやる、ってゆうんや。私はこれ欲しかったんやけど...孫がな..。」するとその青年は優しく祖母の手をとり、「そうやなぁ、おばあちゃんは欲しかったんやなぁ、でもお孫さんがいかんて言うんやなぁ。」(二人でちらり)。
なななな、ばばぁ、何ってこといいだすんや?!の心境です(^^;)。あんたの為にここまでついて来てあげたのに。おおそうか、どうせ私は鬼孫ですよ、私だけが悪者なのさ。けどなぁここで、「それなら買えばいいでしょ」なんて意地でも言わへんでぇ(-_-##)。
と、こんなやりとりで一瞬ひるんだものの(^^;)、「とにかくいりません」と突っぱねました。にしても、その青年の心のこもらない親切丁寧な応対に、私はある気持ち悪さを感じていました。ぽんぽん流れるように出てくる優しい言葉、はりついた笑顔、笑っていない目、身体的接触。私にはそれがその人自身の親切心から湧き出てくるものではなく、ある種のマニュアルにのっとって訓練されたものであると感じられました。ですが、祖母や、最後まで残った10数人には、それが非常に親切に映ったようでした。手口としては、こうでした。私の予想していたとおり、次々に商品を見せては早いもの勝ちのようにして、手を突き出させる行動を条件づけ、最後に何も言わずに布団を手の上にのせていったというのです。突然の布団に祖母達はひるんだそうですが、すぐさまマンツーマンで布団の説明が始まりました。一人に一人がついて、いかにこの布団が優れものか吹き込むのです。その際、優しくおばあちゃんと言って手をとったり、痛いところを撫でてあげたりしたそうです。そのうち、一人が“私、買う”と言うと、次々に“私も、私も”となりました。そんな中で自分だけ買わないとは言えない空気に包まれ、なんと残った全員が布団を買うとその場で口約束をしていたのです。そこからがまた巧妙です。善は急げとばかりに、その全員に手付け金を取りに返らせたのです。それもマンツーで販売員が付き添って...。「私、こんなの買って返ったらしかられる、どうしよう」とご近所同士で相談しようとすると、すぐさま間に割って入り、相談させないようにし、家まで見張りながらついてきていたのです。私が出会ったのは家の祖母にマンツーでついていた青年だったのでした。万が一、私のような鬼孫に布団を叩き返される場合のマニュアルというのもあったのでしょう。返しに来る姿を他人に見せないというのもマンツーの効果が出ています。
今回感じたのは、スレた都会的(ビジネス的)人間関係に鈍い田舎の老人には、相手の行動がビジネスに思えない、というでした。とにかく優しい態度だし、ただでいろんなものをくれた。そのお返しに少々高いけど、あっても困るものではないから買っちゃおっかなぁ〜、と思考が展開するようなのです。もちろん、買えば“ありがとう”と大感謝されて良い気分も味わえます。ですが、こちらが買ってあげようとしている親切心と売りつけようとしている相手の心は同価ではないということを知らねばなりません。騙されても、騙されたことを知らなければお互い幸せ、などというような次元で考えるのではなく、心を重んじる田舎人だからこそ、相手の心を正しく理解してもらいたい、そう感じた出来事でした。
ところで、この話にはもう少し続きがあります。家にマンツーマンで来ていた青年に布団と雑貨を突き返したときに、その青年は「まぁ、皆さん(布団は)喜んで持って返って下さったものですし、雑貨もプレゼントしたものですから」とぶつぶつつぶやきました。でも、私は「全部いりませんから、持って返ってください。」と突っぱねました。すると、その青年に、すまんなぁ、といって背を向け、返りかけていた祖母がぼそっと、「それなら、雑貨だけちょうだい。」とつぶやいたのでした。「もーー!!何言うの!!」とさすがにその瞬間は怒鳴りつけてしまったのですが、その青年も一瞬あきれた様子ながら「そうやな、これは最初にあげるって言ったからなぁ」といって、レモンしぼり器や靴下、洗面器等を選んで手渡しました。それもいらない、と私がいうと、青年が、「いえ、これはプレゼントですから」といい、祖母も「そうや、くれるっ言うんやし、もろたらええやん」とまたしても、2対1。ここまでくると、怒りを通り超して笑いが込み上げてきました。もう、好きにして...。それで家の中へ帰り、母に事の一部始終を話していると、父がラーメンとタオルを手に帰ってきました。聞いて見ると、そのラーメンはその業者が最初に客集めのために配っていたものだそうで、父はそれをもらったものの、会場には行かずそのまま仕事をして帰ってきたのでした。父は最初に配られた小物を持って帰り、少し欲を出した母は全部取り上げられて手ぶらで帰宅。更に欲を出した祖母は一時は高い布団を買わされそうになったものの、鬼孫の活躍で被害はなく、逆に自力で一番多くの雑貨をゲット。実は明治生まれの祖母が一番したたかだったのでは...、と考えを更めました(^_^;)。
嵐のようにやってきた業者は、これまた嵐のように去って行ったのですが、2時間くらいしてうちの自治会が熱病から冷めた頃、なんでみんな、ちょっと考えたら分かりそうな手口にまんまとのっかるのだろう..と近所のおばさんに言ってみたんです。するとそのおばさんは、「女は布団に弱いんよ」と教えてくれました。分かったような、分からないような心理でした(^^;)。(98.1.12)
・捨てる神あれば拾う神あり?(前編)
あわてふためいたお礼文でお気づきだったとは思いますが、先日、うかつにも財布を紛失してしまいました(^^;)。その日は教鞭をとっている学校の文化祭に招待されていたため、非日常的な時間を過ごしていた、ということもありましたが、どこかに置き忘れたのか、落としたのかさえ気付いていない状態でした。図書館でジュースを買ってのんびり過ごした後、次に本屋でカバンの中に財布が無いことに気付くまでおよそ1時間。もしかしたら見つかるかもしれない、という淡い期待のもと、直後に図書館に電話で確認をとり、通った道を3往復しましたが見つかりませんでした。その時点で自力で探すのを断念し、警察に紛失届けを出して自宅に帰りました。急いで自宅に帰ったのは財布入れていたカードの停止手続きのためでした。
そうする内に心境としては「もう見つからないだろうな...。」という気持ちが充満してきていました。そしてその一方で、「財布とカードだけでも出てきてくれれば、助かるのに...。」という程度の期待に頼っている状態でした。その時でした。財布を拾ったという人物から電話を頂いたのは..。
その電話の内容は「昭和町駅の近くで財布をひろった。失礼かと思ったがなにやらカードが入っているようなので、中をあけさせてもらった、そうしたら電話番号や名前のあるカードがあったので電話をかけた。大事なものだろうから今からとりにくるな」と言うようなものでした。財布が見つかった、といううれしさに軽い興奮状態だった私は「本当にありがとうございました」を連発しながらも、単独で財布を受け取りにいくという行為にためらいを覚え、結局、相手の善意を試すような言葉できりかえしていました。それが、「今から用事があって取りに行けません、お手間をかけて申し訳ありませんが、もしよろしければ最寄りの交番に届けていただけますか」というものでした。それを受けた相手の方は「なら、そうしようか」といって電話は切れてしまいました。
実はこのあと、ものすごいジレンマに陥っていました。相手の名前も場所も聞かず、いまここにあると言われ、電話線で繋がっていた財布の所在が、またもやぷっつり跡絶えてしまった感覚だけ残っていました。電話の相手が本当に善意の人だったら、きっと警察にも届けてくれるだろう、でもそうすると相手の善意につけ込んで、さらに手間をかけさせてしまった、電話で信用してあげられなかった、という気持ち。一方で電話で呼びつけて無理を要求しようとしていたとしたら、その人物が警察に届けたりするだろうか、中味だけ抜いてぽいっというのがオチではないか...、結局財布には二度と会えないだろう、もし取りに行っていたら財布は戻ってきていたのだろうか、というようなマイナス思考の気持ち。考えたって、後の祭...なるようにしかならない、と分かってはいてもやはり考えずにはいられませんでした。
そうして拾い主から電話があってから2時間後、紛失届けを提出した交番から「財布の届けがあった」と簡潔な連絡をいただきました。しかも財布は留守の交番に置いてあったらしく、どこの誰がいつどこで拾ったかさえ分からない、ということでした。HPにお礼文を掲載したのはこれを聞いて直後のことでした。自己満足でしかない、と思ってはいても、とにかく感謝の気持ちを表現したかったのです。これは電話相手を疑ったことに対する後悔の念も込められていました。ですが実際は“世の中すてたもんじゃない”という気持ちが最も勝っていました。
その頃、私のHPをご覧になった友人から以下のようなメールを頂きました。
>> ジョニーウォーカー黒ラベルのCMって見た事ありますか?(^^;
>> ・・・物乞いする親父に、お金を渡す男B・・・
>> 男A:「あの男に病気の子供なんていないよ・・」 (騙されたんだよ)
>> 男B:「良かった・・病気の子供が居なくて・・」
>> このようなCMなんですが、見る方向をちょっと変えるだけで荒んだ
>> 心が和む事ってあります。 < ウチでもね。(^^;
>> 財布事件で、なぜかこのCMが浮かんできました。(^^;
もしかしてこちらでも放送されているのかもしれませんが、残念ながら知らないCMでした。示唆に富んだCMだと思いますが、この“見る方向をちょっと変えるだけ”という部分に、時間が経てば経つほどはっとさせられていきました。というのも、財布の話には実はまだ少し続きがあるのです。
(9711.11)
休み明けの月曜日、正式に警察から財布の件で連絡が入りました。「紛失届けが出されていた財布の届けがありました。引き取りに来る際は、(警察から教えられた財布の)番号と印鑑をご持参下さい。なお、残念ながら...現金の方は2円しか入っていませんでした。」
「にっ、2円ですか..。」電話を切ってからも、“ほぅ〜...10円まではとるけど、1円はいらんかったんかぁ〜..ははは...。”と込み上げてくる力ない笑い、そして結局ため息...。やっぱりね、と言い聞かせながらも内心、ショックでした。やっぱり、と思ったのは、財布が落ちていたのが昭和町駅というところからきていました。実の所、その日はそこを通っていなかったからです。
そして、私の心が“見る方向をちょっと変え”ました。財布だけでも見つかって欲しい、と思っていたはずで、その財布はカードも含めて見つかったはずなのに、あのときのうれしさが半減、いやもっとさがってしまいました。
拾ってくれた人が抜いたとは思いません。ですが、自分でも落としたことに気付いていなかった、というのは、もしかしたら置き引きにあっていたかもしれない、という可能性を大きく膨らませたのです。盗まれたかもしれない、そう考えると、「財布を落としたことに気付いていなかった」訳ではなくて、知らない間に「抜き取られていた」かもしれないことに少し自信を回復しましまたが、それ以上に腹立たしいのです。CMで言うなら、「だまされた事に腹を立てる」状態でしょうか(^^;)。(CMでは怒ってなかったようですが..^^;)。
その確信は実際に財布を手にしてからますます強くなる一方でした。というのも、無くなっていたのは現金だけではなかったからです。数あるカードの中からテレカ、ギフト券、図書券等、お金になるカードだけがなくなってました。気分はすっかり、“(財布の中味を抜いて)捨てるカミあれば(親切に)拾う神あり”です。
こんなふうに、自分の心の中でくるくると“見る方向”が変わって行った訳ですが、はっとさせられたのは自分の心の動きでした。というのも、新しい情報がはいる度に、無意識に自分が一番腑に落ちる理由を自然に模索していたようだったのです。心理学的に言えば、適応機制(心の安定を計る無意識の機能)のうちの合理化とでもいうのでしょうが、本当に意識しない間に働いていたんだ...ということにまずはっとさせられました。事実はかわらないのに、情報の量や入り方によって、心がその人が一番安定する所に落ち着いてしまう。その一番安定する所というのも、人それぞれちがっていたり、他人からみたら危ういバランスの上になりたった安定であるかもしれません。とにかく、本人が一番安定するところで“見る方向”が落ち着くのだ、ということを身をもって味わったのでした。
無意識に働いていた自分の心の作用というものに気付くということは、自分自身に存在する意識していなかった部分に出会うことでもあります。今回のことが私にとってどんな意味を持つのかは、まだ時間のかかることだと思いますが、私の“ものの見方”の傾向を知る手がかりになったのは間違いないようです。(97.11.30)
追伸 この件に関して多くの方から励ましのメールを頂きました。本当にありがとうございました。
その後、2週間ほど、けちけち財政を続けましたが、今は復活しました。
1万くらいは節約したと自己満足(納得)してます(^^;)。
・感情って難しい(97.7.22)
・職場のはんこ(97.8.10)
・お散歩コース(97.10.6)
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