東西落語特選

目薬



 今は字が読めないという人はごく少なくなりました。明治以来の義務教育の成果で、日本は世界でも有数の文盲率の低い国なんだそうですな。でも昔は字が読めない人てぇものは、特にお職人のなかにはごく当たり前におりました。なまじ字が読めるばっかりに仲間内で受けがよくなかったりしまして。

  • なんだとよ、あのとめ公の野郎、字を書いたり読んだりするそうだぜ
  • あの野郎が? ぃやな野郎だなぁ...それであいつはあんなに仕事がマズイんだな
  • そればかりじゃねぇ、そろばんも弾くとよぉ
  • そろばんも!? あの野郎、しみったれだから。 そんなやつと付き合うな!
 なんて、ひどい云われようですな。そんな時分のお咄でございます。
亭主 おぅ、いま、けぇったぜ
女房 まぁ、大丈夫だったかい? お前さん、どっかで転びゃしなかったかい?
亭主 でぇじょうぶだよ。外ァまだ明るいじゃねぇか
女房 だって、お前さん...眼が...で、どうだった? 先生、なんて?
亭主 いやぁ、それがあいにくでな、先生、留守だったんだ。あぁ、弱っちゃったよ。なにせ、この通り眼がチカチカして、涙が出てしょうがねぇ。だから、横丁の生薬屋へ行ってな、「実は、眼がこの通りなんだけど、なにかよく効く薬はねぇかなぁ」ってな...
女房 で、どうだった? いい薬はあったのかい?
亭主 あぁ、「それなら、これをお使いなさいな。これならテキメンですよ」ってんで、へへっ、ちょっと高かったけどな、この粉薬をくれた
女房 へぇ、これがそう...あ、ほんとだ。立派な袋に入ってるよ。で、どうやって使うの? 使い方は聞いて来たんだろうネ?
亭主 その袋の裏ンところに効能書が書いてあるそうだ
女房 いや、そうじゃなくて、ちゃんと聞いて来たんだろうネ?
亭主 薬屋がな、「詳しくはこの効能書を読んで、お用いなさい」と、それしか云わねぇってぇのに、えぇ、こっちが何か聞いてみなよ、まるでおれが字が読めねぇように思われちゃぁ、癪に障るじゃぁねぇか、なぁ
女房 お前さん、字が読めたっけ?
亭主 読めねぇ
女房 だろう? どうするんだい?
亭主 へっ、べらぼうめ! こちとら、江戸っ子で職人で威勢がいいんでぇ! たかがカナ文字しゃねぇか、えぇ? ...な、何とかならあ...おれが読めねぇ字があったら、おめぇ、加勢しろよ
女房 やだよ、お前さん。亭主のお前さんが読めない字を、女房のあたしが読むわけにゃいかないじゃないか...
亭主 まぁ、いいやな。おう! その袋をこっちに貸してみな...えー、この、最初の字はてぇと、えーと...こ、こ...こ、こ、こ、こっ、ここっ、こっ...
女房 ニワトリだね、まるで
亭主 うるせぇ! 黙ってろ、気が散るじゃねぇか。こういうのは集中力ってのが大事なんだ。いいか、よく聞いてろよ...こ、こ、こ、ここここ、こ、こ、この...お、おぅ! おめぇ! 喜べ! わかったぜ!
女房 大きな声だねぇ...いったい何がわかったんだい?
亭主 あぁ、こりゃぁ、あれだな。はじめの二字は「こ」と「の」だってぇことよ。へへっ、ざまぁ見やがれ
女房 威張るほどのことじゃないよ。その先はなんてンだい?
亭主 えーと...こ、の、く、くす、くす、くすすっ、くすっ...
女房 なんだい、何か面白いことが書いてあるのかい?
亭主 うるせぇアマだ。笑ってんじゃねぇや、効能書を読んでんだろうが。こ、このーっ、く、す、り、はーっ...ってンだ!
女房 あらぁ、お前さん、偉いよ。で、で、その先にはなんて書いてあるんだい?
亭主 まあ、そう慌てるもんじゃねぇ。「慌てる乞食は貰いが少ない」って言葉があるだろぅ。えぇ、っと...み、み、みみ、みぃ、みぃみみみみーん...
女房 セミだよ、それじゃぁ...
亭主 いちいち横合いからチャチャ入れるんじゃないよ。気が散るじゃねぇか! 「み」がいっぺぇ書いてあるんだよ...み、み、か...き、に、い、つ、は、い、...ほ、と...と、くらぁ! どうでぇ! 弘法様だってこうトントンとは読めやしめぇ!
女房 読めるよ! すると何かい? 「みみかきにいっぱいほど」ってことンなるねぇ...
亭主 おぅおぅ、そうだ、そうだよ! へへっ、どんなもんでぇ!
女房 で、その先は?
亭主 あぁ、続きだな...えぇっと、えぇ...なんだ、この字は...なんか、どっかで見たような字だが、思い出せねぇ...さぁ、弱ったぞ。おめぇ、どうだ。心当たりねぇか?
女房 え? どの字だい?
亭主 ほら、こいつだよ。丸まっこくってよぉ、なんかウサギがうずくまって、耳がピンと立ってるような、この字...
女房 あー、お前さん!
亭主 わかったか!?
女房 こりゃぁ、あれ、ほら、お湯屋でいつも見てる字だよ。ほら、ノレンにさ、女湯の...
亭主 あっ、そうだよ。そうだ、それに違げぇねぇや。こりゃぁ、おめぇ、「女」だ! あとは大丈夫、馴染みの字ばっかりだから...女、し、り、に、つ、け、て、も、ち、う、へ、し...ど、どうだ!
女房 お前さん、見直したよッ!
  
 本当は、「めじり」の「め」の字だったんですがね、さて、これを「女」と勘違いしたから、話しがややこしくなって参りました...
  
亭主 するてぇと、何か...この薬は、「耳掻きに一杯ほど、女の尻につけて用うべし」てぇことンなるなぁ...おれの眼が悪いのに、女の尻につけて、どうなるんだ? 妙な薬だなぁ...
女房 ほんとに、変な薬だねぇ
亭主 まぁ、いいや。じゃ、出せよ!
女房 ...出せって...何を出すんだい?
亭主 決まってるじゃねぇか。おめぇの尻を出すんだよ
女房 や、やだよ、そんなの...昼間っから止しとくれよ...隣近所から、ナニしてるって思われるじゃないかァ
亭主思われたって構うもんか、えぇ、おめぇとおれとは夫婦(めおと)じゃねぇか。えぇ? 夫婦がてめぇのうちで何しようと、他人の知ったことじゃぁねぇや!
女房 なにも、あたしのじゃなくたって...
亭主 じゃぁどうするんでぇ。これから中へでも繰り込めってのか? 花魁にケツ捲くらせて、尻に薬つけんのか? そんなことぁできゃぁしめぇ!

おめぇのほかに付き合いのある女って云えば、田舎のお袋ぐれぇなもんだ。田舎ったって、越後だよ。この薬をケツにつけるために越後から七十過ぎのお袋呼べるかってんだ。

まぁ、聞け。おれの考げぇじゃぁ、「ケツめど」てぇ言葉があるくらいだから、人間のからだは頭に始まって、ケツが締めくくりンなってんだ。おれの眼が悪いだろ。するとおめぇがしんぺぇすらぁ。人間、心配するてぇと神経の中に毒ができるそうだ。その毒が身体ン中を下っていって、ケツに溜まって痔ンなる。だから、その反対にだなぁ、この薬をおめぇのケツにつけるだろ、するとケツに溜まった毒が消える、すると神経が直って、心配が直って、回りまわっておれの眼が治るってぇすんぽうだ。なぁ、そういうわけだから、出せ!
女房 そんな、なんべんもなんべんも「ケツ」「ケツ」って云わないでおくれよ、まったく恥ずかしいったらありゃしない...いやァ、いやだよ、この人ァ...ったく、こんなスケベな薬、買ってきて...
亭主 おれに文句を云わねぇで、苦情なら、薬ィ作った先生に云え! いいから、捲くれ! この野郎、まだ抵抗しやがるか...よーし、おめぇが捲くらねぇなら、おれが力づくで...
女房 キャァ、ちょっと...や、やめとくれよ、ヤダよ、表から見えるじゃないか...障子、閉めとくれよォ...
亭主 この野郎、鼻声なんぞ出しゃがって...よっ、と、ほら、障子閉めたぞ
女房 猫が見てる...
亭主 猫なんぞうっちゃっとけ! かまやぁしねぇから、パァッと行けィッ!
女房 しょうがないねぇ...清水様の舞台から飛び降りたつもりで出すから、向こうむいてておくれ...ほ、ほらっ...これでいいかい?
亭主 だめだ、だめだ、それじゃまだ大根が二本だ。もう三寸ばかり上げてみろ...ほーら、ペロリコシャン...へっへっへ...出しゃがったねぇ、えぇ、どうも...へぇーっ、考えてみると、もう一緒ンなって五年は経つが、おめぇのケツをこうやって、明るいところで、しみじみと、つくづくと、しげしげと、まじまじと、目の当たりに見るてぇのは、こりゃぁ、今日が始めてだ...いやぁ、コリャぁ、結構だねぇ...おぃ、しまうんじゃないよ。ちゃんと上げといてくれなきゃ困るじゃねぇか...へへっ、これからちょいちょい拝ませてもらわねぇとナ...

まさしく、つき立ての餅だねぇ...ちょっと叩いてみようかな...手に貼りついたりしねぇだろうな...(パッチン)...あぁ...ははは、こりゃぁいいや、プルプルと震えるじゃぁねぇか...いやぁ、うまそうだ。ちょっと食ってみようか...
女房 お前さん、ナニやってんだよォ...ンン、お尻が寒いじゃないかァ...やるンなら、早くしとくれよ
亭主 早く? おめぇもスキだねぇ...え? 違う? あぁ、そうだ。薬つけるんだった。忘れてた
女房 忘れないでおくれよ!
亭主 あぁ、わかった。お楽しみはその後だ。なんたって高い薬だからな。ええっと、それじゃぁ、さっそく治療に取り掛からせていただきます。えぇーと、女の尻につけて用うべし...てぇんだが、いってぇ、尻のどこにつけたらいいんだ? 「ケツめど」てぇくれぇだから、やっぱり、キュッと...なったところだろうなぁ...おい、おめぇ、もうちょぃと明るいところへ来い。えぇ? いや、スケベじゃないんだよ。いや、そういうところを見ようてぇ了見じゃなくて、どこにつけたらうまく行くかがわからねぇと、なんせ高い薬だ、無駄ンなっちゃつまらねぇ...そうそう、そこで、もうちょっと腰をグッと...そうだ、そうだ...あぁ、よく見えらぁ...おい、またそうやって...だめだよ。ケツをグッと突き出すんだよ。そのままだよ、じっとしてなよ...薬を包んでるこの紙をだなぁ、三角に折って、そのはじっこから薬の粉を...パラパラ、パラ...
女房 イャァ...く、くすぐったいよォ...
亭主 おぅっ! な、なんだってそう、いきなり動くんだよ! 高い薬だって、そう云ってるだろ...あぁ、今のでもう何十銭ばかり無駄ンなっちまった...えぇ、もったいねぇことをするんじゃねぇ! 

少しくらいくすぐってぇのは当たり前じゃぁねぇか。それが夫婦の情ってぇもんだ。我慢して、ケツを天井に向けるんだよ...どうも眼が霞んでっから、仕事がやりにくくていけねぇ...
  
 亭主はかみさんの尻に顔を近づけ、チカチカする目玉を思い切り見開いて、えぇ、お仕事をば、いたしております。

 一方のかみさんの方ですが、こちらも亭主のためと思いますから、一生懸命がんばっておりますな。四つん這いンなって、思い切りおケツを差し上げて、まことに涙ぐましいばかりでございます。

 ところが間が悪いときというのはしようのないもので、かみさんが食べたお昼のおかずと云うものが、サツマイモにゴボウの金平...東京ガス御用達というやつで。ぼちぼち、天然ガスが溜まって参りました時分で...

 お尻をグッと突き上げる、ムズムズくすぐったい、ムッと我慢する、腹へ力が入る...途端に、プーッ!

 覗き込んでいた亭主の顔にもろに吹き付けたものですから、堪りません。
  
亭主 うわっぷ...プファッ...よ、よせやィ! おめぇ、なんてぇことしゃがんでぇ! もろに...あぁ、薬が全部吹っ飛んじまって...眼に入って...あれ? あ、そうか! この薬はこうやってつけるんだ...
  
  
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 なかなか仲のおよろしいことで、まことに結構でございますな。もう、はたでみていてばかばかしい限り、というのはこのようなのを云うのでございましょう...

 まことによくできた、艶咄です。
  


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