江戸時代の方位・時刻・通貨

十二支と方位・時刻

 十干・十二支というものをご存知でしょうか。

 昔々、中国の哲学者達はこの世界を形作っている要素を五行(木火土金水の五要素)と考えました(似たような思想は古代ギリシアにもありました)。

 他方、物事には陰陽があるということにも気づいていました。男と女(どっちが陰か陽かあやしくなってきましたが...)、昼と夜、水でも夜露や霧のような水もあれば鉄砲水や津波のような激しい水もある。木にも土にも金にも火にも同様に陰陽があることに気がつき、五行の陰陽というものを考えました。これを陰陽五行説といい、陽性は「XXのえ(兄)」、陰性は「XXのと(弟)」と表わしました。

 例えば「陽性の木」は「きのえ(甲)」です。 陰性の水は「みずのと(癸)」です。これをそれぞれ「干」といい、 甲乙丙丁戊己庚辛壬癸の十個で「十干」です。

 一方の十二支ですが、子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥の十二通りで、私などは子年生まれなので、文字どおりの動物に対応づけて「あっちこっちでちょこちょこ齧っては捨てる、小金を貯め込むが大金は貯まらない」などと評されますが、実は植物の成長から種を残して枯れるまでを象徴しているのだという説も有ります(『五行大義』)。十二支にも陰陽があり、子から順に陽・陰・陽・陰...の順に並んでいます。

 これらはいずれも中国の陰陽五行思想によるものです。

 特徴的なのは十干にせよ十二支にせよ、

循環している

という事です。

 「...申酉戌亥、でこの世の終わり・ハルマゲドン!」 というわけではなく、また子丑...と最初に戻ります。

 この辺が、終末に向かって突き進んでいる西洋思想との根本的な違いです。陰陽五行思想が育まれた中国の大地はきっと穏やかな気候だったのでしょう。冬が寒くて「しばれるなぁ」などと思っても、やがて暖かい春が来て、植物が芽吹くことが予想できたのでしょう。対するハルマゲドン思想を生んだイスラエルの民はよほど救いの無い厳しい気候と民族対立の中を生き抜いてきたものと見受けられます。

 ま、何せ、循環しているものを循環しているように表そうとすると、丸く環にしたくなるのが人情というもの。 そこで、昔の人は十二支を下図のように円上に配置しました。
 もうお分かりですね、このように昔の人は十二支を方位、時刻、さらに季節にまで当てはめたのです(たいていの巡りめぐるものはこの輪の上に表現できる)。

 ちなみに、季節ですが、寅卯辰が春で五行は「木」、巳午未が夏で「火」、申酉戌が秋で「金」、亥子丑が冬で「水」です。

 では「土」は? というと、各季節の終わりの18日間を「土用」と称して四季に分配しました。従って、立夏の前18日を「春の土用」、立秋の前の18日間を「夏の土用」...と言う具合に称します。

「夏の土用の丑の日にうなぎを食べると健康に良い」と唱えたのはあの平賀源内で、本来は夏場がシーズンオフで売り上げの落ちるうなぎの売れ行きアップの為に考えたキャッチコピーだったそうだが、おかげで鰻は夏の土用にしか売れなくなってしまった...

 と、余談はともあれ、土用は夏だけではなかったのですね。

 例の「草木も眠る丑みつ時」ですが、丑の刻は図のごとく午前1〜3時の二時間です。「丑みつ」の「みつ」を「満つ」と書く人がいますが、これは間違いで「三つ」が正しいそうです。二時間を三等分した三つ目の「刻」という意味だそうです。よって「丑みつ時」は午前2時20分から午前3時ということになります。武家では一刻を上中下の三つに分け、「丑の下刻」という具合に表しました。もっとも江戸時代は時計などありませんから、だいたい2〜3時ごろと考えて間違いないでしょう。

 このように時刻に十二支をあてはめる表現法を「辰刻法」といい、江戸初期まで一般的に用いられたようです。

十二支配置図

 なお、これとは別に例えば「時そば」なんかに出てくる、「八つ刻」とか「明け六つ」とか「暮れ六つ」なんて時刻表現があります。これは庶民の時刻の数え方で、日の出を「明け六つ」、日の入りを「暮れ六つ」、正午頃を「九つ」、午前0時頃をこれまた「九つ」と数える時刻の数え方です。ほぼ二時間が「いっとき」に対応していますが、季節によってはだいぶ変わります。九から減って行って四つの次がまた九、という妙な数え方です。

日の出午前八時午前十時正午午後二時午後四時日没午後八時午後十時午前0時午前二時午前四時
明け六つ五つ四つ九つ八つ七つ暮れ六つ五つ四つ九つ八つ七つ

 江戸時代には時を知らせるため、官許の鐘撞堂ができて、時刻毎に鐘をついて知らせました。その鐘の数がそのまま刻限の名前になったわけです。で、どうして九から始まって順に減っていくかというと、易学の方では九がおめでたい数である。それで、刻限の1〜6に9を乗じ、その一の位を取って鐘の数としたのだ、という話です。実に分かりにくい説明ですが、つまり、

1×9=9
2×9=18
3×9=27
4×9=36
5×9=45
6×9=54

と、まぁ、確かに一の位はひとつづつへってますね。

江戸時代の通貨 三貨制度

 江戸時代の通貨はすこぶる複雑です。 三貨制度 と呼ばれる制度ですが、これは金貨、銀貨、銅貨と材質ごとに違う単位を用いて銭勘定をするもので、金貨は甲州の武田信玄が採っていた「両」という単位をそのまま踏襲し、一両=四分=十六朱という四進数的な計数貨幣です。銀貨は匁(=3.75g)という重さを単位とした計量貨幣、銅貨は一個=一文という計数貨幣でした。

 「銭(ゼニ)」というとこの銅貨で、足のサイズの一文二文はこの銭のサイズが元です。

 江戸では主に金貨、上方では銀貨が主に用いられたようです。

 で、お互い同士の関係は、というといちおう

金一両=銀五十匁(元禄以降は六十匁)=銭四貫文(4,000文)

という公の相場があったのですが、質の悪い貨幣が発行されると、価値が一気に下落して、相場が激しく変動したようです。このような際に、特に江戸と上方の交易に際して金銀の「両替」をしたのが「両替商」という商いで、手数料を稼いで、たいそうな羽振りだったようです。


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