見上げればいつも当たり前にそびえていた石垣。丸亀高校側、坤(ひつじさる)櫓の石垣が7月5日から続いた長雨、のちに「西日本豪雨」と記録された雨のために7日午後に崩落。無残な姿をさらしました。
 メールにより知らせを受け、豪雨見回りを切り上げて夕方、現地へ。心に言いようのない痛みを感じました。生きていて、こんな光景を目にしなければならないか。それほどのショックでした。



 崩落が心配され、春から対応の工事が始まった矢先。付近に住む方々はその大音響におののいたと聞きました。
 9月議会ではさまざまに対策について議論が展開されました。全庁的な対策組織の設置を提案する声もありましたが、この時点ではまだ、現在の3課の連携で、という態度でした。
 議会が終わってほどなく、10月8日には同石垣の角の部分が崩落。翌日未明にはこれによって自重を耐えられなくなった上部の「三の丸」石垣がもろくも崩れ去りました。「石垣が鳴いている」。付近の方は経験しないその不気味な音にただならぬ面持ちだったといいます。



 市ではこの崩落を機に、市長を長とする対策本部を設置。10月末には熊本城の状況を視察。11月5日には議員全員にこれまでの経緯や熊本の状況、これからの方針などが説明され、募金箱を各地に設置した旨、その他住民への周知策などの報告を受け、ひとまずは動き出したことを確認しました。
 文化財への災害復旧で、国の予算は通常、事業費の5割のルールですが、この事情にかんがみ、さらなる補助を求めて、これに先立つ10月23日、山本ひろし参議院議員と現地で7月崩落に続く2度めとなる現地視察のあと、空路上京。東京で市長らと合流、浮島智子文科副大臣に面会を求め、陳情を行いました。このことも功を奏し、翌日から始まった臨時国会で、補助率7割に相当する2億5千万円余が措置されることが決まりました。



 続いて12月定例会。ここでも各議員から、これにまつわるさまざまな質問と提言が。これらを受けて最終日、議会に「丸亀城復旧復興特別委員会」を設置。推挙いただき私が委員長を務めることとなりました。
 年内に初会合。市は東日本大震災で石垣などが被災した白河小峰城を視察したうえで、その報告、今後の総事業費、そして工期などの説明がなされました。熊本、小峰、いずれも地震によるもので、豪雨によるものとは異なりますが、これらを参考として、総事業費は30億円超、工期は5年と発表され、タイトながらこれからの応急工事、続いて本格復旧工事へのスケジュールが示されました。
 これを書いている1月中旬。この後は特別委員会として、月末に石垣に詳しい市民の研究家を議会に招き、レクチャーを開催することにしています。
 私は最新の「うちだ新聞」見出しに、こう書きました。

 築城千年へ今、“市役所”という石垣の修復を!

 江戸時代の築城から、石垣の技術として、現代でも当時をしのぐものはない、とされます。けれども文化財修復の大原則は「もとのままにする」こと。これがここからの悩ましい課題として横たわりますが、必ず克服していかねばなりません。そのためにまず、国との交渉、市民への周知、観光客へのサービス、そして何より市民が「私も一肌脱ごう」と乗り出してくれる戦略知略が必要、そう痛感しています。石垣はきっと見事に修復が叶う。それよりもこの機に、不落の市役所という石垣、市民との、ゆるぎなくすき間ない見事な石垣の構築が大事。そう確信します。
 これからの市民の皆さまのご協力、ご参加を心よりお願いいたします。



ちゃりんこdeパトロール
石垣復旧、丸亀「」興
第192回
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