ひのひの独り言

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05/30/2011
岩手身元確認作業顛末記をアップした。
ページ中にも最終日に岩手県歯科医師会長が中心となって送別会を開いて頂いた事を書いているが、そのお店の名前がDeir Paidirで英語ではないしラテン系でもなさそうだし、何だかわからないのでママに聞いてみるとゲール語だとのこと。「ゲール語?アイルランドの土着語の?でもなんで店の名前がゲール語なんですか?というよりゲール語って聞いて即座に反応する人って普通いないでしょ?」「ハイお店開いてからひのひのさんが初めてです。」だそうである(ちなみにDeir Paidirとは祈りの言葉というような意味らしい)。 実はひのひのは若い頃フォークソングが大好きで(泉谷しげるや吉田拓郎なんていう類じゃないですよ、あっちは大嫌いだった)ピーター、ポール&マリー(マリーさん死んじゃったね)のコピーバンドをやっていた事があり、大ヒット曲のGone The Rainbow邦題「虹と共に消えた恋」のシュール、シュール、シュラールで始まるリフレインの部分の歌詞がゲール語だっていうのを知っていたからだ。ママさんもその曲を娘さんと一緒に聴いて歌ったりしていたが、まさかゲール語だとは知らなかったとのことで面目を躍如する。自分で云うのも何だがひのひのって本当に変な事ばかり知ってるよな^^;;;;

05/14/2011
5月7日から11日まで東日本大震災の被災地岩手県へ日本歯科医師会の要請を受けて震災で亡くなられた方の遺体の身元確認作業(検屍)に行ってきた。
その報告を近日中にHPにアップしてみたい。

04/20/2011

4月17日に土庄町中央公民館で「八日目の蝉」の小豆島先行上映を見た。大変美しい映像で監督も小豆島の良さを最大に引き出すような撮り方をしてくれている。後半の小豆島のシーンでは普段何気なく通ったりしているところや、歌舞伎を奉納する見慣れた春日神社がTVではなく大画面の映画スクリーンに出てくるのはなんだか不思議な気持ちである。期待の歌舞伎の稽古風景はほぼ数秒_(_ _;)バタッ一体あの一時間の撮影は何だったんだぁ〜(-_-;)でも肝心の奉納歌舞伎本番の映像で僕が演技しているところが大写しではっきりと映っており大満足でした^^翌日からも色々な人から「映画見たでバッチリ映っとったなあ」と声をかけられるとまんざらでもなかったりして^^;;;

11/01/2010
昨10/30に2011年春公開予定の映画「八日目の蝉」の中山歌舞伎舞台でのロケがおこなわれた。野々宮希和子役の女優、永作博美さんが子供達を連れて中山の農村歌舞伎の舞台稽古を見物するというシーンの撮影だ。永作さんはびっくりするぐらい小柄で、笑顔の素敵な女優さんだった。始めにプロダクション所属の子役達との一分ぐらいのシーンを撮影していたが、幼い子役達だけに助監督から目線や動作などの細かい注意が入って10カットぐらいやり直しても、永作さんはにこやかに子供達につきあって演技をしていた。また子役達も泣き言もいわず何度もやり直しをして、幼い子供とはいえプロなんだなあと感心する。
次に、我々の重の井子別れの舞台稽古のシーンの撮影だ。まずは試しに歌舞伎のなかの撮影スタッフから指定された部分を一通り演じてみるが、ディレクターから「完成されすぎているので(そりゃそうだよ、10/10に本番は終わっちゃってるんだから^^;;;)奉納歌舞伎の本番の3週間ぐらい前の感じで、まだ台詞も入りきっていない状態で台詞がつまったり、まだまだ演技として固まりきっていない、なあなあの和気あいあいとした雰囲気でやって欲しい」との注文。歌舞伎をやるようになって14年になるが、もっと下手にやってくれと言われたのは流石に初めてだ^^;;;;
映画を観た人から中山は下手な素人芝居だと思われるのは嫌だなと思ったが、助監督から映画では奉納歌舞伎の本番の時に撮影したきちんとした映像もすぐ後に入れるので、上達した本番と未熟な稽古とのギャップが欲しいとの事。でもって台詞もわざと半分棒読み調にしたり、正座から足を崩したり、三吉の台詞が終わったところで「上手い、上手い。」と小さく拍手をして誉める小芝居をしたりとか^^;;;
あと、稽古風景なので全員普段着なんだけれど、調姫役のあいみちゃんの服装に衣装担当の女性スタッフから「このデザインは2000何年頃以降の影響を受けているので(時代設定は昭和58年頃らしい)、こちらに着替えて欲しい。」との注文。流石にプロの仕事である。また折しも国際芸術祭の最終日で観光客が大勢うろついているのでそれが写り込まないよう待機したり、カメラテスト、リハで4,5回やったのち、「ハイこれから本番です」とカチンコが鳴ってからも、観光客の乗用車のエンジン音(それもアイドリングで僕達は気がつかない)が入っていると音声からカットが出たりとか、なんやかんやで1時間以上かけて撮影が終了した。
実際にどのぐらい映画に採用されるのかは知らないが(1分ぐらいだろうか?)まあ普通では出来ない貴重な体験をした。
撮影スタッフ撤収後、一カ月開き続けていた中山の舞台を閉め、例年にない長〜い、長〜い中山歌舞伎の10月が漸く終わった。

10/27/2010
国際芸術祭の舞台が終わった為、ようやく重の井の子別れのページをアップしました。
今回の芝居は思い入れがあるのでなんとなく画像が多くなってしまったなぁ^^;;;

10/25/2010
瀬戸内国際芸術祭の歌舞伎上演が終了した。昨日は生憎の雨模様で観客の入りが心配されたが、限定400枚の入場整理券(そうそうに出尽くした)を手にした人達だけあって、雨合羽持参でほぼ満杯で静かに最後まで観て頂けました。もっともツアー等でこられている方が多く、終わってバスが迎えに来るまでは帰るに帰れないといった事情もあったのかも知れませんが^^;;;;これがもし本祭りだったら観客は近所の人ばっかりなのでそうそうに自宅に避難してガラガラになっていたかも^^;;幸い雨も次第に小降りになり最後の方では止んでくれました。演技はバッチリだったけど、一番良いクライマックスシーンで信胤役の久保君がちょっと台詞を飛ばしちゃって続く僕の台詞がゴッソリなくなっちゃいました^^;;;;飛んだ部分を無視して平然と続けたので観客は全く分かっていないはず。
こういうころが色々起こるのも素人芝居の楽しさだな。

10/12/2010
天候にも恵まれ今年の奉納歌舞伎も無事終了。自分で云うのもなんだが、非常に良い芝居が出来たと思う。三吉役の祐里ちゃんは小学四年生だが、まさに中山歌舞伎のサラブレッドの血筋の上、お爺ちゃんが付きっきりで指導しているので^^;;;;子役とはいえすごく良い演技をする。その三吉を引き立てるのは大人である重の井の演技次第である。三吉の花舞台を無碍にしないようにとは思っていたが、子別れのシーンでは僕自身、舞台上で研ぎ澄まされた感覚で演技できたような気がする。舞台上の他の役者の動き、浄瑠璃三味線、音響、観客席、諸々に無意識に気を張り巡らせている、こんな舞台感覚は久しぶりである。NHKホール出演時以来か。裲襠(うちかけ)の長い裾のさばきも難しかったけれどなんとか破綻なくこなせたのにはほっとした。
今年は「どやぶち」も延期の為、余韻を楽しむ間もなく2週間後の「小豆島」上演へ向け、今日から次の芝居へ頭を切り換え稽古を始めなければ。

10/02/2010
歌舞伎の稽古もいよいよ佳境に。今年は重の井の子別れで三吉役の子役は保存会長の矢田さんの孫娘だ。子供は覚えが早いのでさしもの僕もたじたじである^^;;;奉納歌舞伎の2週間後には瀬戸内国際芸術祭の依頼で「小豆島」を上演しなければならないし稽古が大変だ。主演の連チャンなんてほんとに大丈夫なのかちょっと心配^^;;;;;

04/19/2010
4月18日にICD(国際歯科学士会)の先生方と一緒にこんぴら歌舞伎を観劇する。演目は派手な立ち回りの「義賢最後」、滑稽な「棒しばり」等で本当に楽しめた。
が・・・、帰ってきていつものように夜、酒を飲みながらゲームをしているとまた突然ホワイトアウトし意識懸濁。手近にある紙に血圧を書いているが、意識がある程度はっきりし始めた時に書き込んでいる数字が収縮期(上)74mHg、拡張期(下)44mHgであり、その後5回ぐらい計測した時に時間を書き留めておこうと思ったらしく12:35と書き込んである。最初の1行目は判別できるような文字になっていない事から、その時は上が70mHgを切っていた事は確実と思われる。前回の発作?より5ヶ月、今回はお腹が痛くてトイレへ行きたいとか吐き気とかの前兆も全くなく、ごく普通に毎日そうであるようにウイスキーを飲みながら椅子に座りゲームをしていて発生した。前回と同じく朝には130mHg程度に回復しており、クリニックに受診しても異常はもはや全く認められない。一体何なんだろうなぁ。苦しいわけでも痛いわけでもないので、生あるものに死は絶対に訪れるのだから、スッと意識がなくなっていくまま死んでしまうのもそれはそれでいいかなと思ってしまう。あっ、べつにネガティブになってるわけではありませんからご心配なく ^^;;;

03/05/2010
堀川君へひのひののHPで作品を紹介しようかと打診したところ、是非お願いしますと快諾を得たので追加しました。

02/27/2010
久しぶりに新コーナーアップのはこびとなった。ページを見て頂けるとわかるが、ひのひのがまだ30才前に製作したF1スロットカーのギャラリーだ。何で今頃こんなものをアップする気になったのかというと、大学の同窓会の二次会で後輩の堀川君と話をしたら、彼はフルスクラッチでフィギュアを作るのが趣味だとのことで、その時僕も実は昔歯科用レジンでF1のミニチュアを作った事があるよ答えた。1週間ほどして彼から彼の作品のデジカメ画像がメールで届き、僕の作品の写真も送って下さいとあった。写真を見てびっくり。うまい!題材はプロレスラーのハルク・ホーガンとその対戦相手が対戦直前に睨み合っているところ。顔の表情といい筋肉の盛り上がりといい素人が趣味で作ったとは思えない出来で、プロの造型師になれるんじゃないの?って思うほど。ひのひのは人物は全く苦手。よかった^^;僕のが人やアニメのフィギュアじゃなくて本当によかった^^;;;僕の作品は方向性が全く違うから恥にはならんわ。ということでずっとしまってあったマシンを久々に引っ張り出して、写真を撮影してメールで彼に送った。折角写真撮ったんならHPにでも載っけるかなと思ってると書いたところ、堀川君から是非どうぞと返事が来たので久々の新コーナーとして起ち上げる事になったのである。堀川君の了解があれば彼の作品もアップする機会があるかもしれない。
しかし自分で云うのも何だが、ひのひのも若い頃はめちゃめちゃ器用だったんだなぁ。自分でちょっと感心したわ^^;;;まさに自画自賛モードやな、失礼しました
m(_ _)m

11/20/2009
今朝また死にそうな目に遭ってしまった。朝六時頃トイレに行こうとして起きたら、またホワイトアウトして立っていられなくなってへたり込んでしまった。かなり意識も朦朧としているなかで家内に血圧を計って貰うと収縮期(上)58mHg、拡張期(下)38mHgその時は朦朧としててわからなかったけど、これって丁度一年前の失血性ショックの時よりヤバイやん。今回は昨年の時とは違って嘔吐も何もしていないので何度か経験のある、自律神経失調かと思いベッドに戻りじっと横たわっていると徐々に回復してきた。朝イチでかかりつけのクリニックで受診するが、もう収縮期も100mHg以上に回復しており採血、心電図もとりたてて異常なし。便の色も黒くはない。Y先生も首をかしげるのみ。一体何なんだろう。結局特に加療することもなく歩いてバスに乗り、診療室に出勤し診療するが、もはや体調に何の異常もない。そういえば過去の2回(昨年のマロリーワイス騒動も深夜だったがあれは出血性ショックだから除外)いずれも就寝中等の安静時に突如として腹痛がおこり、トイレに行こうとしてへたり込む、ホワイトアウト、ベッドまで辿り着けない、そのままじっとへたりこんでいると意識も少し回復して、何とかベッドまで辿り着き、じっと横たわっていれば回復し始めて、その朝にはもう何ともないって言うパターンだったなぁ。

 ということで本日、平成21年農村歌舞伎のページを無事更新^^;ほんまに大丈夫かぁ^^;;;

10/20/2009
本年の中山農村歌舞伎も無事盛況のうちに終了した。今年の役は6年ぶり3度目の弁天小僧で自分で云うのもなんだが本当にはまり役だと思う。シリアスな演目でなくおかしみのある場面が多い為笑いが起きるので客席も多少ざわつくだろうなと予想していたが、案に相違して笑うべき処はしっかりと反応していただき、しかもそれ以外の場面では静かに観ていただけ観客の皆様には本当に感謝!さらに弁天と南郷のつらねの見せ場では盛大な拍手と声援を戴け、役者冥利に尽きるとはまさにこの事でした。
ここ4年ほど僕の相方を務めている久保君とのコンビネーションもバッチリだったので、これもまた嬉しい。
ところでひのひののHPも開設以来とうとう目出度く6万アクセス突破したのだが・・・・・、実は60000のキリ番アクセスを開けたのはひのひの本人になってしまっちゃいましたm(_ _)m
偶然とはいえ来訪者の方にキリ番は取っていただきたかったです^^;;;
早く今年のページ作らなきゃなぁ^^;;;;

12/23/2008
祝小豆島農村歌舞伎写真集出版!

山中忍先生が遂に小豆島農村歌舞伎写真集を出版なされました。小豆島農村歌舞伎保存会は元より本邦の伝統芸能を継承しているものにとってまさに力の源となるような作品でひのひのはまさに感激の窮みである。さらに有難いことに著作者山中忍先生より歌舞伎保存会に多数御寄贈戴きました。保存会一同感謝の上さらにこれからも頑張らなくてはという思いで一杯です。写真集のサブタイトルである「伝統芸能を守る人びと」とは被写体である我々のみでは決してなく、実は山中先生のように小豆島の農村歌舞伎を見守り、そして熱い心で御支援してくれている「人びと」がおられるからこそ「伝統芸能を守る」ことができているのです。
山中先生、これからもお互い精進して「伝統芸能を守る」「人びと」の一人として一緒に楽しく頑張りましょう。本当に有難うございます。

12/22/2008
ひのひのが入院したその数日後肥土山の農村歌舞伎の指導者(振り付け、義太夫、化粧)の山本数雄さん(通称かんちゃん)が不慮の事故で亡くなってしまった。ひのひのは入院加療中で全く知らず葬儀に出ることすら出来なかった。というより運命が一歩違っていれば僕の葬儀にかんちゃんが来ていたかも知れず、僕があの世でかんちゃんを迎えていたかも知れない。伝え聞くことでは東港でお酒を飲んで酔って海に落ちて亡くなったとか。芝居に対しては厳しい指導者だったそうだが、ひのひのは直接指導して貰ったことがないのでよくわからない。ただひのひののことはそれなりに認めて貰えていたようで、酒を飲みながら芝居談義をしたりと色々と可愛がって貰っていた。かんちゃんが六段の義太夫を務められ、ひのひのが婆を演じたとき「あんたは本当に芝居が上手いな。俺が誉めることは滅多にないぞ。」といわれたのが思い起こされる。マナーの悪いアマチュアカメラマンを一喝し、楽屋から追い出した(以後関係者以外立ち入り禁止となった)のもあの方ならではの逸話であろう。色々と武勇伝の多い方であったがまだまだ活躍していただきたかった実に惜しい人を亡くしてしまった。

12/8/2008
11月16日深夜(というより最早17日か)吐血して緊急入院した。もしそのまま受診せず放置していればひのひのは死んでいた可能性も非常に高く、本当に危ういところであった
数日前より下痢と胸焼けが続いていたが胃腸風邪にでもかかったかとたかをくくり特に受診もせず放置していた。16日の午後4時半頃より高松でさる歯科医師会事業の打ち上げ懇親会に出席、グラスワインを3杯ほど飲んだところで(午後5時頃)急に気持ちが悪くなりトイレに行くと吐いてしまった。それもゲロゲロといったレベルではなくバッシャー、バシャーといった感じで、吐くというよりはむしろ噴出とでも表現する方がより近いような状態で、ワインとか胃液とかそれまで飲んでいた水とかを一気にぶちまけてしまった。ちなみにこの時は吐瀉物に出血等の異常は認められず、ひのひのの通常の酒量からすればワイン3杯は酩酊するようなレベルでもなくほぼ素面に近い状態であった。それ故これは「嘔吐下痢症」かと思いつつもほとんど酔ってもいない上、ましてや小豆郡歯科医師会長であるひのひのが中座するわけにもいかず、さらに2杯ほどグラスワインを重ねてお付き合いをし、午後6時には懇親会も散会となった。家内には嘔吐したことは教えたもののさほど自分自身としても特に全身的な変調があるわけでもないので、家内が以前より楽しみにしていた会場近くの某ホテルのスカイラウンジで二人で飲み直しをしようということになった。しかしそこで注文したウイスキーのロックがなんとなくきつくて飲めない。ひのひのは家庭でも常にウイスキーのロックを飲んでいたので、家内が「貴方がウイスキーを飲んでそんな事を云うのは初めてだよほどちょうしがわるいの?」と驚いていた。結局、一杯のダブルのロックウイスキーを途中でチェイサーの水で薄めて実に一時間かけてやっと飲めたような状態なので予定より早く帰島することにした。帰宅したのでたとえ嘔吐したりしても他人に迷惑を掛けることはもうないので、「さあ、いつものように飲み直すぞ」とウイスキーをグラスに注ぐがナントどうにもその一杯が喉を通らない。「これはダメだ、今日はとても酔うほどには飲めそうにない。眠れなくてもしようがないから明日の朝までとにかく寝室で小説でも読みながら横たわってるわ。」と云って寝室で寝転がるが相変わらず下痢は続いており頻繁にトイレへ行く。午後11時頃体温は38度近くにまで上昇し、これはやはり「嘔吐下痢症」かと自己診断する。この間腹部や胸部の疼痛や苦悶は全く無く、むかつき程度で下痢を繰り返しているけれども特に重篤な状態との認識はまるっきり無かった午前1時半頃喉が渇き洗面所に水を飲みに行くが、突然ホーローの流しがまるで蛍光灯のように光って見え、洗面所を2歩出た時点でホワイトアウト(目の前が真っ白になり意識が薄れる状態、元来は雪山の登山用語)状態となり、その場にへたり込んでしまい立ち上がれなくなってしまった。こういう症状自体は過去にも3度ほど経験があり、事後に当時相談した叔父(医師)でより自律神経失調(副交感神経の異常緊張)であろうと云われていたし、それらの時は10分程度安静にしていることで自然回復していた。そういうわけでその日現れた症状すなわち、むかつき、吐き気、下痢、目眩等の症状が嘔吐下痢ではなく実は「自律神経失調」であったのかと自分なりに納得し、安静に寝ていることとした。ところが水を飲んでしばらくたった午前2時頃、またもや2度目(前回嘔吐より8時間ぶり)の吐き気が襲ってきた。
「しまった、自律神経失調じゃなかったのか嘔吐下痢なら水を飲んでも嘔吐するんだった。水は飲むべきじゃなかった。」とトイレに駆け込んだ。そして再びバッシャー、バシャーと一気に嘔吐(噴出)したが今度は完全に吐血している。便器はおろか床、壁側壁の下方、パジャマまで血汐で血まみれ状態トイレから出て寝室のドアから数歩でまたホワイトアウト状態になりベッドまでもたどり着けない。家内に血だらけに汚れたトイレの清掃を呼びかけ依頼したら、へたり込んで座った状態の僕をを見て、ビックリして「救急車を呼ぼう」と云ったが、なにぶんにも半分朦朧としており、なんとなく深夜でバタバタとしたくないので取り敢えず朝まで安静にして待とう断る。家内は心配し兎に角病院に救急診療の受付を問い合わせようかと云うが更にそれも断る。しかしベッドに横たわると(脳の血流量が上昇したので)次第に意識もはっきりしてきて、ホワイトアウトの原因が自律神経失調などではなく実は出血性ショックで、それも疼痛とかの症状が殆ど無かったから胃潰瘍とかではなく、ひょっとしたら夕方5時頃に吐いた時にあのマロリーワイス症候群02/12/2005の項目参照)を惹起したのかもしれないと思い至った。それで家内にすぐに血圧計を持ってくるように指示し、測定してみるとなんと収縮期(上)70mHg、拡張期(下)51mHgさすがにこれはヤバイと緊急夜間外来へ家内の運転する車で(この様な場合は絶対に救急車にすべきである)午前3時頃緊急受診、そのまま処置後即入院となった。
 実はひのひのは知り合いのマロリーワイス症候群に過去2度偶然にも立ち会った経験がある。一度目は27年も前、僕が大学院の一年生の時で大学の一期後輩のN君(ちなみに彼の実弟はなんとハウンドドッグの元ギタリスト(これホントよ)、って書いちゃうとNって名字はバレバレだな^^;;;)が卒業間もないときだ。彼らが大学の同級生と結成していたアマチュアロックバンドのメンバーの一人が卒業にともなう帰省で脱退するとのことで代わりのメンバーとして参加を勧誘され、気心も知れた連中で音楽的嗜好も合致していたため快く加入することにした。その僕の新歓コンパ(僕の方が一学年上だけど^^;)を当時ひのひのの住んでいた市川市の飲み屋Dで行っって(酒に弱いわけではないがそレほど強くもない)N君も若さ故(当時24才)調子に乗って、デンキブラン(浅草神谷バー発祥の口当たり良い酒、実はアルコール30度)をぐいぐい飲んでいた。結果は全員が酔っぱらってひのひののアパートひのひのアパートに泊まりN君は夜中に「気持ち悪いよぅ〜、寒いよう〜」といいつつトイレで吐き続けていた。そして明け方はから血を吐き始めたのである。バンドメンバー全員まだ酔っぱらっていたけどこれは大変だと朝一番で大学付属市川病院に連れて行った。その時に担当した医師にjから「これはね、マロリーワイス症候群といって嘔吐によって食道の粘膜が裂傷を起こして出血したものだよ。よく覚えておきなさい。」と教わった。その経験が見事いかされて?^^;二度目である前述02/12/2005のNHK出演前夜のI氏発症の際にはそれなりに推定診断が出来、速やかに救急病院へ送ることが出来たわけである。
 しかしながら一方で、この2例ともたまたま軽症例であったため、ひのひのの中ではマロリーワイスは”血を吐く”という見た目の派手さと本人の精神的ショックの程度は大きいが、所詮は嘔吐による単なる食道の裂傷でしか無く、実際にはそれ程深刻な病態ではないと誤認識してしまっていたのである。
 もし、あの時深夜に出た目眩とかの症状を出血性ショックの可能性を疑うことなく、先例のように自律神経障害であろうと決めつけ、そのまま寝て安静を保つという選択をしていたなら、出血が持続しそのまま死亡してしまっていた可能性も非常に高かったと思われる。実際緊急受診した時、ひのひのはマロリーワイスではないかと申告したが内科担当医は出血量の多さからマロリーワイスの可能性より他の重篤疾患の可能性を疑っていた。もっとも基本的にはひのひの既往が普通より大酒飲みであるから、内科医としてはこの大出血がそちらの原因を疑うのが勿論当然であるのだが(ただし現在に至るも数日前より続いていた下痢、むかつき、そして当夜の38度近い発熱との関連は不明。自律神経失調や単なる出血では38度近い発熱は普通考えられないので本質的にはやはり嘔吐下痢だったのだろうか?しかしながら残念なことに、というか腹立たしいことに担当医は徹頭徹尾ひのひのの過飲酒による嘔吐と決めつけており、そうではないとの度々の訴えにもかかわらずこのあたりは全く検証して貰えなかった。少なくとも「根本となる病因について検証したが嘔吐下痢等は関係ない、数日来の下痢、むかつきや発熱等の症状も飲酒が原因による嘔吐である(そんなことはあり得ないと思うが)。といった嘔吐に到る根本的な原因に関する納得のいける論理的な説明は一際されていない。もしかしたらワインでなくジュースを飲んでいても嘔吐していた可能性もあったと思うのだが。なにはともあれ今回のひのひのの場合は幽門部付近の裂傷がなんと6条にも裂けていて、内視鏡下において一カ所をクリップで止めてもその隣の裂傷を止めると先のがちぎれてしまいそう状態で、充分な機械的縫合ができなかったそうである。そんなこんなで病室に移動出来たのは朝の8時頃で5時間にも及ぶ処置であり、病室では点滴だけではなく輸血も必要となっていた。身長161cm体重47Kgと元々スリムなひのひのだが入院前半の5日間の絶食、点滴療養時には体重43Kg台にまで落ち込んでしまっていた。
 そうこうするうち、病院長であらせられます御隣家のM先生、大変お世話になった看護部門の皆様他、関係者方々のおかげをもちまして11月28日午後に無事(というより半分無理矢理)退院致しました。ただ担当医の某先生とひのひのとは全く相性の悪い関係でこの方には二度とかかりたくない。今後も二重の意味でお互いにお世話になったり関わり合うことがないことこそが相互の幸せでしょう。ただし入院時に深夜3時から8時まで一生懸命内視鏡にて止血処置をして下さったことには本当に心より感謝いたしております。これに関してはひのひの心にも全くの偽りはありません。しかしながらだからこそ入院中は如何に腹が立とうともずっと我慢していました。でも貴方はいったい何様!といいたい。う〜ん、ひのひのがここまで書いてしまうこと自体異例でしょ^^;;;まあ何はともあれ有難うございました。またお忙しい中にもかかわらずお見舞いいだきました皆様方に心より御礼申し上げますとともに、入院期間中に職務の予定があるにも拘わらず果たせなかった香川県歯科医師会および小豆郡歯科医師会、東京歯科大学並びに小豆島准看護学院、青年会議所シニア会役員会等関係者各位にご迷惑をお掛けしたことをお詫び申し上げます。
 なお、退院後も午後に微発熱が持続したり、絶食後の体調不良により12月6日まで院長ひのひのが休診致しましたことを患者様各位に心よりお詫び申し上げます。本日より本調子ならずとも樋出歯科医院の診療体勢に徐々に復帰いたし、副院長の家内共々協力し地域医療に微力ながらも貢献いたしたいと存じますので、従前と変わりなきご厚誼を賜りますよう伏してお願い申し上げます。

10/17/2008
本年の農村歌舞伎は2年ぶりの「小豆島」となった。最後の月見櫓の場では電気照明を全て落として蝋燭の火と油壺の篝火だけで上演した。天気に左右される上今まで経験のないことなのでどうなるか危ぶまれていたが無事大成功であった。
自分は役者なので見ることが出来なかったが、観た人からは幻想的で幽玄の世界のようだったと大好評を戴いた。自分で云うのもなんだが芝居の出来も上々で、観客も最後まで帰らず立ち見まで出ていた。最後の月見櫓の場では観客もシーンと静まりかえって演技を観てくれていたのは役者冥利に尽きる。また蝋燭の照明にも色々工夫を考案して舞台師さん達にずいぶん無理を言ったが、「どやぶち」(打ち上げの宴会)の席上で「君らは役者冥利に尽きたやろうけど今年の舞台はわしも舞台師冥利に尽きた。」といってもらえたのが嬉しかった。関係者全員が報われた今年の芝居だった。

10/13/2007
今年もそうそうに歌舞伎のページをアップしました。
あとは明後日の秋祭りだ。

10/9/2007
一昨日、本年も無事に歌舞伎を奉納することが出来た。心配された天気もどうにか保ってくれて観客も最後の第四幕まで静かに観賞してくれたので嬉しかった。
今年の役の八右衛門は久しぶりの敵役なのでとてもやりがいがある。この役の見せ所は忠兵衛との掛け合い漫才のようなおかしみのある台詞のやりとりで、しかも徐々に忠兵衛を追い込んで遂に封印を切らせてしまうところだ。ところがやりとりするその台詞が、似たような表現や言葉が繰り返されつつ進行していくので油断すると混乱して、つい台詞が飛んだりしてしまうので、例年になく台詞の覚えが遅れて上演前夜の舞台稽古でも失敗してしまった程である。
昨年に引き続きベテランの久保君とのコンビなので、台詞を飛ばしてしまわない限り演技そのものにはかなり自信を持っていたが、無事大きなミスもなく良い演技を出来たと思う。
我々の第三幕にベテランを揃えた為、第四幕には若手が揃い経験豊富な役者は権太役の越田君のみだし、鮓屋という重く難しい芝居なので心配していたが、これが実に出来が良かった。今年若手全員がランクアップした感があるが、特に亘君の梶原景時は素晴らしくちょっと驚くと共に若手の進境が嬉しかった。

08/28/2007
8月25日に一泊二日の富士山登頂ツアーに参加した。登山なんて全くの初心者なので心配だったがなんとか無事登頂し下山することができた。
 友人Nより7月初めに誘われて、「冗談じゃないそんなもの。」と即座に断ったものの、この機会を逃したらもう一生富士山に登ることはまずないだろうから、やっぱり参加しようかと思い始めた。流石に自信がないので7月8日急遽友人Oを呼び出し小豆島最高峰星ヶ城(ちなみに昨年上演した歌舞伎「小豆島」の最後の幕の場所です。標高817m)に登ってみるが、下山の途中で右膝の関節が痛くなり最後はよちよち歩きしか出来なくなってしまい下山予定時刻を大幅にオーバーしてしまった。これではいけないと、自宅の裏山に登るのを含め、ほぼ毎日1時間10分程度のウォーキングをしたり中山の歌舞伎の稽古の帰りを自宅まで歩いて帰ったり(標高差250mの下りで約1時間40分かかる)してトレーニングをして、当日を迎えた。
 高松空港を7:30に出発し、羽田よりバスにて河口湖口五合目に向かうが、夏休み最後の土曜とあって中央高速道が40kmの大渋滞。予定より2時間遅れの午後3時半五合目口より登頂開始。午後7時に七合目山小屋T荘に到着し夕食後3時間の仮眠(といっても僕は一睡も出来ず。あんな環境で眠れるわけないやろ)。午後10時半二日目(って同じ日やんかぁ)の登頂を開始するが登山道も大渋滞、人、人、人で八合目では25人のツアー客の一人が人混みにはぐれて行方不明(遭難じゃないですよ)になってしまう。そしてとうとう本八合目では数珠繋がりで一歩進むのに2〜3分という状況になってしまい、山岳ガイドのAさんがこのままでは御来光までには到底間に合わないと判断、午前2時頃、急遽脇にある下山道をつたって登坂することに変更。人のいない真っ暗な、そして斜面のきつい下山道を登っていくが、休憩中にライトを消して見た満天の星空、星ってこんなにいっぱいあったんだぁって感動。もし普通の登山道を上ってると人のライトで明るすぎて、また天を見る余地すらなくこの星空は絶対観られてないはず。そしてしんどいながらも夜明け前に見事に山頂に到着、登山道を見ると人、人、人の数珠繋がり登山ガイドのAさん曰く「多分あのまま登っていればまだ9合目にも全然到達していないよ。」って、ほんとうにありがとう。O君はお鉢回りに行くが下山に不安のあるひのひのは山小屋で休憩し、そして御来光写真その2
 火口を見物したりして午前7時半に下山を開始するが登山道はこんな時間になっても未だ数珠繋がり、心配だった膝は痛いなりにもどうにか保ってくれて無事3時間半(標準の時間)で降りる事が出来た。Aさんによれば、風もないこんな快晴の穏やかな富士山は一シーズンに6日あるかどうかだそうで、実にラッキーな登山でした。帰りのバスも中央高速道が事故渋滞であわやツアー客全員飛行機乗り遅れかと心配しましたが無事到着、最後までハラハラドキドキの本当に楽しい富士登山ツアーでした。
 また登りたいかって?多分もう登らないでしょう(^_^;)何故ならお酒が飲めないから。山登りってなんとなく山小屋や山頂でウイスキー飲んで歌って騒いでってイメージがあったんだけど、富士の山小屋はお酒飲むような楽しい雰囲気じゃなくて、ただ強制的に寝かされるような感じで、山頂ではお酒も売ってないし(甘酒ならありますだって)楽しかったけど酒飲みの僕にとっては修業のような山登りでした。いや山岳霊場なんだから本来修業の場なんだけどね(^_^;) それでも日本一の富士山に登頂できたことは本当に大きな歓びだし、ちょっとした自負にもなりましたよ(^^)

10/16/2006
今年は早々と歌舞伎のページをアップ完了。今年は誰も見た事のない演目だけにストーリーをある程度終えるように画像を入れていくと、例年のページの画像数よりかなり多くなってしまった(^_^;)
昨日の八幡神社太鼓台奉納も秋晴れの中無事終了。やれやれ。

10/10/2006
一昨日無事に奉納上演終了した。天候にも恵まれ客席は大入り満員で、最後の幕まで静にそして真剣に観劇してくれたのでとても嬉しかった。
舞台師の活躍でとても奇麗なセットが組まれ、各役者の出来もよく終演後の評判も上々であった。
あとで聞いたところによると、お妻が信胤に毒酒を飲ませるシーンでは、観客席のあちこちで「その酒は呑んだらいかん。」と小さな声が上がっていたり、飲んでしまうと「あ〜あ、飲んでしもうた」と言ってる人もいたりしたそうで、観客と一体となれていたのはまさに役者冥利に尽きる。またそのシーンの台本は僕が創作して改変した部分なので嬉しさもひとしおである。
 ところで細かなミスとかはあると思っていたが、実は大ポカをやってしまった。クライマックスの場面で長台詞の後ろ半分を喋るのを忘れてしまい自分の台詞は終わったものと思いこみ、間が空いてしまった。信胤役の久保君が機転を利かして次の彼の台詞を喋り出した時、始めて自分が台詞を飛ばしていた事に気付いた。ヤバイと思ったが久保君が台詞を言ってる間に頭の中で必死で考え、飛ばした台詞とその次の台詞とを続けて喋る事で辻褄をなんとか合わして、破綻無く観客に気付かれずに終わる事が出来た。こんなことは10年役者をやって初めての事で冷や汗をかいてしまった。久保君有難う!でも、何も知らない観客からみるとあの空いた間は久保君が台詞を忘れたみたいに誤解されちゃったかも。ごめんね(^_^;)

09/22/2006
本日ついに5万アクセス達成。皆様本当に有難うございます。
芝居の稽古は予定より遅れている。不安だ。

08/28/2006
本年の歌舞伎は「小豆島」という題材だ。歌舞伎座で大正2年に初演され昭和以降は大歌舞伎での上演は絶えている芝居だ。当時の舞台写真や筋書き(パンフレット)、劇評、観劇記録を元に一から手探りでの上演準備だ。台本はある物の当然ビデオといった動画の記録は全く残っていないので自分達の知識と経験から再構築する他はない。鬘、衣装、大道具、小道具すべて新しく調達しなくてはならないが予算は限られており、かなりの部分を創意工夫の手作りで補わなくてはならない。しかしそれだけにやりがいのある芝居だ。
今読み合わせの段階だが、どうにかお妻の役の性根が掴めてきた。きっとやれる。

11/15/2005
のびのびになっていたHPの更新ようやく完了、上演後1ヶ月以上経っちゃった(^_^;)
今年の演目は2002年にもやっているためHPのネタがと構成が同じようになってしまう為悩んでいたが、OPUTO山中さんが素晴らしい舞台写真を送って下さりこれを掲載しようと思いつく。快く掲載を許して戴けた山中さんに心より感謝。

10/11/2005
天候にも恵まれ奉納歌舞伎が大盛況のうちに終幕した。本年は仮名手本忠臣蔵六段を2月NHKホールで上演した配役のまま、NHKでは時間の都合上大幅カットされていた前半部を復活しての舞台となった。自分で云うのも何だが矢田さんの勘平、ひのひのの婆という願ってもない最強コンビで他の配役も完全にハマっており、昨年来の両陛下行啓幸、泪の雨天中止、NHK出演、記念碑除幕式、各種取材等、全てのことが凝縮された渾身の一幕だった。出来としてはNHK上演時よりも数段上をいく中山農村歌舞伎史に残る名舞台の一つで、今後これを越える芝居はおそらく無いであろうように思う、って言い過ぎか(笑)

02/12/2005
NHK出演からもう1週間経ってしまった。なんだかとても長い3日間だったし、今となっては何ヶ月も前の出来事ような気がする。
当日は楽屋入りが朝の10時で化粧と衣装を付けてスタンバイ。午後1時半からオープニングとエンディングのリハ。1時間待機の後、3時から本番オープニングの開始。そのまま、また楽屋で出番まで約3時間待機とひたすら待ち続ける一日だった。NHKは拘束時間が長いというのは確かに本当だ。おまけに前日、三味線奏者がストレスからか吐き続け、深夜に胸部の痛みで緊急入院(マロリーワイス症候群といって嘔吐を繰り返す事によって食道が裂傷を起こす)という騒動があり(幸い当日午後には退院したので事なきを得たが)そのせいで殆ど眠っていなかったので本番終了後はもうふらふら。
芝居の出来は細かいミスはあるものの観ている人は殆ど気が付いていないであろう事だけで非常に良い舞台だったと思う。終演後、観客席で観ていた小豆島関係者が楽屋に来て「周りの観客が『最後にやるだけあって流石に上手いね。』と云っていたのが聞こえたよ。」と教えてくれたのがとても嬉しかった。さあ明日はスタッフのどやうち(うちあげをこう呼ぶ)だ。楽しい酒が飲めそうだ。

01/14/2005
NHK出演まであと三週間。12月から国際歯科学士会の論文投稿や年賀状、歯科医師会調査部のアンケート分析、NHKからの種々な依頼事等本当に忙しかったけどようやく芝居の稽古に専念できる。

10/18/2004
本日袖萩祭文の場のHPの更新完了。なかなか次女の演じるお君が可愛いでしょ、って親バカ?

10/11/2004
きのう奉納歌舞伎が終わった、4時半ぐらいから小雨が降り始め二幕目からは土砂降りになってしまった。第一幕の三番叟も雨の湿気で三味線の糸が緩み30秒おきぐらいに糸を締めなきゃならない状態でまともな演奏にならない。三幕目の袖萩祭文の場も花道から濡れながらお君に扮した次女と出る。観客も大半帰っているがずぶぬれになりながらも熱心に見てくれている人も多く、本当にありがたかった。もっといい状況で多くの人に楽しんで貰いたかったが、それでも上演できただけましだ。第四幕目の土屋主税は上演取りやめとなってしまった。彼らも本当に一生懸命稽古していたのに気の毒でしょうが無い。

10/04/2004
天皇皇后両陛下御叡覧歌舞伎無事終了。上演後の役者・スタッフとの懇談でひのひのも両陛下からお言葉を賜り大感激。
本当にお優しく気品にあふれたお人柄でした。

09/20/2004
4万アクセス達成。お越しいただいた皆様本当に有難うございます。

09/17/2004
今年は中山歌舞伎の当たり年だ。来年の2月5日に天下のNHKホールで開かれる全国ふるさと歌舞伎フェスティバルに出演する事が決定して、昨日NHKプロモーションのスタッフが来島し第一回の打合せを行った。しかしなんでこの時期ばっかりなんだぁ!自分の芝居の稽古もあるのにぃ。それにしてもやりがいがあるぞぉ!!

09/03/2004
奉納歌舞伎の直前10月4日に天皇皇后両陛下が小豆島に行幸され、中山農村歌舞伎を御覧になられることが公式発表される。観劇時間が15分と短い為子供芸の白浪五人男の上演となった。ひのひのは役者としては出演できないけれど付け打ち(柝)をやらしてもらえることになった。一生に一度の栄誉なので嬉しいが準備が大変だ。特に矢田会長はてんてこ舞いの忙しさ。

08/02/2004
奉納歌舞伎の稽古が7/14から始まる。今年は次女(小4)との親子共演なので頑張らなくては。
7/22海老蔵襲名披露を大阪松竹座へ観に行く。仁左衛門の俊寛に不覚にも泣かされてしまう。役者は観客は泣かせても自分では絶対に泣いてはいけないと戒めていたのに。・・・って観客だからいいのかぁ(笑)
それにしても今年は3月4月5月と歌舞伎座へ、7月松竹座、8月にまた歌舞伎座と狂った様に大歌舞伎を観てるなぁ。

06/13/2004
歌舞伎保存会の矢田会長が旭日双光賞を叙勲され、その祝賀会に出席。本当におめでとうございます。

12/10/2003
ビデオから動画をキャプチャーしてHPに掲載。5年前にも一度試みたものの余りの遅さとファイルサイズの大きさで断念している。ADSLのような高速通信とMPEG4の高圧縮CODECの発達で可能になったわけで今更乍らに技術の進歩に感心する。

10/22/2003
秋の太鼓祭りも無事終わり、ようやくHPの更新が出来た。今年も友人に頼んでおいた写真が今一使えない。仕方がないのでビデオをパソコンに取り込み、それから静止画として切り出したものを使う事にした。解像度が良くないのが最大の欠点だが、これはこれで自分で望みの場面を好きに取り出せるのでストーリーに沿った画像が得られるので非常に便利だ。今後はこの方法がいいのかな。

10/14/2003
天気予報では当日18時からの降水確率は50%、21時からは70%で大いに気を揉む。天井桟敷の辛いところでこればっかりは稽古で何とかなるっていうもんじゃないからなぁ。しかし天は味方してくれ無事降られずに済み、大盛況の内に農村歌舞伎が終了した。今まで毎回全く違う役をやってきたが、今年はこともあろうに三味線と義太夫でデビューした。特に僕は謡いながらの演奏なのでタイミングがものすごく難しかった。お芝居の方はみんなも一度やった浜松屋なので更にパワーアップした舞台だった。評判も上々。とにかくやったぞぉ!早くHP更新しなきゃなぁ(^_^;)

6/17/2003
昨年よりお稽古が始まった義太夫三味線についてアップ。久しぶりの更新です(^_^;) お稽古の回数も十数回となりなんとか少しは進んできたけど、それでもやっぱり難しい。取り敢えず10月の奉納歌舞伎に披露を目指して頑張ろう。出来の悪い弟子ですが町子先生宜しくお願いします。

11/14/2002
小豆島准看護学院の第一回目の講義無事終了。3ヶ月ほど前に講師として10回の講義と試験1回をして欲しいと頼まれる。1回の講義で仮に30枚スライドを使うとして作らなきゃならないのは、・・・・300枚(T_T) パソコンの画面を投影するプロジェクターがあればなぁ。


11/8/2002

相変わらず写真がないのだが、当日観劇に来て居られた西宮市の須藤さんからメールが来てご親切にも写真を送ってくれるとのこと。ついでにHP掲載の許可も頂けたので早速アップ。感謝、感謝。

11/01/2002
撮影係を頼んでいたN君から写真をもらう。が、なんと用事があって途中で帰ったとのことで前1/3ぐらいしか写真がない〜!!これじゃあHPが出来ないよぉ。一言いっておいてくれたら別の人に頼んだのにぃ(T_T) しょうがないので全部ボツにするつもりだった家内が撮っていたボケボケの写真の内から比較的ましなものを選んでシャープさの画像処理をしてなんとかストーリーを組み立てる。そんなわけで誰か良い写真をくれないかなあ。取り敢えず14年度歌舞伎のページをアップ。

10/27/2002
農村歌舞伎奉納が終わった。今年は自分も含め全員が良くできたと思う。特に前半一部のマナーの悪い観客から心ないヤジが飛んでいたが、出演者全員が動じることなく平然と良い芝居を続け、後半ではヤジも演技で黙らせられたのは特筆に値する。出演者の皆さん本当にご苦労様。はやくHPも更新しなければ(^_^;)

10/06/2002
ついに30000アクセスを超える。10000ヒットまでに約2年5ヶ月、20000ヒットまでが約1年半7ヶ月、そして30000ヒットが1年3ヶ月と徐々に短くなってきている。ADSLの普及に伴いインターネット人口が増えたからだろうなぁ。内容はたいして変わってないもんなぁ(^_^;)
アクセスしてこられた皆様、本当に有り難う御座います。

10/01/2002
さぼりっぱなしのHP 更新、ご免なさい。本年度の歌舞伎の稽古も大分進んできました。赤穂浪士討ち入り300年記念と言うことで今年の演目は仮名手本忠臣蔵の五、六、七段の半通し狂言で、特にひのひのの進言で七段目も通常はやらない力弥の入りからの上演となったので楽しみだ。

10/26/2001
中山農村歌舞伎の過去の上演記録をアクセスに入力完了。これで誰が何時どの役をやったとかどの演目が何回上演されているか等といったデーターが検索できるようになった。しかし矢田さんがプログラムを配布するって事を始めなかったら全く記録が残らないところだ。以前は先代萩や忠臣蔵の四段目、盛綱陣屋、沼津、心霊矢口渡等々多彩な演目をやっていたというから本当に残念だ。演目のみを歌舞伎のページにアップ。

10/9/2001
農村歌舞伎の奉納が昨日無事終了した。前日まで当日夕方から雨の予報が出ていたので気を揉んだが無事に降られることがなく本当に良かった。舞台途中で持っていた中啓(扇子のようなもの)が無くなるというアクシデントがあったが舞い上がることもなく、自分でもびっくりする程その後の演技を冷静に続けられた。出来は事故を除けば上々で、舞台が終わるといろんな人から「本当に憎らしかったよ」「上手だったよ」とお褒めの言葉を頂戴する。しかし返す返すも中啓を使えなかったのは心残りだ。11月3日の香川県郷土芸能文化祭に同じく三段目で出演予定なので今度こそ・・・・。

9/8/2001
平成十三年度の農村歌舞伎の稽古がそろそろ本格化してくる。今年は仮名手本忠臣蔵の松の間刃傷の場で高師直の役を演じる予定。赤穂事件の吉良上野介に相当する役で、可憐な乙女だった去年とはうってかわって意地の悪い憎々しい爺さんだ。非常にやりがいがある。ひのひのさんて本当に性格悪いんじゃないのって云われるぐらいに演じてみたいなぁ。

8/3/2001
開設以来ずっと工事中だった歯科のページがついにオープン。昨年から香川県歯科医師会のHPを充実させるのに懸かりっきりだったが、「自分のHPの歯科のページがほったらかしで、会のHPばっかり更新だなんて何やってんだろ僕。」と思っていたので、ちょっと嬉しい。

7/10/2001
ひのひののHPも開設以来ついに4年目を迎えた。またアクセス数もついに20000回になる。
ここんところ更新をさぼりまくっていたので来ていただいた方に申し訳ないなぁと反省。

10/30/2000
弥左衛門役の八木君より良い写真を貰ったので2枚差し替え、1枚追加する。

10/21/2000
太鼓祭りも無事終わり、歌舞伎のページを更新。ひのひのは相変わらず美人だし(笑)、娘もなかなか凛々しい若君に見える。娘に台本を渡してこの役だよと教えた時に「うん、ろくだいくんね。」って読んだのが可笑しかったのを思い出す。
さあ来年は何をやろうかなぁ。

10/10/2000
昨日農村歌舞伎の奉納上演が無事終了する。午後一時半頃までかなり雨が降っており、中山の舞台は露天桟敷の為やきもきする。祈りが天に通じたか関係者集合時間の2時には殆どあがり、4時頃には日もさしてきて客足は順調に伸びてくる。僕たちの幕は上演半ばより観客もシーンとして、真剣に観て呉れるのでとても気分良く演技できたし、出来も全員上々だったと思う。幕が下りて化粧のまま桟敷に降りて弁当をつつきながら呑んでいると、見ず知らずの沢山の観客から「女以上に女らしかった」などと誉めて貰えた。お世辞半分としてもとても嬉しい。

9/25/2000
サボりにサボっていた更新をようやくどでカボチャにて行う。
今年の農村歌舞伎は義経千本桜「鮓屋」で女形を演じるので今鋭意稽古中。
妻子ある貴公子に惚れた鮓屋の娘お里という役で、ちょっとやんちゃではすっぱな村娘が最後は叶わぬ恋に悲嘆するのを果たして上手く演じられるかなぁ。
メインマシンをWINDOWS MEにアップグレードしてみたけどかなり早くなった感じがしてなかなか快適。

8/31/2000
メインマシンのCPUをPentium3の800MHzに載せ変える。流石に早い(^^)
でもマザーボードのCULS2がかなり癖があってSCSIボードもサウンドボードも認識されない。音がでないのも寂しいので結局サウンドボードも買い換えるハメに。

12/6/1999
HP開設以来ついに10000アクセス突破(^^)
呼びかけに応じて10000アクセスのメールを戴けたのは、小豆島生まれで千葉県在住のN様。小豆島で検索していて偶然辿り着かれたとのこと。いろんな方に支えられての事なんだなぁと実感。

10/18/1999
太鼓の祭りも無事終了、・・・・・がとんでもないことが。舞台写真が全く撮れてな〜い!
ということでHPの更新も見切り発車に。ビデオの画像からキャプチャーでもしてみようかな。でも今年はビデオも出来が悪いしなぁ。悲しい!


10/12/1999

十月十日歌舞伎を無事奉納、舞台では一番心配だった封印を切って小判をばらまく場面も上手くいって一安心。本人としては出来に少し不満なところもあったけど、見た人たちからは絶賛していただき(勿論お世辞もあるだろうけど)非常に嬉しい(^^)
 O芸大大学院で歌舞伎の音楽・効果音・間を研究している東山女史が稽古の時から取材に来ていたので、奉納終了後に「ここの農村歌舞伎は鳴り物や唄が無いので研究にならないしつまらないでしょう?」と聞いたら、「だからこそすごく面白いし参考になるんです。」と言って貰えたのが非常に印象に残る。東山さん、また来年も見に来てね。
 翌11日に「どやぶち」(打ち上げの宴会)が関係者一同で開催される。席上、義太夫の助っ人としてわざわざ大阪からいらっしゃった大曽さんに「君の台詞は非常にハマった大阪弁(封印切は江戸歌舞伎とは異なり上方和事なので、台詞は大阪弁でないといけない)だけど何年ぐらい大阪に住んでたの?」と聞かれる。僕はずっと東京だったのでむしろ昨年の弁天小僧のような江戸弁の方が得意なんです、と答えるとびっくりして感心して貰えた。大阪のそれも義太夫節と言った言葉のプロの方から関西弁を誉められたのは、一重に稽古の成果なのかなと思え、とても嬉しかった。
今回のこの項はなんだか自慢ばっかりになっちゃった(^_^;)

9/28/1999
昨日、農村歌舞伎の「練り固め」が行われた。要するに本番へ向けての懇親の宴席で我が封印切りチームも全員参加し忠臣蔵六段目チームやスタッフの方とも親睦を図り非常に楽しい。封印切りチームは結束も堅く、みんなで二次会に繰り出し大いに盛り上がる。本当にいい仲間達だなぁ(^^)

9/26/1999
どでカボチャ大会を見に行く。今年は150kgをこえるカボチャが増えてきたが、出品総数が少し減ったようでさみしい。
スタッフの皆さんご苦労様。

9/18/1999
奉納歌舞伎もいよいよ立ち稽古が始まった。本年度の演目「封印切り」は昨年の弁天小僧と違って近松の心中物なので難度がかなり高い。でも我が「封印切り」チームは気心も知れており非常にテンションが高く、みんなもう台詞は殆ど抜いてある(覚えているの意味)。頑張らねば。
今日、松竹衣装(株)さんから小判の残りが届いた。前回送っていただいたのと合わせてナント200枚!さすがに本物の小道具だけ合ってばらまいた時の音が抜群に良い。松竹衣装さんのご厚意、本当に有り難とうございます。

8/27/1999
昨夜ホーミーというモンゴル音楽のミニコンサートに出かけた。ホーミーとは喉歌とも言われ、自分の歌う声を口腔や鼻腔と共鳴させて1から4オクターブ高い音の2声を同時に発声するという唱法で、馬頭琴等を弾きながらの演奏。この特殊な唱法については、以前司馬遼太郎の随筆か小説で読んだ知識としては持っていたものの、実際に鑑賞したのは初めてだ。
唱者(奏者)の嵯峨治彦さんと演奏後の懇親会でお話しするが、端正な容貌に加え非常に聡明で気さくな好青年でひのひのもファンになる。
帰宅して飲みながら夜遅く戯れ事で喉歌の練習をしてみるが、深夜、突然音が出るようになった。もう少し早くできるようになっていれば嵯峨さんから直接指導して貰えたのになぁ。共演の田中さん共々是非またお会いしたいものだ。

7/27/1999
ケアーマネージャーの試験が無事終わる。
いろいろなHPを見て解答を探し自己採点をするが、ナント非常に高い確率で満点、全問正解(受験免除問題は除く)の可能性がある。2週間真剣に頑張ったのでメッチャ嬉しい \(^o^)/
さあ、後は10月の歌舞伎に向けて全開だ。(^^)


5/14/1999
Pentium3-500MHzを買った(^^)。ノーマルのままでベースクロック112MHzの5倍速560MHzで動作しているが、392MHzの頃と比べるとはっきり速さが体感できる \(^o^)/
ということで今までのPen2-350はセカンドマシンへ。

5/09/1999
小豆島の紹介のページが開けなくなっていたらしいことに気づく(^_^;;;;;;;
当初全く原因が解らなかったが、年末にFTPソフトを切り替えたのが原因で、全角ファイル名が転送されていなかったことにようやく気づく。
とりあえず修正したけど、ここんとこさぼってるもんなぁ。

1/11/1999
プロバイダよりひのひののホームページの容量が12MBになったので(10MB迄無料)追加課金するとのメールが届く (T_T)
開設時にはまさか10MB越えるとは思ってもなかったけど、うちは画像ばっかだから容量食うもんなぁ。

1/3/1999
メインマシンのケースを5インチベイが4つあるミドルタワーに買い換える。値段は15000円、しかし帰ってみると今まで使っていたラックに入らないことが判明。仕方がないのでラックも買い換えることに・・・。これで広くなったので今までスペースの関係で拡張できなかった物が買い換えられるようになっちゃった。ああ、また金が(^_^;)

1/1/1999
明けましておめでとうございます。本年もどうぞ宜しくお願い致します。

10/18/1998
歌舞伎・祭り二連発とハードで楽しい一週間が過ぎ懸案のHPを更新。HPを作成していてつくづく有り難いなあと思う。だって世の中に歌舞伎を見たことのある人間は星の数程いても、歌舞伎をやったことのある奴なんて普通いないもんなぁ。
しかしそれはともかく、ひのひのは美人だなぁ(゚O゜)☆\(^^;)

10/16/1998
秋祭り終了。14日は港新町の人が足りないとのことでかり出され初めて土庄八幡の太鼓をかく。内海に生まれ育ったひのひのにはやはり勝手が違う。翌15日は内海の祭り、やはり馴れ育った地元の太鼓が一番。しかし体がボロボロ、祭りのはしごは止めましょう(^_^;)

10/11/1998
無事に昨日中山農村歌舞伎が終了、練習の成果もあって全員納得できる出来だったと思う (^ ^)    ビデオを見たら女形の部分で観客の「うわー、きれいやなー」と言っているのが入っている。家内より美人というのも嬉しいような悲しいような(゚O゜)☆\(^^;)
 上演中も観客ががやがやしたりせず真剣に見てもらえている手応えがあったが、終わっても見てくれた人に会うたび大変良かったと言っていただけて最高に嬉しい。一緒にやった仲間達お疲れさま!裏方の皆様本当にありがとうございました。
春日神社にお礼のお参りに家族連れで行った帰り獅子舞に偶然会う。追跡したらたまたま一年に一度不定期の愛宕神社への奉納だった。神様のお引き合わせか?いずれHPでも紹介しよう。

9/28/1998
昨日、日本一どでカボチャ大会が開催されました。しばらく更新をサボっていたHPもこれを機会に重い腰をやっと・・・。
この間にWindows98に変更したため、やはりトラブルが・・・。このHPを作っているMSのFrontPageですらエラーがでて更新できない羽目に、もっとも再インストールしたら動きましたけどね。
 さて、どでカボチャも今まではスタッフとしてコンピューターの入力・集計を一手に引き受けており、家族が来ても行事の間はほとんどをパソコンの前から離れられませんでした。そんなわけでイベントとして純粋に楽しんだことは全くなかったけど今年JCを卒業し、初めてお客さんとして参加してみると楽しいし、なにより「楽」。行事が終わったら「じゃあねー」と後片づけもせず家族と一緒に帰れるんだもん。でも・・・・・、後の打ち上げとか無いのもやっぱり寂しかったりする。

6/29/1998
丁度一年で満了になった2壁の記念OFFを大阪でおこないました。仕事やプライベートの都合でどうしても来れない人が多かったですが、2壁の仲間はやっぱり最高に楽しい連中だということを再確認(^^)
でも、岐阜OFFからもう一年も経っちゃったんだなぁ。

4/06/1998
PENTIUMUの350MHz版をついに購入。 取り敢えず外部75MHzの5倍速の375MHzで駆動してるけど速い速い(^^)

3/05/1998
余興歌舞伎に出演をきっかけに、ついに歌舞伎のページをトップに格上げしてコンテンツも大幅にボリュームアップ。このページは今後拡張される可能性は極めて大かも。逆に青年会議所は卒業したのでそのページはどでカボチャに名称を変更して小豆島の紹介へ格下げになる。それにしても歯の話は一体何時になるんじゃぁ(^_^;;;;;;
ひのひのはここんところ、歌舞伎漬けになってるかも。

2/20/1998
調子に乗ってHOMEとUPのGIFアニメ入れ歯バージョンを作ってみました。ちょっと趣味が悪いかなぁ(^_^;)

2/02/1998
アニメーションでUPDATEの表示を作ってみました。そこそこの出来かな?また他に作ってみようッと。

1/31/1998
先週、仕事をサボって大阪松竹座へ歌舞伎を見に行きました。お目当ては昼の部の二幕目の土屋主税、そうひのひののデビュー演目です。台本もかなり違っていましたが、プロの土屋主税にはさすがに感激。

12/14/1997
遅れに遅れていた、寒霞渓紅葉版をようやく追加する。日程の都合で撮影が最盛期より一週間ほど前だったので、全山紅葉ではなかったのが少し残念。でも雰囲気はおわかりいただけると思います。あと二十四の瞳映画村のコスモス満開も入れておきました。

11/23/1997
先日、高松で市川猿之助の公演があったので鑑賞に出かける。ようやく初めて観賞する本物の歌舞伎で(歌舞伎初体験が役者という人間も珍しいだろうなぁ)、演題は「義経千本桜2段目・碇知盛」と「奴道成寺」。さすがにプロのはいい。
で、思わず独り言、「これを僕たちが(農村歌舞伎で)やるのは無理だなぁ。」、気分はすっかり役者でした(^^)

10/23/1997
秋祭りのページがようやく完成。今回島内他所の祭りを観てそして比較して色々気付くことが多かったです。ある会で祭りについて語り合いましたが、自分のところが一番と、みんな熱い、熱い。

10/15/1997
10月10日に農村歌舞伎の公演が無事終了、本当に楽しかったです。
そのページをを小豆島の紹介に新設し、従来の観光案内の階層を一段おとし同列にしました。
また、今日は朝から秋祭りで忌みがかかって参加できないひのひのは、HP用の写真をとるため内海と富岡の祭りをはしごしました。疲れたぁ。

9/30/1997
第11回日本一どでカボチャ大会が、無事終了。青年会議所のページに写真を入れました。

9/26/1997
ひょんなことから小豆島池田町中山地区に江戸時代より続いている農村歌舞伎に端役で出演させてもらえることに。長台詞一つと一言台詞が3つだけだけれどもとっても楽しく練習させていただいています。
無事終了したら特設コーナーで報告します。

9/07/1997
夏休み期間中は、ろくなことがなかったなかったです。7月下旬に祖母が亡くなり喪主、納骨が終わったと思ったら今度は母方の祖母が・・・。それらの四十九日が明けないうちに今度は突然義父が・・・。
そんなこんなでHPも全く更新できませんでした。これから気分を一新してがんばります。

7/17/1997
リンクのページがメインフレームに表示され、再度ここに帰ってくるとエラーが出るのを修正しました。対処法を教えてくれた2壁仲間のちょびさんありがとう(^^)
あと、フレームの境界線を消してみました。ずいぶんすっきりした気がします。

7/16/1997
7月13日に参加した段ボールカヌーレースのページを特設で設けました(^o^)V
あと、E-MAILで御指摘いただいた微小貝の訂正とか、その他若干の修正を入れました。

7/10/1997
7月5、6日に2壁のオフを岐阜でしました。皆さん怪しい怪しい(^_^;)
特設コーナーとして岐阜オフの写真展をいれておきます。
今は毎晩、毎晩、段ボールカヌーの制作で泣きそう

7/9/1997
 ずっと延び延びになってもう7月、まだまだ不十分ですがいつまでたっても立ち上げられないので、とうとう見切り発車になってしまいました。

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ひのひのまことのプロフィール


略  歴;  昭和32年3月、香川県小豆島に生まれる。
        樋出歯科医院院長
        小豆郡歯科医師会会長
        東京歯科大学講師;歯学博士
        小豆島准看護学院講師        
        日本口腔インプラント学会専門医

趣  味;  パソコン、ラジコン飛行機、ロックバンド、スキー、飲酒(゚O゜)☆\(^^;)、最近は歌舞伎に興味

パソコン歴;    1981年に初代PC8001を買って爾来8801、9801シリーズ各種乗り換えてきた筋金入りのNECユーザーだった。1993年AT互換機をセカンドマシンに購入して 以来、互換機自作の魅力に取り憑かれ現在に至る。ただしスキルはそれなり^^;;;

家族;妻一人(当たり前)、娘2人
その他;ひのひのハンドル名の由来は右の「ひのひのまこと」のオリジナル・キャラクター(ロゴ?)です。

メインマシンの構成(1999年9月現在)
 マザーボード   AOpen AX4C-MAX2
 CPU       INTEL PENTIUM4 3.4G (FSB800)
 メモリ         PC3200DDRAM 1.5GB
 ビデオカード   RADEON9800pro
 HDD       SEAGATE ST3120028S
            
 SCSI       Tekram 315U
 サウンド      On bord 
 DVD       Plexter PX708A
 CDROM     PLEXTER  CDR PX-R412C
 MODEM     SUNTAC MS56KDF
  MO                    FUJITSU 640
 その他      PCMCIAスロット付き3.5inFDD
           THRUSTMASTER FCS & RUDDER PEDAL
 OS        WINDOWSXP

    

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