自治基本条例・修正案への反対趣旨            060324


最初に〜この討論が未発表に終わったてんまつ〜

3月24日、3月定例市議会の最終日、共産党3名の議員が、今期議会に市側から提出されている
「自治基本条例」案に対し、独自の「修正案」を提出しました。

修正案提出の前提として、同17日に開催された議会運営委員会の席上にこのことが協議題として
のぼり、ここで提出されたものが確定した議案であるという前提で、委員会の了承となりました。

私は配布された修正議案を持ち帰り、つぶさに検討を加えた結果、これから述べるような理由で、
原案の方に賛成すべきと判断し、最終日には修正案反対の意見者として討論する準備を始めました。

こうして討論の準備も万全に整えて臨んだ最終日。
日程に従い、委員長報告が始まりました。議員各自の机上には、このあと上程されることとなる
くだんの「修正案」の印刷物があらかじめ配布されています。
私は「念のため」と思い、自分の準備している原稿と、ここに配布された議案とが整合しているか、
自席で確認をしてみました。

すると、あろうことか、原案第25条、修正案では26条の部分の修正箇所が、議運段階の原稿と異なり
すっかり抜け落ちているではありませんか。もちろん、私はこの修正第26条についても、討論の中で
意見を準備してあります。それが、もともと、なくなっているのです。
目を疑う、とはこのことです。しかも本会議はもう始まっています。

4人の各委員長が委員会報告をするのに、約70分を要しました。
ここで休憩が入ったのなら、わたしは自分の「発見」を議長なり、議会運営委員長に議場外で持ちかける
つもりでした。ところが、議事はそのまま進み、とうとう会派会長が修正案の「提案理由」を述べるところに
来てしまいました。

もう、やむを得ません。このまま進めば、次は私の反対討論なのですから、まちがいのある議案に対して
討論をしても、土台が崩れる可能性があるのです。
「議長、議事進行」と私は挙手し、発言許可を議長に求めました。
そして以上のような「発見」の事実と、「このままでは反対討論に進めない」旨を陳述しました。

議会は一旦休憩。事実関係を会派会長にも確認し、善後策を協議するため緊急に議会運営委員会が
開催されることとなりました。
内容はと言えばわずかひとつの語句です。
けれども「ちょっとだから許される」というものでないことは、お分かりのことと思います。
「協議したものと違うものを本会議に提出している」わけであり、議会運営委員会を軽視したと言わなければ
なりません。

このことが委員長からも厳しく追及され、結局、本会議再開冒頭で共産党会派会長の陳謝、さらにこれに
とどまらず、この案件にかかる一切の討論は行わない、という一種の懲罰措置が採られたのです。

実は、私も議会運営委員会の一員。各委員の意見が述べられていくなか、「それって、私も討論できない
っていうことですか?」と私は茫然。
「私がせっかく気負いこんで準備したのに」と訴えても多勢に無勢。それに、「このような事態を陳謝だけで
すませる前例は作るべきでない」とのある委員の発言は説得力がありました。

このような経緯により、再開後冒頭の会派会長陳謝で始まった午後の議会は、私の「出番」をすり抜け、
粛々と進んでいったのでした。

ここで、私は「せっかく準備したのにもったいないから」というような意図でなく、こうして市民が参画された
条例案策定の作業が、議会でどのように扱われたかをここに明らかにしておくこと、そしてこれからも
ますます盛んになるであろう市政への市民参画の盛り上がりのために、私ども議会もさらに一層精進
しなければならないとの思いを込めて、以下、私が準備した「反対討論」について、簡略にご紹介させて
いただくものです。


◎.総体的事項

 修正案提案理由によると、提案者は、原案作成のプロセスでの市民の意見が十分に反映されていないとのお考えのようである。

 私は、議会が、市民参画手法による議案の提案を、絶対にまげることはできない、と考えているわけではない。そこに明らかに、偏った市民の声が反映されているとか、理事者の手続きに重大な落ち度があるなど、理事者原案に瑕疵がある場合は、当然にわれわれは修正あるいは否決の態度をとることができる。もし、そうではなく手続き上、これまでのプロセスに落ち度がないならば、形式的には、それは原則として尊重されなければならないものである。

 また、これまで素案立案に携わってくださった市民、有識者、特に策定委員会委員各位がこの原案に不満を持っているということであれば、それは答申段階以前の問題であり、ご不満は委員会のテーブルでこそ議論されるべきであった。裁判所の判決にさえ、少数意見というものはある。しかしひとたび判決として確定したものは、少数意見をたとえ反映していないものであったとしても、それは裁判所としての決定とされる。ここに提出されたものが正式に答申がなされたものである以上、それは正当な市民の声であるという蓋然性を有しており、議会での修正は慎重を期さなくてはならない。

 一方、参画してくださった市民の側からすれば、「なんだ、せっかく我々が考えたのに、議会はそれを曲げるのか」との思いを抱くことにもなりかねず、市民参画の手法がいよいよこれから定着していこうという矢先、市民の参画意欲をそぐ心配もある。議会が修正を唱える以上、よほど市民に納得してもらえる説明をわれわれ議会のほうが準備しなければならない、と考える。

 これらの観点の上で、ここから実質的、逐条的に内容を検討してみたい。


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1 前文

 今述べたような考えからすると、前文を修正案のように全面修正する必要性はどこにも見当たらない。

少し積極的に述べさせてもらえば、まず修正案前文第2段落にある「自主的に自律性をもって」という言い回しは、通常国語的に用いない。ちなみにこのキーワードでインターネットの検索エンジンを使って調べたところ、通常の用語なら何十万件とヒットするところ、この言葉ではわずか2件のヒットしかない。ちなみに、「自主性・自律性」では37万9千ヒットとなるが、「自主的自律性」という用法をしているサイトは0件である。これはほんの一例に過ぎないが、このように、国語の表記的に練られていない個所が見受けられる。

 次に、原案、修正案ともに「次世代」という言葉が用いられているが、原案では、市民がこれまでに受け継いできたよきものを次世代に引き継ぐという、シンプルでよく整理された言い方になっているが、修正案では、先人たちの遺産を守ることの記述のあと、「次世代には、より高い理想と理念が織りなす地域づくりを実現し、伝えていくために」とあり、構文が複雑で、混乱している印象を受ける。

 さらにそれに続けて「普遍性、不可侵性、最高規範」という言葉が並べられている。まず「最高規範性」については修正案第33条でも明記されているところである。日本国憲法を参考にすると、たしかに第10章「最高法規」の章と憲法前文には同趣旨の内容が謳われている。しかし「最高法規」という語句は前文の中には出てこない。ここは立法技術、立法センスの問題として、全く同じ趣旨を同じ語句を用いて2度表記することは、避けるべきである。

 また、「普遍性、不可侵性」という語句については、この用語の持つニュアンスは、丸亀市の内外を問わず、現在のみならず未来永劫にわたって一切のものの上に立つ、という意味であり、そのような大それたものを作ってもらっては、私個人としても迷惑である。なによりもまず、修正案第34条に規定する「条例の見直し」の部分と真っ向から矛盾する。5年後には見直すというのに、どうして「不可侵」といえるのだろうか

 さらに、前文は、「市民の、市民による、市民のための丸亀市市民自治を宣言します」と締めくくられている。

 どこかの大統領が使われたそのセンテンスを、あえてここに、原案を修正してまでことさらに書き込む必要があるのか。また、条例なのであるから原案のとおり「自治基本条例を制定します」と締めくくるのが妥当だが、あえてこれを「市民自治を宣言します」と締めくくろうというのはどういう意図なのか。市民自治宣言なら、別の場所で、宣言なり市民憲章なりを考えてはいかがか。

2 第1条

 ここでは「市長」にかかる語としてあえて「市民の信託に基づく」市長等と書き加えられている。

 まるで、市民の信託に基づかない市長がいるような表現であるが、日本では、市長というのは市民の信託に基づいているものと前提されている。パリ・コンミューンの時代ならともかく、正当に選挙を経て市民により選出される市長に、「信託に基づく」市長と「そうでない」市長がいるかのように規定するのはいかがなものか。

 

3 第5条

 ここで修正案は、「市民が権利を濫用してはならない」との語句をあえて取り除こうとしている。

 しかし、この条例がいわゆる「まちの憲法」であることに鑑み、憲法第12条にならい、権利濫用の禁止は原案どおり、ここに明記するのがごく自然である。また原案第3項が掲げる市民の受ける行政サービスに対する負担の分任についての規定をあえて削除しようとしているが、修正案提出者は、ことさらに行政サービスをタダで受け取るつもりなのか。原案のほうが優れている。


4 第9条

 前述の第1条と同様である。

市長が「市民の信託」を得たものであることは自明。市長が「市民の信託に応える」こともまた自明。現職市長の働きぶりが実際に市民の信託に応えているかどうかは、別のところで議論すべき問題である。

5 第11条

 ここでは市職員の責務について、原案で「市民本位の立場に立ち」とあるのをあえて修正して、「常に市民が主権者であることを認識し」と書き直そうとしている。字句の内容としては何ら異なることのない内容を、ことさら言い換えようとする意図は、まるである時代劇の中で「葵のご紋」をかざして悪者をはいつくばらせようとしているあのシーンを連想させる。修正の必要を認めない。

6 第12条

 コミュニティ活動への「資金的援助」と「人的援助」を市長等に義務づけようとしている。

 私が先進各地の状況を学ぶとき、市民活動のあるべき姿は、市民が、市からの資金的、人的援助をなんら求めないで運営できる姿であると認識している。もちろんこれは理想の姿であり、現実には、さまざまな援助も必要である場合もある。しかしそのことをここで義務付け明文化することは、いつまでたっても市民のコミュニティ活動が市役所の「下請け」の域を出ないものになるのではないかとの危惧を抱かせる。

7 第14条(第5章の表題を含む)

 ここで修正案提出者は、「住民自治協議会」という、まったく原案にない概念を唐突に立てている。市民からの答申を根拠とする理事者原案を修正するにとどまらず、ここにこのように、まったく理解に苦しむ新しい概念を持ち込もうとすることにまず異議を唱えたい。

 ここに修正案提出者が言う「共同体意識の形成が可能な一定の地域において」とは一体何のことなのか。共同体意識とは何か。その形成が可能とはどういう意味か。一定の地域とは誰が決めるのか。この表記自体がすでにあいまいさに満ちているが、百歩譲っても、それは合併に際して国が制度として認めているいわゆる「地域協議会」のようなものをイメージしておられるのかと思う。

 その認識に立つならば、合併後すでに1年、今さら何の地域協議会なのかという思いを抱かざるを得ない。

8 第15条

 修正案では、原案の条見出し「情報の公開及び共有」というタイトルはそのままに、その本文のみ修正しようとした結果、この見出しに出る「共有」という言葉が、本文の中に見出せないという混乱を起こしている。

 この条を含む第6章のタイトルもまた「情報の共有」とされているにもかかわらず、である。

 立法技術上、一般に、本文中に記述のない語句を見出しの中に用いることはあり得ない。もちろん、「目的」規定とか、「趣旨」規定などのように、形式的にその規定内容を示す見出しは別である。

 今や「情報公開」の時代を越えて「情報共有」の時代といわれる。条例が期待する時代認識、時代の要請として、原案の方がよほど先進的であることをここで申し上げておきたい。

9 第18条

 ここで修正案は、市の条例の制定改廃のすべてに市民を参画させよという内容を唱えている。

 現実にこのような規定を成立させれば行政運営に大混乱を招くことがわかっていながら、提出者はあえて市民におもねっているのかと疑いたくなる。

10 第20条

 ここでは住民投票の実施者について、原案で「市長」となっているところを「市民及び市長」と書き換えようとしている。

 住民投票を、市長のほか市民も実施できるとすることは、一体どういう事態を招くのか、修正案提出者はどういうありさまを想定しておられるのか、私には想像することもできない。

 試みに、すでに自治基本条例を制定している全国各地の例を、インターネットでのヒット順にここで紹介する。

 まず「市長は」と規定している市は、岸和田市、大和市、静岡市、多摩市、草加市、久喜市、伊賀市。次に「市は」と規定している市は、川崎市、富士見市、四日市市。ここまでで10市を調べたが、「市民及び市長は」と規定している市はない。失礼ながら、この段階で、調査は打ち切らせていただいた。

 住民投票で、投票するのは市民であり、それを実施するのは市や市長であるというこの自明のことを、どうしてことさら混乱させる必要があるのか。

11 第22条

 ここには二つの修正点があるが、まず自治推進委員会の設置目的の部分で、原案に「自治の進展を図ることを目的として」とあるのを「住民自治の充実を図ることを目的として」と修正しようとしている。提案理由に言うところの「住民自治」という語句へのこだわりであろうが、特段必要を感じない。

 次に、修正案第5項として、自治推進委員会委員の構成について、過半数を市民からの公募とすることが明記されようとしている。これは重要である。

 それにしても、行政をここまで疑ってかかり、そしてその指揮責任者である市長が市民から選出されるものであることを忘却しているかのようなこの想念は、なかなかにすさまじく、私などは到底共感することができない。

 委員の過半数に市民公募委員を確保させるその意図は、行政行為のすべてを、ことあらばことごとく否定できるということであり、自ら手を上げた少数の、選挙された人でない一握りの市民に、合法的に選挙され、権能を付与された市長や議員が執行する事務を阻止させる可能性さえある提案である。

 提案者はここにおいて、秩序正しく執行されようとしている民主主義のルールを、「市民」の名のもとにクーデターを起こさせ、すべての秩序を覆すことさえできる恐ろしい修正案を出そうとしておられることに気づかれるべきである。


12 第26条 (実際には提出されなかったので割愛)

13 第33条

 最高規範性を述べたところで、原案が「市民及び市は」この条例を順守しなければならないとあるところを、修正案は「市民」の語句をはずし、この条例の順守義務を「市」だけとしている。

 私は、ひとりの市民として、この条例を順守したいし、良識ある市民各位もそうお考えになることと思う。提案者の方々は、順守することからはずれたいのだろうか。それともはずれようとしている市民を擁護しようという意図だろうか。前向きで善良な市民に失礼な修正案なのではないかと感じる。

 ここで市民の順守義務をはずすのならば、この条例は自治基本条例でなく市役所基本条例とすべきである。この一点を取り上げてみても、提案者がこの条例制定の趣旨を根本的に理解しておられないことが浮き彫りになるのである。

14 第34条

 この条例の定期的見直しについて、それを行うのは市長だけでなく、市民も見直しを行うとしている。

 この条項のいわゆる「立法の趣旨」というものを、提案者はよくよくお考えいただきたい。この条項は、この条例を将来にわたり、時代により適合した内容として機能させるべく検討を加えることを、市民が市長に義務付ける趣旨のものであり、いわば修正案提出者がお望みであるまさしく「市民の勝利宣言」とも言える個所にほかならない。

 あたかも、コンピュータ上で「市長」という語句を文中で検索し、そこに「親の敵」のように「市民及び」という文言を付けることに神経をとがらせたようであるが、ここはその立法趣旨から見て、また立法センスから見て、まさしくこれこそ、「蛇足」であった。

 いっそのこと、条例の公布も、印刷も、税金の徴収もごみ収集も、すべて市民にお願いしてはいかがだろうか。

 

 結論として、この修正案には、不可能なことが書いてある。

 市民にとって口当たりのいい文言を連ねながら、結局市民を矛盾と混乱に陥れることになることに、おそらく提案者はお気づきになっていないのだと思う。言い換えれば、条例を立案する以前に、ご自分の書かれたことの意味することを読み解くことすらもできていないのではなかろうか。

 以上の理由により、修正案に対し、反対するものである。


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