お彼岸の中日ですね。
当日のことは良く覚えています。
今の店舗は1998年に改装。
そしてまた、2008年6月〜7月にかけて改装。
開店翌年に奥の蔵部分増築、1998年、2008年としてきましたが、今回で後は何もしないでしょう。
開店当初、店内の壁に墨絵を書いていましたが改装時に殆どの壁絵を取り壊してしまい、 残ったのは薄汚れた座敷の襖絵と玄関先で雨風によじられ無残な姿になっているのと、最初個室だったのを 女子トイレに直したところにあるだけになりました。
この絵を描いたのは高知県の 山田勇氏だったかな?いまではその記憶も薄れてしまい申し訳ないです。
まだまだ工事中のお店で、玄関先はコンパネで塞いでいた状態の時来ました。
彼は深夜にお酒を2升呑み、缶ビールを一箱飲み、他人が居るときは書かず、人が居なくなった時に 描いていたようです。
流石に高知のイゴッソ、大酒飲みですね。
絵は各部屋にあり、大変チカラのこもった味のあるものと思います。
私はこの絵に勇気つけられ「これで話題性も充分、自分の力と合わせれば絶対イケル!」と思ったものです。
その絵もなんとか蘇らせる事が出来たのは8枚。
そのうちの4枚が玄関にあ ります。
1つは有間の皇子 の詩(うた)、
もう1つは 山上憶良の詩、
あとの2つ は李白の「夜坐吟」という 詩の後半部分が二つに分け て書かれています。
写真 を見てください。有間皇子 の詩です。

〔家にあれば 笥(け)に盛る飯(いひ) を草枕 旅にしあれば 椎 (しい)の葉に盛る〕(我 が家にいれば器に食べ物を 盛るのに,今は旅に出てい るので椎の葉に盛ってい る)万葉集に残されている 有間皇子の詩で、捕らわれ て紀の国に護送されるとき 詠んだとされているそうで す。
ただ器が違うと言うだ けの詩ではないですね。
有 間皇子が自身の死を何か予 感しているような、不安さ が感じられます。 次の写 真を見てください。
山上憶 良の詩です。

〔銀(しろか ね)も 金(くがね)も玉 も 何にせむに勝れる宝 子にしかめやも〕(金銀財 宝も子という宝に勝りはし ない)こちらも万葉集に残 されている詩で彼の子供へ の愛しさが詠われていま す。
1,400年もの時を越 えても、今も昔も変わらな い親心が伝わりますね。
こ の2つの万葉歌は漢字の表 す意味とは関係なく、漢字 の音や訓をかりて国語の音 を表記するのに用いた漢字 が使われています。(万葉 仮名)
最後に次の2枚の写真を 見てください。李白の「夜 坐吟」です。後半部分にし か書かれていないので、ま ず、詩の全文を紹介します。

冬夜夜寒覺夜長 沈吟久
坐坐北堂 氷合井泉月入閨
金工青凝照悲啼 金工滅
啼轉多 掩妾涙 聽君歌
歌有聲 妾有情情聲合
兩無違 一語不入意從君萬
曲粱塵飛

写真を見ると6行目から8 行目がかかれているのがわ かります。
〔私は涙を押し かくしあなたの歌を聴いて いるあなたは綺麗な声が有 り わたしは心に情が有る 情と声とは合わさってひと つになるものよ〕という部 分です。
李白については、 お酒・山・月を愛したとい うことですが、まだまだ勉 強不足でして詳しく書くこ とが出来ません。すいませ ん。
さきの憶良の詩ですが、 写真を見ると漢字を大き く、万葉仮名を小さく書い ています。これは「宣命書 (せんみょうがき)」と言 う書式で、天皇の命令を伝 える和文体(平安時代、主 に女性が平仮名を用いて書 いた物語・日記などの文体。
また、それにならった文 体。)の文書のことを言う そうです。反対に漢文体(文 章が漢文になっているこ と。また、漢文を訓読した 口調に倣った文体) の文 書は「詔書」というそうで す。 (二胡の先生に教わ りました)
残りの4枚は店内のどこ
かに飾ってあります。春夏
秋冬で絵も描かれています
ので見つけてみてください
ね。
