タイトル 発行年月 タイトル 発行年月
61 合併の日、飯野山登山 05.04 71 議会改革案、廃案へ 06.03
62 ジョウケンザウルス出現? 05.05 72 修正議案のてんまつ 06.03
63 チャイコフスキーはお好き? 05.06 73 ハクモクレンに憧れる 06.04
64 「孤宿の人」を読む 05.07 74 夜の美術館探訪 06.04
65 甲子園で太鼓をたたく 05.08 75 時代絵巻行列 06.05
66 芸術の秋、ルーブルに親しむ 05.09 76 バルトの楽園(がくえん) 06.07
67 遠くで汽笛を聞きながら 05.11 77 イスラエル・平和の歌声 06.08
68 一打入魂“新世界” 05.12 78 模型飛行機大会 06.09
69 美のクリスマスプレゼント 06.01 79 震災体験を聞く 06.10
70 大学にちなむ2冊の本 06.02 80 アグネス・チャン講演会 06.11
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月刊エッセー。市内あちこちで感じたままに・・・

61回 合併の日、飯野山登山

 

 3月22日。1市2町の合併という佳き日に、わたしは飯野山に初めて登頂しました。
 日本百名山というのを皆さんご存知でしょうか。その新バージョン、新・日本百名山のひとつに、飯野山が選定されたことを記念し、この日、頂上で記念碑の除幕イベントが行われました。ご案内をいただいて、私も登頂に参加させていただきました。
 標高422メートル。その山道を歩いてみると、常日頃に平地から見上げる、いつもの飯野山とは異なる表情が待ってくれていました。頂上まで、ぐるりと周囲を展望しながらの登山コース。飯山町が見え、坂出市が見え、やがて人々が賑やかに集う頂きの広場へ。あいにくその時、にわかにすさまじい吹き降りもようとなり、記念碑の除幕式も雨の中。選定者である岩崎先生のあいさつに続き、関係者や子どもたちの手で白布が除かれました。
 実はその数日前、友人から「あの頂上はせっかくの眺めのはずなのに、樹木に覆われて視界が悪く、山登りの達成感がない。なんとかならないか」という話を聞きました。「行ったことがない」では話も進みませんので、そんな背景からも、今回のイベントに関心がありました。頂上広場のあのレイアウトでは、私が簡単に想像していた「展望台でも作ったら?」という思いつきは、なかなか実現困難に思えました。時折、登山口に大型バスが停まっているのを見ます。地元の方々には毎日登山を楽しんでいるという方もたくさんおられるし、こうして遠方からも、バス仕立てで飯野山に登る方も出てきました。このたびの合併のシンボルとも言える飯野山であり、これは真剣に取り組んでみなければ、と考えています。
 さて、除幕式も無事終了。参加者がそれぞれに記念の石を碑の周りに積み上げて、いそいそと下山を始めました。初対面の方とも気軽に会話を交わしながら、昨秋の台風でかなり痛んで、まだ復旧途中という山道を、慣れない足取りで下りていきます。
 「あの山は何というのでしょう?」この讃岐富士を何分の一かに縮小コピーしたような、これまた美しい姿で春霞の中に浮かんでいる小さな山が飯山町の南の方角に見えます。「あれは羽床富士です」ああなるほど。雨が小止みになり、はるかな讃岐山脈のそのまたかなたに、平地からは見ることのできない四国山地の冠雪した山が威風堂々とそびえているのが望めました。
 手前の小さな羽床富士と、遠くそびえる白く輝く大きな峰。このコントラストは、ここ讃岐富士ならではの眺めと言えるかも知れません。「讃岐七富士」といって狭い県下に7つもの、「富士」と名のつく山があるそうですが、それは形の上での形容であり、それぞれがそんなに威容を誇っているというわけではありません。山から下りて考えたことがあります。ひとつは、「富士より立派な山もある」ということ、そしてもうひとつは、「高みに登れば、平地で見えないものも見える」ということです。
 合併で誕生した新丸亀市。11万人の市民の幸福を誰がどのように実現するのかそれを日夜考える日々ですが、まさしく、まちづくりに「これでいい」という終着点はなく、もっと上を、と、向上しつづける意欲を燃やすこと。そしてはるかな丸亀の未来を見渡せる、そんな視野を自分も培うこと。これが目下の、自分に課したいテーマです。
 飯山町は桃の故郷。お聞きしたところでは眼下の小山は季節になると桃の花で全山ピンク一色に染まるそうです。桃源郷、という言葉がありますが、市民が暮らしの中でまさしく「丸亀は桃源郷」と満足してくれるようなまちづくりにいそしみたい。そのために、まずは自ら、明日の方向を指し示すことのできる高みへと自分を高める、登頂作業に挑んでまいりたい。

 

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62回 ジョウケンザウルス出現?

 

 城乾小学校に待望の屋内運動場が完成。5月18日、落成式が行われました。
 本校舎が近代的な、今の姿を現したのは6年前。これが小学校? と聞いてみたくなるような斬新なデザインで市民を驚かせましたが、その脇で、ややみすぼらしく見えていた旧体育館も姿を消して、城乾小学校の風景はまったく新しいものになってしまいました。
 実をいうと私もこの学校が母校。35年以上も前の私の記憶には、木造の講堂があり、給食の調理棟があり、また隣接する神社との境界の塀は傾きひび割れ、隙間があって、体育館の裏側は何やらうっそうとしてじめじめした印象があり、休み時間にはヘビやとかげと遊んだ、そんな思い出が残っています。
 もっとも、故郷を久方ぶりに訪れたような感慨があるわけでもありません。3月の卒業式に間に合うようなスケジュールで建設は進み、既にその姿は表通りから見えていましたし、また議会の中でも、ひとつの小学校体育館としてよりも、緊急物資を備蓄する機能の方が脚光を浴びており、昨秋相次いだ台風来襲で、その完成が待ちわびられていたという経緯があります。案の定、翌日の新聞記事を見ると、大見出しは「地域の防災拠点が完成」とありました。まさに今日的な市民のニーズを一手に引き受ける施設。主役はあくまで児童でありながら、夜には地域の大人たちも集ってスポーツに親しむでしょうし、またいざという時には、ここに毛布が敷き詰められるのかも知れません。さらに本校舎に備えている音楽ホールなどはもともと市民に開放されることを前提に設計されていることを考えあわせれば、この学校が地域住民の交流の拠点として今後さらに使命を果たしてくれることを願わずにいられません。
 お決まりの、「バレーコートなら2面、バドミントンなら3面」といった説明はそこそこに、毛布328枚、簡易トイレ260個、といった数字が新聞記事に並んでいるのもこの体育館ならでは。その意味では城乾小学校、これからは市内全域から注目されることにもなるのでしょうか。
 さて、式典では校長先生のお話や祝辞に続いて、一同に会した全児童が立ち上がり、体育館落成「歓びの詩」というのを披露してくれました。
 平成16年、あの暑い夏の日、体育館の工事は始まった一節、一節をリレーで暗誦しながら、時には全員で声を揃えて、また「エーデルワイス」の演奏も織りこんで、完成の歓びが綴られていきます。
 ねえねえ、みんな、なんに見えるかな?
 さながら子どもたちの、おしゃべりのように、詩は進みます。
 たいいくかんは、ジャンボなくじらグレーのからだは、でっかいカバいやいや、あれはジャンボフェリー楽しい語らいが微笑ましく、中でも「たいいくかんは、大きな恐竜」というのが、ことさら私には気に入りました。
 名前は、ジョウケンザウルスさ
 なるほど。さっそく愛称が決定しましたか。それならいっそ、本校舎やプールにも、愛称を考えてみてはどうかな? レイアウトをうまく利用し、体育館の側面には本校舎に向かって板張りのステージもあります。藤井学園体操部のメンバーが披露する模範演技にも大きな歓声。夢が広がる、いい落成式となりました。各校とも老朽化と耐震性が心配されている中、ちょっとうらやましい城乾小学校の姿。
 やさしい恐竜ジョウケンザウルスのお腹の中で、豊かな子どもの未来が作り出されますように。

 

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63回 チャイコフスキーはお好き?

 

 城乾小学校に待望の屋内運動場が完成。5月18日、落成式が行われました。
 本校舎が近代的な、今の姿を現したのは6年前。これが小学校? と聞いてみたくなるような斬新なデザインで市民を驚かせましたが、その脇で、ややみすぼらしく見えていた旧体育館も姿を消して、城乾小学校の風景はまったく新しいものになってしまいました。
 実をいうと私もこの学校が母校。35年以上も前の私の記憶には、木造の講堂があり、給食の調理棟があり、また隣接する神社との境界の塀は傾きひび割れ、隙間があって、体育館の裏側は何やらうっそうとしてじめじめした印象があり、休み時間にはヘビやとかげと遊んだ、そんな思い出が残っています。
 もっとも、故郷を久方ぶりに訪れたような感慨があるわけでもありません。3月の卒業式に間に合うようなスケジュールで建設は進み、既にその姿は表通りから見えていましたし、また議会の中でも、ひとつの小学校体育館としてよりも、緊急物資を備蓄する機能の方が脚光を浴びており、昨秋相次いだ台風来襲で、その完成が待ちわびられていたという経緯があります。案の定、翌日の新聞記事を見ると、大見出しは「地域の防災拠点が完成」とありました。まさに今日的な市民のニーズを一手に引き受ける施設。主役はあくまで児童でありながら、夜には地域の大人たちも集ってスポーツに親しむでしょうし、またいざという時には、ここに毛布が敷き詰められるのかも知れません。さらに本校舎に備えている音楽ホールなどはもともと市民に開放されることを前提に設計されていることを考えあわせれば、この学校が地域住民の交流の拠点として今後さらに使命を果たしてくれることを願わずにいられません。
 お決まりの、「バレーコートなら2面、バドミントンなら3面」といった説明はそこそこに、毛布328枚、簡易トイレ260個、といった数字が新聞記事に並んでいるのもこの体育館ならでは。その意味では城乾小学校、これからは市内全域から注目されることにもなるのでしょうか。
 さて、式典では校長先生のお話や祝辞に続いて、一同に会した全児童が立ち上がり、体育館落成「歓びの詩」というのを披露してくれました。
 平成16年、あの暑い夏の日、体育館の工事は始まった一節、一節をリレーで暗誦しながら、時には全員で声を揃えて、また「エーデルワイス」の演奏も織りこんで、完成の歓びが綴られていきます。
 ねえねえ、みんな、なんに見えるかな?
 さながら子どもたちの、おしゃべりのように、詩は進みます。
 たいいくかんは、ジャンボなくじらグレーのからだは、でっかいカバいやいや、あれはジャンボフェリー楽しい語らいが微笑ましく、中でも「たいいくかんは、大きな恐竜」というのが、ことさら私には気に入りました。
 名前は、ジョウケンザウルスさ
 なるほど。さっそく愛称が決定しましたか。それならいっそ、本校舎やプールにも、愛称を考えてみてはどうかな? レイアウトをうまく利用し、体育館の側面には本校舎に向かって板張りのステージもあります。藤井学園体操部のメンバーが披露する模範演技にも大きな歓声。夢が広がる、いい落成式となりました。各校とも老朽化と耐震性が心配されている中、ちょっとうらやましい城乾小学校の姿。
 やさしい恐竜ジョウケンザウルスのお腹の中で、豊かな子どもの未来が作り出されますように。

 

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64回 「孤宿の人」を読む

 

 「孤宿(こしゅく)の人」。宮部みゆき著。いまベストセラーで、書店のいちばん目立つ所に「横積み」されています。
 先日ある会合で県知事がこのことに言及、「丸亀藩を舞台にした物語で、できればこれがドラマ化されるなど、丸亀市や香川県の観光やまちおこしに結びついてくれれば」とのコメントでした。「遅れてはならん」と、さっそく購入、上下2巻をその夜から2日がかり、一気に読みました。
 動機が不純、と言われるかもしれませんが、ミステリーファンでもなくこの著者も私には「初モノ」であり、しかも新刊に興味がない、そんな私がこの本に挑んだ動機は、やはり「丸亀のためになんか役立たないか」というもの。何の前知識もなく読み進めながら、「丸海藩」はあくまで創作であり、舞台設定も「お城の近くになだらかな山はないなあ」とか「ここに登場する地場産業は、まあ塩田やうちわじゃ小説にならないから変えたのか」とかこれ以上書くとこれから読む方に申し訳ないのでやめますが、直接に丸亀の史実と結びつけて考えるのはあきらめなくてはならない、そう考えるうち、ストーリーの面白さに次第に引き込まれ、最後のクライマックス、哀しく静かな結末まで、心を動かされながら読み終えました。
 丸亀を、こんなに呪われた町として描かれてはたまらない、そんな思いを超えて、著者の力量、女流作家ならではの温かなまなざし、ストーリー構成の見事さはさすがであり、「海うさぎ」という表現に象徴されるように、ミステリーの中に清浄で詩的な要素をからめて、読後感はずいぶんと重厚なものとなりました。
 巻末に短い「あとがき」が添えられていて、「宇佐(主人公のひとり)が仰ぐ青い空、ほう(同)が見渡す青い海を描くとき、わたくしの心にはいつも、丸亀の景色が浮かんでおりました」と結ばれています。「丸亀をこんな、雷と怨霊だらけの町に描いてしまって」という私の「呪い」?の気持ちはここで消え、宇佐やほうたちに注いだ著者の愛情あふれる視線が、私たちが常日頃眺める瀬戸の光景に溶けて、明日から、あの海を眺める私の心持ちもちょっと変わるのかと思います。恐ろしいストーリー展開の後味に、こんなやさしい心が残るのは、不思議な感じです。最後を盛り上げた大騒乱はさながらカミュの「ペスト」を想起させ、そういえば、その災いの終焉に、やはり静寂な人間愛が残された、そのことを思います。
 さて、「私らしい」ことを書きましょう。災難続きで生活も脅かされる漁民が「お殿さんなんかどうでもいい、生活が大事だ」という意味のつぶやきをするくだりがありました。庶民がいわば「政治不信」「政権交代」に言及する場面です。
 時代と制度は異なりますが、今、「お殿さん」は「市長」であり、先日のごみ有料化をめぐる議論で、私もまた市民の生活を司る立場をいただいているということを、今さらながら痛感しました。のん気な言い方で申し訳ありませんが、この作品に触れ、市民にあいそをつかされ、知らずしらずに市民に災いを及ぼしている、そんな自分にもなりかねないことが身にしみて感じられました。
 油蝉がしきりと鳴く。どの森のどの木立にいるか、とんと見当もつかない。茂三郎の過去も、こうして遠く近く鳴く一匹の油蝉と同じくらい、とらえどころのないものだ。(上巻P330)
 私もいま、自宅の庭の蝉時雨の中でこれを書いています。こんなにやかましいのに、姿を見つけるのはむずかしい。市民の声を蝉の声に喩えては失礼ながら、私もこれに耳を覆うことなく、難の後に幸いを呼ぶ、「善政」を導く議員の一翼を担いたい、そんな思いを抱いています。

 

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65回 甲子園で太鼓をたたく

 

 夏の高校野球。今年は県予選一回戦で母校が破れたため、関心も早くから薄れてしまっていました。
 「いま、決勝戦をやっていますよ」との声につられて、延長にもつれたあの寒川高対丸亀城西の試合を、わたしは9回くらいからテレビで見守ったのです。
 劇的な勝利の瞬間。最後の打者はファーストに突っ込み、アウトに。飛びあがり、抱きついて喜ぶナインを背景に、起きあがることもできない、つっぷしたままの走者が大写しになり、私に焼きつきました。その後の画像も勝った城西より負けた側の方が印象に残るものでした。しかしともあれ、わが丸亀勢が甲子園へ。いっしょにテレビの前にいた誰かが、「合併の年の、いい記念になる」とつぶやきました。
 その後思いがけず、楽団からの応援要請が来ました。新丸亀市誕生の年に、そうだ、選手たちがくれたチャンス。わたしも応援団の一員として、ぜひとも参加させてもらおう。
 組み合わせ抽選の結果、わが城西はチームとして最後の登場。そして皮肉に、対戦相手は鳴門工。四国対決となってしまいました。こうして12日、早朝から集合して応援バスを連ね、甲子園に向かったのです。
 現在、城西高校の吹奏楽部員は20名余。そこにそのOBやわれら市民吹奏楽団が加わり、約60名の楽団。といっても楽譜は当日所見。往きの車中で各自に楽譜が配られ、アルプススタンドでいきなりの演奏。打者それぞれにテーマソングがあり、そしてイニングごとに組み立てがあり、もちろん、ヒットが出ればすぐに、例のテーマを演奏します。
 席のレイアウトは、常と異なりわれらパーカッションが最前列。フェンスからいちばん近い所で試合が見れるわけですが、攻撃ともなれば試合を見守るどころではありません。県大会決勝戦をテレビで見た、あのときの方がよほど臨場感があるわけで、選手の表情はどうなのか、どんな技が展開されているのか、ここからは知るよしもありません。
 前半戦はまったくの投手戦。毎回のように、わがチームはランナーを許していたようですが、それでも投手力とそつない守備で前半を守り抜きました。だいたいここまでで、こちらも演奏のパターンを理解。打楽器以外を吹いている人たちはやはり楽譜に目が行きますが、こちらパーカッションは、隣に並ぶ現役メンバーたちとリズムが狂わないようにだけ配慮しながら、後半は試合を見守る余裕もできてきました。
 しかし、中盤から投手が攻略され始め、初ヒットはまさかのソロホームラン。
 声援も、また演奏もいや増していきますが、しかしスコアボードには敵方に得点が重なるばかり。
 終盤の攻撃は、初球を打って取られるというケースが目立ち、打者ごとのテーマソングが間に合わないありさま。あれよという間に回は進んで、一矢報いることもならぬまま、試合終了のサイレンとなりました。県大会と異なり、次の試合の応援団との入れ替えが、まだ相手方の校歌の演奏の中なのにむごく始まり、まるで追い立てられるように、楽器を撤収するのはみじめでした。
 夜、テレビで試合の模様を振り返り、そこでようやく「負けたんだ」との実感が。
 それにしても、甲子園は巨大な舞台。私にとって生まれて初めて、そして次はいつとも知れない、その舞台がわたしにドラムをたたくという思い出までくれました。
 いっしょに頑張り、いっしょに負ける。
 球児たちが私の年齢になったときに、彼らは自分の記憶の中で、スタンドからの笛や太鼓を、なつかしく思い出してくれるかも知れません。

 

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66回 芸術の秋、ルーブルに親しむ

 

 すっかり秋めきました。
 8月8日、あれよあれよで国会解散、9月11日は投票日。一方丸亀市の9月議会が1日から開会、21日に閉会となりました。心配された台風もここまでは直撃を免れ、からっぽになった水がめを満杯にしてくれました。まもなく9月も終わり。ほっとする気分で、いよいよ芸術の秋、到来です。
 ずいぶん前に、テレビ番組で「ルーブルの名宝100選」というのを録画して、そのままにしてありました。6時間もの長大な番組で、観ようという気持ちになかなかなりませんでしたが、ここ数日に分けて、ようやく観終えることができました。
 100点にもわたる作品を、ただ単調に解説していくのではなく、王家の物語や画家のエピソード、そして各界の有名人が「お気に入り」の作品を紹介するなど、凝りに凝った長時間のルーブル鑑賞。例えばオリンピックの金メダリストは、そのメダルに刻まれた羽根の生えた女神の像から、あの有名な「ニケ」の話題を提供していく、という具合に。またルーブルのあちこちに刻まれた「N」の秘密をミステリー調で探訪。かつてルーブルは、かのナポレオンによって市民に開放され、一時は「ナポレオン美術館」と呼ばれていたことを明かしていきます。
 さて、去る7月に横浜に行った折、たまたま横浜美術館でルーブル展が開催されていて、わずかの時間でしたが、鑑賞する機会に恵まれました。
 展覧会を訪れたときには、ほぼ必ず、図録を買ってしまうのですが、今回も分厚く重たいのを買って帰りました。ここのところ、私の習慣として、細かい解説まで徹底的に読んでしまわないと、書棚にしまわないということになっています。これまた6時間の番組以上に、腰をすえて扉を開く気持ちにならなかったのですが、芸術の秋、今開かずしていつ読むか、と腹を決め、いま黙々と挑戦しているところです。
 絵画は、とりたてて解説を読んだり歴史に造詣がなくても、作品を見て好きになれば、それはそれでいいわけですし、悲しいことに、読んだものは読んだ先から忘れてしまうこの年齢。それでも、右ページに展開された作品にちらちらと目をやりながら左ページの解説を読み進めると、なるほどその作品が一層よく理解できるというものです。
 横浜の美術館に来ていたルーブル展での目玉作品はアングルの「トルコ風呂」。オリエントの世界に1度も足を運んだことのないアングルが、この作品を描くまでの東洋へのあこがれという時代背景や、アングルという画家の他の作品との比較や位置付けを確認しながら、横浜で見た、そしてテレビ番組で観た、同じ作品をこうして再度鑑賞していくと、なにかこう、自分も同時代を旅したような、親しみの湧く作品として記憶に刻まれていきます。美術に親しむ秘訣は、何といっても、「何回も出会う」ことでしょう。
 さて、丸亀市には「猪熊美術館」があります。公立の美術館がどことも、経営の困難さに直面している昨今ですが、時代は「指定管理者制度」導入の時を迎え、さらにこれから将来の同美術館の行方が注目されています。
 横浜から持ち帰った図録の解説中に、こんな一節がありました。
 「(ルーブルは)外国人を呼び寄せ、彼らの注目を集めることによって、枯渇した財政を再建し、為替収支を回復し、ほとんど壊滅状態のわが国の商業活動を再開させることが美術館の目的として明記された」(同美術館絵画部部長の解説より)
 よその美術館を訪問するにつけ、私はやはり、ミモカのこれからの経営を考えないではいられません。財政逼迫の丸亀市が、「腹の足しにもならない」と揶揄される芸術の殿堂をばっさり切り捨てていくのか、それとも、まちおこしの起爆剤としていけるのか。
 芸術の秋を堪能しながら、そしてルーブルの世界にひたりながら、市民の生活を豊かにという願いに、ふと立ち帰るのです。

 

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67回 遠くで汽笛を聞きながら

 

 私のようなにわか仕立てのSLマニアも含んで、沿線はファンでひしめいていました。
10月末の3日間、讃岐路を蒸気機関車が快走。初日の金曜日、天気も良かったので、午前9時、私もさぬき塩屋の駅付近でその雄姿を待ちました。
 その数日前から、予行演習なのか、あの独特の汽笛を何度か耳にしていました。市役所の廊下を歩いていてふと、あれ? 空耳かなと疑ったこともありましたが、あれもたぶんそうだったのでしょう。ある日には、猪熊美術館前で信号待ちしていると、頭上で強烈なあの汽笛が空間いっぱいに広がりました。
 車窓には美術館の近代的な建築、そして眼前は高架の丸亀駅。その高架の上を、煙を吐きながらゆっくりと、SLが走り出したではありませんか。
 なんという光景か。
 そんなこんなで、SLを待ち受ける心も高まり、そしてさぬき塩屋の駅。遠鳴りのする汽笛が丸亀駅の方からとどろくと、こちらの心臓までが蒸気機関のように高鳴ります。見えた見えた。それからはあっという間のシャッターチャンスなのですが、地響きを立てて間際を走り抜ける、あの瞬間に体が震えます。
 主人公はあくまでSLですが、やはりカメラマンの意図はその前景や背景にSLをどう収めるかが腕の見せどころ。逆光になる北側の道にあえて立ったのは、その黒々とした車体がむしろ強調されるのではと考えたから。それはそれでよかったのですが、背景がいまひとつ、納得できません。そこで今度は多度津で折り返してくる上り便を、場所を移動して待ち構えることにしました。
 こんどは中津町付近。金倉川を前景に、鉄橋を渡るシーンを構想。下見のあと、時間がありましたから用を済ませて再び来て見ると、川のこちらにも、向こう側に広がる畑にも、三脚を立てたファンがたくさん集まり、ひたすら多度津方向を伺っています。
 そしていよいよやって来ました。晴天の秋空の下、蒸気機関車にまだ似つかわしい、古い橋脚の金倉川に架かる鉄橋の上に、機関車は3両の客車を率いて轟音と共に走りこんできました。
 そこだけ、そしてその瞬間だけ、時間がタイムスリップしたようなひととき。汽笛と蒸気の余韻を残して、機関車は一気に走り去ってしまいました。
 SLが走った3日間には、雨の日もありました。
 地元のまつりの準備を手伝って雨の中で作業をしていたときも、そして「うちだ新聞」を配っていた夕刻にも、あの思い出のような汽笛の音が市内のどこにいてもこだましてきました。
 私は幼少時代を駅近く、新町、福島町で育ちましたから、あの石炭の匂い、地鳴りの迫力、遠くから線路をカタンカタンと乾いた音で鳴らしながらリズミカルに近づいてくるあのテンポは、何かとても親しく、そしてなつかしいものです。
 かつて、アリスというバンドが、表題のタイトルの曲を流行させました。SLの「現役時代」にはそう考えたこともなかったですが、あの音は何と遠くに鳴り響き、また心の奥深くまで届く音色をしているのでしょうか。そしてどうして、人はあれに郷愁のようなものを呼び覚まされるのでしょう。
 SLを初めて、お母さんに連れられて見に来た子どもは別として、人はそれぞれに、胸の中に遠い汽笛と響きあう、哀歓と、耳の感性を持ち合わせているのかも知れません。
 姿を消してしまったものたちへの、はるかな懐かしみかも知れません。
 せっかく走らせてくれたSLでしたが、わたしの構えたデジガメは、いつも胸ポケットに入れてじゃまにならないよう、薄さを追求して買い求めた物ですから、ズーム機能もなく、作品?はやはりそれなりのものでした。しかしまあ、これで大賞をねらうわけでもありませんから、いい記念に、アルバム、といってもパソコン上のフォルダの中に、しまっておこうと思います。

 

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68回 一打入魂“新世界”

 

 今年の市民吹奏楽団定期演奏会にも、たくさんのご来場ありがとうございました。
 今年は前半にドボルザークの交響曲「新世界から」全曲を持って来ました。
 「えーっ、45分の間に、シンバルたった一発なんですかあ?」
 「そう。それをボクがやるんです」
 いつの頃だったのか、もうすっかり忘れるほどの大昔、フランキー堺が主人公を演じて、この「一発」をめぐるテレビ番組があったのを、どういうわけか今でも覚えています。それがまた、見事にその一発をはずしてしまう、というドラマの筋書きでした。その記憶が、「ぜひその役をわたしに!」と、自ら申し出る動機となって、今回わたしが担当させてもらったのです。だってなかなか、こういうチャンスはありませんもの。
 演奏会では、前半第一部はいつもフォーマルな曲なので蝶ネクタイ。後半第二部はポップス、映画音楽などでジャンパー姿というのがお決まりのスタイルです。わたしは今回、その「一発」だけのために、蝶ネクタイ姿で登場となりました。
 問題の「一発」は、第四楽章の半ばで出てきます。第一楽章からステージに出ていてもよかったのですが、まさしくそのテレビドラマのように、ついうとうとして失敗してもいけないし、今回わたしは第三楽章からそっとステージに上がりました。
 通常シンバルといえば、曲の盛り上がりのところでジャーーンと、すごく目立った存在をイメージしますが、ここではさにあらず、曲が静まっていくところで、楽譜の指示はmf(メゾフォルテ)、そんなに小さな音でという指示でもありませんが心理的に、静まりゆく場面では心なしか、mp(メゾピアノ)くらいに遠慮しないと、指揮者から叱られそうな気がするものです。
 ほかの、フルに演奏しているメンバーたちからは怒られそうですが、待機しているその時間も、それなりに緊張するものなんだというのが、今回の得がたい体験です。観客席から聴いているならば、いつも耳慣れているオーケストラ版の演奏と異なる吹奏楽での全曲演奏も、まためずらしい響きで、興味が湧いたのではないかと思います。でも、じいーっと出番を待ちながら舞台のそでで待機しながら聴き入る心境はまた、独特のものでした。
 「新世界から」といえばクラシックの中でも超がつくほどの有名な曲。もう聞き飽きたという方もいらっしゃるでしょうが、ここはオーケストラでなく吹奏楽団での演奏。弦楽器の微妙な情感の表現力には、吹奏楽器はちょっと及ばないかも知れませんが、だからこそ挑戦のしがいもあるというもの。舞台に出ると、わたしの前にはクラリネットの一群がいて、いつものヴァイオリンのパートを懸命に奏しています。メンバーたちは懸命に練習し、本番では今朝、最終リハーサルでも見せなかったような力量を発揮していたと、わたしは打楽器の席で聴き入りながら、わが楽団ながら大したものだと感服していました。だれもが馴染んでいる曲だけに、失敗が許されない。その心配を、演奏は立派に覆してくれていたと思います。
 遠いアメリカに渡ったドボルザークが、祖国を想いながら作曲したといわれるこの交響曲。
 演奏者でありながら、しかもじっくり聴き込めたという、ちょっとぜいたくな立場をもらえた今回の演奏会。それにしてもどうしてここにあえて一発、作曲家はシンバルの音色が欲しかったのか。興味がまた湧いてきて、クラシックにこれから一層親しめそうな、そんな経験をさせてもらいました。

 

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69回 美のクリスマスプレゼント

 

 倉敷の美観地区を中心に、夜間イルミネーションが点灯。これを記念して6回にわたる連続講演会のイベントが組まれました。
 たまたま丸亀駅の構内でこのチラシが目に止まり、その3回目に大原美術館館長、かつては国立西洋美術館の館長も勤められた、高階秀爾氏が登壇されると読んで、私は色めきました。
 以前から録り溜めていたNHK-BSの番組「ルーブル名宝百選」というのがあり、これを観たのがつい最近。そしてここに出演されていたのが、この高階先生だったのです。
 さらに、この冬12月の定例市議会で、私は18年4月から指定管理者制度が導入され、この先の運営が心配される猪熊弦一郎現代美術館について一般質問。その資料を勉強している中で、去る11月に氏が国の審議会に対して、国立の博物館などの民営化で芸術文化が後退することを憂える文書を提出したことを知り、また審議会からの回答も含めて、私は自分の質問の中で紹介させていただきました。
 そんな矢先の、この講演会。時は12月23日。クリスマスを控えて、講演のタイトルも「美のクリスマス・プレゼント」。副題は「受胎告知から復活まで」。魅力ある企画ではありませんか。
 イルミネーション点灯とからめて、市内5つの文化施設のフリーパス、そして講演と、ディナーをセットにした企画。私は当日、朝から倉敷入りして、しっかりこの企画を楽しもうと思いましたが、あいにく用事も入り、夕刻ようやく講演会に間に合ったことでした。
 講演の内容はもう、タメイキもの。かの、大原美術館の「看板」とも評されるエル・グレコの「受胎告知」の作品を目の当たりにしながら、そして照明が消されてスライドを映しながら、氏の解説はよどむことなく、それはもう肩のこらない、流麗でわかりやすい解説ながら、その内容の奥深さに「感嘆」「驚嘆」の一語に尽きる内容でした。講演が終わり、拍手の中で、私の周辺の方たちも連れ合いとしきりとうなづきながら、目で「すごかったね」との会話をしているのがわかります。
 その後のディナーにも大満足。照明に浮かび上がった堀端や、アイビースクエアの広場のたたずまいを満喫しながら、惜しむようにして、帰りの電車に乗りました。
 さて、わたしにはこの講演会に臨む、もうひとつの「下心」がありました。
 先に述べたように、いま私たちのイノクマ美術館も運営の危機。その相談役もされていると聞く高階先生になんとか直訴するチャンスがあれば、そして何らか、アドバイスいただけることでもあればとの思惑だったのです。
 講演会場に駆け込んですぐ、傍らに、出番を待たれるご本人が立っておられるのを目にしました。あつかましいのは重々承知で、私は名刺を差し出し、本番前のとんでもない時刻でしたが、あいさつをさせていただきました。さらに、講演の興奮もさめやらぬ、再度「受胎告知」の作品をあらためて鑑賞したあとに、まだいらっしゃる先生にまた近づいて、私たちの「状況」をお伝えさせていただきました。
 講演を聴講して得た感動。やはり、美は、芸術は人間を豊かにするし、丸亀市民にも大きな貢献をもたらしてくれる、その確信と、また最高のものを求めていくということには絶対に値打ちがある、そんな先生への敬愛の気持ちが、これを書いている今も心を去りません。のみならず、倉敷市が企てたこの観光戦略。これにまんまと私も乗せられたわけで、このテを使わずにいるものか、との私の意欲も駆り立てられてまいります。
 次なる機会に、ぜひとも先生に丸亀へお出ましいただきたい・・・。帰りの車中、心の中にそんな空想が広がっていました。美は、関心ある者のための道楽にはとどまらない。必ずやこの感動、この歓びを丸亀市民と分かち合いたい、それが新春への、私の決意となりました。

 

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70回 大学にちなむ2冊の本

 

  偶然のことでしたが、最近2冊の、大学にかかわる本を読みました。
 1冊めは、うちのご近所に住まれる、玉井正明・香川短期大学教授、同就職進学部長のことを書いた「一人の学生も泣かさない」という本(前垣和義著、美巧社刊)。
 いわゆる「大学全入」時代となりましたが、大学を卒業しても就職を決められない、または決める気がない学生は少なくなく、高校から進学先を決めるのに、大学卒業後の就職率が大きな関心事となっています。大学は自ら学問するところなのだから就職のことは自己責任、と言ってしまえばそれまでですが、本人、そして親御さんにしてみたら、大学はまた就職という次の目標への1ステップとも言え、就職への面倒見がいいのに越したことはありません。玉井先生は就職進学部長(就職だけでなく大学院などへの進学のお世話も含むからこの名前となっています)として10年、何とこの短大の就職率で連続100%を維持し続けているという驚嘆すべき記録の保持者。この本は、玉井先生にさまざまな角度からスポットを当て、ギネスもののこの記録達成の陰にはどんな苦労と、先生のお人柄があるのかに迫った書です。
 実は私も受験生をもつ父親。一浪した長男が昨年無事進学を決めて上京、続いて今春は次男の番で、都合3年、我が家は受験生のいる家庭をやりました。先日なんとか次男も合格通知を手にできてやれやれ。先日もある雑誌の特集記事で「力のある大学ランキング」というのが目に止まりました。大学の力をどんな基準でランク付けるのか。そこにはやはり、「就職力」というものもひとつのカテゴリーとして掲げられていました。
 大学全入、という言葉はそのまま大学の生き残りをかけた生存競争の時代を意味します。思えば私たち議員の仕事も、市民一人ひとりの声を聴きながら、その解決に務めて最後には、それがまちづくりや政策実現となっていくというプロセスですが、玉井先生もまた一人ひとりの学生の未来に心を砕き、その集積として、この驚くべき記録の樹立を導き出しています。書には先生の幼少時代からのエピソードもちりばめられ、特に、丸亀を舞台にした映画「なつかしき笛や太鼓」の熱血「トレパン先生」のモデルその人であったということなどを知り、このように素晴らしい先生が香川に、しかも私のすぐ身近におられることに感激でした。
 さてもう一冊は今一世を風靡しているヒット本、「生協の白石さん」。
 その舞台となっているのは東京農工大。実は昨年、長男がここに進学しています。
 生協の売り場に「こんなものを揃えてください」という要望などを書くコーナーには、今や生協の職員でこのコーナーを担当している白石さんを慕って、恋の悩みや生活にまつわるさまざまな投稿、中にはちょっとおふざけなものまでが寄せられて、白石さんはそれらに悪びれもせず、軽妙洒脱に返答をしていきます。
 巻末に添えられた文章の中にも書かれていましたが、ここで大事なのは生協の売り上げより、白石さんが誠実に学生の声を「受け止めて」いること。本になり、今もインターネット上でその続編が毎日紹介されている白石さんの「名答弁」。多感な年代の、東京で暮らす若者たちの心を、そのように真摯に受け止めていくことが、今では大きな話題になるような時代なのでしょう。
 著作権に触れてもいけませんので、内容の紹介はここでは控えさせていただきますが、1時間あまりで読めてしまう本。皆さんも是非ご一読を。心がすっきり晴れる、いい読後感をお約束します。
 たまたま続けて読んだこの2冊の本。ふたつとも私には身近な「ご縁」のある本であり、そして両書ともに若者たちに注がれた慈愛と熱意にあふれたものでした。こういう誠意に甘えることなく、若者たちも応えてほしい。のみならず、私自身も自らの仕事の中で、先生たちのこの仕事ぶり、仕事にはじけるこの誠実さを学んで、一人の市民も泣かさない、「議会のウチダさん」を目指したいと思います。

 

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71回 議会改革案、廃案へ

 

 本日3月17日、議長が記者会見に臨みました。
 内容は市議会議員の報酬引き下げについて。先日来、市長から一般職員に至るまで、一定のカット案を今3月議会に上程したことを受け、市財政の緊急事態にかんがみ、議会としても意見交換を進め、このほど全議員の合意のもと、報酬の5%をカットすることにしたとの会見内容です。
 これに関する議論が展開される中、私ども公明党の2名は報酬カットとともに、この際、議会をより市民に開かれたものにしていくための議論や提言をしていく組織として「(仮称)議会のあり方検討委員会」の設置を求め、2月28日、議長に同提言書を議長室にて手渡し、同日すべての議員に写しを届けさせていただいておりました。全文はこのHPの「しごと館」に掲載しています。
 私どもにとってまことに残念なことに、この私たちの提案は真摯に会長会席上で議論に上ることさえなく、今回、カットの率のみが合意を見た形となりました。
 報酬カットは、時代の背景からいたしかたないもの、と考えればそれで一定の結着を見ます。私どもが考える議会への市民の「満足度」とは、「報酬額に比べて仕事をしていない、または仕事ぶりが伝わってこない」という市民のご不満を議会自らが真摯に受け止め、自ら改革することにより、「なるほど議会は給料に見合う仕事をしている」と、納得していただいてこそのものだと思います。今こそ、報酬カットとセットにして、議会改革に立ち上がるとき、と訴えたかったのです。
 本会議に傍聴に行っても、何か難しい言葉だらけで、結局「異議なーし」の声で終わってしまう、そんな声も頂戴しました。議会の決定に至るまでには本会議に上らせる以前に委員会ほかさまざまなプロセスがあり、またそれ以前に、個々の議員の発言の背景には、市民の皆様から頂戴する政務調査費を用いての視察や図書購入などを通じての意見形成のプロセスもあります。今回の「あり方検討会」提言では、議員各位がまずひとつのテーブルに集い、できるものを検討し、議長に提言していくグループ作りを示すものとしました。なお全国各地で、そうした取組みがすでにたくさんなされていることは、同提言書の末尾に例示してあります。
 残念ながら私どものこの提案は「一顧だに」されない結果となってしまいました。
 「腹立ちまぎれに」と、評されてもいたしかたありませんが、あえて私はここで市民の皆様に訴えさせていただきたいと存じます。
 「市政がよくならない」「市議会が何をやってるのかわからない」とのご不満をお持ちなら、市民の皆さん、どうかあなたが昨年の選挙で清き一票を投じられた、その方にそのことをぶつけてみていただけませんでしょうか。そしてこうもお尋ねになってください。「どうしてウチダらの案に反対したのか」と。
 委員会をテレビ中継する、市議会HPを開かれたものにする、議員が出張報告を市民に公表する、1年間の活動を市民に発表する、など、私たちは改革案をたくさん、準備しています。それらを議論に載せるテーブルすら、今回、否定されたのです。
 これからも、これに屈せず、開かれた議会を目指して活動を展開してまいります。
 市民の皆様のさらなるご注視、ご助言をよろしくお願いいたします。

 

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72回 修正議案のてんまつ

 

 3月議会最終日、こんなことがありました。
 昨年より、市民の皆さんの参画を得て「自治基本条例」策定へワークショップを開催。
 これを受けて策定委員会が審議を重ね、さらにそこで作り上げられた素案を市のHP上で発表、より多くの皆さんのご意見を伺う「パプリックコメント」も実施しました。こうしてできた原案がこのほど3月議会に上程。これに対し、共産党3名の議員から「修正案」が議員提案されました。
 議員にはもともと議案の提出権がありますが、実際にはなかなか行使されません。今回のように市から提出された議案の対案として出されるのはなんと20年ぶりとか。上述のように市民の皆さんのエネルギー、そしてお知恵がこれからの市政に反映されていく時代となり、同時に議会も活発に、自ら条例案を提出しようというのはいいことです。
 議案を提出するには、その前に「議会運営委員会」(議運)にかけます。3月17日に開催された議運に共産党が具体案を提示。その内容を吟味して、賛成討論、反対討論などの「筋書き」が決められていきます。
 私は、この修正案の内容に対して反対討論することを決意。市民本位の住民自治、ということを強調するあまり、修正案の中には住民投票を市民自らが執行することができるとしていることや、市民の原案がこの条例の順守義務を市と市民に課しているのに対し、修正案はそこから市民の義務をはずしていることなど、原案のほうが優れているという点や、せっかくの市民手作りの案をことさら修正する理由もないような部分などが見られたからです。
 反対討論に万全を期すため、「市民の案を議会か修正するにはそれなりの説得力ある理由が必要」との意見を述べたり、条文ごとに客観的なデータを交えて論破するなど、昨日まで準備を進め、本日を迎えたのです。
 今日はまずこれまでの常任委員会での審議結果を4人の委員長がそれぞれ報告。続いていよいよ共産党から提案がなされましたが、委員長報告の最中、確認のために修正案に目を通していてびっくり。先の議運で示された内容と、一部異なる部分が発見されたのです。
 このタイミングで私は手を挙げ、「議事進行」の発言。この趣旨を述べてしばらく休憩となりました。「議案がころころ変わられると、こちらは反対討論できません」と。
 議会としてもこのことを重視。再開後の冒頭で共産党会派会長から陳謝の弁。のみならずこの修正案に対する討論が取り上げられないこととなりました。
 このように決まってもう一度びっくり。私の反対討論もひっくるめてすべての討論が取り止めとなってしまったのです。
 私の、「満を持した」討論原稿は「幻の原稿」となりました。
 そこで私のHPに、その論旨を簡略に掲げさせていただいています。
 私が議運でも強調したのは「市民に納得していただける議会の判断と行動」。これからは市民がいよいよ積極的に市政に参画してくれる時代となります。議会が、それ以上の「品質」を持たなければなりません。
 「さすが議会はようやっとる!」とお褒めいただけるよう、これからも真剣勝負に挑みます。



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73回 ハクモクレンに憧れる

 

 4月7日は、香川県立香川丸亀養護学校の入学式でした。
 同校のPTA会長を仰せつかって早や3年。娘もこの春、高等部3年生となり、ここに学ぶのもあと1年となりました。
 入学式では来賓お祝いのことばとして、PTA会長があいさつをさせてもらいます。このシーズン、話題はどうしても「桜の花が」となりますので、今年はあえてハクモクレンの話をさせていただきました。
 桜にさきがけ、ハクモクレンが町のあちこちに一斉にほころび始めて、いよいよ春、との感慨を抱きます。私がことのほか見事と思うのは、柞原町にある三船病院の北側、Hさんのお宅の庭にある一本のハクモクレン。ほんの数日前には、さながら枯れ木のようなたたずまいだったのに、次に通りかかると、それはまばゆいばかりに、春の空に向かい、何百の白い花を開かせています。
 私の知るHさんは数年前に亡くなられました。市の連合自治会長を務められ、当時、夏の恒例行事であった「平和のつどい」の催しのなかで、氏は自らの戦争体験を語ったことがあり、私もそのお話に耳を澄ました思い出があります。その生々しい体験談は圧倒的で、お話の締めくくりに声を強めて、「戦争はしてはならない」とおっしゃられた、その声が私の耳に今も残っています。氏の亡きあとも、毎年こうしてハクモクレンが庭先に咲き乱れるのを眺めて、氏のことを偲ぶのがこの季節の私の決まりごととなっているのです。
 入学式のあいさつでは、私は目の前にいる新入生たちをハクモクレンになぞらえて語らせていただきました。新入生たちはまさしくあの純粋で無垢な白さに似つかわしく、冬の厳しさの中でもしっかりと大地からエネルギーを吸収し、立派に育ってほしいと願いを込めました。養護学校に入学するということは、皆それぞれに何らかのハンディを持ってここに集ったということであり、これからの時代は、社会や、誰かが手を差し伸べてくれるというわけにはいかない。だから子どもとともに親たちも早く親しい友達になり、連携をとりながら子どもといっしょに成長していこう、と訴えました。私の娘にも、誕生と同時に障害のあることがわかり、私も当時はうろたえ、目の前が暗くなる思いをしましたが、彼女が私に、それまで想像もしなかった今の人生観を持たせてくれました。障害を持つことにいつまでも暗くなっていても何も始まらず、子とともに、まさしく「チャレンジド」の人生を歩むことで、苦労する分だけ豊かで深い生き方が可能となるととらえています。
 尊敬していたHさんはすでにおられませんが、あの「戦争はしてはならない」との熱い一言を私に遺してくれました。いま、子どもからも多くを学ばせてもらっています。そして、自分が今度は誰かのために、お役に立たなければならぬ、そんなことどもを、私はあのハクモクレンを見上げるたびに、思うのです。
 「苦難が人生を豊かにする。だから、娘にも多くの苦難があるように」と綴ったのは作家の壇一雄。娘とは俳優の壇ふみ。そんな言葉をあいさつの中に織り込みましたが、それは実は、自分自身への覚悟の言葉でもあったのです。

 

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74回 夜の美術館探訪

 

 ミモカフレンズの会員に案内が来ました。
 夜、カフェミモカでドイツ料理をいただき、キュレーターの解説つきで特別鑑賞の催しを行うというものです。
 会費は3000円、ワンドリンクと鑑賞券つき。値段が高いか安いかは料理の中身にもよりますが、ともかくこうした「変わったこと」をやるとなれば、やはり「パス」はできないですね。定員20名で〆切りとあり、急いで予約をしておきました。
 夕方まで本格的な雨模様でしたが、夕暮れの駅前がきれいに水を打った状態になり、傘をたたんでいそいそとミモカに向かいました。
 展覧されているのは「ドイツ写真の現在」〜かわりゆく「現実」と向かい合うために〜と題された企画展。東京、京都の国立近代美術館とわれらが猪熊美術館、日本ではこの3ヶ所のみを巡る展覧会です。その「お値打ち」がなかなか市民に行きわたらないのが残念ですが、これはやはり、美術館に通う「クセ」がまず大事なんでしょうね。 
 さて注目のメインディッシュは「ザワークラウトの煮込み・ライ麦パン添え」。テレビのグルメ番組のようにうまく解説はできませんが、説明によると、キャベツを適度に発酵させた状態で煮込むのだとか。ジャガイモは長いほうからタテに二つ割り、ソーセージは切らずに長いそのまんまの姿です。見た目に美々しいわけではありませんが、つぶつぶに散りばめられているジンジャーが口の中ではじけると、素材と解け込み、一風変わった味わいで、喉を通ります。それを白いワインで流し込んだら、気分はドイツ・・・というわけです。
 外からの採光を工夫してある猪熊美術館。大きなガラス越しに眺める外の景色はすっかり夜のとばりがおりていて、いつもよりムーディな感じ。カフェから眺める滝にはライトアップが施されて幻想的。食卓は長い一列のテーブル仕立てで、すべての参加者とお話ができたわけではありませんでしたが、あちこちの展覧会や美術館の話に花が咲き、展示室に移った頃には打ち解けた仲間たちといった趣きになっていました。難解でちょっと近づきがたいようなドイツの写真芸術とも、ふだんの展覧会以上に「お近づき」になれたような気がします。美術に開眼、というのは大げさかも知れませんが、これまでも、いくつかの「近寄りがたい」現代アートにこの場所のおかげで接することができ、見知らぬ世界を臆せず楽しむ、そんな自分の流儀を持てたことを、この美術館に感謝しています。この夜また、そんな楽しい出会いのひとときを重ねることができました。 
 芸術は、目や耳を楽しませてくれるごちそう。しかし「食わず嫌い」の方も多いのではないでしょうか。ミモカとそのスタッフがこれからもこうしたチャンスを市民にプレゼントしてくださるよう、感謝を込めてお願いしておきたいと思います。

 

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75回 時代絵巻行列

 

 晴天に恵まれた今年のお城まつり。お出かけになりましたか?
 恒例の時代絵巻。毎年各小学校が輪番で担当しており、今年は城西小学校が当番でした。
 コミュニティを挙げて準備に取り組み、予算も限られた中、40数枚の幟(のぼり)は一枚一枚PTAのメンバーの手作り。また大名が参勤交代で用いる「御座船」もコミュニティの方々が分業して立派に「製作」しました。設計する人絵を描く人、搬送のための車輪に至るまで、それぞれ皆さん、知恵と工夫を持ち寄っていました。  
 本番前々日には学校でリハーサル。運動場で幟を持ち、一定間隔でゆっくりと歩みを進める練習。5、6年生から希望者を募り、109名の小学生たちが行列の主人公を務めます。
 前日にはコミュニティセンターで製作した御座船を小学校まで移送しました。
 いよいよ当日。朝9時に集合すると、子供たちのメイキャップはすでに始まっており、体育館はいつにないムードで大賑わい。  
 午後1時、パレードがスタート。大手門でスタンバイし、2時にはわれらの時代絵巻の行列が始まりました。練習を重ねた児童自らのアナウンスを聞きながら、子どもたちは神妙な表情で次々と本部席前を通過。丸亀藩歴代の殿様はもちろん、歴史に名を残す丸亀ゆかりの人物たちが続々。単に時代物の衣装に扮したというだけでなく、井上通女など、ふるさとの歴史に輝く人々のことを学ぶ、いい機会ともなりました。
 行列は富屋町に入り、浜町から通町へ、そして市役所西側にと進みます。子どもたちの後には御座船、丸亀城の山車が引かれ、さらに城西名物、3つのだんじりチームが続き、行列をしながらそのだんじり上では獅子舞が休むことなく演じられて、アーケードの天井に届きそうなその激しいパフォーマンスは観客のどよめきを呼んでいました。  
 昨年までは、私は主にパレードに楽団で出演したり、お城村の「愛の広場」が持ち場だったりでこの「時代絵巻」を見ることもあまりありませんでした。小学校を順次輪番ということで、およそ10年に一度しか巡ってこないチャンスであり、学校やコミュニティの皆さんは準備に大わらわでしたが、私にとっては普段とちがう、お城まつりの楽しみ方ができました。まつりには様々な「顔」があります。全国からの集客を増やすためには「目玉」となるイベントも考えなければならず、また一方で、この時代絵巻のように、地元の子どもたちを主人公にした心温まるイベントも欠かせません。これまで長年続いた5月第3週末の開催日をゴールデンウィークに変更したことでの賛否もあります。市民すべての満足をかなえることはむずかしいことだと思いますが、さまざまな試みをしながら、まつりが回を重ねて充実してくれることをみんな望んでいます。
 たまたま議会の委員会で、今年、私はまつりも所轄のひとつである都市経済委員会に所属しました。今回のまつりの反省が、この委員会の仕事始めとなりそうです。広くご意見、感想を聞きながら、来年のまつりに活かしたいと思います。

 
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76回 バルトの楽園(がくえん)

 

 妻といっしょに映画を観に行くのは何年ぶり?
 こんな事態も予測はしておりましたが、案の定。妻にからかわれました。「よう泣いとったね」と。
 ある人は「暗かった」といい、ある人は「面白くなかった」といい、またある人は「もうひとひねり工夫がほしかった」といいました。それぞれなんだなあと思います。
 俘虜収容所の所長の人徳が残した美談。ただこれだけで映画の概要は語り尽くせます。
 そこに、所長の人徳の背景となる会津若松藩が維新でなめた苦杯が織り込まれ、「日本人を憎めない」と叫んで死んだ敵兵が残した愛娘、混血の娘が父を探して収容所を訪ねてくるエピソード、所長の家の小使いもまた子を戦争で失い、敵国を憎んでいるという状況、そして何よりも、戦争終結で収容所を去ることとなった俘虜たちが日本で初めて、ここ徳島は坂東の俘虜収容所でベートーヴェンの「第九」を演奏するという最大の場面を盛り込んで、この作品は成り立っています。
 わかりきったストーリーのこの作品に、それでも涙が止まらなかったのが、これこそ映画の妙味。ひとコマひとコマに誠実さを感じ、かわいらしさすら感じ、そして音楽のもたらすインパクトが、それをしっかりと支えていた、そんな印象を受けました。
 テレビで観るクラシック番組でよく見るようにソロ楽器やソロ奏者がクローズアップされるのはお決まりですが、ティンパニの白い皮面に戦場のリアルな画像が映し出される。また戦場で視力を失った兵士がときおり周到に準備されていて、音楽鑑賞の場面で「ああドイツが見える」と詠嘆させる場面。「第九」と「阿波踊り」のコラボレーション、などなど。それらの工夫は意表を衝いたものではないけれども、それぞれ心に沁みるものでありました。
 「第九を演奏すると言ったって、オーボエがない」。そのとき将校がオルガンの鍵盤をなぞり、「オルガンで代用すれば?」と一言。こうしたさまざまなドラマが紡がれ、最後は第九の大団円。思えばやはり、あの「第九」という曲への「思い入れ」の度合いによって、この映画への評価は変わってくるのかも知れません。
 ペンダントの愛娘を思い、日本兵に向かって発砲できなかった兵の心はどうであったか。ポーランド人でありながらドイツの兵隊たることを余儀なくされた兵の心は。そしてそもそも、人間が人間と戦うというその心は。描かれた一つ一つの人生に思いをいたせば、それは素直に悲しく重い、心をえぐる作品だったのではないかと思えます。そしてそこに、「苦難を突き抜けて歓喜へ」という楽聖の音楽が響きあうのです。
 折りしも、これを書いている今日、北朝鮮がミサイルを発射するということが起こりました。北朝鮮では、まだ今も、この映画の舞台さながらの国家意識なのでしょうか。
 この映画を観て、私は北朝鮮を軽くさげすむ気持ちにはなれません。
 人類はこのような愚行を繰り返してきたのであり、その呪縛から決して解放されたわけではない。いつでも戦争は起こりうる。平和ボケと言われるなかで「いつまで愚かなことを」と嗤うのは簡単だが、現に日本海の向こうからミサイルをつきつけられながら、私たちははかない平和を楽しんでいるかのようです。
 この映画は単に松江所長の人格と美談を語ったものではない、と、私には思えます。パンの焼き方から「第九」まで、人間はこれほどの英知を蓄えながら、また殺戮をする動物である。そのことに思いを致しつつ、人の営みのささやかさと偉大さを対比した、この作品は清らかで謙虚な、人間への警鐘の作品であったと思ったのです。
 愛らしく散りばめられた庶民の交流と営みの描写に、心からの共感を抱きつつ

 

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77回 イスラエル・平和の歌声

 

 7月19日、市民会館に来たイスラエル・エフロニ合唱団のコンサートを聴きました。
 少女たち(ボーイソプラノの男の子1名を含む)33名による天使の歌声。
 母国語で始まったときにはこれ、最後までお付き合いするの大変だ、という思いもありましたが、客席に心も次第に落ち着き、なじみの日本の歌曲が流れ始めると、もうすっかり合唱の世界に耽溺。そして終わり頃には「もう一度最初から聴いてみたいものだ」と思うようになり、お約束の、ロビーで販売のCDを買い求めることになるのでした。
 訪れたこともない、ことはもちろん、その歴史も文物も、なにかイメージの中であやふやしており、そしてやたらと戦火と紛争の絶えない、やっかいな国、それが私の中のイスラエルという国に持つ印象。不勉強でお恥ずかしいですが、遠く離れた国というだけでなく、イスラム、ユダヤ、キリスト教が複雑に交錯し、日本の国民にはその実態がまことにつかみにくい国といえるのではないでしょうか。
 さて、日本各地での公演日程を進めていく間に、彼女らの祖国では戦争が始まりました。
 無事に帰国の途につけるのか、との心配は必要ないのかも知れませんが、彼女らの中にはお父さんが戦地に赴いているという人も、もしかしたらいるのかも知れません。
 そんなことを心配し始めたら、ゆっくり音楽鑑賞どころではありませんが、ステージはそれを忘れさせるほど別の世界。さまざまに工夫を凝らし、立ち位置をゆっくりと変えながら、一曲また一曲、丁寧に歌い上げていきます。世界の子守唄では「五木の子守唄」も盛り込まれ、彼女らの懸命の日本語の発声で届くなじんだ日本の歌曲に、いまさらながら言葉の美しさ、旋律の清らかさに感嘆する始末。おお、ほんとうに美しい。歌とは、このように丁寧に唄うものなのだ。そうすればこんなにも感動するものなのだ。他の言語で唄われている見知らぬ曲の一つひとつもきっとそうなのにちがいない。低く、高く。弱く、強く。ガラス細工のように繊細なその仕上がりが、ほんとうにいとおしく感じられるのでした。
 聞きかじったヨーロッパのクラシックの中の宗教音楽と、似ていながらまたどこか異なる、まさに異国、というしかない不思議な響きの合唱曲。あるいはまたパーカッションの鼓のリズムも楽しげに、体を揺らしながら歌われるかわいらしい作品。そう、彼女らの祖国にも喜びや悲しみや、そして祈りがある。私など想像もできない複雑な民族の歴史の軋轢が、祈りを時に敵国への憎しみに変えるのか。日々の新聞では戦火の拡大が世界の着目するところとなり、身近にはガソリン代の高騰となって私たちの生活にも影響している。その、当の国を祖国とする少女らが、ここ日本の地方で歌声を披露している。
 ステージを去るときの彼女らはあどけなく客席に向け、めいめいに手を振っている。客席も拍手でそれに応える。ああ、これがほんとうに世界の縮図であってほしい、そんな深い感動の中で、ステージは終わっていきました。
 いま、これを書きながら再び、あの日買い求めたCDをかけ、一音一語、大切に歌われる彼女らの日本の歌曲にひたりながら、無垢の歌声、文化と芸術のこうした交流が、はるかに国家のエゴを超克していくことを願わずにはいられません。

 

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78回 模型飛行機大会

 

 今年で3回目となりました「全国模型飛行機大会」。まるがめ婆娑羅まつりの協賛行事として、土器川の運動公園で開催されています。今年も好天に恵まれ、青空に向かってたくさんの飛行機が飛ばされました。  
 NPO法人ELF(エルフ)丸亀主催。子どもたちの伸び伸びとした活動を支援しています。
 好天も好天、はっきり言って酷暑の炎天下。でも子どもたちは元気。いっしょに参加したお父さんお母さんも暑さを忘れ、滞空時間を競って無心の子ども心という表情でした。  
 競技は部門別に別れ、カラス飛行機や紙飛行機の部門もあり。
 ゴムの巻き具合、風の方向、翼のコンディションなど、みなそれぞれに懸命です。
 競技が終わると、アマチュアの紙飛行機クラブの方たちによる模範演技やエンジン付きグライダーのデモンストレーションもあり、私も、初めて見せていただき、驚きました。  
 このあとお楽しみ抽選会が行われ、私はその進行役を務めました。
 表彰式があり、実行委員長が最後の講評を。お話の中で、「飛行機を飛ばすのは、夢がありますね」と一言。私も半日、ほんとにその通りの思いで、無心にカメラを空に向けて過ごしました。
 子どももおとなも、空に向かって大きな期待を飛ばす。
 首尾よく気流に乗った飛行機は、信じられないくらい長い時間、空に滞在し、皆、どよめきながら見守ったり、追いかけたり。まさに夢いっぱいのひとときでした。
 二宮忠八がライト兄弟よりも早く、ここ丸亀で飛行機を飛ばしたことは有名。それにちなんだこの大会が、「全国」と冠した主催者の意欲を追い風に、ますます盛んになっていくように、私も協力させていただきます。

 

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79回 震災体験を聞く

 

 市職員研修会。「阪神・淡路大震災〜その体験を語る」という講演会に、職員のほかコミュニティ代表や議員にも案内をいただき、貴重な体験談を聞く機会に恵まれました。
 講師は同震災記念館「人と防災未来センター」で「語り部」を務める谷川三郎氏。氏は震災当時、芦屋市の建設部長。その立場から見た被災の実態が2時間にわたり、生々しく語られました。退職後、自ら名乗りを上げて、「語り部」という仕事に就いたのだそうです。
 このHPで、著作物からの引用をしたり、情報が売り物であるような種類の講演会の紹介をしたりするのは気が引けるのですが、たぶん、今回の講演内容をここに詳細に紹介することを、講師は喜んでくださると思い、このコーナーで取り上げさせていただきます。
 まず、地震発生から10日間のビデオ映像を。当時、テレビ報道は主に神戸で、隣接する芦屋市はあまり報道されなかったが、わずか10平方キロの市域に8万7千人が住む、純粋に住宅の町である芦屋市は民家の7割が全半壊という深刻な痛手を受けました。それを色塗りした真っ赤な地図が、ホワイトボードに。
 自宅から車で登庁しようとした失敗談。全国初の女性市長は主人の怪我を案じながらもジャージ姿で登庁。一足先に到着した助役が発生30分後には人材配置、救護所や遺体安置所、そして棺の手配までを指示。県庁に救援を求めようにも、当初県の登庁職員はわずか5名という惨状。市長は知り合いの近隣市長に電話をかけまくった。それに応えて続々と救援物資。しかしその仕分け場所に地下駐車場を決定したことから、後々大変なことになった失敗談
 当初の助役の指示により、氏は被災者の救出作業に従事。1日目、82人を瓦礫の中から救出したがそのうち生存者は60名。これが2日目には22人中5名。3日目には19人中、0名。結局市や消防や警察が救出したのは全体の2割に過ぎず、あとの8割は近所の人々の力であったことを強調。自主防災ということの重要さが語られました。
 市職員1100人の中には自身、即死した者もあり、参集率は42%。建設部以外のすべての職員は救援物資の対応に追われ、3日3晩の徹夜作業、ついには市長も仕分け作業に。男性はこんなとき無茶をして3日後に倒れる。女性はその点、粘り強い。
 計画上、避難場所ではない市役所などにもどんどん避難住民が押し寄せる。8万7千の市民のうち2万人が避難民に。図書館などは職員もいるが、学校体育館に職員が貼り付ける余裕がない。トイレの悲惨な状態。仮説トイレの手配。しかし汲み取りはどうする? 下水道普及率100%の芦屋市には、バキュームカーは1台もない
 避難所で市職員をどなりつける市民。講師は静かに言いました、「市民は、市役所職員に言うしかないんです」。が、よく聞けば、それは県外から応援に来た市役所職員であり、その時から、避難者はどならなくなった、というエピソードも。
 究極は遺体。市内の寺院はすべて全壊。火葬場も全壊のため、近隣自治体に運ぶしかなかった。自衛隊のヘリは遺体は積んでくれたが遺族は乗せてくれなかった
 とつとつと、時に悲しみで言葉を詰まらせながら語られていく震災の真実。
 会場には私語をささやく気配もなく、水を打ったような時間が流れました。
 後日、アンケートを取った結果、「一番困ったことは」の問いに
@トイレの水A水と食料B電話の不通と。「役に立ったものは」の問いには@懐中電灯A携帯ラジオBバケツや風呂の水、という結果が。
 市職員もコミュニティのリーダーたちも、こういう時のために自分はもちろん家族にもケガがないように、その心がけが大事、と氏。
 この研修会、参加者には限度があるのも無理からぬことですが、是非とも参加者は他の職員に内容を伝えていただきたいものだと思いました。そして何より、これからの政策課題として自主防災、そしてその基盤となるコミュニティ力の整備と充実が喫緊のものであることを改めて痛感しました。
 私自身、一昨年の台風で避難所を訪れ、そこに一台のラジオも置かれておらず、職員室と交渉した経験があります。
 備蓄、避難路、耐震対策も大切ですが、何より必要なのは「心の備蓄」。自治会加入率59%という数字は、心の無防備を語っています。まずここから、役所も市民も対策に取り組むべきではないでしょうか。

 

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80回 アグネス・チャン講演会

 

開会に間に合うように出かけましたが、市役所も隣の市営駐車場も満杯。車を置くので3分ほど遅刻してしまいましたが、案の定、市民会館の大ホールは満員の客。

およそ100分。こんなにもあっという間に、講演の時が過ぎてしまう感覚も久方ぶり。ひとことでどう表現したらいいか、考えましたが、それはまさしく「心洗われる」というのがピッタリ。

空席を探して腰を落ち着け、2分、3分…。その数分で、たちまち私はアグネスの語り口のとりこになってしまっていました。

締めくくりの段になって「暗い話ばかりになってしまいましたが」と言っていましたが、内容はまさにそのとおり。なのにちっとも暗くなく、むしろ清々しく帰途に着いた方が多かったはず。勇気をもらい、心洗われて、誰もが会場を出たはずです。

目が悪くて、「牛乳瓶の底のようなメガネをかけていた」という少女時代のことから話は始まりました。

6人きょうだいの4番目。二人の姉は美貌でタレントに、また頭脳優秀で香港大学を主席で卒業、という中、美貌にも頭脳にも恵まれなかった彼女が唯一、母親を独占するためにとった手段は「最長3週間」、お風呂に入らなかったこと。「クサイ」と言われてお母さんにお風呂に入れてもらえることが最高の幸せだったと。

中学生の時にボランティアに参加。ここから彼女の人生が定まっていきます。

自分のことだけしか考えていなかった自分が変わっていく。親にも見捨てられた目の見えない4歳の小さな子どもが「アグネスねえちゃん、クサイです」と。それで翌日お風呂に入ってから訪れると、その子はニオイに気づかずアグネスを見つけられない。「私よ」「お風呂に入って来てくれたの?」顔を触って感激する子ども。

この子たちに食べ物をあげるために、学校で歌を歌い「残り物」を皆からもらい、施設へ。そこから歌手の道が開け、やがてプロデビュー、そして日本へ。

「ひなげしの花」が大ヒットするもボランティアの志忘れがたく、カナダで勉強、さらにボランティアと両立した歌手の仕事へと、自ら困難な道を選ぶ。

理解あるプロデューサーとめぐりあい、やがて結婚。

エチオピアへ、スーダンへ、イラクへ。

そこでの目を覆うような惨状が、彼女の、澄んだ声で語られます。

イラクで仲良しになったその子は、生まれて一度も、温かい飲み物を飲んだことがないという。「なぜ?」「燃料がないから」「燃料? 地面の下にはたくさん石油があるでしょう」「なぜなのか、私たちが飲み物をあたためる燃料はないのです」…。

講演の途中、アグネスは持ち前の美しい歌声を披露しました。

その歌は「帰ってきた燕」という自作曲。そこにも悲しく、深い感動を呼ぶ物語があるのでした。

素直な語り口と美しい歌声、淡々と語られる現地での体験話に、包まれるように過ごした、講演のひととき。

自分のことばかり考えるひとは苦しい。ボランティアを通じて人のことを考えるようになり、エネルギーの出口ができた。それは出口を見つける魔法…。

彼女の言葉を私は必死でノートに書き取りました。小さな手帳のメモは10ページ分にもなりました。

講演を終えて花束を受け取り、おじぎをし、手を振りながらステージを後にする、その仕草までが誠実さに満ちていたような、そんな心洗われる講演会。

ここに書き留めたことをもう一度かみしめながら、私はそれを自分の心に書き写し、自分の与えられた場所で、アグネスの志と心の美しさを体現していきたい。聴いた言葉は忘れても、彼女の心は忘れられない、そんな講演会でありました。

講演者と主催者に、あらためてお礼を言いたいと思います。

 

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