うどん

香川県はまちがいなくうどんの里である。

僕は讃岐に生まれ、まだ たったの27年しかうどんを 食べていない。

が、小さい時から ぴっぴっ食べるんなぁと27年も食べてきているとも言える・・・。

しかし、真剣にうどんを愛するようになったのは、20才前後のことである。

その間にも、いろいろとバイブル的な本が たくさん出版され それに お世話にもなったが

つねに 疑問もいくつかは もっていた。その中でも一番の疑問は

なぜ そう 店鋪に対して順番や点数を、つけるのかということである。

僕は、基本的に店鋪に対して順番や点数などというものは 存在しない・・・。

なぜなら わかりやすいところで いけば 国道筋にいたるところにある店鋪で

たしかに まずいなぁと 自分が感じるところでも 毎日お客さんで いっぱいの店鋪は

山ほどある・・・なぜか・・・簡単である、そこに足を運ぶお客はそこのうどんが おいしいのである。

つまり 人間の味覚などというものは 1000人1000色で これというものは ないのではないか。

であれば 順番や点数などというものはまったく あてにならないものであると いえる。

僕は そういう うどんの評価基準よりも もっと 具体的、直感的な 判断基準を提案したい。

 

麺つうと自称する者に贈る

いろいろな 本が香川県いや讃岐をかけめぐるようになって 自称麺つうさんが 増えてきた。

僕は 軽々しく自分を麺つうとは いえない・・・なぜなら麺つうは すべてのうどんをうまいと

感じれなければ ならないと 思うからである。ところが 自称さんは 本で読んだ所にいって

あぁやっぱり うまい!!と いっているだけである。それは たしかに うまいのだろうが

たんに 自分の好きな味が みつかったというだけである ならば うどんつう 麺つうというより

うどん好き・・と言うべきである。そういう方々に いろいろな 味をだそうとがんばっている

いろいろな店鋪の方の努力を軽々しく まずいと 言っていただきたくないのである。

僕は すべてのうどんを おいしいと 言えるレベルには 達していない・・・まだまだである

しかし つねに 努力している 早く麺つうに なりたいから・・・。

 

讃岐うどんの王様たちに贈る

いろいろな店鋪が数えきれないほど 存在する讃岐・・・その中の王様的な味を出す

店鋪がいくつか本でも 紹介されるように たしかに 存在はする・・・。

しかし 王様になったがために 味をおとしてしまうのも 確かである・・・残念である。

しかし それは しかたがないことでは あるため お客ががまんするしかない・・・。

店鋪の問題ではないので いいたくはないが あえて 例をあげるならば

みなさん 御存じの山越。たしかに こしごっくん3系(gonshi造語)の王様である。

麺のこしが たんに、かたいのではなく かたいというラインぎりぎりのレベルで

抑えているが まぁそのために のどごしというものを 削ってはいるが・・・ 

まぁしかし それは まさしく「こし」である。そして 釜玉と言うジャンルを世に

おくりだした まさしく王様である・・・が その釜玉が お客の多さに対応するために

うどんをゆかぐための湯が つねに きれいな状態に保つことができず うどん鉢にいれた

釜あげうどんに こなっぽさというより ゆがき湯のドロドロが 付着して味を犯している。

これは 個人のこのみとか そう言う問題ではなく 失敗であるといえる。

しかし これを店鋪がわが わからないわけは 絶対ない。ならば 結局お客を

まわさなければいけない 現実に しかたがないと 目をつむっている部分といえる。

僕はこれを 改善してほしいとか そうは 思わない なぜなら 改善するということは

結果なかなか 口にできなくなるということに直結するからである・・・。

いうならば そんなに お客が集中する前に食することができなかった自分をせめたい・・・。

 

具体的、直感的 判断基準

ぐだぐだと のべては きましたが ここで gonshi的うどん判断基準を 紹介したいと思います。

 さぁ うえのバーをみていただきたい。つまり うどん自体の性質を数値化といえば

おおげさだが どういう性質のものかを 具体的に分かりやすく

そして 直感的にいいあらわせれるように したものである。

で これに 店鋪をあてはめることを gonshiするといいます。

 

説明しなから例として さきほどの 山越をgonshiしますと

まずは こしの表から説明しますと 0は どの表も無しとします。

1から5までの「こし」の範囲内が本当のこしをもったものと されます。

そして グラフの左に近づくごとに こしが なくなっていき 逆に右の方へ

近づくにつれ こしを通り過ぎたんなる かたいに ちかづいていくということです。

ということで 山越は どこに 位置するのでしょうか? あそこのは かたいですが

けっして こしを うしなっては いませんね。 ということで ギリギリの

こしは 「5のこし」 と言うことになります。よろしいでしょうか。

 

次に のどごしですが これも 1から5までが 最高の のどごしとなり「ひゅっ」と

表現します。そして 左に近づくにつれ のどごしが 感じられぬようになり

最後のビニールとなります。このビニールとは スーパーに売っているビニールに 入った

うどんのように のどごしも なにもないということです。そして 逆に 右に 近づくにつれ

飲み込みにくくなっていき さいごの よいしょは よいしょがいるぐらい のど越しの悪さ

ということになります。ということで 山越は どうなるかというと 限界ギリギリのこしを

追求するがゆえ やはり のどごしは 潰されています。と言うことで

のどごしは 「7のごっくん」 ということになります。

 

そして 最後のシチュエーションです。これは どういうことかというと

今日行こうと思ったうどんやまでの 道のりが わくわくするような場所にある場合に

数値がたかくなります。つまり 中村(兄)やがもうなどは 数値がたかいということに

なります。ということは 山越では どうでしょうか? たしかに 一般的にはわかりにくい

ところで 倉庫のようなみせがまえですが 中村(兄)ほど ではないですね。ということで

シチュエーションは 「3」となります。

 

そうして この3つの判断基準をつなげ 山越は

「こしごっくん3系」

と表現し 仲間に「内訳は?」ときかれると さらに こまかい

 「573」

やねぇって 答えることになります。

こうすることによって うどんのおいしいとこ つれてってと 言われた時に

相手に 「かたいんがすき?」とか 「どこのうどんやがすき?」ときくことにより

おなじ 系統のその人が好むうどんやが みつけることが できます。

 

で このgonshi式は 順番をつけても いないし 点数もつけていない。

ただ うどんの性質を数字化しているだけなのが わかっていただけると 思います。

 

参考までに 山越以外のgonshiも いくつか 掲載します。

とりあえず 有名店を gonshiしてみましょうか。

谷川 こしひゅ4 344

田村かたごっくん3 783

中村(兄)やわひゅ5 -135

中村(弟)こしひゅ-1 33-1

山内やわぐにゃ5 -2-15

山下(善)かたよい-2 89-2

 

 

どうですか gonshi式で たのしんでみてください。

以上です。 だいたい わかっていただきましたか?わからないですか?

ならば もっともっと うどんを 考えながらたべてもらわなければ いけませんね。

なんせ あなたも ぼくも 讃岐人なのですから。

 

 

 最後に・・・。

いろいろと 書いてきましたが あくまで これは うどんだけのことであります。

したがって だしとか しょうゆの質などは 分類にはいっていません。

讃岐に生まれうどんの とりことなり お腹がでてくる今日この頃ですが

これからも たべつづけるとは 思いますが けっして あきることは 無いと思います。

つねに うどんは 変化してますし 同じ店鋪でも 行く時間帯などで おおきく

味はかわっています。 そうですね 店鋪の本当の味を しるためには 最低3回は足を運ばねば

ならないでしょうし かまあげと水でしめたあとのと どちらも 味あわなければ なりませんね。

そして 前にも書きましたが 自分がまずいとおもっても けっして それが そのお店の評価には

ならないこと。 これは 讃岐人として これから わきまえていかねば なりませんね。

そして 最後に いっておきますが うどんたべるたびに こんなことを しゃべってたら

一緒に食べにいってくれる人が いなくなりますよ。 それでは 讃岐にうまれた方は今まで通り

そして 県外の方は 讃岐のうどんに興味をもってもらって香川に足をはこんでもらって

これからも うどんを 楽しく食べさして いただきましょうよ。

そして 各店鋪で 日夜がんばって おられる うどん打ちの方々に 感謝して・・・。

 

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